第12話 出版社パーティ


 新年謝恩会。

 MARUYAMAの出版パーティは、今年は椿山荘で行われた。文京区にある名門ホテルだ。


 広大なパーティ会場には小説家、イラストレーター、漫画家、編集者などなどがスーツやドレスの綺羅綺羅しいよそおいで集まっている。俺も似合わないことを承知で一張羅のスーツを引っ張り出してきた。

 招待状と引き換えに名札──ペンネームが記されている。俺は本名と同じだが──をもらう。


「おっ、このパイ包み焼きうめぇな」


 出版パーティに招かれた作家の振る舞いは大別して二種類。

 ここぞとばかりに顔つなぎに精を出し、あいさつ回りに活発な陽キャ集団と。

 そういった面倒ごとを避け、おもに顔見知りとしか話さず、ドリンクと料理を取ってひたすら食ってるコミュ障集団である(偏見に満ちた暴論)。

 俺? もちろん後者だよ。


「有馬くん、最近事故って頭を打ったと聞いていたけど大丈夫かい」


「いやああはは……それが長文書けなくなりまして」


「え、それ大丈夫なの。作家には致命的じゃない? このローストビーフいい肉だよ」


「治ると信じて脳のリハビリ中です。ほんとだ、肉が柔らかいっすね」


 知り合いの作家さんと立ち食いで話しつつ、旨い料理を腹につめこむ。

 書字障害が続いていることは問題だし、いつまでもこのままだとやばいのだが、もうさほどショックじゃないんだよな。話の種にできる程度に軽い扱いになっている。

 これも絵という、他に没頭できるものが見つかったからかもしれない。


「十郎ー! じゅーろー!」


 あ。うるせえのが来た。

 人とテーブルの隙間を縫い、レースのドレス裾をひるがえすようにして、オイスター先生が小走りで寄ってくる。脳天気な笑顔に対して俺はローストビーフを食いちぎりながら聞いた。


「あいさつ回りしなくていいのかよ」


 こいつくらいの絵描きになると仕事で組んだ作家や、こいつと仕事をしたい作家がいっぱいいるだろうに。


「ぼく以外友達がいない十郎が寂しくしてないかと思って来てやったんじゃん」


「い、いるわボケ! ほかにも友達くらいいるわ! ねえ皆さん!? 我々って友達ですよね!?」


 ついうろたえて周りの作家さんたちに聞いてしまった。

 苦笑する人、友達だよあははとノリよく応えてくれる人。みんな優しい……

 が、見るとオイスター先生は他の作家陣の前でぴたりと固まっている。小柄な体がさらに縮み、おずおずと腰を折ってお辞儀し「オイスターです、よろしくオネガイシマス……」とがちがちの声で定形の挨拶を始めた。初対面の相手にはいつもこんな感じの小心者なのだ。


 俺はため息をついた。あいさつ回りしてくればなどと言ったが、オイスター先生にとってそれは苦行に等しい。俺もコミュニケーション力などないほうだが、こいつより幾分かはましである。

 皿を置いて周りの作家さんたちに会釈すると、オイスター先生のそばに立ち、背中を押してその場を離れる。

 ふたりになったとたん元気になる牡蠣。会場の喧騒に負けないくらいの声を張り上げて文句を言い始めた。


「もー、十郎探し回って歩き疲れたよ! 慣れない服だし慣れない靴だし!」


「はいはい。たしかにいつものクソダサTシャツやもこもこ防寒着に比べれば今夜のドレスは……」


 …………

 俺は視線を落としたところで黙り、顔をそらした。

 そのドレス、胸強調されすぎじゃね? と危うく口をついて出るところだった。


 ファンタジーに出てくるお姫様のようなぶっ飛んだデザインのドレスは、肩から胸元にかけて白肌が露出し、乳房の上半球のボリュームと超深い谷間が強調されている。

 身長147センチのチビのくせに胸の部分はSUGOI DEKAIという身体的特徴をよく活かしているデザインだった。


「今夜のドレスは何さ? ねえねえ」


 オイスター先生がスーツの腕に腕をからめ、くいくいと引っ張ってくる。ドレスの襟ぐりからあふれんばかりの柔らかく豊かなミルクプリンが押し付けられ、むにゅむにゅ歪むのを肘のあたりに感じる。わざとやってんのかコイツ、と顔を見るが、きょとんとした表情で見上げられるだけだ。


