第4話

 所属先ホームの五街セントラル・ガーディアン・ステーションに戻る頃には、オフィスフロアが静けさを取り戻していた。見慣れた風景だった。

 月が照るこの時間帯はデイシフトを越え、少人数制のナイトシフトに切り替わっている。ナイトシフトのメンツとも仲の良い俺にとって、時間は別にどうでもいい。守りたいものを守るために、やるべきことがあるのなら、仕事のキリなど無縁でいい。

 そして席に着くなり当然の如くノートパソコンを開く。トオルから預かったDVDをチェックするためだった。


「先輩」

 そこに響く部下の声。駐車場で別れを告げ、そのまま帰宅を命じたはずなのだが。

「ライ。定時過ぎてんぞ」

 やれやれと言った表情でこちらへ歩み寄る彼の手には、見覚えのあるスマートフォンが握られている。

「一階の拾得物預り所にでも、届けたほうがよかったですか?」

 微笑んで差し出される仕事用スマホ。

「すまない」

「いえ。これも部下の務めです。お礼はホールケーキで構いませんよ」

 そんな調子のいい冗談を言う彼は、ウエダ・ライナルト。獣能力を悪用した犯罪をメインに捜査する捜査第三 ディビジョン、通称サンデビの唯一のメンバー。俺は一応 課長リーダーなのだが、役職ではなくあえて先輩と呼んでもらっている。


「では。これにてお先に失礼します」

 そう言って背を向けたのも束の間。こちらのパソコンから漏れ出た音に反応し半身を翻すライ。その目は明らかに仕事モードに切り替わっている。

「おやおや? こんな時間にアヤシイ動画でも鑑賞するんですか?」

職場ここでそんなもの観るかよ」

「やだなあ。事件に関する怪しい映像って意味ですよ。先輩のえっち」

「あのなあ」

「冗談ですよ。相変わらず頭硬いですね。で? 何を見ればいいんです?」

 気づけば隣でパソコン画面を覗き込み、勝手にキーボードを操作し音量を上げていた。

「無理しなくていい。そもそも、個人的に受けたもので正式な案件じゃないんだ」

「無理も何も、この程度なら朝飯前です。非公式でも自分は構いませんよ。現物支給ならぬ、ホットチョコレート支給で還元してくだされば」

「ホント甘いの好きだな。了解。三杯で足りる?」

 途端にまばゆい輝きを放つ瞳。

「いよっ! さすが先輩、懐が深い! 承知しました。このウエダ・ライナルト、フクロウの双眸で必ずやお役に立ちましょう。どんとこーい!」

 おどけて敬礼してみせる相棒は、フクロウの獣人なのだ。

 ヒトをはるかに上回る視力と聴力を活かし、容疑者の潜伏場所探知や広域の捜査に大きく貢献してくれている。彼は近くの椅子を引き寄せて座り、動画を確認し始めた。

「なるほど。この人通りの少なさと定点カメラの映像であることから、難易度レベル一ですね。倍速鑑賞で手短に終わらせますので、少々お待ちを」

 静かに深呼吸し、集中するライ。それは、獣能力の精度を元に戻す際に必ず行う儀式のようなものだった。日常生活においては感度が高すぎる感覚を、普段は人並みに下げているという。獣能力のスイッチングは何度見ても「変身」を感じさせる。


「先輩。呼吸困難にならない程度にしっかり息してくださいね」

 画面から目を逸らさず飛ばされる注意。

「ごめん。うるさいかと思って」

「問題無いです。経験積んでいますので」

 言い終えぬうちに押される停止ボタン、的確に戻されるコマ。

「ここです。見えますか? 左上に映る、黒い影」

 指差す場所には、歪な影が映っていた。

「人影にしては……宙に浮いているように見えないか?」

「はい。恐らく獣人ですね。鳥類か何か、羽を持つ獣人だと思います。人には発し得ない、風を切る音がしていますから。ただ、自分は聞いたことのない羽音なので、詳細を特定できずに申し訳ないです。それと侵入の手口ですが、窓が割れる音や解錠音は終始検知できません。校内の何処かに施錠されてない入り口があったと推測するのが妥当な状況です。侵入後の悲鳴も聞こえませんし、相当手際のいい犯行ですね」

「羽を、持つ」

「思い当たる人物がいるんですね。割と身近に」

「いや、そうじゃなくて」

「嘘はいけませんよ。鼓動が早くなってるの、丸聞こえです」

「勝手に聞くなよ」

「この距離じゃ嫌でも聞こえちゃうんですよ。ほら、前に言いませんでしたっけ? 本気出せば階下の更衣室の音も詮索出来ちゃうくらい、高精度なんですから」

「ライ。まさか?」

「まさかも何も、やるわけないじゃないですか! 先輩のカタブツ! 石頭!」

 一仕事終えたライは、普段通りのノリの良さを取り戻していた。「ホットチョコ四杯ですからね!」と念押しし、今度こそ退席していった。


「翅音か」


 その言葉は誰にも届かず、くうの中に溶けて消えた。

 急に虚しくなった。独りだからじゃない。


 信じたかったからだ。


 君じゃない。そんなはずない。疑った俺が馬鹿だったと、否定したかった。


 _____だけど。


 思考を切り替えるべく、席を立つ。エレベーターを待つ間、私用スマホを手に取ると、不在着信が一件。母からだった。階上へと移動しながら折り返し、後で全部聞くからと短く伝えて通話は終了する。

 そして辿り着いた屋上。夜風に吹かれながら、弟にメールを送った。

 弟は、容疑者かのじょの彼氏だ。


 視線を上げれば夜の街並み。

 鉄柵の向こうに五街が広がっている。

 この視野に映る全てが、ガーディアンの、俺の、守るべきもの。

 あちこちで煌めく、温もり放つオレンジ色の光。その真隣には一切を飲み込みそうな闇。

 君は、この街の何処かにいるのだろうか。

 だが、たとえ今この瞬間、その黒翅で夜空を移動しても気づけないだろう。君の黒は夜より深く、夜闇より美しい_____。


 守りたいものの中に、今、君は。

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