第三十話 先輩のお馬さん

 そんなわけで、丹波たんばの啓発パトロール初日はとてもスムーズに終わった。丹波が賢いこともあるけれど、先輩や土屋つちやさんが同行してくれたことや、一緒にパトロールで歩いた皆さんが、適度な距離をとりつつ丹波に接してくれたからだと思う。本当にありがたい。


「お疲れさん。ネットで丹波の写真が流れてたらしいよ」

「本当ですか?」


 丹波を馬バスから引いて出てきたところで、水野みずのさんが声をかけてくれた。


戸田とださんがパソコンにブクマしたって言ってたから、丹波を馬房ばぼうに戻してから、見せてもらうと良いよ」

「ありがとうございます! さて、その前に丹波君、汗を流しておこうね」


 丹波の毛は真っ黒なので、こんな日に外にいると、日光をしっかり吸収してホカホカ状態だ。いつもの場所につれていって鞍をおろすと、背中からモワッと湯気があがる。


「うわー、めっちゃ汗かいてるねー」

馬越まごしさん、丹波君、お帰りなさい。どうでした?」


 まゆみさんが顔をのぞかせた。


「おかげさまで、丹波も楽しんでたみたいです。パトロールと言うよりは、お散歩気分だったかも」

「それは良かった。お仕事は楽しくできるほうが良いですもんね。河川敷かせんじきはどうでした? 歩きやすかったですか?」

「心配していたデコボコも小石もほとんどなくて、丹波も歩きやすかったみたいです。きれいに整備されてました」


 お湯の準備をすると、湯気が出ている場所にかけて手でこすっていく。丹波は息を大きく吐くと目を閉じた。


「それは良かったです。シャワーが終わったら足の裏を確認しますね。今の話の感じだと、特に問題ないと思いますけど」


 そう言いながら、まゆみさんは怖い顔をしてみせる。


「まゆみ、仕事は注意一秒・怪我一生ちゅういいちびょう・けがいっしょうやぞって、お爺ちゃんがいつも言っているので」

「お願いします。毎日まゆみさんが見てくれるの、心強いですよ」

「いやいや~。師匠に比べたら未熟なので、あまり期待しないでください。しかし、すっかり王様気分ですねえ、丹波君」


 気持ちよさそうにしている丹波を見て、まゆみさんが笑った。


「本当にねえ。どっちが偉いんだ?って質問したら、絶対に自分のほうが偉いって答えそうですよ」

「すっかりお馬さんの下僕ですねえ、馬越さん」

「なるのは猫の下僕だけと思ってましたよ」


 汗を洗い流し、しっかりと水を切ってから乾いた場所に移動させる。体が完全に乾くまで、丹波はここで日向ぼっこだ。水を入れたバケツを前に置くと、顔をつっこんでゴクゴクと水を飲み始めた。


「しっかり水分をとらなきゃいけないのは、人間と同じだねえ」


 その間に、私はくらの手入れをすることにした。ほうっておくと、汗や紫外線でかわがボロボロになるので、この手入れも欠かせないのだ。丹波の横でシートを広げ、そこで手入れを始める。


「じゃあ、足の裏、見せてもらいますねー」


 まゆみさんが丹波の足のそばに立った。丹波は指示されるがままに足をあげ、そのまま水を飲み続けた。


「……どんどん横着おうちゃくになってきてるよね、君」


 まゆみさんが話しかけても、鼻を鳴らすだけの返事だ。


「すみません。もうちょっと礼儀正しくするように、教育します」

「ま、男の子はこれぐらいで良いのかもですよ。人間もお馬さんも」

「そうなんですかねえ……」


 それからしばらくして、すっかり乾いた丹波を馬房ばぼうに戻し、私とまゆみさんは事務所に戻った。


「戸田さーん、丹波君の写真が流れてたって聞いたんですが」

「流れてたよ。もちろん馬越さんも牧野まきの君も一緒に写ってたよ~」


 自分の席に座っていた戸田さんが、私の声に手をあげてヒラヒラさせた。


「個人的に良いなって思ったのを、丹波君フォルダーに入れておいたから。SNSで流れていた写真だから、二次使用はできないから注意してね」

「ありがとうございます」


 自分の席につくとパソコンを立ち上げた。そこには騎馬隊の共有ファイルがあり、それぞれの馬ごとにフォルダーが作られている。丹波の名前のついたフォルダーをクリックすると、ネットからの拾い物という名前で、新しいフォルダーが作られていた。