「いや……」と俺は目を泳がせながらごまかした。「今夜のドレス姿、お綺麗ですねオイスター先生」


「~~っ、ふへへぇ、やだなーもー! なんだよー急にー」


 オイスター先生がわかりやすく喜び、顔をゆるませてべしべし俺の肩を叩く。

 まあ似合ってるのも綺麗なのも間違いではない。格好がお姫様あらため肉欲の魔女ぽいというか、男にとっては目の毒が過ぎるだけで……


「ふたりでいちゃついてどうする。周りに目を向けろ」


 呆れた声がかかり、俺たちは振り向いた。


「てりぃ先生」


 手にしたカクテルグラスのドリンクをきゅっと飲み干し、てりぃ竹橋先生が説教にかかってくる。


「こうしたパーティの場は仕事の延長ととらえることだ。なるべく多くの人間とコネを作っておくにこしたことはない。いつ仕事に結びつくかわからないのだからな」


 そうはいっても我々、コミュ障なんで……

 てりぃ先生に言い返そうとしたら、彼はいつのまにかそばを通りかかった人に向き直ってにこやかに名刺を差し出していた。


「更科さん、てりぃ竹橋です。昨年はわざわざサークルスペースにまで来ていただいてお世話になりました。こちら新しい名刺です。

 あっ、そちらは所沢先生ではないですか。このあいだのバーは良かったですな、あんな奇抜なカクテルが飲めるとは思わなかった。またご相伴させてください、ははは」


 うわあ……あの狷介けんかいなてりぃ先生が福々しい笑顔で完全営業モードだ。


「気持ち悪ぅ」ぼそっとオイスター先生がつぶやいた。てりぃ先生には悪いが同感。


 でもまあ、そうだな……あいさつしたい相手がいないわけではない。

 特にひとりの女性との、昨年の会話が思い浮かぶ。


 ──先輩とも会場で会えたらと


 ──それじゃあ、私も考えとく


 緋雨先輩はこの会場に来ているのだろうか。

 俺は傍らのオイスター先生に告げる。


「ちょっと俺も会場回ってくるわ」


「え!? やっと十郎見つけたのに! ぼくにここで待ってろとか言わないよね!? やめろよ、こんな陽キャピーポーのパーリーの中にぼくを残していくなよう! ひとりで立ち尽くしてたら知らない人たちが話しかけてくるかもしれないんだぞ! こわい!」


「おまえなんでこのパーティ来たの?」


 こいつに比べたら地中のモグラのほうがまだ社交的と思われる。

 ともあれ、オイスター先生がついてくるのをやめさせるわけにもいかず、俺たちは会場を歩き回ることになった。

 本当は緋雨先輩をひとりで探したいんだけどな……いや、別にオイスター先生がそばにいてもやましいことはないんだけど……


「ねー、歩いて誰探してるの? 陳さん?」


 オイスター先生が、俺たちの担当編集の名前を出す。


「あ。うん、そう」


 あれ?

 やましいことはないんだけど謎の心の動きでとっさに相手を濁してしまった。緋雨先輩の存在をこいつに伏せる必要は特にないはずだが……


「陳さんならあっちにいたよ。連れてったげる」


「お、おう」


 オイスター先生に手を引っ張られて俺は歩き出す。

 まあいいか。ついでに担当編集に挨拶しておくのも悪くないし……

 そんなことを考えながら人混みを抜けていった先に、


「お酒もっと持ってきてー♪」


 カクテルドレス姿の緋雨先輩が、いた。いつものスーツ姿の陳さんといっしょに。

 通りかかるウエイターに酒のお代わりを頼みつつ、二人してワインのグラスをかぱかぱ空けている。

 上気してけらけらと笑う緋雨先輩、赤ら顔で目をとろんとさせて飲む陳さん。

 陳さんが突如くわっと目を見開き、叫んだ。


「私はねぇ! 公の場で編集部の悪口をいうクリエイターどもを拷問したいんですっ!」


「うんうん!」わかっているのかわかっていないのか、緋雨先輩が相槌を打ちながら飲む。


「チュイッターで暴露とかいってことあるごとに『編集部にこんなひどい扱いされた』とお気持ち垂れ流すクリエイター連中! 誇張やでまかせが混じっててもこっちからはなかなか反撃できないんですよ! そんなの卑怯じゃないですか! 仕事干してやるからな!

