第十一話 お馬さんと歩こう 1

 次の日から、騎馬隊デビューに向けて、丹波たんば号の訓練が始まった。牧場で世話をしていた青山あおやまさんが言っていた、元気なのが玉にきずというのは本当で、馬房ばぼうから馬場につれていく途中からそわそわしだし、馬場に入ったらすぐに走りたそうな様子を見せた。


「ほら、じっとしないと。他の先輩達に笑われちゃうよ?」


 この日、丹波の横に並んでいるのは愛宕あたご三国みくに。他の馬に慣れさせるためもあり、こうやって日替わりで、一緒に馬場に出てきてもらっているのだ。二頭は落ち着かない丹波をまったく気にする様子もなく、脇坂わきさかさんと久世くぜさんの隣でおとなしくしている。もちろんこれは、他の馬たちも同じだ。だが、この二頭の落ち着きぶりは、抜きん出ている。


「愛宕と三国、なんでそんなにおとなしいんですか」

「そりゃあ、亀の甲より年の功ってやつだよ。こいつらはここに来て長いからね」

「言っちゃあなんだけど、そこそこおじいちゃんだし、あまりはしゃぐと自分が疲れちゃうってわかってるからね、こいつら」


 ブルッと鼻を鳴らす二頭。気を悪くしたというより、久世さんのお爺ちゃん発言に同意しているようだ。


「それよりさ」


 脇坂さんが口を開く。その目は私と丹波ではなく、その横に立っている牧野まきの先輩に向けられていた。


馬越まごしさんが無理だった時の保険要員だってことは理解してるけど、実際のところ、どうするつもりなの、お前」

「どうするつもりとは?」

「相棒のことだよ。馬越さんと丹波が無事に騎馬隊員と騎馬隊の馬になった時、どうすんのって話。まさか白バイ隊に戻るつもりとか?」

「そう言えば、今もバイクの訓練には出てるんだよな、牧野」


 久世さんが付け加えるように言う。


「どうするもこうするも。まだ新人と新人馬が合格レベルに達するか、わからないでしょう?」

「だが、これまでそういう人間はいないぞ?」

「それは俺達がそれなりにベテランだからですよ。それと、やばかったのはいたでしょ」

「ああ、水野みずのはやばかった。人間がというより、馬のほうがだけど」


 よくあそこまで持ち直したよなと、三人は笑った。


「馬越さんに関しては、他の研修もありますからね。それが一段落するまでは、この体制でいくと隊長が言ってましたよ。俺がいたら馬越さんが研修中も、丹波の訓練は続けられますから」

「一段落したら先輩はどうなるんですか?」

「さて。それは上の考えしだいじゃないかな。予算のこともあるから、そうそう馬は増やせないし」


 そう言ってから先輩は私を見下ろした。そして人差し指を向ける。


「そういうことを心配する前に、自分が一人前の騎馬隊員になれるか、その心配をするほうが先だと思うけど?」

「そりゃそうですけど」


 いきなり丹波がいななき、なぜか先輩の指を噛んだ。もちろん本気ではなく、口に含んだ程度だったけれど。


「おい、なんでそこで俺の指を噛むんだ? 別に馬越さんをしかってるわけじゃないぞ? 先輩としてのアドバイスだ。もちろん、お前もだ、丹波。一人前になれなかったら、牧場に出戻ることになるんだからな?」


 ブルルッと鼻を鳴らし、今度は頭突きをする。


「まったく。わかってるのか、お前?」


 先輩は苦笑いをしながら、丹波の首のあたりを軽くたたいた。


「じゃあ、今日もお馬さんと人間の行進から始めるよー」


 脇坂さんの号令で、愛宕、丹波、三国の順番で一列になり、手綱たづなでひかれながら柵沿いに歩き出す。まずは落ち着いて普通に歩くこと、これが基本だ。だがこれが、思いのほか丹波には難しいことだった。私達の横を、騎乗した水野さん達が追い越していく。それを見ても、丹波はいつものように大騒ぎはしなかった。


「お、今日の丹波は落ち着いてるね」

「俺の指、噛みましたけどねー……」


 柵の外に立ち、そんな丹波の様子をながめていた土屋つちやさんの言葉に、先輩がぼやく。


「ですよね! いつも付いていきたくて大騒ぎでしたけど、今日はずっと落ち着いて歩けてますよ。えらいねー、丹波くん。ちゃんと進歩してるじゃん?」

「頭突きもされたけどねー……」


 先輩の再びのぼやきに、土屋さんがゲラゲラと笑った。


「人懐っこいのはいいことだよ。良すぎるのも困りものだけどな」


 ここ数日でなんとか落ち着いて歩くようになったものの、最初はそりゃもう大変だった。柵に沿って歩かせるだけが、あそこまで苦労するとは思わなかった。最初は自分がなめられてる?と思ったが、先輩が手綱たづなを持っても同じだったので、やはり丹波の性格なんだと思う。


