第二十九話 お馬さんのパトロール実習
「
その日の夕方になって、
「俺は隠れていたわけじゃないぞ? あれこれ段取りをつけに、出かけていただけだ」
「私はなにも言っていませんが。もちろん丹波も」
私の肩越しに丹波が顔を出すと、隊長はその
「そうか。白バイ隊員の手を噛んだ馬がいるらしいと聞いて、あわてて戻ってきたんだがな。それは丹波のことじゃなかったのか?」
「丹波君はそんなことしませんよ。嫌いな相手の手なんて、ちょっとでも触りたくないらしいので」
「なら良いんだが。で、話の続きなんだが。
奥で片づけをしていた先輩が顔をのぞかせた。隊長が手招きをすると、立ち上がってこっちに出てくる。
「丹波のことだが、訓練状況の
「え、外!!」
頭の中でグルグルしていた「なんで
「先輩、外ですって!」
「ああ、はいはい、落ち着いて。それで最初のコースはどこに?」
先輩がなぜか私の頭をなでる。まるで馬あつかいだ。いや、馬あつかいそのもの!
「なんかムカつくんですが」
「はいはい、いい子いい子」
「……」
ちなみに、馬は道路交通法では自転車と同じあつかいだ。つまり歩道ではなく、車道を歩かなければならない。とは言っても、歩くのは交通規制がされ、車が通らなくなった道路がほとんどだ。だが今回は丹波単独。となると、道路の規制がされるとは考えにくい。
「いきなり交通量の多い道を歩くのは、かしこい丹波でもさすがにハードルが高いのでは?」
「しれっと親バカ発言炸裂だな、馬越。だが安心しろ。今回のルートは
「あそこは自転車は走れましたね」
先輩がうなづく。
「それとだ。歩くだけではつまらんだろうから、仕事もつけてやったぞ。馬越と丹波の初任務は、
「えーと、まさか放置自転車を蹴り飛ばせとか?」
「そんなわけあるか」
隊長が笑いながら丹波をなでた。
「任務の内容だが、
「大人ばかりですが、それなりの大所帯ですね」
「そうだな。これが問題なくこなせれば、子供たちの見守り任務にも、問題なくつけるだろう」
興奮気味の私に対して、隊長と先輩はあくまでも冷静だ。
「牧野はいつものように、
「了解しました。それで、それはいつから?」
「今度の月曜日から金曜日まで。一応、午前中と聞いている」
「
先輩が頭の中で、丹波の訓練予定を組み直しているのががわかった。
「馬越の研修と重ならないイベントはないかと、がんばって探しまくったんだぞ。少しは感謝してくれ。そう言うわけだから、馬越、ここにきて風邪をひくなよ? せっかく俺が探してきた案件なんだからな」
「了解です!」
真面目な顔で敬礼をする。この週末にいきなり風邪をひくとは考えられないが、万が一のこともある。いつも以上に、体調管理には気をつけておこう。
「じゃあ、今日の残りの仕事もぬかりなくな」
「ああ、隊長。事務所に
「ありがとう、呼ばれるよ」
先輩の言葉に、手を振りながら
「実質これが、丹波のパトロールデビューみたいなものですか?」
「そうとも言うけど、隊長的には実習程度だと考えていそうだな」
「月曜日が楽しみです」
「そこは俺もだけど、これはあくまでも任務だからね。気を引き締めていこう」
「はい! 丹波君、週明けはお外に出られるよ? お天気だと良いねー」
そんなわけで、週明けのパトロールデビューにそなえ、
そのおかげか、当日は雲一つない晴天だった。
「暑くもないし、パトロール
「まったくだ」
馬バスがゲート前にとまる。なぜか
「いよいよパトロールデビューだねえ。がんばれよ丹波~」
「馬越さんも気をつけてね~」
「帰ってきたら、ちゃんと足の裏もチェックしますからね。安心してくださいね!」
「いってきまーす」
丹波をトラックの中につれて入ると、
「こんなに早くパトロールデビューとは新記録だなあ、丹波。張り切りすぎるなよ?」
「そこが心配なんですよねー」
好き嫌いは激しいけれど、基本的に丹波は人間が大好きだ。たくさんの人を見たら、興奮して大変なことになるかもしれない。
「牧野がいるから大丈夫だとは思うが」
「土屋さん、一緒に歩いてくれるんですよね?」
「もちろん。万が一にでも
皆に見送られ、
「おお、ほんまにお馬さんや」
「まだ若い感じやなあ」
「こうやって見ると可愛らしいなあ、お馬さん」
すでに集合していた皆さんが、やってきた丹波を見てニコニコしている。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。新しいお馬さんやね。前にホームページで見ましたわ」
「そうなんです。隊員も新人ですので、不慣れな面もあります。馬は気性は荒くないのですが、初めてのパトロールですので、あまり近寄らないようにしていただけると、こちらとしても助かります」
先輩が皆さんに、馬に関しての注意事項などを説明した。私は土屋さんに
「
「時代祭でも先導しはるし、お祭への参加は無理やろ」
「でも近所の郵便局の局長さん、毎年、武者姿で馬に乗ってはるやん?」
「いやー、あの人はあれが仕事や思うてはるしな?」
皆さん年配な方々なせいか、時間が来ても雑談で脱線気味だ。
―― んー、うちのお爺ちゃんお婆ちゃんを見ている感じ ――
そのうち丹波が退屈しだすのでは?と心配になる。だが、今日の丹波は初めて来た場所のせいか、鼻をひくひくさせながらあちらこちらに視線を向けていて、退屈とは無縁のようだ。
「ほな、そろそろ出発しよかー。チラシは無理して配らんでもええからな。まだまだ先は長いし」
普段ならランニングに集中している人たちも、丹波を見て走っているペースをゆるめたり、スマホをかまえて写真を撮ったりしている。そのタイミングを逃さず、皆さんはニコニコとチラシを手渡していった。
「なかなか慣れてますね」
「ははは、まあ長いからねえ、このチラシ配りも見回りも。今日はお馬さんのお陰で、チラシがたくさん配れそうや」
「そんなに放置自転車やバイクって多いんですか?」
「一時期はね。あまりに多くて、回収した自転車の置き場がとんでもないことになったんだよ。今はゼロではないけど、随分かはマシになったかな」
横を歩く、責任者の男性が教えてくれた。
「おまわりさんはどうやったんかな? 大学はこっちで?」
「はい。地方からこっちの大学に来たんですけど、下宿先からは徒歩で通学でした。なので、自転車を放置することはなかったですね」
「それは大変よろしい」
目的地までたどりつくまでに、かなりの人に写真を撮られた。もしかしたらSNSで流れているかも。自宅に戻ったらチェックしてみよう。
「お馬さんの噂が他に人に伝わったら、写真を撮りに来はる人が増えるかもしれんねえ」
「それで放置自転車が増えたら
「ちょっとでも放置したら、遠慮なく車が回収していくから気にせんでええよ」
「それ、鬼やな」
「馬で自転車を釣るんかい。えらいこっちゃ」
実はパトロールをしている集団の横の道路では、自転車を回収するトラックも並行して徐行していた。もちろんこっそりではなく、スピーカーで「放置自転車は~」とアナウンスしながらだが。
「お馬さんの写真を撮りたいなら、歩いてくるかバスを使ってもらわなな」
「しかしお馬さん、おとなしい子やね。きっと賢いんやろな」
「いやー、どうでしょう。甘えん坊でなかなか手を焼きますよ?」
先輩の返答に、丹波は少し気を悪くしたのか、ブルルルッと鼻を鳴らし首をふった。
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