第二十八話 噛まれ仲間が増えた

「良いんですかね、私もごちそうになって」


 着替えてブツブツ言いながら出ていく、白バイさん改め大久保おおくぼさんを見送りながら、まゆみさんがつぶやいた。


「一人二人増えても問題ないですよ。それに、まゆみさんもチーム丹波たんばの一員なんですから!」

「ですね! 阿闍梨餅あじゃりもちを食べるの久しぶりなんで、楽しみです」

「じゃあ、白バイさんが戻ってくる前に、お馬さんたちに水浴びをさせましょう」

「ついでに足の裏も見せてもらいますね」


 午後になると暑くなる日が増えてきた。そこそこ若い音羽おとわ青葉あおば、そして一番若い丹波は元気だが、お爺ちゃんの愛宕あたご三国みくには少しバテ気味だった。お湯をかけてもらう様子は、まるで温泉につかっているお爺ちゃんそのものだ。


「ここにも室内馬場があれば良いんですけどねえ。ここの近くの乗馬クラブさんにありますよね、屋内馬場」


 丹波に、いつもよりのぬるめお湯をかけてやりながら言う。


「ああ、あるね。けど維持費もだけど、光熱費が馬鹿にならないからねえ……」


 先輩がため息をつきつつ笑った。


「お馬さんの健康には変えられないでしょうに」

「府のお財布事情もあるし、室内馬場で二十四時間空調完備の施設なんて、府内で油田でも出ない限り無理じゃないかな」

「なんでもかんでも金、金、金って、なんとも世知辛せちがらい世の中ですよねえ」


 わかってはいるが、なんとも複雑な気分だ。


「そこはしかたがないな。俺達、馬も含めて公務員だから」

「馬越さーん、うちのお爺ちゃん達、酒井さかいさんの足の裏チェックが終わったら、馬の手サービス、たのむねー」

「はいはーい!」


 久世くぜさんのオーダーに返事をする。


「あれ、馬の手は休み前にしかしないって、前に言ってなかった?」

「バテ気味のお爺ちゃん達を見てたら、ほおってはおけませんからね。丹波君はあとだよ。まずはお爺ちゃん達からだから」


 丹波の鼻先に指を向けると、丹波は「しかたないね」と言いたげにいなないた。


「丹波にやらない選択肢はないのか」

「ないですよ。丹波君は、馬の手特約付きなんです」

「それって依怙贔屓えこひいきってやつでは?」

「いいんです。私と丹波君の間柄ですから!」


 そして全頭の馬の手サービスが終わろうとしていたタイミングで、バイクのエンジン音がした。どうやら大久保さんが戻ってきたようだ。


「あ、みなさーん、阿闍梨餅あじゃりもちが到着しましたよー」


 満月さんの紙袋を持った大久保さんが、皆のもとに歩いてくる。


「えらく時間がかかったな。逃亡でもしたのかと思った」

「まさか。焼き立てをご所望しょもうみたいだから、ちょっと足を伸ばして本店まで行ってきた。ついでにガソリンも入れておいたぞ。その分は後で返せよな」

「わかった」


 失礼と思いつつ、―― いや、思ってないけど ―― 、焼き立てと聞いて先輩との会話に割り込んだ。


「すごーい! 白バイさん、焼き立てのタイミングなんてわかるんですか?」

「普通はわからない。まあ色々と情報源があるってことだよ。ああ、企業秘密だから情報元も時間も教えません」


 大久保さんはキッパリと宣言をする。


「チッ」

「チッて。おい、牧野まきの。お前の後輩、先輩である俺に向かって、チッとか言ってるぞ」

「馬越さんがそういうことをするのは、失礼な客人にだけだよ。つまりお前にだけだ」

「なんでだ」


 久世さんがやってきて、袋の中をのぞきこんだ。


「こっちの箱二つ、事務所に持って行って良いのかな」

「どうぞー」

「じゃあ、届けてくる。ついでにお茶もらってくるから。大久保君、お茶までは用意してないだろ?」

「原チャリで行ったのに、どこに人数分のお茶を積みこむ余裕が?」


 大久保さんが真顔で言い返す。


「牧野、次は背負うものを用意しておかないと」

「いやあ、うちの人数分のペットボトルはさすがに無理かと」

大原女おはらめのように、頭の上に乗せるとかどうでしょう?」

「俺が使い走りをする前提で話をするな」


 久世さんが事務所に行ってしまうと、その場に残った面々が集まってきた。


「おお、本当に焼き立てだ。すごいな」

「なかなか焼き立てを食べる機会ってないよね、考えたら」

「少しは俺に感謝して食べてくださいよ」

「なんで?」

「戸田さん、真顔すぎて怖いです」


 それぞれが温かい阿闍梨餅あじゃりもちを手にして一口食べる。


「うまー!」

「焼き立て最高ー!」

「おいしさ倍増だねー!」

「ぜんっぜん俺に感謝してませんよね」

「二年近く、手ぶらで押しかけていた白バイ君がなんだって?」


 もう言いたい放題だ。ただ、この手のやり取りは毎度のことなので、言ったほうも言われたほうも、あまり気にしていない様子。内心ヒヤヒヤしているのは、おそらく、新参者の私とまゆみさんぐらいなものだろう。