「おお、丹波君の雄姿が!」


 パトロール中だけでなく、馬バスの乗り降りの時も、スマホをこちらに向けていた人がたくさんいた。そういう写真もあって、なかなか見ごたえがある。


「あ、これいいですね。馬越さんと丹波、それから牧野さんもちゃんと写ってますやん?」


 隣の椅子に座って、写真を一緒に見ていたまゆみさんが指でさした。


「あー、ここにまゆみさんがいれば、完璧なチーム丹波の写真なのに!」

「あ、それ考えたら無念ですね! 明日はカメラ持参で一緒に行こうかな!」

「ぜひぜひー!」


 とにかく写真を見てわかったのは、チーム丹波の男性陣は、実に写真うつりが良いハンサムだということだ。


「ねえねえ、先輩も丹波君と同じぐらい、ハンサムに写ってますよ」


 前に座った先輩に声をかける。


「馬と同列ってどうなんだろう……」

「え、ダメですか? 丹波君、すごくハンサムですし、そのハンサムなお馬さんと同列て、うれしいことだと思いますけど」

「うーん……?」


 先輩の頭が斜め45度に傾いたところで、隊長が部屋に入ってきた。


「おお、ちょうど全員そろってるな。今日の丹波だが、問題なく初日のパトロールをこなしたようだ。馬越も御苦労だった。あとはじっくり訓練を続けていくだけだと思うが、牧野、お前はどう感じた?」

「そうですね。馬越さんも丹波も問題ないと思います。ここから必要になるのは、それこそ経験を積み重ねていくことだけかと」

「だな。それでだ。そうなると牧野にも、そろそろ時間的に余裕ができる頃合いだろう。騎馬隊員は馬に乗ってこそだ。新しい馬をもう一頭、つれてこようと思うんだが」


 隊長の言葉に部屋の中がざわつく。


「もう一頭て、予算、大丈夫なんですか?」

「そこは心配するな。もともと今は隊員より馬が少ない状態なんだ。来年度まで待つべきどうか迷っていたんだが、予想外に馬越と丹波が頑張ってくれたからな。予定を前倒ししてもかまわんだろうと、本部で話をつけてきた」


 隊長は自分の席の引き出したから、ファイルを引っぱり出す。


「と、建前的にはそういうことなんだが。実のところ、引退馬の再就職先の確保が大変らしくてな。うちでもあと何頭か、頼めないかという話が来ているんだよ。とは言え、体があいている隊員は牧野一人だけなんだがな。俺のほうで、適性がありそうな馬をピックアップしておいた。牧野、お前が選べ」


 そう言ってファイルを先輩に押しつけた。


「え、俺が勝手に選んでも良いんですか?」

「もちろんだ。お前の相棒になる馬だからな」


 先輩がファイルを開く。そこには何頭かの馬の履歴書がとじられていた。所属している牧場や、それまでの競走馬としての成績など。たまに手書きで書かれているのは、隊長の筆跡だ。


「隊長、もしかして牧場をそれぞれ回ったんですか?」

「実際に見てみないとわからないこともあるからな」


 先輩が選ぶというのに、その場にいた全員がわらわらと集まってくる。


「一体いつのまに」

「実のところ葵祭あおいまつり前から回っていた」

「はやっ」

愛宕あたご三国みくにのことを考えれば当然だろう」


 つまり世代交代が迫っているということだ。


「こうやって見ると、馬ってそれぞれ顔が違うよな」

「だねえ。最初はみんな同じに見えてたけど」


 先輩のことなんてそっちのけで、馬たちの履歴書を見はじめた。


「先輩、どの馬にするんですか?」

「いや、選ぶ前に履歴書を持っていかれたからまだ見てすらいない」

「って言ってますよ、皆さん」

「ああ、悪い悪い」

「牧野が見やすいように並べてやろう」


 そして勝手に机の上に並べていく。その中に白っぽい毛をした子がいた。白というより灰色に近いかも。


「こういう色の子、あまり見ませんね」


 その子の写真をさす。


「まあ大体は茶色系だもんねえ」

「丹波君みたいな真っ黒も珍しいけど、たしかに白い子はあまり見ないね」

「ですよねー。けど、なーんか見たことがある気がするのはなんでかなあ……」


 その写真を見ながら首をかしげた。なんとなくデジャブみたいなものもを感じる。


「ん? 競馬で走っていたのを見たとか?」

「私、お馬さんは好きですけど、競馬は見たことないですよ。テレビでも。あ」


 ポンと手を叩いた。


「ふたばの豆餅だ。それっぽくないですか、この子」


 とたんにその場にいた全員が笑い出す。


「こりゃ決まりだな」

「だねー」

「え?! ちょっとなんでですか! 先輩が決めるんですよね?!」


 どうしていきなり決定したことになったのか。


「他にも候補がいるのに、豆餅が目についたんだろ?」

「それは私が、ですよ。先輩が決めるんですよね?」

「でも、もう豆餅って聞いちゃったからなあ。こいつを選ぶ道しかない気がする」


 先輩が笑う。


「えー……それで良いんですか?」

「黒豆に豆餅だろ? いいコンビじゃないか。まあ正式名称は豆餅ではまずいから、なにか別の名前をつけるけど」

「そこは先輩が命名してくださいよね!」


 というわけで、早くも丹波君に後輩君ができるようだ。

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