第十二話 お馬さんと歩こう 2

 音羽おとわ号に対する下克上げこくじょうはともかく、私と丹波たんばは新しいステップに進むことになった。乗る予定を入れていなかったので、丹波はくらをつけずに馬場に出ていた。なので騎乗する用意をするために一旦、厩舎きゅうしゃに戻る。


「こんなに早く、丹波君に乗れることになるとはねー。もしかしたら私の研修が終わるより、丹波君が一人前になるほうが早いんじゃ? っと、よっこらせ」


 くらを乗せながら話しかけた。この鞍をつけるのすらイヤがる子がいるらしい。だが丹波は青山あおやまさんが牧場で慣らしてくれていたおかげか、つけることをイヤがる素振そぶりは見せなかった。お腹の下に回した腹帯がきちんと締められているか、くらを軽く揺らしながら確かめる。


牧野まきの先輩、ちゃんできているか、確認をお願いします」

「わかった。いま見ていた感じだと、問題ないとは思うけどね」

「そりゃ、丹波がおとなしくしてくれていましたからね」

「それは言えてるかな」


 先輩は鞍を軽く揺すったり引っ張ったりしながら確認をしていき、最終的によろしいとうなづいた。


「問題なし。ちゃんと覚えているね。えらいえらい」

「なんですか、その言い方」


 まるで小さい子に言うような口調だ。しかも頭までなでられた。


「ん? 丹波のことは馬越まごしさんがほめるだろ? だから俺は重点的に、その馬越さんをほめることにした。公平だろ? 丹波ばかりほめていたら、そのうち馬越さんがすねるかもしれないから」

「いやいや、すねませんて。でも、ほめてもらえたのはうれしいです」

「もちろん、その逆もあるから気を抜かないように」

「わかりましたー」


 今のところ、先輩からダメ出しをされたり、叱られたことは一度もない。だけどこの先輩は元白バイ隊員。怒らせたら超怖そうだ。そこは気をつけておこう。


「……」


 馬場へ行こうとしたら、いきなり先輩が立ち止まった。


「どうしたんですか? なにか忘れ物ですか?」

「いや。今、俺にすごく失礼なこと考えたろ?」

「は? なにも考えてないですよ」


 どうして気がついたんだろう? もしかして先輩は、読心術でも身につけているのか?!


「そうかなあ……」


 首をかしげながら歩き始める。


「被害妄想が激しすぎですよ、先輩」

「そりゃ、面倒みている後輩が、これとこれだからねえ」


 人差し指が私と丹波をさした。


「それこそ、私と丹波に失礼なことじゃ?」

「そうかなあ……」

「丹波君、先輩の指、もう一度かんでもいいよ!」


 自分の指の安全のためか、素早く後ろ手に組み歩き始める先輩。その横を丹波を引きながら歩く。


「その指、出しやがれですよ、先輩」

「一日に二回も噛まれるなんてごめんだよ」


 私達のことはさておき、馬場に戻る丹波の足取りは心なしか楽しそうだ。落ち着かないことはないけれど、やはり気持ちが浮き足立っているのは感じられる。乗る時は気をつけなければ。


「お待たせしました~!」


 土屋つちやさんに声をかける。馬場では愛宕あたご三国みくにが他の馬にまじり、脇坂わきさかさんと久世くぜさんを乗せて速歩はやあし行進を始めていた。


「おお、いよいよ人を乗せるのか。がんばれよ、丹波~~」


 私達の前を通りすぎていく隊員達が、丹波に声をかけていく。


「なんで私にガンバレじゃなく、丹波ばかりにガンバレなんですかね?」

「そりゃまあ、乗せるほうが大変だからじゃ?」

「私、そんなに重たくありませんよ。少なくとも先輩よりは軽いはずです」

「まあそう言わずに。がんばれがんばれ」


 先輩がわざとらしく私の頭をなでた。


「ムカつきますね」

「そう? 土屋さん」

「ん? おお、馬越さんもがんばれがんばれ」


 二人ともニコニコしてはいるが、非常に投げやりな言い方かだ。


「まあ、とにかく怪我をしないようにだけは気をつけて」


 そう言われ、なにかに落ちないものを感じながら、手綱を手にしてくら前橋まえきょうをつかむ。丹波がじたばたしないか注意深く様子を見ながら、体を馬上に引き上げた。そしてお尻が落ち着く場所を確認する。


