第3話
薄暗くはなってきたが、アスファルトにはまだ熱がこもっている。俺はカバンの中から扇子を取り出し、自分のことをあおいだ。
周囲で若い女の子たちの高い声が上がった。制服を着ているので、女子高生のようだ。まるで周りに人などいないかの如く、大声で話をしている。
目の前の信号が変わり、人々が一斉に交差点を渡りはじめた。スーツを着たサラリーマン、水商売風の女性、柄シャツにジーンズの欧米人、民族衣装のような模様の服を着たアジア系の中年女性。ありとあらゆる人間が、入り乱れている。
さて、そろそろ時間のハズだが。俺がスマートフォンを取り出すと、ランプが点滅していた。
メッセージによれば、もう近くには着ているらしい。居場所を教えようと返事を打っていたら、向こうに彼の姿が見えた。
翔真は手を振って、こちらに近付いて来る。今日は丈が長めの白いTシャツに薄手のパーカー、ハーフパンツといった服装だ。首にはシルバーのアクセサリーをしている。彼と会うのは一ヶ月ぶりだろうか。試験やら、何やらで忙しかったらしい。若干、日に焼けた気がする。
「すみません、お待たせしました」
「お疲れ。俺もさっき着いたところ」
「じゃあ、行きましょうか。こっちです」
彼の案内に従い、俺たちは横断歩道を渡った。大通りを一本入ると、さっきまでの喧騒が若干静まる。
店に入ると照明は若干薄暗い。奥には無数のグラスが吊り下げられた大きなカウンターがあり、その脇にジュークボックスが置かれている。
俺たちは入ってすぐのテーブル席に通された。店員がくれたメニューによれば、この店独自のクラフトビールがあるらしい。各々、好きなビールとケイジャンチキンに特製スパイスのかかったフライドポテト、コブサラダを頼んだ。店員がカウンターの方へ行くと、俺は翔真に言った。
「良い店だな。どうやって見つけたんだ?」
「大学の同級生で、食べるのが好きなヤツがいて。そいつに連れて来てもらったんですよ」
「そっか。同じサークルとか?」
「はい」
「ちなみに、何をやっているの?」
「ボランティアです」
今日の格好から考えて、実はチャラいサークルにでも入っているのかと思ったが、やっぱりイメージ通りだった。
「凄いな」
「たいしたことないです」
「いやいや。なかなかできることじゃないよ。将来もそういう仕事を目指しているの?」
「ボランティアは確かにやりがいあるんですけど、仕事にするのは難しいので。普通に就職するつもりです」
「へぇ。ちなみに、どんな業界を狙っているの?」
「考え中です。社会に出て、仕事をするって、まだイメージが掴めなくて。なので、この夏はインターンに参加する予定です」
店員が飲み物を持ってきたので、各々受け取った。うっすらと水滴が付いたグラスには、琥珀色の液体が、なみなみと注がれている。乾杯をして、グイっと一口。シュワシュワした刺激が仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる。やっぱり仕事の後に飲むビールは最高だ。一緒に運ばれてきたフライドポテトを摘まみながら、俺は相づちを打つ。
「確かに、会社で仕事をするって、学生のうちはイメージしづらいよな」
「そうなんですよ。なので、誠史さんのお仕事のことも教えてください。どうして、今のお仕事を選んだんですか」
まるでOB訪問だな。とはいえ、翔真の不安もわかる。少しでも情報を集めたいのだろう。
「俺の場合、まずは少数精鋭で活躍できるところを選んだ」
「それって、どうやって見分けるんですか」
「会社の規模に対して、同じ職種の人数が少ない会社は狙い目だな。それだけ仕事を任されるってことだから」
「でも、それは会社がその仕事に注力していないからってことじゃないですか」
「まあね。その可能性は十分ある。けど、いろいろな仕事を経験するチャンスがあるとも言える。それで実力が付けば、転職を考えても良い訳で」
「なるほど」
俺はフライドポテトに手を伸ばす。スパイスとビールの相性が良くて、ついつい手が止まらない。次に店員が来たら、追加を頼んだ方が良いだろう。
