第十七話 どちらにも袖の下

「あー……」

「ただいま丹波たんばくーん。今日はおりこうさんにしてたかなー?」

「おりこうさんねえ……」


 先輩がため息をついた。


「その様子からすると、おりこうさんとは程遠かったってことですよね」

脇坂わきさかさんから聞いてるんだろ?」

「脇坂さんが見たことだけですけどね」


 それだけでも十分に大変そうだったけれど。


「丹波は今、絶賛ぜっさん不貞腐ふてくされ中だよ。馬越まごしさんの顔を見て、少しは機嫌なおしたようだけどね」


 丹波が不貞腐ふてくされていたから、先輩はこの時間までかまっていたらしい。


「訓練はどうだったんですか?」

「もちろん、ちゃんとやらせたさ。それが俺たちの仕事だからね。それもあって、こいつは俺にむかっ腹を立てているのさ」


 丹波が「そうだ、僕は腹を立てているんだ」と言いたげに、目をむいて先輩をにらむと、鋭くいなないた。先輩は「ほらね」と苦笑いをする。


「隊長も噛まれそうになったって、聞きましたけど」

水野みずのさんが残念がってたな。噛まれ仲間が増えなくて」

「つまり隊長は噛まれなかったと」

「それでもこいつ、隊長にもすごい剣幕でもんく言ってたからな。なかなかのワガママぶりだった」

「うわー……明日、隊長にも謝っておかないと……」


 先輩は大きなため息をつき、丹波の首を軽くたたいた。


「それで? 丹波にはそでの下があるのに、俺には無いわけ? どちらかと言えば丹波より俺のほうが大変だったし、今は腹が減って倒れそうなんだけど」

「そこはもちろん用意しました。ジャムパンとアンパンとクリームパン、どれが良いですか?」


 ここに来る途中のコンビニで買った、ジャムパン、アンパン、クリームパンをリュックから取り出す。


「いま、メロンパンのにおいがした気がしたんだけど」

「先輩、めっちゃ鼻いいですね。それは私の朝ごはん予定です」

「俺、メロンパンが食べたいなあ」


 その言葉に「えええー?」となった。


「えー……これ、コンビニじゃなくて、わざわざパン屋さんで買ったメロンパンなんですけど」

「メロンパンがとても食べたい気分ですねえ」

「えー……こっちのジャムパン、アンパン、クリームパンじゃダメなんですか?」

そでの下はメロンパンが良いねえ」


 こっちも丹波に負けず劣らずのワガママぶりだ。しかたがない。メロンパンを食べるのは、またの機会にしよう。今度いつめぐり会えるかわからないけれど。


「ってことは、このコーヒー牛乳も」

「メロンパンと一緒によこしやがれだねー」

「やっぱり」


 そんなわけで私の朝ごはんは、先輩のおなかの中におさまることが決まってしまった。やれやれ、どちらの男の子も不貞腐ふてくされて大変だ。


「もー、丹波君のせいだよ、私のメロンパンが消えたのは」


 そう言いながら鼻面はなづらをなでる。丹波は腹立たしげに頭を上下にふった。そしていななく。


「ああ、はいはい、角砂糖ね。けど、いい子にしてない子にあげるって、本当はダメなんだよ? これは本来、御褒美ごほうびのための角砂糖なんだから」


 袋から角砂糖をつかんで取り出す。出すと同時に丹波は首をのばしてきて、手のひらの角砂糖をムシャムシャしだした。


「まったく人の話を聞いてないね、丹波君?」

「ところでどうだった? 久し振りに馬のいない時間は」


 メロンパンにかじりつきながら先輩が質問をする。


「馬くさいとか言われましたよ、同期の男子に」

「馬くさい」


 先輩が笑い出す。


「なのでここに見学に来たら、真っ先にボロ入りのコンテナに案内して、本当のくささを教えてあげようと思います」

「それ、本気で言ってる?」

「もちろんです」


 手のひらの角砂糖がなくなったので、丹波に催促されて袋に手を突っ込む。そして角砂糖をつかんで差し出した。丹波は再び、手に口を押しつけてムシャムシャし始める。


「そもそも馬くさいって、お馬さんに対して失礼な言い草ですよね。全然くさくないのに」


 深く考えだしたら腹が立ってきた。


「そりゃまあ、毎日きちんと手入れをしているからね」

「ですよね。お日様のにおいがするのに、それをくさいって一体どんな鼻をしてるんだか」


 私がブツブツ言っている間に、先輩はあっという間にメロンパンを平らげてしまった。


「あー……私のメロンパンちゃん」

「また買えば良いじゃないか」

「ですから、そこのパン屋さんの人気商品で、すぐに売り切れちゃうんですよ。今日はいつもより少し早い時間だったので、運よく1個だけ残ってたんですよ。あー……私のメロンパンがぁぁぁぁ」


