第二十話 おうち時間

「最初に天一のラーメンを食べた時、意外だったんですよね。これが京都のラーメンの味かって」


 半分ぐらいを一気に食べてから、箸休めに唐揚げをかじりつつ言った。


「そうなんだ?」

「私の中にある京都のイメージって、あっさりした味のお料理だったんですよ。だからラーメンも、昔ながらの中華そば的なものが主流だと思ってました」

「なるほどね。意外とこってり系ラーメンの店が多くて驚いたろ?」

「はい」


 うなづいてから「ん?」となった。


「もしかして先輩、地元なんですか?」

「そうだよ。しかも俺は生粋きっすいのイケズの民だ」


 私の質問にニヤニヤしながら答える。イケズの民、つまり京都府ではなく京都市の民ってことらしい。


「あ、それ、本当なんですか? ただのネットで広まったネタってやつじゃ?」

「イケズの民? どうなんだろうねえ。俺は意識したことないけど。でも馬越まごしさん、こっちに残って就職したってことは、騎馬隊の存在もだろうけど、それなりに京都が気に入ったってことなのかな?」

「そうですね。私には住みやすいサイズの街だと思います。ま、観光シーズンの一人多さにはウンザリですけど」

「東京にくらべたら、人なんて少ないほうだろ?」

「普段と観光シーズンとの差が激しすぎなんですよ、ここは」


 大学で知り合った地元住みの同級生は、桜と紅葉のシーズンは、休みの日は家から出ないと言っていた。古い神社仏閣が多い観光地に住めてうらやましいと思っていたが、地元の人は地元の人なりに苦労していたんだなと思い至った話だ。


「ま、住んでいるうちに、傾向と対策が身につきましたけど。住めば都ってやつですよね」


 そう言ってから、残りのラーメンをお腹におさめていく。味噌ラーメン、たのんで正解だった。次に来た時もこれにしよう。


「ごちそうさまでした!」


 スープまで飲み干し、空っぽになった器の前で手を合わせた。


「満足かな?」

「はい。大満足です! すごくおいしかったです!」

「それは良かった」

「あ、ごちそうさまでした! おいしかったです!」


 カウンター越しにこちらを見ていたお兄さんにも声をかける。


「ありがとうございます。そう言ってもらえると作りがいがあります。また来てください」

「はい、ぜひに!」


 店員さんにも喜んでもらえてよかった。今どき、スープまで全部飲み干す女性客は珍しいらしい。お支払いを終え店の外に出ると、あらためて先輩にお礼を言う。


「先輩、本当に今晩はありがとうございました。念願の味噌ラーメン、先輩のおかげで、やっと食べることができました」

「喜んでもらえて良かった。つれて来たかいがあったよ」

「次は先輩おすすめの、鯛焼きを楽しみにしてます! あ、たこ焼きも!」


 私がそう言うと、先輩が笑い出した。ラーメンを食べたばかりなのに、もう次を催促しているよとあきれられているのかも。でも気にしない。何故なら、その鯛焼きもたこ焼きも、すごく気になるから。


「そうだな、次に馬越さんの研修がある日にでも買ってくるよ。きっと丹波がへそを曲げて、また大変なことになるだろうから」

「ヘソを曲げられるのは、今日だけにしてほしいんですけどねえ……」


 先輩の言葉に思わず顔をしかめる。


「まだまだあいつは子供気分だからね。しばらくはあんな感じなのは覚悟しておかないと」

「そうなんですか……またナデナデフルコースをしなきゃいけないかと思うと、ちょっとうんざりなんですけど。あ、別に丹波がうんざりなんじゃなくて、私の体力的な問題でってやつなんですけどね」


 ずっとお馬さんと触れ合っていられるのは、私にとってすごく幸せなことなのだ。ただ、ものには限度というものがあって、厩舎きゅうしゃの馬たちすべてにナデナデフルコースとなると話は別なだけであって。


「変なところに筋肉がつきそうですよ」

「がんばれ、丹波かーさん」


 先輩が笑う。


「さて。ここで解散ということでいいかな」

「はい!」

「じゃあ、気をつけて帰ってくれ」

「ではおやすみなさい。また明日!」

「うん、また明日」


 私と先輩は天一てんいちの駐車場でわかれ、それぞれの住まいへと戻った。


―― あ、先輩の住所、聞いておけば良かったな。市内のどのあたりに住んでるんだろ ――


 同じ方向なら途中まで一緒だっただろうが、駐車場でわかれる判断をしたということは、それなりに離れた場所ということだ。


―― 独身寮じゃなさそうな雰囲気だし。そのうち質問してみよう ――


 宿舎に戻ってスマホを確認すると、弟からの返事が来ていた。その中には当然、ラーメンどうだった?という質問も含まれている。


「おいしかったよ、と」


 そう送ると、すぐに返事が戻ってきた。


『ねーちゃん、二人前くったのか? ブタになるぞ』


 写真に先輩が注文したラーメンが写っていたせいで変な誤解をしているらしい。いくら私が食べることが好きでも、二人前も食べるはずがないとわかっていて良いはずなのに。まったくこの弟ときたら! しかもブタとか!


