オイスター先生と俺。

二宮酒匂

第1話 作家とイラストレーターが編集抜きで交流するのは推奨されていません


 まず、俺が居酒屋でクソ神絵師と喧嘩した話から始めようと思う。


 奴のアニメ声が、混雑しはじめた夕方の店内に高らかに響いたあの日から。


「ぼくのラノベ作家デビューにかんぱ──いっ!」


「おめでとう、菅木すがき……いや、オイスター先生」


 俺は祝辞を述べると、目の前に座るオイスター先生こと菅木明日葉あしたばの生中ジョッキに自分のジョッキをこつりと当てた。


「乾杯」


 八重歯を見せ、オイスター先生がとびっきりの笑顔を浮かべた。

 ちょっとまぶしくなって俺は目を細める。

 こいつは残念なやつだが顔はいい。髪がピンクでメッシュが入っているというパンクなヘアスタイルであっても。「生肉」と書かれたTシャツで居酒屋に来るという限界ファッションセンスの持ち主であっても。

 そういうのを差っ引いてなお、まちがいなく美少女の部類に入る。


「ありがと十郎! えへへ、これで作家仲間だね! よろしく先輩! んく、んく、んゲホッ」


 オイスター先生はジョッキを傾け、気管に入ったのかむせこみだす。

 そのたびに小柄な体に似合わぬ凶悪なボリュームの胸がたゆたゆ揺れる。俺は紳士的にそっと目をそらした。


「おいおい、飲めるようになったばかりなんだから無理するなよ」


「じ、十郎も同い年のくせにぃ……」


 十郎は俺の名前だ。有馬十郎。


「俺は五月生まれだからもう半年は酒飲んでる」


 オイスター先生の二十歳の誕生日は昨日だった。

 それに合わせてというわけでもないだろうが、こいつの文章作品が本になって出たのが今日だ。編集に見せると企画があれよあれよという間に進んだらしい。

 誕生日と作家デビューの両方を祝えとオイスター先生にせっつかれたので、居酒屋に連れてきたのが今日の経緯だ。


「にしても、先輩か……」


「なに、十郎」


「いや、お前にそういわれるとちょっと面映ゆいなって。ラノベ作家としてはともかく、業界人としては俺のほうが後輩だしさ」


「えへへぇ、気にしなくていいって、そりゃぼくのほうが格上ではあるけど!」


 おい。だれがそこまでいった。

 のどから抗議が出かけたが思い直して黙る。

 今日くらいは調子に乗らせておいてやろう。

 実際、オイスター先生はたいていの創作者にとって格上といえば格上なのだ。

 オイスター先生は残ったビールを一息に飲み干すと、空のジョッキをかかげる。口まわりに白い泡をつけたまま高らかに誇った。


「祝! イラストレーター・兼・漫画家・兼・ラノベ作家! ぼく、三冠達成!」


 そう、オイスター先生は本業が絵描きだ。

 わずか十五歳でデジタルイラストの賞を獲得。以来五年、ラノベの挿絵、ゲームのキャラクターデザイン、企業のPR絵を手がけ、漫画家としても担当ラノベのコミカライズを自ら描くという精力的な活動っぷり。

 ついでに言えば、俺のデビュー作の担当イラストレーターだったこともある。

 ……最終的に打ち切られたとはいえ何巻か続けられたのは、オイスター先生の絵に負うところが大きい。俺はそう判断している。

 言うなれば、俺はオイスター先生に恩を感じているし、尊敬もしている。


「いや~ぼくって万能! 自分で挿絵描いて自分で文章書くのってすごくない? ぼくのラノベめちゃくちゃ売れちゃったらどうしよ!」


 だから、こいつがよく調子に乗るアンポンタンであっても、


「あっ、十郎の本の売り上げすぐ抜いちゃったらごめんね!」


 ……ナチュラルに地雷踏んでくる煽りカスであっても、我慢できる。できるんだ。

 我慢だ……こんなんでも中学からの友達だし……


「それにしても初めて書いたけど小説って楽勝だよね!」


 ……は?


「ほら、言っちゃ悪いけどさ、ラノベってどのみち絵が八割じゃん? 文章はそこそこでも売れるっていうかさー。わかりやすいのが一番だよね。なので新刊は表紙絵と口絵と挿絵にいちばん時間かけたんだぁ」


「………………」


「あ、生中おかわりくださーい! 十郎もうつむいてちびちび飲んでないでもっと景気よく褒めてよ、目つき悪いんだからせめて明るくしてなきゃ犯罪者の面構えになっちゃうぞ。ほーらイッキ、イッキ(手拍子)」


 ぷちっ。

 俺はぐいと胃の腑にビールを流し込むと、


「いやいや……あのな」


 引きつった薄ら笑いを浮かべ、忠告してやった。

 そう、忠告だ。調子に乗ったアホに現実を教えるのは友人として間違ってはいないはずだ。


「お前からもらった献本読んだけど……会話文ばっかだしそれもヘタクソだしストーリーは起伏ないし、売れるかつーと微妙じゃない?」


 ゴングが鳴った。





 ジョッキを次々あおりながらの罵りあいに突入して三十分が過ぎた。


「人気イラストレーターのコネ使って編集部に企画ねじこんだだけじゃねーか! 挿絵も自分で描いてますが売りの色物枠だろ!」


「嫉妬乙、悔しかったら色物枠だろうとなんだろうと採用されるネームバリュー身につけてみなよ!」


「ゴミすぎるんだよ文章が! 褒められるのは絵だけという典型的なクソラノベを世に出しやがって。タイトルからしてなんだよ、『人化したドラゴン娘が死ぬほどかわいい~財宝があふれる巣穴にひきこもって通販生活しながらひたすらイチャイチャし続けます』って欲望丸出しの長文タイトルじゃねーか! ひきこもりは普段のてめーの生態だろ!」