「近くにたくさんの人がいる、近くを車が走っている、アスファルトの道路。考えたらハードル高いですよね、騎馬隊の馬の適正って」

「調教を終えた馬でも、葵祭あおいまつりや時代まつりの行列に参加すると、人の多さで落ち着かなくなるからね。特にそういうイベントに参加できる馬は限られてくる」

「あの装束しょうぞく、一度は着てみたいですけどねー」


 葵祭あおいまつりの時の装束しょうぞくを思い出す。正規の制服もかっこいいけど、自分がここに来たいと思ったのは、あれを見たからだ。せっかくここの一員になれたのだから、いつかはあれを着て行列の先導をしたいと思う。


「先輩もあれを着たことあるんでしょ?」

「いや。俺、ああいうの似合わないから」


 そう言って、困ったように笑った。


「それぞれの仕事、似合う似合わないも関係してくるんですか?」

「そういうわけじゃないけどね……あれを着ている自分が想像できなくて、今までずっと避けてきたんだ」

「ふぅーん……」


 私の返事に先輩が顔をしかめた。


「また俺に失礼なこと考えてるよね、馬越さん」

「いえ。ただ、想像ができないというのに納得しただけです」

「それ、じゅうぶんに失礼なことじゃ?」

「だって先輩が自分で言ったんじゃないですか。着ているところを想像できないって。ねえ、丹波君はどうですか? 先輩の検非違使けびいし姿、見てみたいと思う?」


 丹波は私の顔を見てから先輩のほうを見る。そしてブルルッと鼻をならして顔をそむけた。


「あれ? これって一体どういうことですかね」

「ちょっと、もしかしてお前も失礼なことを考えてるのか? まったく、俺は先輩だっていうのに」


 先輩は悲し気にため息をついた。


「馬越さん、次の周回、丹波に乗って回ってみたらどうだ?」


 一周して元の場所に戻ってくると、土屋さんが柵越しに言った。


「良いんですか? まだ早いんじゃ?」

「早いかどうか、乗って歩かせてみないとわからんだろ。その代わりと言っちゃあなんだが、牧野はしっかり手綱たづなは握っとくように。馬越さんを乗せたまま、丹波が暴走したら大変だから」


 なにげに怖いことを言ってくれる。


「まあ土屋さんがそう言うなら間違いないんでしょうが。俺にはまだ、その境界線がわかりませんよ」

「こればかりは経験だな。今日の丹波を見ている限り、もう普通に人を乗せて隊列くめそうだが」

「馬場では、ですよね」

「そう、馬場では。外に出る前に、ここで出来るようにならんとな」

「と、言うわけだ、馬越さん」

「がんばりまっす!」


 丹波も私の返事に合わせ、頭を上下にふった。


「お、丹波君、いよいよ馬越さんを乗せるんだ?」


 少し早めの歩調で歩いていた音羽おとわ号が立ち止まる。水野さんを噛みまくっていた音羽も、今ではこんなに水野さんの指示に従順だ。きっと丹波も立派な騎馬隊の馬になるはず。ただし、音羽の目は、私をにらんでいるけれど。


「音羽って、絶対に私のこと、下にみてますよね。どうやったら音羽に下克上げこくじょうができるんですか、水野さん」

「そんなこと俺に聞かれても。そもそも、馬越さんはこいつに下克上げこくじょうする必要はないんじゃ?」

「そんなことないですよ。人としてちょっとムカつくので、どっちが上かはっきりさせたいです。特に音羽とははっきりさせておかないと」


 えー?と水野さんが困ったように声をあげた。


「馬と張り合ってどうするのさ。百歩ゆずって馬と張り合うとしても、その相手は音羽ではなく丹波でしょ、馬越さんの場合」

「丹波君は同期なので下克上げこくじょうはしません。お互いに切磋琢磨せっさたくまです」

「それって張り合うってことでは?」

切磋琢磨せっさたくまです」

「えー……音羽、お前どうするよ。馬越さんに下克上げこくじょうされそうだぞ?」


 音羽は「知ったことか」と言いたげにブルルッと鼻をならす。そして丹波に向かって「何とかしろ」と言わんばかりに、歯をむき出していなないた。そんな先輩馬に対し、丹波は軽くいなないて返事をしてから、私を見てブルルッと鼻をならす。


「今のはどういうことだよ」

「さあ。一緒に下克上げこくじょうがんばろう、じゃないですかね」

「えー……」


 私の勝手な通訳に水野さんは困ったような声をあげ、先輩と土屋さんはおかしそうに笑うだけだった。

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