第三十二話 安全運転は大切

「へえー……比叡ひえいって、丹波たんばと同じ牧場にいたんですか」


 当日は先輩が車を出してくれた。一人だったら電車で行く予定だったらしいが、私が同行することになったので、わざわざ車にしてくれたらしい。


「ああ。青山あおやまさんが面倒を見てくれていた馬なんだよ。うちはなぜか、青山さんが世話した馬とは相性が良くてね、ここ最近はずっとあそこからだ」

「てことは、音羽おとわもですか?」

「そういうこと」

「同じ人にお世話されていても、ずいぶんと違うんですね」


 大久保おおくぼさんの手をムシャムシャしていた音羽の姿を思い出す。しかも来た当初は、水野みずのさんや隊長がひどい目にあっているのだ。同じ牧場で、同じ人にお世話されていた馬同士とはとても思えない。


「まあ馬の元からの性格もあるから。こっちに来る前に、いろいろと覚えさせてくれるのは、俺達にとってはありがたいかな」

「あー、それわかります。丹波君、足の裏を見せるの、すごく上手ですし!」

「だろ? そういう細々としたことを、あっちにいる間に覚えさせてくれているんだ。そういうのも長い付き合いがあってこそだね」


 きっとそれも経験の蓄積なんだろう。


「あ。じゃあ、次の子は少し心配ですね」

「ん?」

「だって、次の豆餅君は別の牧場の子でしょ? 青山さんみたいに、いろいろと事前準備をしてくれているとは限らないですよね?」

「まあ、可能性としてはあるかな。ただ最近はお客さんを乗せたりする牧場も多いし、基本的にお行儀が良い馬が多いよ」

「噛んだりむしったりする子もいますけどねー」


 とにかく音羽は規格外なヤンチャ者だってことはわかった。そんなヤンチャ君を相棒にしている水野さんは、本当に偉い。


「ところで先輩」

「ん?」

「さっきから気になっていたんですけど、後ろの車、なにげにこっちを煽ってますよね」


 バックミラーに視線を向ける。そこにうつっているのは後ろを走っている車。黒くて大きいやつだ。さっきからピッタリと後ろにつけている。たまに車間距離があいたと思ったら、スピードをあげて再びピタッとつけてくる。


「ああ、煽ってるね。でもこっちは法定速度で走っているわけだし、煽られる理由がさっぱりわからないな」


 ミラーに視線を向けてから、すぐに前を見る。


「ああいうの、ムカつきませんか?」

「気にしてない。あっちも、さっさと追い越していけばいいんだ。ここは追い越し禁止の道路じゃないんだから。こっちが急ブレーキをかける事態になったら、あっちはどうするつもりなんだか」


 先輩は穏やかな口調のままだ。


「けど、前に出られたら、それはそれできっと厄介ですよ? いきなり止まって、オラついてきたらどうするんですか」

「その時はその時かな。たとえムカついても、あくまでもここは安全運転だよ、馬越さん」」


 笑いながら首をかしげる。


「しかしこっちは追い越しを妨害していないのに、どうして先に行かないかな。ドライバーが未熟すぎて、追い越すタイミングがつかめないのか?」


 ニコニコしながらも、なかなか辛辣しんらつだ。


「対向車線、車ほとんど来ないじゃないですか。あの人の目には、私達には見えない車でも見えてるんですかね?」

「それは怖いな。ま、しかたない。馬越さん、お茶でも買おうか」


 そう言うと、見えてきたコンビニを指でさした。


「いいですね。ちょうど何か飲みたいと思ってました」

「俺は車で待ってるから、同じものを買ってくれるかな」

「了解です! 麦茶にしますけど良いですね?」

「それでかまわない」


 車をコンビニの駐車場に入れると、後ろからぴったりとつけていた車は、そのまま走りすぎて行く。私が車から降りてお店に入ると、先輩が運転席から降りたのが見えた。


「どのお茶にしようかな」


 最近は「お茶」商品が増えて選ぶのも一苦労だ。どれも同じ味だったら迷うこともないのだが、それぞれ少しずつ違うので本当に迷う。


「あ、これにしよ」


 自分が一番気に入っている商品があったので、それを2本手に取るとレジに向かった。お会計をすませて店の外に出ると、先輩は誰かと電話で話している。私が出てきたのに気づくと、助手席をさした。先に乗っていてくれということらしい。しばらくすると、先輩が運転席に乗り込んだ。


「お待たせ」

「いえいえ。お茶、これで良かったですか?」

「ありがとう。いくらだった?」

「それぐらい良いですよ。今回は車も出してもらってますし」

「そう? だったら遠慮なくおごられておく」


 一口飲むと、エンジンをかけて駐車場を出た。それからしばらく走っていると、道路脇に白バイと黒い車、その先にパトカーと小さな軽自動車が止まっているのが見えた。


「あ、同業者さんですよ。……ん? 今の車、さっきの車っぽくないですか?」


 チラッと見ただけなので自信はないが、白バイの後ろに止まっていたのは、さっきと同じ車種だったように思う。


「ああ、やっぱり俺以外の車にもやったのか」

「へ?」

「さっきの車」

「ああ、やっぱりあの車でしたよね」


 やはり自分の思い違いではなかった。


「いいタイミングで警察がいてくれましたよ。あんな状態だと、いつ事故になってもおかしくなかったですし」

「仕事が早くて感心した」


 微妙に話がずれている気がして首をかしげる。


「どういうことです?」

「連絡しておいたんだ。煽り運転しているのがいるから、ちょっと気をつけておいてくれって」

「どこへ?」

「そりゃ警察に決まってるじゃないか」


 そう言われ、コンビニの駐車場で先輩が電話をしていたのを思い出した。まさかあの時の電話が?


「あ、さっき電話してたのって」

「そういうこと」

「まさか、大久保さんじゃないですよね? さっきの白バイさん」

「さすがにあいつでも、ここまでは遠征できないと思う。所轄も違うしね」


 先輩が笑った。ここは同じ府内でも隣の兵庫ひょうご県に近い地域だ。大久保さんが普段どこを走っているのか知らないが、さすがにこのあたりの所轄署ではないらしい。


「そのわりには、騎馬隊にはしょっちゅう顔を出しますよね、あの人」

「だよねえ」

「休暇中ならともかく、いつも白バイで来るってことは、仕事中ですよね、あれ」

「隊長命令だって言い張ってるから、あれも公務なのかな」

「公務……」


 思わず「信じられない」とつぶやいてしまった。


「もしかしたらあいつ、実は馬好きなのかも」

「えー……?」


 ますます信じられない……。

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