茸譚

北緒りお

茸譚

 近所で目にする面々は増えたり減ったりというのを感じないのだが、ニュースで見るには人口減少が半世紀近く続いているのだという。

 そのせいなのか、道はがたつき、市役所は雨漏りをし、少し踏み入ったところに入るとスマホの電波が通じない。

 ネットもつながらず、あちこちがぼろくなると、幹線道路からちょっと入っただけで世の中から離脱できるようになる。

 おっさんたちは「昔ならば考えられない」とか「日本は衰退しきった」なんて言うが、俺たちが生まれる前のことを引き合いに出されたところでおまえ達がしっかりしないからだろという感想でしかない。

 親たちの若い頃には断捨離とか“丁寧な暮らし”という物を持たないのが流行ったらしいが、今は棄てようとしても物がない、持とうとしても買えないのがいまの暮らしだ。

 一世紀以上前の昭和の暮らしっぽく、山菜を採り田を耕しと言う暮らしになって久しい。家に居さえすればネットで仕事ができ、生きるのに最小限の収入を確保できる。

 ちょっとの器用さと、ちょっとの外国語への慣れがあれば、どうにか生きていける。

 物価は上がったと言われるが、それに比例しているのか外貨の力が大きくなり、円以外の収入があれば、週に二日も働けばよいようになる。

 そうすると、なにが起きるか。

 端的には暇になるのだった。

 朝になり、ご飯を食べたりを食べたり掃除をしたりして、一通りすっきりするとやることがなくなる。

 寝て惰性で過ごしたり、仕事らしきことをのんびりやってみたりというのもあるが、一方で酔いの世界に沈んでいき、必要なとき以外はヘドロのような時間の中でまどろむのか一定数いる。

 俺は一辺倒に、その酔いの眠りの中に居るのを良しとして、必要最小限の社会生活に終始ししていた。


 住む街は快速停車駅のくせに駅前は寂れきっている。改札をでるとバスロータリー兼タクシー乗り場があるが、タクシーが贅沢品になり始めた頃から、荷卸し場ぐらいにしか使われなくなっている。駅から正面に延びる道と右に延びる道があり、それぞれに商店街があり、買い物には困らないが閑散としている。

 駅から見えるところに古くからやっている立ち飲み屋があり、どっかに出かけて帰ってくると、そこで一口二口の蒸留酒を呑む。その昔はウィスキーが流行して安いものがでたり有名な品は高騰したりして、そんじょそこらの酔っぱらいでも無銘のウィスキーをハイボールにして呑んだりしていたが、いまはウィスキーでちょっと酔っぱらおうなんてのも贅沢になってしまった。

 ウイスキーのメーカーは、国内の貧乏人に売るよりも海外に出した方が利益になるのか、せっせと仕込まれた蒸留酒は海を渡っり現金となり遙かなる異国の酔っぱらいの喉を下り霧散している。仕込んでから飲まれるまでの途中には日本人の姿はなく、経営者だっていつの間にやらカタカナ名の御仁が占めるようになり、製造過程が日本の土の上にあるだけで海外から海外へわたっていく一時の休憩所みたいな仕組みになっていた。

 日出ずる国の酒飲みは仕方なしに焼酎を飲んでいた時期もあったが、米や麦も贅沢品になりあそばれた頃から、食用以外での流通が消え始めている。今は、バクテリアがデンプンからアルコールを作るようになり、無味無臭のアルコールを茶やシロップで味付けして炭酸でのばしたような物で胃の腑を暖めるのがやっとなのだった。

 一緒に呑んでいる年寄りから聞いた話だと、ウイスキーや酒の栄枯盛衰こんな感じらしい。その年寄りがいうには若い頃は第三のビールなんてのもあったが、今じゃそれすら贅沢品になってしまって、あのころの方が未だマシだったと嘆いている。

 令和が終わってから生まれた俺からしてみたら、古きよき日本が謳歌していた時代のフィクションだ。

 酒と呼んでるこの飲み物だって、アルコール含有という点だけでしか酒の原形をとどめてない。

 いつも酔おうとして呑んでいてもそんなことを考えていると腹が立つ。そうすると、酒と自称する飲み物で淡く灯り始めた胃の中のほのかな炎が吹き消され、まんじりとせずに家に帰るのだった。

 今日もそんな酔い方をして、アスファルトが割れて大きな石みたいになった道で帰る道すがら、急に思いついて、近所の悪友である井坂にメッセージを送ってみる。

 暇だったのか[合流しようや」と端的ながらも心強い返事が届いた。

 コンビニで“酒”を買い足すとそいつの家に足を延ばしたのだった。

 駅から続く一本道は、昔は幹線道路だったが、いまは補修されなくなりアスファルトの破片と雑草の楽園になっている。

 物心付いた頃はもう少しましな道だったような気がするが、今じゃ獣道みたいになっていて、轍(わだち)の上ぐらいしかまともな道はない。道と行っても、崩れたアスファルトが砂利のようになって土と一緒に踏み固められていて、この季節になると轍の両脇に延びて胸の高さぐらいになっている雑草の茂みの中から鈴虫が鳴いていてうるさいぐらいだった。