「どうです? ここが私てきにベストなポジションなんですが、ちゃんと中心に座れていますか?」

「問題なし。じゃあ常足なみあしから始めるよ」


 先輩が手綱をもち、柵に沿ってゆっくりと歩き始めた。丹波はおとなしく引かれて歩いている。私はその歩調にあわせて体を揺らしながら、丹波のたてがみを見つめる。


「馬越さん、こういう時は視線はまっすぐ前。そうしないと猫背になるよ」

「了解です」


 先輩の指摘に視線をあげた。


「これは丹波の調教であると同時に、馬越さんの訓練でもあるんだからね。その点は忘れないように」

「そうでした」


 丹波のことばかり気にかけていたので、自分も訓練中であることをすっかり忘れていた。意識を自分の体に向け、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見る。


「それで良い」


 先輩がこっちを見てうなづいた。


「この周回を二周、他の馬につられることなく常足なみあしのままでいけたら、速歩はやあしをやってみようか」

「はい。……あの、でも大丈夫ですか、先輩」


 私がどういう意味で質問をしたのか理解した先輩は、ニヤッと笑った。


「俺、心配されるほど年寄りじゃないからね。二周三周ぐらいなら、倒れず丹波についていけると思うけど?」

「なら安心しました。途中で先輩が倒れたら、それこそ大変だし」

「馬越さんも落ちないように気をつけて。駆け足ほどではないにしろ、それなりに揺れるから」

「了解です!」


 丹波は、横を追い抜いていく先輩馬たちを見はしたが、先輩の誘導のしかたが上手なのか、一度も追いかけたがる素振そぶりを見せなかった。そのかわり、後ろを気にするかのように何度か頭をあげて、こっちを見ようとしている。


「丹波君、君はさっきからなに気にしてるの?」

「馬越さんが軽すぎて、ちゃんと乗ってるか、心配になったんじゃないかな」


 ちゃんと指示を出し続けないと、乗っていても馬に存在を忘れられることがあるらしい。その点、丹波は私のことを忘れてぼんやりすることなく、逆に気にかけてくれているのだ。やはり丹波君はかしこい!


「ご心配なくですよ、丹波君。私は落ちることなくちゃんと乗ってるよ。ちゃんと前を向いて歩きなさい。わき見運転なんてしたら、元白バイ先輩にしかられるよ?」


 手をのばして首を軽くたたいた。その感触に安心したのか、ブルルッと鼻を鳴らして小さくいななくと、また前を向く。


「……でもこの場合、しかられるのはどっちなんですかね? 丹波? 私?」


 車やバイク、自転車ならわき見していたら注意を受けるのは運転者だ。だけどこの場合、わき見をしているのは乗り物である丹波。どっちが注意を受けるのだろう。


「そうだねえ。この場合だと、ちゃんと馬を御せていない人間が、注意を受けるんじゃないかな。ただし手綱たづなを引いているのは俺だから、俺も含めてだけど」


 常足なみあしで馬場を二周した。


「じゃあ速足はやあしいってみようか。馬越さん、丹波に指示を出して」

「了解です。じゃあ丹波君、速歩はやあしいきますよ」


 軽くおなかを蹴る。すると丹波は、すぐに反応して歩調を早めた。それにあわせて先輩の足もジョギングするような感じで早くなる。馬場を三周したところで、先輩がゆっくりと手綱をはなした。


「そのまま一周しておいで。俺が引かなくても多分だいじょうぶだから」

「了解です。ごゆっくり~」

「よけいなお世話だよ。はい、ちゃんと前を見る!」

「了解で~す!」


 訓練のためと思わせているけど、実は先輩の息が上がってきたんだとわかった。手を離した先輩の顔をニヤつきながら見下ろし、そのまま丹波を速歩はやあしで歩かせる。


「ま、馬場は人が走るのには向いてないよねー」


 手綱たづなを引いていた先輩が離脱しても、丹波の動きは変わらなかった。それどころかずっとご機嫌で、丹波に合わせて揺れている私を乗せ、馬場を周回している。それを見ていた土屋さんが、水野さんたちに声をかけた。


「?」

「馬越さん、丹波をこっちの隊列に入れるから、そのままのペースで速歩はやあしを続けて」

「あ、はい」


 水野さんの指示どおり、一定のスピードのまま馬場を周回させ続ける。すると後ろから坂脇さんを乗せた愛宕が追い越していき、丹波のすぐ前で速歩はやあしを始める。さらにその愛宕を水野さんが乗った音羽が追い越し、その前で同じように速歩はやあしを始めた。そして私達のすぐ後ろに三国がつく。


「せっかくだから、お馬さんの行進に入れてあげるよ。お爺ちゃん達がいるから、速歩はやあしまでだけどね」

「今のって、なかなか難易度高くないですか?」


 さりげなく隊列に入れてくれたけど、今のは馬と人、それぞれが息が合っていないと難しそうだ。


「そりゃ俺達、騎馬隊員だから」

「馬越さんもそのうちできるようになるよ」


 そんなわけで今日は、丹波のお馬さんの行進デビューの日となった。

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