36.彼女の事情
「……ず」
「ず?」
「……ずるいですっ!」
いきなり本山さんが叫んだ。
「……え?」
何がどうずるいんだろうか。
「……今までそんなこと、言ってくれたことないじゃないですか……」
消え入りそうな声で言われて、戸惑った。服や化粧を似合っていると言った覚えはあったんだが、本山さんにとっては不十分だったのかもしれない。
って、不十分?
「あ~……」
俺は頭を掻いた。
「……そういうことは、二人きりで話さないか?」
「……ごめんなさい」
こんな興味津々で見つめられている状態で話すのは難しい。湯本夫妻と桂木さんがわくわくしているのがわかる。だいたいそういう話をするのならば、まずはお互いを知るところからだと思う。
え? 本山さんを認識してからもう二か月も経ってるじゃないかって?
俺からしたらまだ二か月だし、本山さんの事情も知らない。気軽にどうの、と言える状態ではないと思った。
「今日はすみません。ごちそうになりました」
「おばさん、桂木さん、ありがとう。それから、ごめんなさい」
「いいのよ~。なにかあったら教えてね~」
本山さんが恐縮している。おばさんはにこにこだった。
「いいんですよ~。私にも教えてくださいね~?」
桂木さんもにまにましている。あれはデバガメだなと思った。かわいいのだがなんとも残念な雰囲気だ。って、余計なお世話か。
湯本さんのお宅を辞してから、いつから山の手入れに来たらいいのかどうか聞くのを忘れたことに気づいた。一応電話番号は知っているから後で連絡すればいいだろう。
さて、本山さんとどこで話をしたもんか。
山とかで話すってのもどうかと思うし、かといってS町の方まで行くっつっても……まぁいいか。
本山さんに軽トラに乗るよう促した。本山さんは俯いたまま助手席に乗ってくれた。
「ちょっとS町の方まで流すから、言いたいことがあったら言ってくれ」
乗ってくれて、内心ほっとしたのは内緒だ。
さすがにラブホに入るわけにもいかないから、この間言ってたショッピングモールの方へでも行くか。
村からS町へ行く峠を通っていた時、本山さんはようやく口を開いた。
「ごめんなさい……ちょっとした、トラウマのようなものがありまして……」
「うん」
なんのトラウマだ? かわいいって言ったらいけないとか? それは困るな。
「……私の事情って、桑野さんに聞きました?」
「聞いてないよ。この間兄妹喧嘩してる時になんとなく聞いたけど」
そう、本山さんちで待っている時に兄妹で罵り合っていた内容から、兄と妹は互いにバツ一だということを知ったのだ。だからというわけではないが、本人から事情を聞くまではと思っていたことも確かだった。
「あの時は、失礼しました。……私のこと、話してもいいですか?」
「うん、聞くよ。ショッピングモールに向かってるけどいいかな。話は車の中ですればいいし。外へ出たければ出ればいいよ」
「はい、ありがとうございます……」
そうして本山さんはぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。
短大を出て就職した会社で五年程働いてから元夫と知り合ったこと。元夫は十歳も年上で、とても素敵に見えたこと。結婚する時に専業主婦になってほしいと言われたこと。結婚してすぐに夫の束縛が強くなり、えばり始めたことなどを淡々と言った。
「自分が、専業主婦になってくれって言ったくせに、お前なんか一円も稼いでないだろうとか言うんですよ。その時は何故かそれもそうだと思って、完璧な家事ができない自分が嫌になったりしたんですけど……」
一年ほど経って、たまたま昼間友人と会った時に夫の話をしたらそれはおかしいと言われたそうだ。
それから少しずつ夫の言動がおかしいと思い始めて、子どもができる前に離婚したという。それは子どもができる前に気づいてよかったと思う。
「離婚して、少しの間別のところに勤めて一人暮らししていたんですけど……もうとんでもなく寂しくなってしまって実家に戻ったんです。そしたら兄も甥っ子を連れて離婚してきてて、どうしようもない兄妹だなって思いました……」
ショッピングモールに着いた。
「飲み物買ってくるよ。何がいい?」
「一緒に行ってもいいですか?」
「店内に入る?」
「いえ、車の方がいいです」
「わかった」
外の自販機で一緒に飲み物を買って軽トラに戻った。
「お兄さんのことはわからないけど、本山さんが離婚したのは本山さんのせいじゃないだろ」
「……そう、なんですかね」
「結婚する前はそういう男だってわからなかったから結婚したんだろ? それは本山さんのせいじゃない。その男の擬態がうまかったんだ」
「擬態、ですか」
「ああ。子どもを虐待してたって親とか、外ではあんないい人だったのに、とか言われたりするだろ? それは表向きの顔で、家に入ったら顔が変わるんだよ。奥さんに対してモラハラしてた夫が外ではいい夫婦を演じてたりな。だから、傍から見てるだけじゃ気づかないんだ。なんであんな男と、って言われたって、付き合ったり結婚する前は優しかったり、その彼女を大事にしていたりしてたんだ。それが身内になった途端自分の物だから何しても、何を言ってもいいんだという風に変わる奴だっているんだよ」
俺がそういう目に遭ったわけじゃない。ただ、友達に似たような境遇のカップルがいただけだ。俺はどっちとも友達だったから、別れたいという彼女と、別れたくないという彼氏のどっちの言い分もどこかおかしく感じて、彼女に彼氏の言動を録音するように言った。それを後日聞かせてもらった時愕然とした。男友達は、彼女の前ではありえないような言動をしていたのだ。それから一時期人間不信に陥ったこともある。
だから外面だけが全てじゃないと考えるようになったんだ。
「本山さんが結婚した人はたまたまそういう人だったんだ。だから、俺は本山さんが離婚できてよかったと思う」
「……ありがとうございます」
消え入りそうな声でそう言うと、彼女は俯いて静かに泣き始めた。
泣かせたかったわけじゃない。
でも、離婚したのは悪いことではなかったのだと伝えたかった。
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