第9話 魚臭いですわ

 セリアのアドバイスを受け、ベリア伯爵へと再び手紙を送ったシア。


 彼女はたまの休みに里帰りをするのだが、魚臭い里帰りなど年頃の娘が好むワケもなく、なんとかこの方法で上手くいって欲しいと願い筆を執った。


 彼女の父、ベリア伯爵はほとほと困り果てていたところ……フェルミト王国北西部大飢饉という事実をシアの手紙により知る事となり、早速食糧支援を開始する。


 既に付き合いのある貴族へと鯖を送っていはいたが、全く処理が追い付かずに途方に暮れていた彼やその家族は、ベリオーテ公爵夫人であるセリアに多大なる感謝の念を抱きそして……



「マリアージュ=ベリアと申します。この度はベリア伯爵領を助けて頂きまして、父に代わりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。」


 そう言って、魚臭い伯爵令嬢が父親の名代として感謝の言葉を述べる為、ベリオーテ家に訊ねて来た。


 聞けば、殆どの鯖は処理出来たそうだが、一度染みついた臭いがなかなか取れずに苦労しているそうだ。


 彼女が身に着ける物や乗ってきた馬車にも臭いは染みついており、更には彼女自身の体臭がもう魚臭い。


 シアにとっては大好きな姉が訪ねて来たのである……にもかかわらず2人の距離感は他人以下だった。


 彼女は姿を見る度に抱き着く程姉が好きだった。しかし、今はそうする様子が全くないどころか、むしろ若干遠い。


 2人の距離がその魚臭さを表しているかのようだ。


「先にお風呂に入ってきてはいかがでしょうか。」


「ではお言葉に甘えまして……。魚臭くない家って良いものですね。」


 当然、誰もが魚臭い家などごめんである。


 マリアージュはシアに案内され、お風呂へと向かった。


「凄い臭いだったね。」


「はい。そもそもマリアージュ様が魚なのでは? と思う程でしたわ。」


「あんなに可愛いのにね。」


 マリアージュは誰もが可愛いと評価するだろうと思える程度には、男性に好まれる容姿を持っていた。


「マリアージュ様の着替えも用意しておかないとダメですわね。」


「ちょっと適当に見繕って来るね。」


「楽しそうなので私も一緒に選びましょう。」


 キャロルは公爵邸に住んでいた為、それなりに使用人っぽい事も出来るようになっていたのである。


 そしてセリアは可愛いマリアージュを着せ替え人形にするつもりであった。



「お風呂ありがとうございました。」


 恐らく念入りに洗ったのだろう。マリアージュは魚臭い伯爵令嬢から、良い香りのする可愛らしい伯爵令嬢へと変身を遂げていた。


「あら。良くお似合いですわ。」


「可愛い!」


 マリアージュの来ている服は、黒のミニスカートにベージュのハイネックニット。


 それは全く貴族令嬢らしからぬ恰好であった。


「初めて着ましたが、動きやすくて良いですね。」


 存外気に入っている様子のマリアージュは、クルクルと回りながら動きやすさを確かめるようなそぶりを見せる。


「それでは、ずっと気になっていた事をお聞きしたいのですが、宜しいですわね?」


 セリアは急に真面目な顔をしてマリアージュに尋ねる。


「はい。何となく予想はついております。」


 マリアージュもここに来た時点で既に、ある程度予想はしていたようだ。


「それでは……マリアージュ様はケイス様と恋仲だったと伺っておりますわ。」


「その通りです。セリア様。」


「ベリオーテ家の借金が理由で離れましたの?」


 セリアは知っていたが、一応確認の為と思って聞いてみる。


「はい。ベリア伯爵家ではとても負担しきれるような額面ではありませんでした。」


 それに……と言葉を区切るマリアージュ。


「恋はしていましたが、愛してはいなかったと思います。初めて借金の額を聞いた時は、このまま結婚した場合、下手をすれば平民以下の生活をしなければいけない可能性に思い至りまして、急速に冷めてしまいました。」


「確かにあのままであれば、その可能性はありますわね。」


「ですが……毎日鯖にまみれて生活しているうちに気付いてしまったのです。」


(鯖にまみれて気付くことなんてあるのかしら?)


「きっと彼の借金も、この鯖に囲まれる生活のように苦しいのだと……。」


(確かに……どちらが良いかと聞かれれば、難しい問題ですわ。)


「どちらが、というのは人それぞれでしょうけど。」


「はい……。それでも借金まみれは嫌で、ケイス様への愛は戻らなかったんです。私は魚の臭いをさせるようになって、自身の薄情さに涙しました。」


 そう涙ながらに訴えるマリアージュ。


「それは仕方がありませんわ。貴女がケイス様との結婚の道を選べば、魚臭い上に借金にまみれてしまうんですから。」


「そう言って頂けて、心が少し軽くなりました。ありがとうございます。」


 頭を下げて礼を示す彼女は、どう考えてもセリアが元々考えていたような性格の悪い女性では無かった。


「礼には及びませんわ。もしそんな事になってしまえば、貴女は2つの意味で鼻つまみ者になってしまいますもの。」


 マリアージュは嬉しさのあまり、セリアの胸に飛び込み抱き着いていた。


 ありがとうございます。と何度も涙し礼を言う彼女は……


(う……魚臭い……ちょっと……離れて欲しいですわ。)


 まだ少し、魚臭かった。

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