 これはこれで腹が立ってきた。


「それもこれも丹波のせいだから」

「まったくもー……丹波君、次からはもうちょっとおとなしくしないと、本当にダメだよ?」


 角砂糖を食べつくした丹波は、満足げにいななく。まったく反省した様子が見られない。


「ジャムパンとアンパンとクリームパンがあるんだろ? それだけあれば、明日の朝ごはんは安泰あんたいじゃないか」

「私はメロンパンが食べたかったんですよ! そのコーヒー牛乳と一緒に!」


 先輩が飲んでいるコーヒー牛乳の紙パックを指さした。


「それはそれはお気の毒に。ごちそうさまです」

「普通、先輩が後輩におごるものじゃないんですか? これじゃあ逆じゃん……」

「そりゃ、立場が逆だったら、俺だって馬越さんになにかおごったと思うよ? そうだなあ……俺だったタコ焼きか鯛焼きかな」


 それもなかなかおいしそうだ。


「意外ですね、先輩がそういうお店を知ってるなんて」

「ここに来る前は、ずっとパトロールで走り回ってたからね。スピード違反をする車両がいない時は、そういう店もチェックしてた。馬越さんも甘党のようだから、今度、鯛焼きを買ってきてあげるよ。カスタードやチョコクリーム入りもあるんだ」

「楽しみにしてます!」

「さて、丹波の機嫌もそれなりになおったみたいだし、そろそろ帰るかな」

「ですね。今日はお疲れさまでした……おぉ?」


 馬房ばぼうから離れようとしたら、服のすそを噛んで離さない困ったさんがあらわれた。それを見て先輩が笑う。


「おやおや。どうやら今度は馬の手の出番かな?」

「もー、しかたないですねえ。今日は特別サービスってことにするけど、次はないよ、丹波君?」


 押しつけてくる頭や鼻面をなでなでし、首から背中にかけても、しっかりとなでなでをさせていただいた。丹波は満足げに目を閉じている。やれやれ、本当に困ったお馬様だ。


「先輩、先に帰ってもらっていいですよ?」


 柱にもたれかかって立っている先輩に声をかける。いつもならとっくに帰宅している時間だ。


「あとは帰って風呂入って寝るぐらいだから、もうちょっと付き合うよ。俺だってチーム丹波の一員なんだから」


 さらになでなでを続けていると、他の馬房ばぼうから、馬たちが顔をのぞかせているのが見えた。


「時間外労働はしませんよ、お馬さんがた! これはチーム丹波限定の特別メニューです!」


 私の声に「えーーー」と言いたげないななきが、あちらこちらの馬房ばぼうからいっせいに上がる。


「誰よ、馬の手のことを広めたのは。もしかして、丹波君ですか? んん?」


 丹波は「僕は知りません」と目を閉じたまま小さくいなく。


「まったく。かしこいのも考えものですね、ここのお馬さんたちは」

「人間もそうだけど、馬同士にも相性があるからね。ここの馬たちは本当にいいチームワークがとれている。馬独自の情報共有ネットワークがあるのかもしれないな」

「イヤですよ。全部の馬をなでなでしなきゃいけないハメになるのは。腕が筋肉痛で大変なことになります」

「誰かに伝授するしかないんじゃないかな、馬の手の秘技」

「どんな秘技」


 自分でもよくわからない馬の手なのに、それを誰かに伝授するなんて無理な話だ。


「そのうち、騎馬隊の隊員の実技研修に馬の手取得なんてのができるかも」


 先輩がそう言っておかしそうに笑った。


「できたら騎手とは別に、馬の手要員だけの人がほしいですね。厩務員きゅうむいん枠で募集してみては?」

「隊長にでも話してみるかな」


 おそらく先輩は冗談だと思っているのだろうが、私はわりと本気だったりする。


「あーもー、丹波君、もういいかなあ? 私、疲れてきたよ?」


 手を止めると、なでなで継続要請のいななきが発せられる。これは困った。


「いつまでたっても帰れないじゃない、これじゃあ」


 もう疲れた~と丹波にもたれかかる。催促のいななきを無視していると、いきなり「ニャーン」と、いななきとは違う声が聞こえた。


「え、ちょっと? いまニャーンて鳴いたの?!」


 思わず丹波の顔を見つめる。


「どうやらお客さんのようだよ」


 先輩が指をさした先に、黒駒くろこまならぬ黒猫がいた。私達がいるにも関わらず、呑気な様子でしっぽを立ててやってくる。そしてその黒猫の後ろには、ブチ猫やシマシマの猫がいた。


「もしかして先輩が前に言ってた猫ちゃん!」

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