「どんな会社が良いかは、自分の性格や能力、やりたいこととの相談だな。俺は大勢の中じゃ埋もれるタイプだから。翔真は自分自身のことをどう思っている?」
「うーん、あんまり考えたことないですね」
「そっか。まあ、就職活動まで時間はあるから、じっくり考えたら? にしても、大変だな。せっかくの夏休みなのに、遊ぶ暇がないんじゃないか」
「自分の将来のためですから、全力を尽くさないと。後悔はしたくないので」
こいつ、意外と熱いタイプなんだな。けど、俺にも昔はこういうところがあった。ある程度、自分で仕事をこなせるようになってきたが、悪い意味で物分かりが良くなってしまった気もする。
「そうだな」
「まあ、遊ぶ予定もちゃんと入れてあるんですけどね」
翔真は頭を掻く。
「息抜きも大事だもんな」
「ですね」
店員が残りの食事を持って来たので、俺は飲み物とフライドポテトのオーダーを追加して、話を再開した。
「で、何をするんだ?」
「ライブに行きます」
「へぇ。誰の?」
翔真はアーティスト名を答えた。俺が流行りの歌をチェックしなくなったのは、何時からだろう。わからないことが、顔に出たのかもしれない。彼はそのアーティストの曲がオープニングで使われているテレビ番組の名前を付け加えた。
「ああ。知ってる、知ってる。あの曲、格好良いよな」
「ですよね。聞いていると自然に身体がリズムを取っちゃいます」
「翔真、そういうタイプだったんだ」
思わず考えていたことが、口から出ていた。彼は嬉しそうにうなずく。
「はい。人前じゃ恥ずかしいけど、ひとりでカラオケボックスに行った時は、踊ってますね」
「へぇ。見てみたいな」
「人前じゃ恥ずかしいって言ったじゃないですか」
拗ねた言い方が可愛い。って、俺は何を考えているんだ。落ち着こう。
「ちなみに、オススメの曲は?」
翔真はケイジャンチキンを食べながら、スマートフォンを取り出して操作する。そして、俺に片耳分のワイヤレスイヤホンを差し出した。
「これ、聴いてみてください」
スマートフォンには、音楽ストリーミングサービスの画面が表示されている。彼は再生ボタンを押した。
イントロダクションが始まると、首筋を快感が駆け上がる。ヤバい。感情が高ぶって、身体が勝手にリズムを取ってしまいそうだ。
顔を上げると翔真と目が合った。心臓の鼓動が早まる。これは音楽と翔真の、どちらに反応しているんだろう。考えているうちに、曲が終わった。口から言葉がこぼれる。
「これ、ライブで聴いたらヤバいな」
「ですね。会場、無茶苦茶盛り上がりますよ。あの場所でだけは、オレも人前で踊っちゃいます」
「間違いない」
俺は答えて、ビールを飲む。美味い飯と美味い酒、良い音楽が身体に満たされて、心地良い。感慨に耽っていると翔真が口を開いた。
「誠史さん、どうですか」
「翔真の言っていることがわかった。良いな、俺もライブをこの目で見たくなってきたよ」
「じゃあ、見に来ます?」
は? こいつ、何を言っているんだろう。まさかライブのチケットをもう一枚余分に持っているとか? 俺の疑問を他所に、翔真は言葉を続ける。
「オレの家にDVDがあるんで。良かったら、この後」
なるほど、そういうことか。って、もしかして、こいつに誘われている? いやいや、違うだろう。男女ならともかく、俺たちは男同士だ。そんな意図があると考える方がどうかしている。
俺だって川村を飲み会の後で家に泊まらせることはあるが、当然何もない。それなりに仲が良い相手ならば、普通にあることだ。翔真に特別な気持ちはないだろう。
あー、まったく。自意識過剰だ。好きなアーティストを布教したい。ただ、それだけだろう。なのに、よくもここまで自分の都合良く勘違いできたものだ。
さて、どうするか。まだ二十時も回っていないので、時間的には余裕がある。俺もまだ彼と話をしたい気分だ。どんな家に住んでいるのかも見てみたい。
「じゃあ、お邪魔しちゃおうかな」
「わかりました」
翔真は笑顔で答えた。
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