(35/47)にゃぁ~ん

「カイさん?どうしたんですか急にしゃがみ込んで!」

 ジーナが慌てて受付の向こうから飛び出してきた。

「いや、大丈夫、大丈夫だよ」

 力なく立ち上がる俺を支えてくれる。

 それはそれは真剣な顔で。

「ぷっ」

 そのギャップに俺は吹き出してしまった。

「え?カイさんどういうことです?」

 すぐそばにあったジーナの顔が曇った。

「いや、ごめん、ごめん。だ、大丈ぷっ!ぷっ、ぷっ、はっはっはっ!」

「どういうことですか?」

 だって『ディス イズ ア ペン』だよ?

 よりによってあの『ディス イズ ア ペン』だよ?

 笑っちゃうじゃん?

 でも、笑いそうになって力が抜けて崩れたとか言えないよな?

「ごめん、ごめん。でも、もう大丈夫」

「そうですか?依頼での疲労とかじゃなかったら良いんですけど」

「ああ。サクランにはやられたけど、もうピンピンしてるから。それより安売りのチラシ書いてみてくれない?」

「はい?良いですけど……どうしたんです?」

「ジーナのギフトを見たくてさ」

「あ、そうなんですね。じゃあ書いてみますね」

 ジーナはすらすらと書きだした。

 『大安売り!』

 おお。生き生きとしたポップな太い書体に、赤いアンダーラインが添えられている。

「へえ、すごいな。同じペンなのに太くなっているし色も変わっているし」

「そうなんです!冒険者とかにはなれないですけど自慢のギフトでなんです!」

 ジーナが嬉しそうに胸を張った。

 ……胸、か。

「じゃあ次は『胸』って書いてみて」

「……」

「いや、変な意味じゃなく」

「変な意味でなんて書けませんし、書きませんから!」

「試しにだよ、試しに」

「試しって何の試しなんですか」

「試しは試しだよ」

「何を言ってるのかわかりません」

 そう言いつつしぶしぶと書いてくれた。

 『胸』

 綺麗で真面目な文字に仕上がっている。

 まあ、そうだよな。

「うん、普通だな」

「当たり前です!」

 と、ちょっと赤い顔をしたジーナが叫んだ。

 お。

 ということは?

「最後にもう一つだけ」

「ええ~。カイさん、もっも変なこと書かせる気じゃないですか?」

「違うって。違わないかもだけど」

「違わないなら嫌ですよ」

「まあまあ。そう云わず。『いやぁ~ん♡』って書いてみて」

「変なことじゃないですか。嫌ですよ、そんなの」

 ジーナは頬を膨らませて横を向く。

「やっぱり?そうだとは思ったんだよ。ごめんごめん。今度は全く違うのにするから」

「……本当ですか?」

「あ、えっと、ほら、依頼初完了の記念としてさ。ジーナの字で残しておきたくてさ」

「本当に変なことじゃないですよね?大丈夫ですよね?」

「もちろん」

「じゃあ、お祝いってことで書きますよ」

「ありがとう!実は俺、動物好きでさ。ジーナは?」

「わたしも可愛いのは好きです」

「猫は?」

「あ、猫ちゃん大好きですよ」

「良かった。……じゃあ『にゃぁ~ん♡』って書いてよ」

 俺は感情をこめて『にゃぁ~ん♡』を伝えた。

「え?」

「だから『にゃぁ~ん♡』って」

 再度もっと感情をこめて『にゃぁ~ん♡』を伝える。

「変なことじゃないですか!」

「え?ジーナは猫の鳴き声が変なの?『にゃぁ~ん♡』って変なことなの?『にゃぁ~ん♡』のどこが変なの?あれ?ジーナは『にゃぁ~ん♡』に変な意味があるのかあ」

「何回も繰り返して言わないで良いですってば!変な意味なんて無いですよ!」

「じゃあ書けるじゃん?書けないなんて変な意味とか想像しているからしゃない?だって普通の猫の甘え声じゃん?」

「ああ、もうっ!そうですね!そうですよね!書きます、書きます!書きますよ!」

 ジーナは最高にしぶしぶと書き始めた。

 『にゃぁ~ん』

 丸文字でかわいらしい。恥ずかしさがにじんで伝わるのがまた味わい深い。

 くぅーっ。

 っていう感情は顔に出さないようにして俺は付け加えた。

「『♡』もちゃんと書いて」

 ジーナはあきれ顔で俺を一瞥し付け加えた。

 『にゃぁ~ん♡』

 おうっ!

 きた、きた、きた!

 これだよ、これ!

 っていう感情は体外に一ミリも出さずに俺はその紙をポケットにいれたのだった。





 

 べろべろ&ぐでんぐでんのリタとチィを支えながら宿に戻った。

「ボク、もう眠い」

「チィの事をベッドが呼んでるわ」

 二人はとっとと俺の部屋に行った。

 ……俺の部屋に。

 ってかさ。

 俺が泊まっている部屋だよ?男が泊まっている部屋だよ?毎朝寝起きに騒ぎまくっていた部屋だよ?いくらなんでも慣れすぎじゃない?

 と、いろいろ言いたいこともあるが、黙って二人の背中を見送る。

 今夜の食堂スペースは人がまばらだ。

 シャーロットも椅子に一人で座って宙を見ている。

「ただいま」

 俺は近寄って声をかける。

「あ、カイさん」

 シャーロットは今ようやく気づいたようだった。

「どうした?お疲れか?」

「そんなことはないんですが。ちょっとぼうっとしていただけです」

「考え事?」

「まあ、考え事と言ったら……そうなんでしょうね。あ、カイさん、何か飲みます?」

「いや、邪魔しちゃ悪いから部屋に戻るよ」

「邪魔だなんてそんな……もしお時間が大丈夫なら少しお話しでもどうですか?」

 上目づかいでシャーロットが俺を見た。

「え、あ、じゃあ、コーヒーでももらおうかな」

「すぐ用意しますね」

 その視線が妙に熱を帯びているような気がしてドギマギしてしまう。

 シャーロットが厨房からカップを二つ持って戻ってきた。

 そして俺の隣に座り、また俺をじっと見た。

「シャ……シャーロット?」

「…………」

 シャーロットは無言のまま、俺を見つめている。

「シャーロット?」

 二回目の問いかけに応えるようにシャーロットは身体を近づけてきた。

 柔らかそうな唇が静かに動き始める。

「……カイさん」

 交わした視線を外さぬままシャーロットが続けた。

 シャーロットの左手が俺の膝の上に乗せられた。

「カイさんが来てから、わたし……」

 躊躇するように言葉を一瞬止めたがまた紡ぎだす。

「カイさんが来てから、わたし少し変なんです」

 膝の上の左手に微かに力が入るのが伝ってきた。

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