第3話「そして“彼ら”は解き放たれた(1)」


 1年前のことだった。

 自分の体が2つに分かれる不思議な力『虚構分身ホログラム』を初めて使ったあの瞬間、“透明な”は満面の笑みで、迷わず個室を飛び出したのだが――



 ――


 外を見た俺の、感想一言目がそれ。



 俺は楽しみにしてたんだ。

 時間だけはたっぷりあったから、「外にはどんな世界が広がってるんだろう?」「外に出れたら何して遊ぼう?」って妄想しまくって、1人ニヤニヤしてたんだよ!

 なのにッ!

 いざ出てみたら、右も左も灰色コンクリ一色のつまんねぇ廊下だけ。

 こんなの、生まれてずっと閉じ込められてた立方体個室と変わんねぇじゃんかッ!



 ひと通りガッカリしてから、俺は周囲を探検することにした。

 せっかく外に出れたわけだし……このまま戻るのも、もったいねぇし。


 道中、揃いの強化白衣を着た研究員と何人もすれ違った。

 最初は焦ったけど、どうやら俺の姿はヤツラに見えてないらしい。

 あちこちの部屋をのぞきまわっているうち――




 ――俺は、に出会ったんだ。





 ***





「さ~て、今日はどんな話をしてやろっかな~」

 

 個室の外に出た俺はネタ探しがてら、いつもの廊下をぷらぷら歩く。


 あれから俺は毎日、あの子の部屋に顔を出している。

 抜け出すのは決まって夜の検査が終わった直後。

 早朝は俺が寝てたいし、昼間は人通りが多くて廊下を歩きづらい。

 いろいろ試した結果、最初に抜け出したこの時間がちょうどよかったんだ。



 あの子はとても小さい。

 初めて会った時よりは伸びたけど、まだまだ俺には遠く及ばない。

 まぁ2歳だからな。ちゃんと飯食って寝てりゃそのうちデカくなるだろ。


 俺を相当気に入ってるらしく、顔を見るたびキャッキャと最高に笑ってくれる。

 会いに行く俺は“透明”で、周りの大人は誰も見えてないはずなんだが、あの子はなぜか俺の存在を認識できるらしい。


 もちもちほっぺに、無邪気な笑顔――ったく可愛すぎかよ!!!

 何を言っても短い手足をバタつかせて喜ぶから、ついつい俺も話しかけちまう。


 ただ最近ちょっとネタ切れ気味なんだよなぁ。

 毎日違う話をするならそれだけストックが必要だし……だからこうやって寄り道しては、建物内をあちこち覗き回ってるんだけど――





 ――ドゴォォオォンッッ!!!



 急に響く轟音。

 建物が大きく揺れ、俺は盛大に尻から転んでしまった。


ッてぇ! なんだよ今の音……って、なんで透明化が解けてんだッ⁈⁈」


 俺の手が、足が、全身が、実体化している。

 さっきまで虚構分身ホログラム効果で透明だったはずなのに……。



「……なるほど、1のか」


 少し遅れ、俺はした。


 虚構分身ホログラムの分身体は、2つとも俺だ。

 しいて言うなら“透明な俺”が本体。

 だけど同時進行で双方が視覚や聴覚などを共有しているから、今お互いの身に何が起きてるかはリアルタイムで分かる。


 自室で留守番していた俺の情報によれば、先の衝撃で自室が完全に崩れ、分厚いコンクリ天井が落下。

 その下敷きになって潰された“不透明な俺”が死亡。


「その瞬間、虚構分身ホログラムが解け、“透明な俺”が実体化したってわけか……なるほど、この能力ってそういう影響も受けるんだな。機会があったら追加検証して、さらに詳細を詰めたほうが…………ん?」



 言い終わる前に、頭上からバラバラ落ちてきたのは極小のコンクリ片。

 慌てて跳ね起き周囲を見渡すと――あちこちの天井や壁がひび割れ、崩壊し始めている惨状に気づいた。



「げっ! こっちもヤベェじゃねぇかよォッ!」


 現在の俺は“本体”だ。

 潰されたら今度こそ一巻の終わり。


 このあたりの廊下は、まだ原形を保っている。

 とはいえ断続的に揺れや崩壊が続く現状、いつまで安全かは分からない。

 生き残るためにはサッサと脱出しないとまずいわけで――





 ――脳裏に浮かぶは、





 底知れぬ不安――俺は突き動かされるように走り出した。





 ***





 脇目もふらずに全速力で廊下を駆け抜け、最短距離で目的の部屋へ。

 開けっ放しの扉から勢いまかせに飛び込んだ。



「おいッ無事かッ⁈ ……って寝てんのかよ! 心配かけやがって、はぁ……」


 思わずガックリ膝から崩れる俺。


 あの子がいたのは、いつものベビーベッド。

 お気に入りのピンクの毛布をギュッと抱きしめ、幸せ笑顔でスヤスヤ眠っている。

 ったく、こんな非常事態によく寝てられるよなァ……――





 ――

 ――瞬間、バッと襲いくる


 とっさに後ろへ数歩飛びのいた俺は、どうにか攻撃を避けることができた。





……」


 を発したのは、

 あの子が眠るベッドの横に立ち、俺のことをにらみつけている。



 研究員……じゃ、なさそうだな。

 ヤツラは強化スーツを着ているはず。


 だけどコイツは白と赤の奇妙な服を着ているし、1度も見た記憶がない顔だし。

 何者かは分からないが、これだけは分かる――


 ――コイツはだ。


 研究員たちは面倒くさがりつつも、なんだかんだ俺を丁重に扱っていた。


 だがコイツからは、力強く突き刺す“敵意”しか感じない。

 やたら長い棒状の武器と、怪しい文字が書かれた紙札とを構えており、いつ次の攻撃に移ってもおかしくないほど隙がない。

 しかも俺は攻撃されるまでコイツの存在を感知できなかったって、一体どういうことなんだよ……!



 気づけば俺の全身はブルブル小刻みに震えていた。

 そこはかとなく不安で、いますぐにでも逃げ出してしまいたい。

 毛穴という毛穴から嫌な汗がダラダラ流れ落ちていくのが分かる。


 これはたぶん、“恐怖”とかいう感情だ。


 以前読まされた書物では「恐怖とは人間の基本感情の1種で、危険や脅威を感じる対象への防衛反応だ」とも書かれていたな……。





 ――そうか。


 俺は、コイツを、のか。





 足がすくんで動いてくれない。

 だが何もしなけりゃられるだけで……。


 回らぬ頭を無理やり回し、俺は必死に時間を稼ぐことにした。

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