本日の三題噺 2/7 『カレー』、『マンモス』、『足場』

 マンモスの復活

 途中の駅はほとんど無人駅、電車の本数も数えるほどの過疎地に遺伝子の研究所が出来ると聞いたのは、僕が中学生の頃だった。

 絶滅した動物を復活させる研究をするらしい。

 ここら辺は土地だけはあるからなどと他人事のように考えていた。

 高校生になると電車通学で、毎日のように足場に囲まれた建物を見るようになった。見ているうちに、ここで研究したいと思うようになっていた。

 テストの点が悪くても、ここで働くんだという気持ちで頑張った。

 それが良かったのか、思っていた以上の大学に進学することができた。

 大学でもがむしゃらに勉強し、憧れの研究所で働けることになった。

 僕の配属されたチームでは、マンモスの復活を目指していた。

 マンモスの復活はいろいろな研究所が既に行なっており、比較的情報が多いと言われた。

 使うマンモスの遺伝子は、別の研究所が発掘したのを譲り受けたものだ。

 日々研究に没頭していたが、数年後に重要な問題が出てきた。

 研究に一番重要な予算が足りないのだ。

 原因は他所の研究所で、マンモスの復活に成功したからだ。

 今までに復活に携わっていた研究所ではなく、聞いたこともない研究所だった。

 極秘で発掘され、発表されてないマンモスの遺伝子を使ったらしい。

 話題も金も全てそこに持っていかれ、予算が減らされたのだ。

 自分たちでお金を集める必要が出てきたために、もうすぐで成功しそうだったマンモスの復活を仕方なく別方向に進めることになった。

 食用マンモスだ。

 それまでも一部の人たちからマンモスの肉を食べたいと希望を受けていたが、全て断っていた。しかし、お金を集めるためになりふり構わなくなってきた。

 身銭を切り研究を続けた。副業もした、寄付金集めもした。

 マンモスを復活させたい一心だった。

 安全性を確かめ、食べられるようになるまで二十年かかった。食べられると言ってもスパイスをたっぷり使い、長時間煮込んだカレーにしないと食べられないような肉質だった。

 それを様々な肉料理に使える肉にするのに二十年かかった。

 需要があったのか、広報部の腕が良かったのか分からないが、売れた。

 病院のベッドで、僕は人生を振り返った。

 思うようにいかないこともあったが、やりたいことをやった。

 辛いこともあったが、楽しい人生だったと。

 でも、僕たちが復活させたマンモスはどう思っているのだろう。

 食用となってしまった自分たちの生を。

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