第3話 君の名前はアルギュロス

「ゴホンゴホン!あー……えっと、私のことはジークと呼んでくれ」


ジークはシシリアの視線に耐えられなかった。魔王軍の女性の中でシシリアは比較的優しくしてくれる方である。そんなシシリアにも嫌われたら魔王軍も追放されてしまうかもしれない。

 それはジークとしても何としても避けたかった。


「ジークパパ?」

「いやいや!ジークさん!」


ジークパパでは何も変わらない。イケナイ気分は悪くないが信用のためにも、その感情を慌ててかき消した。シシリアの視線は痛いままだ。

 ジークは己の名誉のためにも慌てて訂正したのだった。


「ジークさん……うん。わかった。ジークさん!」


キメラがにっこりと微笑んで頷いた。まだ生まれたばかりの無垢で素直なとてもいい子である。女性にそんな好感度の高い態度を取られることがほとんどなかったジークは思わずほっこりした気持ちになった。


ーーこれが、癒しってやつなのかな。


しかしシシリアにはジークが美人にでれっとしているようにしか見えなかった。そんなジークの態度にシシリアは口をへの字に曲げた。


「ジークさん?」


ほっこりしているとシシリアが低い声で呼びかけてきた。心なしか先ほどよりも視線が鋭い気がする。


「な、何かなシシリア君」


シシリアが怒る理由が全く分からない。シシリアのむっつりとした表情で無言の圧力をかけてくる。あまりの気迫にジークは唾を飲み込んだ。

 その時、ジークの袖をキメラがくいっと引っ張った。


「あのね、ジークさん」

「何かな?」


さすが美人。上目遣いしてくる灰色の猫目は不安で揺れていて、庇護欲を掻き立てられた。しかも谷間がチラチラと見えて、無意識のうちに視線がそちらを向いてしまう。失礼な事だと煩悩を打ち消し、笑顔を作る事に集中した。

 女性に嫌われてばかりで耐性のないジークはそれはもう必死であった。


「わたしの名まえは、キメラなの?」

「む」


こてんと首を傾げる様子に、思わず頬を染めてしまう。けれど、確かにこの猫耳美人キメラに名前はまだ無い。


「そ、そう言えば名前……どうするんですか?」


シシリアも今気が付いたようである。

 魔王軍の最初のキメラだ。

 変な名前なんてつけられない。


「そうだな。ネコの魔獣と人間のキメラだからな」


魔王軍の歴史に残るキメラの名前に、シシリアは目を輝かせていた。きっと、カッコいい名前を期待しているのだろう。その視線は期待に満ち満ちていた。

 そしてジークはその期待に応えるべく、口を開いた。


「『にゃんにゃん』はどうだ?」

「却下ですよ!」


しかし残念なことにジークに名付けの才能はなかった。

 シシリアに即座に却下され、ジークはすぐに口を閉ざした。


「なんですか『にゃんにゃん』て!センスゼロですね!」

「そ、そこまでか……?」

「ジークさんの変態っぷりには右に出る者がいないと確信できるほどです」


ネコの鳴き声をそのままに名前にするのがそんなにセンスないとは。ちょっと子供っぽすぎて、あざとく見えただろうか、とジークは首を傾げた。いい年した男性があざとくても気持ち悪いのかもしれない。

 ジークは少し反省した。


「すまなかった。あまりにも安直すぎたな。うーん……それならアルギュロスはどうだ?」

「アルギュロスですか?」

「銀色という意味の外国語だ。ほら目の色とか髪の色が銀色だから」

「まあ……にゃんにゃん・・・・よりは俄然マシですね」


キメラ……いや、アルギュロスは目を輝かせた。


「君は今日からアルギュロスだ!」

「わたしアルギュロス!ありがとうジークさん!」


にっこりと笑って喜ぶアルギュロスが可愛い。本当の娘のように感じてしまう。しかしジークがほっこりしていると、何故かシシリアの目が鋭くなるのだ。

 ジークは慌てて気を引き締めた。


「それで?」

「む?」

「アルギュロスさんにはどんな能力があるんですか?」

「実はな。これは戦闘向けではなくメイド用なんだ」


そう言ってジークは自分の机の中からメイド服を取り出した。ヒラヒラの白いエプロンに黒くてシックなメイド服だ。スカート丈はそこまで短くないのでシシリアは大目に見て、突っ込まない事にしてあげた。

 本当は何故机の中に用意しているのかとか、メイド服はどこから買ってきたのかとか、色々気になるところはある。

 しかしそんな疑問を全て飲み込んで、シシリアは笑顔を見せた。


「いいですね、メイド。開発部の雑務を手伝ってもらいましょう」

「うむ。この部屋の環境はよろしくないからな。任せるといい!家事全般何でもこなせるぞ!」


開発部は泊まり込みで仕事をする事も少なくない。日夜魔王軍の後方支援として必死に研究を進めているのだ。

 そのため、食べかけの食事やらゴミが至る所に散らかっている。開発部唯一の女性であるシシリアが定期的に掃除してくれているものの、手が回っていないのが現状だ。


「でも戦闘向けではないんですね」

「最初だからな。まずは試しにやってみたんだ。成功したらこれをベース筋肉増量して魔力を高めていくつもりだ」


最初からハードルを高くしてしまうと結局失敗してしまう事が多い。一歩ずつ着実に前に進んでいかなくては。

 というのは建前だ。

 最初から戦闘向けのキメラを作って、もし強力なモノが出来てしまったらジークにとっては元も子もない。まずは様子を見つつ周囲に悟られないように弱体化させなくてはならない。

 それにシシリア一人に掃除させるのも気が引けていたのだ。

 なかなか進まない研究に疲弊し切っている他の局員達は当てにならないし、ジークもたまに手伝いを申し出ているがどうにも邪魔しているようにしか感じない。せめて自分の席の周りだけでも片付けるよう心がけてはいるのだが、それでもシシリアの負担は大きい。


「シシリアもこれで少し研究に集中できるようになるな」

「ジークさん……ありがとうございます」


変態なのに、こうして優しいところもあるのだからシシリアはジークを邪険にしきれないのだ。


「さて家事能力を確かめるか」

「そうですね」


シシリアは胸の奥があたたかくなっていくのを感じていた。


「アルギュロス、魔王様が帰ってきたら、なんと言うかわかるかな?」

「え?」


シシリアが想像していた家事能力とは少し違う気がした。シシリアは掃除とか洗濯とか、料理とかそういうものを期待していた。魔王……つまり主人が帰ってきた時に荷物を持ったりコートを預かったりするのも確かに必要だ。しかしとりあえずこの開発部でアルギュロスを使うのであれば、それは必要ない能力な気もする。

 シシリアは一気に嫌な予感がしたのだ。


「おかえりなさいませ、ごしゅ人さま、です」

「完璧だ!」

「最悪だ!」


やっぱりな、とシシリアは思った。

 アルギュロスがメイド服に身を包み、妖艶な笑みで頭を下げた。完璧な可愛い仕草だ。

 けれど、それはシシリアが求める家事能力ではない。


「何故だい!?シシリア君!」


ジークは困惑していた。まさかそんな評価されるとは思っていなかった様子だ。


「なんか……これっていう理由はないんですけど、なんか卑猥な感じします。男性の下心が見えると言うか」


シシリアも上手く言葉にできない。頬を赤くして、顔を背けた。


「むう。猫とのキメラがいけなかったか。猫はあざといからな」

「いや。猫は悪くないですよ」


シシリアは全ての元凶であるジークを死んだ魚のような目で見るのだった。



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