 あと、あとですね、『SNSで本の宣伝をクリエイター自身にやらせてるのはどうかと思う。編集の存在意義あるの?』って外野に言われてもですね、そういう時代なんだからしょうがないじゃないですか! SNSじゃ編集者の言葉より作家やイラストレーターの宣伝のほうが反応いいんですよ! 該死的しねぇ!」


「うんうん! 編集さんも大変ですよね!(ぐびぐび)」


 周りの人がそんな酔っ払いふたりを遠巻きにしている。ドン引きしていると思われた。

 うん。俺も引いてる。


「ここを離れよう十郎」


 オイスター先生が俺の手を引いたまま回れ右した。

 俺はあわてて抵抗する。


「い、いや待てよ」


 あとで編集部の偉い人に怒られるかもしれない陳さんも心配だが、緋雨先輩も放っておけない。ハイペースで空のグラスがそばのテーブルに置かれていくが、どれだけ飲んでんだあの人。お代わりを持ってくる給仕さんの顔つきも心なしか戦々恐々としている。


「離れたほうがいいって。陳さん、すでにおつむにだいぶ酒回ってるでしょあれ」


「そうだけどさ​──」


 オイスター先生に向き直ってなにか言おうとしたとき、


「十郎くんだー♪」


 背中に温かい重みが寄りかかってきた。


「ちょっ、せんぱ……」


 こちらを見つけて寄ってきたと思しき緋雨先輩だった。俺の背中に体重をあずけるようにしなだれかかって、くすくす笑っている。かすかにつけてあるらしき香水と、酒の匂いが漂ってくる。

 視界の端にオイスター先生が愕然としているのが見えた。


「あのねえ、十郎くんがパーティ、来てほしそうだったから来たわよー」


「はい。はっ。あの。まず離れましょう」


 向き直りながら身を離す──支えを失った先輩が「あ」と前に倒れそうになった。あわててその肩をつかんで押し留める。


「先輩、ちょっと飲み過ぎですよ」


「ふにゃあ。もっと飲むわよぉ」


 サテンのカクテルドレスに身をつつんだ緋雨先輩はふにゃふにゃになっていた。

 俺の肩に頭を押し付けてくったりしている。

 その声が憂いを帯びて、


「こんなとこ、飲まなきゃ立ってられないもの」


 困惑する俺の耳に、周りのざわめきが届いた。


「誰だっけ、あれ」


「ドレスの胸の名札をみろよ。西仲しずくだってさ」


「西仲しずく? ああ、あの例の盗作騒ぎの。よく公の場に出てこれたな」


「あれは冤罪だって話だぞ」


 周囲の声は先輩の耳にも届いていたのだろう。つかんだ細い両肩が震えるのを俺は感じた。

 西仲しずく──先輩のペンネーム。

 俺は視線を落とした。泥酔している先輩に言い聞かせるように、


「……やっぱり飲み過ぎですから帰りましょう。

 送っていきます」


 先輩に会える限り会いたかった。だからパーティにも来てほしかった。

 俺が間違っていたのかもしれない。

 たぶん、無理をさせてしまったのだ。

 彼女の背に手を添えて緋雨先輩を歩かせながら、俺はもう片手でオイスター先生に「悪い」と謝った。


「今夜はこれで帰る」


「じゅ、十郎……待ってよ、このあと景品付きのビンゴ大会あるじゃん。それに、それにね、ぼくがキャラデザ手掛けたアニメの発表とかも──」


「高校の先輩なんだよ、この人。ここまでふらふらだと放っておけない。

 また今度な、じゃあな。陳さんのほうはよろしく頼むわ」


 ふたりで出口へと歩き出したとき、オイスター先生の声が背後からぼそりと、


「……十郎は」


 またそのひとを優先するんだ。

 そう恨みがましく聞こえた気がして思わずふりむいた──だがすでに人混みのなかからオイスター先生の姿は消えていた。



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