中編

「海人、結子ちゃんおかえりなさい!」


 ばあちゃんは上機嫌だった。珍しくミーは居間にいなかった。どこにいるのだろうと探したら、廊下の隅っこで、羽を逆立てている。知らない人が来たから警戒しているのだろうか。

 いつでも飛べるような体勢を取っているのが不思議だった。


「ただいま。こんにちは、桑野と言います」

「初めまして、ながれと申します。そちらはその、僕の妻です」


 居間に腰掛けていたのは優しそうな風貌をした青年だった。多分俺より若い。玄関のガラス戸を開けたのは彼の奥さんだったらしい。


「突然お邪魔してすみません」


 流夫妻は隣村に住んでいるという。隣村とは、S町へ向かう途中の峠から東に道が伸びた先にある村である。正確にはその村の入口辺りにある山に住んでいるらしいが、どうしてそちらの村に住んでいる人がうちに来たのかと疑問に思った。

 ばあちゃんがにこにこしながら俺と結子にお茶を淹れてくれた。じじいは座卓の端で空気になっていた。けっこう人見知りするんだよな。


「今回こちらに来たのは、タロウさんがうちの山に来てくれたことに起因します」

「えっ?」


 俺はばあちゃんを見た。ばあちゃんはにこにこしている。


「そうみたいなのよ~。今まで何度か流さんのところのオオカミさんたちと会っていたみたいでね」

「えええええ?」


 結子が驚愕の声を上げた。俺も上げそうになったが、結子が声を上げたのでどうにかこらえた。


「……ってことは、うちのタロウがお宅の山へ勝手に訪問して、そちらのオオカミと逢引をしていたってことなんですか?」


 自分で言って「逢引」って古い表現だなと思った。


「あ、あああ逢引きって……」


 旦那さんの方が顔を真っ赤にして慌てた。


きょうさん、落ち着いてください。逢引という程ではありませんが、タロウさんはこちらの韋駄天と疾風を吟味していたようです。お眼鏡にかなったかどうかはまだ不明なのですが、もしつがいとなった場合できれば仔を産んでいただきたいと思っています」


 奥さんにそう言われて頭を下げられた。さすがに慌てた。


「……すみません。話が唐突すぎて混乱しています」


 それに奥さんが頷いた。


「お気持ちはよくわかります。たいへん失礼しました、わたくしこういう者でして」


 そう言って出された名刺を受け取り、俺も渡した。

 どうやらこちらの流招子まねこさんは国家公務員らしい。国有林関係の契約を主に担っているらしく、この辺りの地域の担当なのだそうだ。


「……その、うちのタロウがそちらの土地にお伺いしているというのは申し訳なく思うのですが……」


 お互いの素性を話したところで、本題に入る。奥さんが手でそっと制した。


「まずこちらの前提条件からお話したいのですがよろしいでしょうか」

「はい」

「タロウさんがオオカミというのを木本医師に聞いたというのは相違ありませんか」


 そこからかとは思った。


「はい。そうらしいということは聞きました」

「オオカミでも、ええまぁそれでいいとは思います。問題となるのは、もしタロウさんが仔を成そうと思った際こちらの韋駄天と疾風とであれば仔を成せるということです」


 なんだか不思議な言い回しだとは思ったが、そういう言い方なのだろうと気にしないことにした。


「……タロウが、そちらの韋駄天さんと疾風さんですか、彼らの仔を成したいと思うのであればそれはいいと思います。ですが、子どものうちはともかく大人となってからどうするのかという問題はあります」

「そうですね。確かにそれが当面の問題になるとは思っています。彼らが如何に人に危害を加えないと言っても、この辺りで繁殖する場合狩られてしまう危険性はあるでしょう」


 奥さんに言われて俺は頷いた。もしタロウたちが人に少しでも危害を加えれば殺処分されてしまうだろうし、その仔たちも同様である。そんな哀しい思いをさせるぐらいなら避妊手術をした方がいいのではないかと思っている。


「ですので、ある程度育ってからは本人たちの希望を受けてある島へ送ることを考えています」

「島、ですか?」

「はい。絶滅していると言われている生き物や、内地では生きづらい生き物が暮らしている島があるのです。そちら、無名島といいまして、もし桑野さんたちが見に行きたいというご希望があれば見学も可能です」


 なんとも荒唐無稽な話だった。


「……失礼ですが、とても信じがたい話です」

「お気持ちはとてもよくわかります。その無名島には現在高校がありまして、この村に関係する少年が今年の春から通っております」

「すみません……全く話がわかりません」


 余計に混乱してしまった。


「情報が多くて申し訳ありません。タロウさんの血もそうですが、韋駄天と疾風もまた普通の存在ではないのです。国からすれば保護をし、繁殖をさせたい存在であるのだとご理解ください」


 やっぱりタロウはニホンオオカミなのだろうか。


「……タロウの意志もそうですが……考えさせていただいてもいいですか?」

「はい。できるだけ早くお返事をいただけることを希望します」


 そう言って奥さんは、その無名島高等学校のパンフレットも含めて、いろいろな資料らしきものを置いていった。

 仕事帰りだというのに頭がパンクしそうだった。

 流夫妻とその飼いオオカミ? たちが帰っていってから、やっとミーは居間へトトトトトッと駆けてきた。


「カイトー」

「おう、ミー。ただいま。なんで廊下の向こうになんかいたんだ?」


 ミーには特に人見知りのようなものはなかったはずである。


「カイトー、ヘタレー」

「なんでだ!?」


 意味がわからなかったので俺はミーを追いかけ回してばあちゃんと結子に叱られた。

 だからなんでだ。


ーーーーー

情報量が多すぎる。流夫妻は「虎又さんとお嫁さん」に出てくる方々です~。

次で終わります。

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