「しかし、俺が来る時に限って、隊長が雲隠れするのはどうしてなんですかね。ここしばらく姿を見ていない気が」


 みんなと同じように阿闍梨餅あじゃりもちを食べながら、大久保さんが言った。


「そりゃ、お前が手みやげもなしにやってきては、あれこれ責め立てるからだろ」

「ん? ちょっと待て。次からは手みやげ必須なんですか?」

「もちろんだ。イヤなら来なければ良い」


 わりと先輩は本気で言っている。なので私も援護射撃をしておくことにした。


阿闍梨餅あじゃりもちも良いですけど、今度は豆餅まめもちでも良いですね!」

「マジか」

「馬越さんが言っていることは本気だからな。次、豆餅を買ってこなかったら、馬をけしかけられるぞ」


 丹波はムシャムシャしている私達を見つめている。


「ああ、ちなみにお馬さんには角砂糖ですから」

「餅以外に角砂糖まで用意するのか?」

「だから、イヤなら来なければ良い」


 わりとどころか、先輩は100%本気で言っている。


「私、ここに持ってるんですけど、試しにあげてみます?」


 そう言いながらポケットに入れていた袋を出した。そして角砂糖を大久保さんに渡す。


「本当に食べるのか? 馬が? 砂糖を?」

「ええ。特にその黒砂糖の角砂糖が大好物なんです。うちの子たち。どうぞ?」


 大久保さんは胡散臭うさんくさげな顔をしながら砂糖を受けとると、それをおそるおそる丹波に差し出した。丹波は丹波で、胡散臭うさんくさい人間が差し出した角砂糖を目の前に、食べるか無視するか迷っているようだ。


「だいじょうぶだよ、丹波君。それ、私が持ってきたやつだから」

「通じるのかよ、そんなこと言って」

「通じてますよ。うちの丹波はかしこいですから」


 チラチラと大久保さんの顔を見ながら、丹波は砂糖を口にする。極力、相手の手に触れないようにしているのに気がついて、思わず笑ってしまった。先輩に目を向けると同じように笑っている。どうやら気がついたらしい。


「なに?」

「いえいえ。上手に食べてるなって」

「それってどういう?」


 丹波の隣にいた音羽おとわが、こっちを見ていなないた。


「こっちにもよこせってさ」


 水野さんが笑う。


「一頭にやったらもれなく全頭にですからね。どうぞ」


 角砂糖を渡す。その時、私はなんとなく予感がした。多分それは先輩もだと思う。


「お馬さんにも手みやげが必要とかどうしたもんか、あっ」


 音羽はすました顔をして、角砂糖をもった大久保さんの手を砂糖ごと、遠慮なくハミハミしはじめる。


「ちょ、おい、俺の手まで噛んでるぞ、こいつ!」

「そんなの噛んでいるうちに入らんよ。音羽が噛む時はな、もっとすごいんだぞ? 噛むだけじゃなく、むしったりするしな、頭も服も気をつけろ?」

「あの、あいつが着ている服、俺のなんですけどね」


 先輩がボソッとつぶやいた。


「ああ、そうだったな。音羽~、服はむしったらダメだ。それ、牧野の服だから」


 水野さんも多分、本気で言っている。


「ちょっと、水野さんの相棒でしょ! やめさせないんですか、これ!」

「俺は警部補でお前より偉いからな。音羽、俺が許す」

「一体どういう理屈」


 大久保さんは手を引き抜こうとするが、音羽は微妙な力加減で離さないようだ。


「なかなか頭いいですね、音羽」

「そりゃもう、噛むのとむしるのには年季が入ってるからねー」


 アハハと水野さんは笑った。噛まれたまま固まっている大久保さんをながめながら、ある事に気がつく。


「あ、水野さん、これで噛まれ仲間が増えたんじゃないですか?」

「ああ、そうだねえ。また一人増えた」


 そう言いながらため息をついた。


「白バイ隊員ってのが気に入らないけどねえ……それに本気で噛まれてないし、俺としては納得いかないこともあるんだけど。まあ良いか。お前も今日から、音羽に噛まれた被害者の会の会員な?」

「一体どんな会員……」


 会員にしてもらえたということは、当分はここに押しかけてくるということだ。隊長が逃げ回る日々は、まだまだ続きそうだ。

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