 年寄りに言わせると、昔は鈴虫なんてこんなに居なかったと言うが、これだけ放置しておけば昆虫だって増えるだろう。

 目的地に着く。完全に廃屋にしか見えないがここ家だ。

 そんなに広くはない一戸建てだが、どこまでが敷地でどこまでが空き地かがはっきりわからなくなっているせいもあり、どことなく伸びやかな印象がある。

 家を囲んでいたブロック塀も壊れるままにし、住んでいてじゃまになるところは積極的に壊したりとしているうちに、その境目は曖昧になり空き地も好き勝手に使うようになったのだった。

 ここいらへんは人口が多かったときに家の数を増やしすぎたせいで、住む人間の数よりも家の数の方が多い。

 土地の価格なんて物はすでに下落しきっているものだから、所有者は税金の分だけでも回収できればと価格競争を続けている。そのおかげで、寝るところを確保するのに出費がかからなくなった。

 余っている地面を使って、野菜を育てたり、麦や芋なんかも育てたりする。

 簡単な室(むろ)も作り、酒を作る。

 米や麦なんてのは易々と使えないものだから、米の代わりにジャガイモを使ったどぶろくを作っていた。

 人口減少のドミノ倒しはおもしろいもので、国民の数が減り、税収も滝のように下がると、霞ヶ関の人口も減る。

 そうすると、地方でも役人の数が減り始め、最後の砦であった税務署職員の数すら減っていく。数ある役場や公務の中で唯一コストパフォーマンスという単語を理解している面々は、俺たちみたいな細かい仕事には目もくれない。

 ジャガイモの酒は、日本酒やワインなんかのちゃんとした物を知っていると悲しくなるような味だが、それでもないよりはマシという物だ。

 酔いが回るまでの我慢だと、なにやらざらつく酒を飲んでいるが、口にする度、胃に流し込む度に気持ちが滅入ってくる。

 井坂とは高校の頃からのつきあいだが、たまたま近所に住んでいるというのを知って、一緒にオンラインでの授業を受けてそのままぐずぐずと遊んでいたりして、それ以来のつきあいになる。

