3 隊分け

 骨火の間には天井も壁もなかった。透明な膜を隔てて、深海が広がっている。ドームの外のはるか上方を見れば、海の大蛇キーレン・クレンが悠々と漂っていた。

 空中で光を放っているのは、魔法界で一般的な照明である魔光石ではない。

 この広間の名の由来になった骨火だろう。幻獣のたぐいの死骸の骨を焚いた炎を骨火という。

 そんな非現実的な空間に、ざっと二百人の生徒がひしめいていた。


 縦に長い長方形の広間には長テーブルが三つ並び、さらにその両側に教師用の席が設けられている。正面奥には数段高くなった舞台がしつらえられ、低い階段が伸びていた。あの壇上で隊分けの儀とやらに臨まなければならないらしい。


 生徒たちの刺すような視線を浴びながら、リリ先生の後について進んでいく。

 剣呑な眼差しが多いのは、気のせいではないだろう。七々子の素性は知れているはずだ。

 生徒のなかにも解放派の魔術師は多い。機構の魔女の身内である七々子は、そういった魔術師にとっては憎悪の対象ともなりかねない。そのことは七々子も心得ていた。

 帀目では七々子の家は魔術師の家系としては第二位の家柄で、表立って嫌がらせをしてくるような輩は少なかった。

 しかし、ここは椿木の名など大して役に立たない魑魅魍魎の巣窟だ。下手な真似をすれば、七々子などいとも簡単に海の藻屑と消えるだろう。


 階段に差しかかって、七々子は壇上で待ち構えている人物を見上げた。

 先の折れた黒い三角帽に黒い伝統的な魔女衣を纏い、肩に大鴉を留まらせたいかにも古風な魔女らしい風采の老婆である。

 月光を融かしたような総白髪に、大きめの丸眼鏡。厳格そうな理知的な眼差しの色は、金だ。髪と目の色がそう思わせるのか、全身黒づくめなのにどことなく北極狼を思わせる。

 齢はたしか百歳を超えているが、全くそのようには見えない。見た目には老いているのだが、常人には持ちえない賢者の品格は付け入る隙を与えず見る者を圧倒した。

 魔術大国ユルグが誇る大魔術師にしてローグハインの学長、イーラ・ザネハイトだ。


「鹿角に手を添えよ」


 声に導かれるようにザネハイト先生の傍のテーブルを見つめる。

 大理石の天板の上には、いくつかの種類の木を組み合わせてできた鹿の角を模したオブジェが佇んでいた。

 毎年生え変わる鹿の角は、洋の東西を問わず魔法界で重用される再生の象徴だ。巡りゆく季節や命の循環を根源として生み出されたユルグ魔術のお膝元では、その価値は今さら説明するまでもない。


 七々子は足を踏み出し、鹿角に手を触れた。

 瞬間、体内の魔力が急激に燃やされる感覚がして、掌に灼けるような痛みが走る。反射的に手を離せば、そこに文字が浮かび上がった。

 古代ユルグ文字で三と書かれている。その数字の魔術的意味は、とねりこだ。


 ザネハイト先生に掌を見せれば、彼女は厳かに頷いて階下の生徒たちを見渡した。


「梣隊は誰であったか?」


 ザネハイト先生の問いに、向かって左手の長机の辺りからざわめきが広がる。中には「スパイと組まされるなんて!」という悲鳴も聴こえた。


「僕です、ザネハイト先生」


 ざわめきの中心で涼やかな声が上がり、椅子が床を擦る音がした。

 よく櫛の通された蜂蜜色の髪が骨火の焔を照りかえして、うるわしく輝く。

 印象派の絵画で見るような青みがかった緑の眸が、ザネハイト先生を見つめていた。西洋を舞台にした御伽噺から抜け出てきたかのような、気品のある貴公子である。

 七々子も実物を見るのは初めてだが、ここに来る前に何度もその写し画を見たから間違いない。

 彼こそが七々子の目当ての人物、ユーリス・オズマリオンだ。


 食い入るように視線を送っているにもかかわらず、当の彼はザネハイト先生のすぐ傍にいる七々子のことは一瞥もしない。

 あたかも、存在していないかのように。


「梣隊には欠員があったゆえ、再編の必要もなかろう。さて、ユーリス。そなたのもうひとりの相方は、いずこだ?」

「彼は今日も寝坊ですよ、ザネハイト先生。もう夕方なので、寝坊という言葉が適切かは僕には判断しかねますが。歓迎会のあと、彼女を研究棟に案内すればいいんですよね?」

「さよう。七々子はそなたにもあやつにもそぐうであろ。さて、皆の者。宴としよう」


 その言葉を合図に、どこからともなく現れた透明な翅をもつ小妖精たちが山のような料理を運んでくる。

 わっと歓声が上がり、さっそくチキンにかぶりついている生徒の姿も見えた。

 七々子はそれを呆気に取られて見つめながら、壇上に立ち尽くす。


「さて、七々子。いつまでも突っ立っておらんで席につくがよい」


 ザネハイト先生に促されても、七々子は二の足を踏んでいた。

 どうやら自由に席を選んでいいらしい。面の皮が厚い方だとは自負しているが、この誰からも歓迎されていないことがありありと分かる針の筵でやりにくいことこの上ない。

 とはいえユーリスの監視をするという任務がある以上、これは好都合だ。

 そう言い聞かせてユーリスの傍まで歩いていくと、七々子は彼を囲む生徒たちから少し離れた席に着席した。

 途端、「こっちにきた」と害虫でも寄ってきたような口ぶりで女子生徒が声を上げる。続けて、男子生徒が「魔術師の面汚しが」と吐き捨てた。

 どうやらユーリスには彼の信奉者が多くいるらしい。


 仏頂面でそれを聞き流しながら、テーブルの上に並んだ料理のうち胃に優しそうなものを探して、皿に取り分ける。

 普段は新の薄味の和食が中心なので、ボリューム満点なローグハインの食事には胃がびっくりしてしまいそうだ。

 黙りこくって白身魚のムニエルをつつきながら、ユーリスを窺う。

 彼はやはり、こちらをちらとも見ずに学友たちと談笑している。一切の無視を決め込むことにしたらしい。

 この分では、隊分けで別の隊になっていたら、まるで接触できなかったかもしれない。

 ひとまず瞳子の目論見通りになったことにほっと息をつく。

 七々子はしばらく味のしない料理を食したあと、席を立ったユーリスの後を追った。

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