第六話 新しいお馬さんがやってきた 1

「いたたたた」


 歩きながら顔をしかめる。


「あ、馬越まごしさん。おはよう」

「おはようございます!」


 牧野まきの先輩の声に、振り返りながらあいさつを返した。


「なんだか痛そうだね」

「痛そうじゃなくて痛いんです。初めて馬に乗った時ほどじゃないんですけど」

「けど普通に歩けてるんだね。俺達なんて翌日はボロボロだったのに、これってやっぱり若さかな」

「ボロボロ」

「うん。文字通りボロボロだった」


 そう言いたくなる気持ちはわかる。乗馬クラブで初めて馬に乗った後がそんな感じだった。騎馬隊は乗馬クラブより厳しい訓練だ。きっとあの時の私以上に皆さん、ボロボロになっていたのだろう。


「噛まれたりむしられたり以外にも、皆さん苦労なさってるんですね」

「ほとんどの隊員が、ここに配属になって、初めて馬に乗るわけだからね」

「あ、でも先輩は白バイに乗ってたんですよね? 少しはマシだったんじゃないですか?」

「んー……そりゃまあパトカーに比べたら馬に近いけど。そうだなあ……他の隊員よりも、少しはケツの皮が厚かったかも。あ、失礼」


 私が女性だと思い出したのか、ケツの皮発言の後に謝罪の言葉が付け加えられた。


「お気になさらず。ケツ発言ぐらいで、飛びあがったりしませんから」

「とにかく皆、足の筋肉痛で大変だったよ。次の日から泣きながら騎乗訓練をしてたな」


 遠い目をする。


「意外と下半身の筋肉を使いますからね、乗馬って。あと姿勢を保つために背中の筋肉とかも」

「俺達って警察官だから、だいたいの人間は剣道とか柔道とかしてるわけだよ。それなのに、馬に乗っただけでボロボロになるなんてって思ったな。正直、馬をなめてた」

「おっはよーさーん! おや、馬越さん、元気そうじゃないかーい」


 水野みずのさんの声が後ろから追いかけてきた。


「おはようございます! これでも筋肉痛なんですよ」

「そうは見えないねえ」


 先輩と水野さんにはさまれた状態で歩く。二人とも意外と背が高いので、気分は凸凹でこぼこぼこだ。


「俺達の時のことを話して聞かせてたんですよ。馬越さんが平気なのは、若さのせいなのかって」

「平気じゃないですよ。間違いなく筋肉痛です」

「かなり軽い症状のね。どう思います、水野さん?」


 先輩に質問をされ、水野さんはあごに手をやりつつ私を見おろす。


「若さもだけど、乗馬クラブで慣らしてたってのが大きいと思うな」

「そのうち警察学校にも、馬術部ができたりして」

「平安騎馬隊の知名度が上がれば、そういう術科が設立されるかもしれないね」

「そうなれば、お馬さんの再就職先が増えますね。あと、オリンピックに馬術で出場する警察官があらわれたりとか」

「夢が広がるねえ」


 三人で楽しい将来を想像しながら事務所へと向かった。全員が集まったところで、隊長が今日一日の予定を伝達するために席を立つ。


「みんな、おはようさん。本日は午前と午後、それぞれ市内の子供達の見学が入っている。担当の馬は愛宕あたご三国みくに。担当の隊員は、事故がないように気をつけるように」


 そう言いながら隊長は、壁にかかった時計に目をやった。


「牧野と馬越。新入りの馬は、あと一時間ほどでここに到着する。受け入れ準備は終わっているな? 馬の名前だが、丹波たんばで決定か?」

「はい! 丹波たんばにしたいと思います!」

「丹波か。良いだろう。広報で新しい馬の写真を撮ることになっている。水野、いつものように名前の筆耕ひっこうよろしく。朝の連絡事項は以上だ。通学路のパトロール担当は、そろそろ時間だから行ってくれ」


 隊長の言葉に隊服に着替えた二人が席を立つ。


「「じゃあ行ってきまーす」」

「車もだが、子供達の横でウマが暴れないように気をつけてな」

「「了解でーす!」」


 二人が部屋を出ていった。


「いつものようにって、なんのことです?」


 それぞれが今日一日の予定にために動き出したところで、水野さんの背中をつついて質問をする。


「ほら、元号が変わった時にテレビで、官房長官がこうやって見せただろ? 写真を撮る時に馬の命名式も兼ねるから、新しい名前のそれを用意するんだよ」


 そう言って、テレビで見たことがあるポーズをとってみせた。


「なるほど。で、それを水野さんが用意すると」

「俺、書道の段持ちなんですわ。心をこめて書くからね」


 パトロールに出た隊員以外は、騎乗訓練の前に馬房ぱぼうのお掃除にとりかかる。馬たちは馬房ばぼうから移動して、お掃除が終わるのを待っている。掃除が終われば訓練があるのを覚えているせいか、心なしかソワソワしながら、厩舎きゅうしゃの中にいる隊員達の気配をうかがっているようだ。私と先輩は待ち時間を使用して、パトロールに出ている馬たちの馬房ばぼうの掃除をした。