 いまみたいに、ネットが途切れ途切れになると、リアルの友人が近所にいると気軽でいい。

 秋晴れの空ともう少しで日が暮れようという時間のにふと流れる乾いた風が気持ちいいのもあり、縁側(というよりは木材を適当につなげた腰掛ける場所)で酒盛りを始める。

 コンビニの“酒”で勢いをつけた後、芋酒をちびちびと呑む中で井坂が「なあ、酔える茸があるって知ってるか?」と言い始めた。

 なにか冗談でも潜んでいるのかと「そんなのあるのか?」と、ジャガイモの滓をむりやり流し込んだりしながら聞く。

 井坂は涼しい顔をして「あるよ」と返事をする。

 漠然と想像していた返事と違ったので思わず「どこに」と聞き返す。

 台所を指さして「冷凍してある」と言う。

 おもわず「おい、ずいぶんと用意がいいな」と言ってしまった。

 井坂が言うには、山で見つけた茸を何の気なしに検索してみたところ、毒茸とあって、怖い物見たさで詳しく調べてみた。

 そうしたら、特定の茸と組み合わせて食べたときだけ、酒に酔ったようになると書いてあったとのことだった。

 茸のことは詳しくは知らないが、そんなもんがあるのかと聞くと。

「あるんじゃね?」と素っ気ない。

「とりあえずさ、それっぽい茸を山中歩いて見つけてみて冷凍してあるか、試してみね?」と言う。

 軽く誘う割には執念深く探し回ったなと思いながら「よし、やってみよう」と二つ返事をする。

 やってみようは良いのだが、冷凍庫の中を見せてもらうと、ビニール袋に入った茸が占領していた。

 だいたい俺の頭ぐらいあろうかという袋が二つほどあり、一人暮らしの冷蔵庫の冷凍室はほぼそれだけですべてが埋まっているのだった。

 二人で食べるのにちょっと多い気がし、だれか呼ぼうやと話をする。

 こう言うときに声をかけるのが悪友仲間だ。

 呑み屋で仲良くなってから、同世代というのでつきあいの長い荒木にメッセージを送って少ししたところで[すぐ行くから待ってろ]と返事が来る。

 荒木もほぼ近所なのもあり、準備をしている間に合流できた。

 鍋にして食べて見る。

 味の想像が付かないのもあり、味噌で煮込んでひとまずは食べられるようにしてみた。

 茸だけでは鍋として味気ないので、井坂の冷凍庫に眠っていた肉団子や野菜なんかを少しだけ追加し最低限の体裁を満たせるようにする。

 適当に作るものだから、丁寧に切ったりすることもせず、丸のまま火にかける。

 鍋に放り込まれた茸は、少し縮んだように見えた。

 火が通った茸から香りが出るわけでもなく、かじったところでこれと言った風味なんかもあるわけでなかった。

 特に会話が弾むわけでもなく、違う茸を食べると酔っぱらうとの知識だけを参考に、見た目の違う茸を交互に食べていったのだった。

 立ち上がろうとして所で、異変に気付いた。

 足がふらつき、なにやらふわふわと感覚がほどけた感じがあったからだ。

「酔った!」

と、二人も見ると同じように酔っているようで、酒で酔っているときみたいに、井坂は普段から猫背気味なのがさらに背が丸まり、荒木は出っ張った腹をポンポンとたたきながら笑い上戸を発揮してケラケラと笑っている。

 鍋の中がほとんどなくなると、三人ともかなり深く酔ったようになっている。

 酔っぱらったからというもの、やることはない。

 ただ、無駄に話し続けるのだった。

 井坂はぼそっと「酒がなくても酔えるのはいいけど、これはこれで味気ないな」とつぶやく。

荒木は笑いながら「そんなことはないだろ、駄菓子屋のジュースもどきみたいな酒に比べりゃ、人間が口にしていいものだろう」と返した。

 井坂は続ける。

「やっぱ鍋にはビールがほしいけど、ビールと一緒に食べたら深酔いするだろうな」

と言うが、そもそもビールを買えるんだったらこんなキノコは食べない。

「そもそも、鍋を食べて、鍋自体で酔うというのがおかしい」とも井坂が言うが、言い出したのはおまえだといいたい気持ちを抑えた。

 荒木は笑い疲れたのか「なにか冷たい飲み物があるとうれしいかも」と言う。

 井坂は「うれしいかも、って言われても、そんな用意はないし、水でも飲むか?」と台所に行こうとする。

 なにか早合点した荒木は「お、チェーサーか? 贅沢じゃん」とうれしそうな顔をしているが、なにと考え違いをしたのかは判然としない。

 半ば独り言のように「ただの水をそう呼ぶのは、なんかこっぱずかしいな」とつぶやく。

 台所の汲み置きの水を大きめのタンブラーにいれ、氷を入れてやろうと冷凍庫を探っている井坂が「ちょっといい感じの店じゃ、そうやって呼ぶけど、まあ、行けないしな」とただの感想なのか自嘲なのかわからない言葉で返す。

 なにがあるというわけではなく、ただただ流れるままに話題が流れ、思いついたことをそのまま放りあうような時間が過ぎていく。

 鍋は空にあり、冷たい水がおいしい。

 見事に酔っている、歩こうとすると自分でも足がもつれてるのがわかるぐらいに酔っている。

 体の重さがなくなって、なにやらふわふわとしている。それで、物事を考えようとしても、たいていのことはどうでも良くなっている。

 夕焼け前から呑み始めたのにも関わらず、すっかりと夜になり、鈴虫の声を運んでくる秋の夜風が頬をなで気持ちよい。

 井坂は縁側の方に頭が向くように寝っ転がり「もうさ、どうでもいい感じになるまで酒を飲むなんてのも久しぶりだよな」という。

 荒木は「酒じゃないけどな」と笑っている。

 井坂はごろごろしながら「そこらへんの地面に札束でも埋まってるといいんだけどな」と言い始める。

 腹も膨れて酔ってるのもあり半分眠くなりながら「そうしたら、どうする?」と聞いてみる。

 井坂は軽く考えるように少し黙り込み、ぼそっと「酒飲んで遊んで寝る」と答える。

 荒木はそれの答えに爆笑しながら「今とたいしてかわんねーな」と腹を抱えている。


 酒でもないのにふわふわと体が軽いのが不思議だが、唯一同じなのが腹の中が暖かい感じになり、体中にその温もりが広がっている感じだ。少しいいのは、酒臭くならないところだが、キノコにキノコらしいほこりっぽいにおいがあるが、それでも食べる。

 食べると言うよりは、飲み込みやすい大きさにかみ切って飲み込んでいるだけだった。

 食事でもなく、飲酒でもなく、どちらかというと、なにやら粗大な薬剤を投与されているような気持ちになる。

 酒は飲めない。

 酒は飲みたい。

 買えないのをぼやくのもしょうがないが、酒一つままならないのをキノコで紛らわせているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

茸譚 北緒りお @kitaorio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る