「売りを明確にしてるんだよ! 十郎の本みたいに『スタリオン戦記』とか『屍剣』とか中身わからないかっこつけた短文タイトルつけて打ち切られるよりましだもんね! この打ち切り常連作家!」


「て、てめえ、『スタリオン戦記』は共同責任だろうが! お前が担当イラストレーターだぞ!」


「ぼくの絵がついてたから三巻までもったんですう~~! 大人気イラストレーターのぼくが挿絵描いてなきゃ一巻で打ち切りさよならグッドバイだったよ!」


「……そもそもドラゴン娘が出会って二ページで人化するあたりが気に入らないんだよ! ドラゴンの魅力を消してどうすんだ!」


「十郎が特殊性癖なだけじゃん! 読者はかわいい女の子を求めるんだよ! マイナー趣味の変態さんの自覚を持ってほしいねべろべろばー!」


 オイスターへの恩? 尊敬?

 とっくに友情といっしょに心のゴミ箱にぶちこんだわ。

 さんざん醜い争いをした末に、オイスター先生はそれはもうムカつく煽り笑いを浮かべ、


「……まあ十郎にこのレベルの話を理解しろというほうが無理だったか……」


「あ゛?」


「だってさ~、ぼくはすでにイラストレーターで今日からラノベ作家でもあるわけじゃん? 作家でしかない文章屋の十郎とはすでに視野の広さが違うっていうか……」


「か、肩書を利用しやがってこいつ……」


 ふっふーん、ふっふーんと鼻で歌いながらオイスター先生はマウントを取ってくる。


「十郎も絵で仕事とれるレベルになってみたらぁ? そうしないと対等な目線で語れないと思うんだよねぇ」


 短時間のうちに飲みすぎていたことは否定しない。

 だからだろう──売り言葉に買い言葉で、俺は、


「……やってやるよ」


「え?」


「絵を描いてやるよ。仕事とれるレベルになればいいんだろ?」


 オイスター先生は目をぱちぱちさせ、それから眉を寄せておそるおそるといった様子で聞いてきた。


「えっと、十郎、そんなに簡単なことみたいに言っていいの?」


「舐めんなよな……」


 小説書くのは「簡単」で、絵はそうじゃないってか?


「ああ、どうせ俺はデビューからこっち打ち切り連発、鳴かず飛ばずの三文文士だよ。でもな、文章屋にも矜持ってもんがあるんだよボケ。やってやろうじゃねえか」


 俺が啖呵を切ると、オイスター先生は口を開け閉めしてちょっとあわあわした様子を見せたあと、なにごとか閃いたようにすっと目を細めた。


「ふーん……それじゃあ僕が認められるくらいの絵描きになれなかったらどうするっていうの? ぼくのオス奴隷にでもなってもらおうかな?」


「上等だよ、ドレイでもカレイの煮付けでもなってやるよ!」


 よしわかった、とオイスター先生が手を打った。その唇の端にはしてやったりの笑みが浮かんでいる。


「一年あげる、十郎。ぼくも編集部に小説の企画もちこんで今日まで一年たったし。

 二言はないよね?」


 俺は胸を張った。


「おう!」





 オイスター先生と別れ、店を出る。ジャケットのポケットに手をつっこんで駅のほうへ向かう。

 百歩もいかないうちに俺は後悔しはじめた。


「アホな言い合いしちまった……」


 絵を本気でやるかって?


「やるわけねえだろ」


 二言はないもクソもあるか、あんなもの酒の場の勢いだ。

 こっちは新作のプロットを編集に提出しないといけない身だ。仕事とれるレベルまでお絵描きする? 専業作家とはいえそんなことやってる時間はない。

 要するに頭が冷えたのである。

 歩道橋に足をかけて上りながら、薄闇にひとりごちる。


「ていうかなにが奴隷だよ……エロゲの発想かよ」


 そういえば、あいつエロゲ原画の仕事もやってた気がするな……

 なんにしてもあんな賭けからは降りさせてもらう。オイスター先生からこの件で連絡がきたら適当にごまかすか開き直ろう。

 決意しながら歩道橋を渡り、下りの階段に足をかけたときだった。

 階段を上ってきた若い女性とすれちがった。

 長袖のニットとデニムのスカート姿。すらりとした長い脚に黒いタイツ。背中まである黒髪が秋の冷涼な夜風にはらりと流れた。


「あっ」


 ふりむき、思わず自分の口をついて出たのは、まぬけな響きの驚き声だった。


「え──十郎くん?」


 すれちがった女性も目を見開いている。

 なんでこの人が。こんなところに。


緋雨ひさめせんぱ──」


 呼びかけようとしたとき、虚空を踏んだ。歩道橋の階段のへりに置いたはずの足が。

 妙にゆっくりと傾いていく視界のなか、再会したその人の手にあるものが見て取れた。それはストローが刺さったミニパックの日本酒だった。



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