「は? 一人前しか食べてないし。もう一つは一緒に行った先輩が頼んだもの!」

『もう先輩におごってもらえるとか、警察て仲良しになるの早いな』

「同じ馬担当の先輩だからだよ。私も今回が初めてだし」


 そこでしばらくの間があく。


「ん? まさかいきなり消灯時間?」


 時計を見る。まだ大丈夫なはずだ。だけど、あっちはあっちの都合もあるだろうし、いきなり返事が止まることもあるだろう。おやすみ、と送っておこうと画面をタップしようとしたら、返信が戻ってきた。


『悪い。カノジョとメッセージのやり取りしてるんじゃないかって、同室の先輩がうるさくて』

「カノジョじゃなくてすみません。姉です!!」

『納得してもらった。味噌ラーメン、俺も今度の休みに行ってみる。近くに天一てんいちの支店あるらしいし』

「うん。ぜひ行っておいで。明日も仕事だからもう寝るよ。そっちもガンバレ!」

『おう。ねーちゃんもケガすんなよ! おやすみ!』


 スマホをテーブルに置くと、お風呂にはいる準備を始める。さっさとお風呂にはいって寝る準備をして、明日に備えなければ。なにげなく壁にはりつけておいたカレンダーを見た。そろそろ葵祭あおいまつりだ。


「今年はどの馬が参加するのかなー」


 去年はベテラン馬の愛宕あたご号と、女性隊員が騎手をしている青葉あおば号だったらしい。だけど脇坂わきさかさんが言うには、愛宕はおじいちゃんだし、そろそろ若い馬と交替させたいとのことだ。


「……てことは、今年は音羽おとわかなー」


 騎手も男性と女性になるし、多分その組み合わせになる可能性が高そうだ。


「丹波が参加できるようになるのは、いつになるだろう」


 大勢の人があつまる沿道を、長い時間かけて歩くのだ。あれこれ気が散りがち丹波では、まだまだ無理だろう。だけどそのうち、堂々と観光客の前を歩けるようになるはず。しかも黒駒くろこまだ、きっと写真映えもするはず。それを考えると今から楽しみだ。どんな写真を撮ってもらえるだろう。


「……丹波の写真が楽しみだからって頑張るのは、ちょっと動機が不純かな」


 そんなことないよねと思いつつ、この手の不純な動機は自分の心の中にしまっておくことにする。まあ黙っていても、隊長と先輩にはバレそうではあるけど。


「あ、お湯お湯!」


 お湯をためている途中だったのを思い出し、あわててお風呂場に走る。


「とにかく、一つずつの積み重ねが大事だよね。一足飛びになんでもできるようになんて、どだい無理な話なんだし」


 丹波もだが、私も入隊したての新人なのだ。今はしっかりと訓練をして、技術の蓄積ちくせきをしていかなければ。お湯をとめると、着替えを取りに引き返す。早く入って早く出て、早く寝よう。


「ふぅぅぅぅ」


 湯船につかると大きく息をはいた。馬に乗らない日は久しぶりだったせいか、なんとも妙な気分だ。何かし忘れた感がある。そしていつもだと、あちらこちらがゴキゴキいうのだが、今日はそれがない。


「いやまあ、そのほうが体に負担がなくて良いんだけど、やっぱお馬さんに乗ってないと物足りないよね……あ、すみません、警察官としての本分は忘れてませんから」


 今日の研修で教壇に立っていた偉い人の顔が浮かんだ。午前中の座学が終わった直後、部屋を出る前に「騎馬隊員である前に、自分が警察官であることを忘れてはいけませんよ」と私にこっそりとおっしゃったのだ。


「すみません。うっかり忘れるところでした」


 反省しながら湯船に頭まで沈む。他の騎馬隊の隊員とは異なる経歴で配属となったのだ。他の警察官以上に、そこは気をつけないといけないと思った。

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