 そうこうしているうちに、厩舎きゅうしゃ前のスペースに馬バスが入ってきた。


「あ、来た来た。先輩、新人君が到着です」

「じゃあ早速、お出迎えしようか」


 私と先輩は車が止まった場所へと向かう。それまでいた牧場の職員さんが車からおりてきた。運転手さんは後ろのドアの前で待機している。


「おはようございます。今度の子の担当は、やっぱり牧野さんなんですか?」


 先輩が乗っていた馬は年末に引退したというのだから、そういう話になっても不思議ではなかった。


「僕と、こちらの馬越です」

「おや、もしかして新人さん?」


 その人が首をかしげて私を見た。


「はじめまして。馬越です。よろしくお願いします」

「こちらこそはじめまして。そっか。今回は馬も人も新人同士なんですね。大丈夫かな」


 なにやら気になる一言だ。それって、私が頼りないということなんだろうか?


「馬にも人にも、僕が教育係としてつきます。多少の暴れん坊でも大丈夫ですよ」

「なるほど。牧野さんが一緒なら心配ないかな」


 そう言って私にもう一度、目を向けた。


「顔合わせをする前に、馬のことを少し説明しておきますね。レースで走っていた時の名前は、ブラックラッキースター。中央競馬で走ってました。身体能力も血筋も悪くはないんだけど、ちょっと元気すぎるのがたまきずってやつでしてね。スタート前の落ち着きのなさが騎手に敬遠されて、そうそうに引退したってわけです」

「元気すぎ……」

「ええ。けっして暴れん坊なわけじゃなく、元気すぎなのが困った点です。性格もそこまで悪くないはず。たまにオチャメなことをして、俺達を困らせてましたけど」

「そこが一番の問題な気が」


 一体どんなオチャメなことをしでかしているのやら。聞くのが怖い気がする。


「名前のパネル、できたよー」


 水野さんが額縁をもってやってきた。


「あ、おはようございます、水野さん。名前、もう決まったんですか?」

「ええ。こちらの新人君が命名しましてね。丹波号になりました」


 そう言って私達に額縁を見せる。


「おお、いい名前ですね。山の名前もネタ切れだから、そろそろ山城やましろとか但馬たじまとか、そのへんが来るんじゃないかと思ってました。俺の読みは正しかったってことですね」


 筆で書かれた丹波の文字をじっくりと見た。私にはとてもこんな風には書けない。


―― 良かった、任されたのが名前を決めることだけで。名前を書けって言われても、こんなきれいに書けそうにないよ ――


「すごいです、水野さん。さすが段持ちの書道家!」

「そんな上等なものじゃなくて便利な筆耕ひっこう屋さんだよ、俺。隊長からもよく、御祝儀袋の筆耕ひっこうをたのまれたりするし」

「それでもうらやましいです。筆でこんなにきれいに書けるなんて」


「では、そろそろ馬との対面をしてもらいましょうか。あまり待たせると騒ぎ出すので」


 私達も職員さんについていく。車の近くまで来ると、カタカタと足踏みをする音が聞こえてきた。


「元気すぎでしょ?」


 その音に職員さんが困ったように笑う。


「ここで訓練をしていくうちに、落ち着いた性格になってくれると良いんですけどね」

「そこは大丈夫だと思いますよ。だいたいの馬は、ここで過ごすうちに丸くなっていきますから」

「ま、最初は噛んだり噛んだりするヤツもいたけどね」


 水野さんがぼやきに職員さんが笑った。トラックの後ろをあけ、運転手さんと一緒に中に入る。そして五分ほどして手綱たづなを引いて出てきた。


 馬バスから引かれて出てきたのは、真っ黒な毛並みのお馬さんだった。


「おー……」

「俺、馬越さんが何を考えているかわかった気がする」

「俺もわかった気がする」


 私の横で、先輩と水野さんがニヤニヤしながら言った。多分、二人が考えていることは当たっていると思う。だってこの子を見たとたん、頭に浮かんだのは「ほら、丹波の黒豆で当たってるじゃん!」だったのだから。

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