第3話
トオルと別れ、次なる目的地へ車を走らせる。目指すはセキュア。それはもちろん、バランサーのヒラツカさんから彼女の情報を聞き込むためだった。
昨夜トオルの一報を受けた後、個人情報データベースにアクセスしてみたものの、ヒラツカ・フレイアの痕跡はゼロ。旧姓ミナヅキ・フレイアで再検索をかけたところ「八歳で病死」となっていた。
つまり、この国のデータ上、フレイアは存在しない。
データで追えないとなれば、地道に関係者に当たるしかない。その筆頭が、彼女を保護し親代わりとなっていたヒラツカさんだった。
セキュアを訪ねるのは何年ぶりだろう。駐車スペースに車を止め見上げた家屋が全体的に小さく見えるのは、成長に伴い視座が変わったからだろうか。
「おや。珍しいお客様ですね」
背後から近づく懐かしい声に、横を通り抜けるバターの香り。ヒラツカさんは迷うことなく玄関を解錠し、立ち話も何ですからと、中へ手招いた。
「どうぞ」
居間へ通され、手際よくテーブルへとやってきたのは香り高い紅茶とスコーン。
「焼き立てですよ。君は運がいい。マチダ屋のスコーンは人気でして、すぐに完売してしまうんですから」
「ありがとうございます。いただきます。あの、今は保護している子はいないのですね」
「ええ。いるにはいるのですが、入院中でして。ここしばらくは、静かな場所になるでしょう」
「そうですか」
言い終えて、静かに紅茶を嗜み、やがて向けられた柔らかい微笑み。
「お久しぶりですね。お元気でしたか。カイト君」
「覚えていてくださったんですね」
「もちろんですよ。愛娘の親友ですから」
そう言って綻ぶ顔を受け止めきれずに痛む胸の奥。
仕事は仕事。そう割り切っているはずなのに。思い出というものは、どうしてこうも期待に加担するのだろう。
「それにしても、ガーディアンになられたのですね。噂には聞いておりましたよ。素晴らしいことです」
「恐縮です」
彼はご謙遜をと続け、一呼吸。この先に本題があることに気づいているようだった。
「懐かしさのあまり立ち寄った、という訳でもないのでしょう」
「ええ。失礼ながら、単刀直入にお伺いします。フレイアさんと最近お会いしたのはいつですか」
「……半年ほど前でしょうか。会いたい気持ちは、いつもそばにあるのですが」
「連絡を取り合ったのも、同時期に?」
「いえ。連絡は、もう少し頻繁にしていましたよ。ですがここ一ヶ月ほど連絡が取れなくなっておりましてね」
「なるほど」
「ええ。ご存知かもしれませんが、彼女は大学進学と同時にここを離れ、一人暮らしを始めました。それでも、定期的にセキュアのお手伝いをしに来てくれました。ここにいる子たちも、彼女を姉のように慕っています。ところが、このところ音信不通になっていまして。彼女にも事情があるのだろうと思い、深追いせずにおります」
「そうですか。ちなみに、事務的な確認ですが、ヒラツカ・フレイアは本名で間違いありませんか?」
「と、言いますと?」
「我々のデータベースに、彼女の情報が欠損しているんです。旧姓での情報は登録がありましたが、幼少の頃に病死となっています」
彼は顎に手を当てしばらく考え込んだあと、軽い嘆息と共に口を開いた。
「彼女がヒラツカ・フレイアであることに、間違いありません。ですがバランサーはその立場上、養子を迎えることは叶いません。つまり、彼女は正式に私の養子になった訳ではありませんので、望んでヒラツカの姓を名乗っていたにすぎないのです。本来であれば、大学の入学手続きやアパートの賃貸契約など、審査を通す場面で登録との差異が発覚すべきだったのでしょう。しかしバランサーが保証人であれば、契約者本人の審査は簡易になると聞きます。故に、運よく、或いは意図せず看過され、問題として浮上することがなかったのでしょうね」
「なるほど。ですが、病死登録を申請したのは、貴方ではありませんよね」
「ええ。カイト君、ここから先は、一個人の意見としてお聞きください」
俺は黙って頷き、先を促した。
「ミナヅキ・フレイアの病死申告をしたのは、恐らく彼女の母親でしょう」
予想に反し、短く終わる言葉。言い難い訳ではなく、全てを言い終えた雰囲気だが、その真意が掴めない。先を促そうと視線を向けたが首を傾げられ、こちらも傾げたい気分に襲われる。
「カイト君は、彼女とお母様との関係について聞いていないのですね」
「はい」
彼女のために、との前置きを添えつつ、彼は詳細開示に協力してくれた。
「彼女が、この街に来た理由。それは独り立ちではなく、この街に、逃げてきたのですよ」
「それは、つまり?」
「まずは少し説明をしましょうね。彼女が七歳の時、父親が病死されたそうです。よほど精神的なショックを受けたのでしょう。ほぼ同時期に彼女の第三の獣能力が目覚め、母親の不興を買ったと聞きました。そして、身の危険を感じるほどの叱責を受け、やむなく母親に触れたと、言っていました」
「なるほど」
「はい。その証拠が、病死申告でしょうね。好都合だったのでしょう。病死とすることで、母親にとってはデータからも現実からも、フレイアが消えるのですから。このようなことをフレイア本人が知ったら、何と思うか……」
この世に存在しない人影。
たとえデータ上で抹消しても、同様に記憶からも姿を消すことは、可能なのだろうか。
一通り確認を終え、セキュアを後にした。この後の予定を組み立てつつ車の鍵を探すものの、胸ポケットにその手応えがない。中に落としてきた可能性を頼りに引き返そうとした瞬間、空から声が降ってきた。
「カイト」
聞き馴染みのある声音に、反射的に身構えた。
「……フレイア……」
なだらかな弧を描く屋根に座る彼女は、全身を黒の衣装で包んでいる。
異様なまでに湧き起こる違和感は、背中に伸びる翅のせいに違いない。初対面の時以来、黒翅を顕現させた姿を見ていなかった。
「見とれているのかしら」
こちらを見下ろし、余裕たっぷりに口角を引き上げる彼女。すぐさま「違う」と反論したが、微笑みで打ち消された。ただの強がりと思われているに違いない。
「ちょうどよかった。確認したいことがある」
「嫌って言ったら?」
「勘違いするなよ。これは個人的な依頼じゃない。ガーディアン権限での命令だ」
「あら、お生憎様。聞いたでしょう。私は存在しないの。誰でもないヒトに権力を振りかざしても、何も響かないわ。空気に意志はない、それと同じ」
「さっきの話、聞いていたのか」
「何のことかしら」
言い終わらぬうちに、ふわり、飛翔する黒翅。屋根を離れ、俺の車のボンネットに片膝をついて降り立った。間を置かず、左手のグローブを外そうとする姿を視認した瞬間、体が勝手に後ずさる。
消される。そう思った。
「安心して。あなたに触れたりしない」
言うが早いか、車体を滑らかになぞる彼女の素手。
「また会いましょう」
あまりの鮮やかさに呆気に取られ、しばらく呼吸を忘れた。しばらくして異変に気づいたヒラツカさんが外に出てきて、俺を気遣ってくれたが、何故だか無性に込み上げる悪態。
「五キロ歩いて帰れっていうのかよ。ふざけんな」
「はい? カイト君?」
一礼して帰路を急ぐ。そしてすかさず部下に連絡し、詫びて迎えを頼んだ。
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