第三話 騎馬隊の人々
「朝の自己紹介していた時に気になったんだけど」
「なんでしょう」
私の前に座ったのは獣医の
「
「あ、はい。実家は東京なんです。大学でこっちに来ました」
「東京だったら、警視庁にも騎馬隊があるよね。なんで戻らずに
突然その場にいる全員の耳が、ダンボ状態になったのがわかった。
「そうですねえ……面接の時にも話したんですけど、最初に警察に騎馬隊が存在することを知ったきっかけが、ここの馬が
せっかく京都の大学に来たのだから、京都三大祭ぐらい見ておかなければと出かけた先で、行列を先導する騎馬隊の姿を初めて見た。最初はその存在を知らず、どことなく
「交通安全のキャンペーンだけじゃなく、そういう伝統あるお祭に参加できるのも魅力だなって思ったわけでして」
「
「あー、そこは迷ったところなんですけどね。でも、最終的にはこちらの騎馬隊を希望しました。平安騎馬隊って名称も京都らしくて好きですし」
京都ではなく地元で進学していたら、また結果は違っていたのかもしれないけれど。とにかく、私は平安騎馬隊の一員になりたいと京都府警の採用試験を受け、今こうやって訓練を始めようとしている。
「けど、よっぽどよね、就職先に騎馬隊を選ぶって。馬の世話って大変よ? そりゃあ専属の
「普通に就職して、休みの合間に乗馬クラブに通うって選択もあったんでしょうけど、それだと週に一回とか二回じゃないですか。警察官になって騎馬隊に配属されたら、ほぼ毎日がお馬さんのいる生活ですから」
「もうお馬ちゃんLOVEすぎて笑っちゃう。もしかしたら、ここで一番の馬LOVE人間かもよ、馬越さん」
井上さんがあきれたように笑った。
「そこは自覚あります。自分でもかなり変人の域だって」
「ああ、その点は大丈夫。ここにいるのは馬越さんほどではないけど、全員が馬LOVE人間、つまり変人の集まりだから」
不満げな声があっちこっちであがった。つまり自覚のない変人さんが多いということだ。
「そういう井上さんこそ、どうしてここに? 普通に獣医さんとして、開業しなかったんですか?」
「もともとはワンちゃんネコちゃん専門だったのよ、私。それが専門の獣医を確保するまで臨時でなんとかって頼まれて、気がついたらもう十年近くここで働いてる。なんでかしらねえ~~?」
井上さんの声に、他の人達がいっせいに
「犬猫と馬じゃ全然違いますよね?」
「そうなのよ。だから最初は本当に大変だった。
「へー、そうなんだ……」
考えてみたら馬の健康や命に関わっている分、井上先生のほうが私達よりもずっと大変かもしれない。
「そして馬だけじゃなく、今じゃ何故か、人間の面倒までみてる。いくら馬好きの馬越さんでも、最初のうちは落馬することもあると思うの。その時は遠慮なく言ってね、薬ぐらい塗ってあげるから」
「そこの先生は、俺達に馬用の薬を塗ろうとするから要注意だぞ、馬越」
横を通りかかった
「え、馬の薬ですか?!」
「そりゃそうよ。だって私、獣医だもの」
サラッと言っているけど、とんでもないことだ。馬の塗り薬!
「薬事法~~」
「あら、アスリートはけっこう使ってる人が多いのよ、知らなかった? ここでもよく効くって、評判は上々なんだから」
「塗りすぎると、ハッカ油の比じゃないぐらいヒリヒリするけどな。だが効果はバツグンだ。馬用の塗り薬だが」
「騎馬隊員なんだから、馬つながりで馬用の塗り薬でも問題ないでしょ?」
「それ一体どういう理屈……」
今のやり取りから察するに、少なくとも隊長は塗ったことがあるらしい。そして効果はバツグンで、それ以外には問題はないもよう。馬用だけど。
「できるだけお世話にならないように気をつけます」
「ああ、ムリムリ。どうやってもお世話になることになるから。訓練を始めたらしばらくは、筋肉痛と打撲と二人三脚状態だよ。そして間違いなく、井上さんが塗ってくれる塗り薬に感謝することになる。馬用だけど」
「水野さんも使ったんですか?」
「ここにいる騎馬隊員は全員、一度はお世話になってるよ。薬を使うことになったら、触った後はしっかり手を洗うことをお勧めするよ。そのまま顔を触ったら大惨事になるから」
「経験者の言葉ですか?」
「うん、経験者の言葉」
塗り薬のことは横に置いておくとして。馬に乗っている姿は優雅だけど、その訓練はとてもハードなんだなと改めて気を引き締める。そんな私の様子に、井上さんは何を勘違いしたのか、とんでもないことを口にした。
「心配しないで。使うのは打撲用の薬だけで、飲み薬を渡したりはしないから」
「……今のは聞かなかったことにします」
「まさか馬用のお茶とかないですよね?」
事務所にあるポットに目をやる。飲んだ感じは普通の緑茶だけど油断できない。
「さすがにそれはないな。あと食事に関しても。おやつに馬たちが食べる麦が出てきたことはない。今のところ」
「今のところ……」
大丈夫なんだろうか? ここにいる間に、お腹をこわすハメにならなければ良いけれど。
お昼ご飯を食べ終わってから、今わかっている研修の予定を手帳で確認をする。事務所の一角に、騎馬隊の向こう一ヶ月の予定が書きこまれているホワイトボードがあった。その横に隊員達の名前のマグネットがあり、それぞれが参加する交通イベントの横に貼られている。
「先輩、研修の予定はどこに書いたら良いんですか?」
「ん? あー、馬越さんの予定は特殊だから、こっちに書いておいてもらおうか」
そう言って先輩が指でさしたのは、明日やってくる馬のことが書かれているスペースだ。新人同士、馬も人間も同じあつかいらしい。
「おい、牧野。お前、先輩って呼ばせてるのか?」
「え、いや、馬越さんが勝手に呼んでるだけなんだけど」
他の隊員達に言われ、先輩は困った顔をしている。
「俺達も先輩って呼んでもらえるわけか?」
「俺はさっき、水野さんて呼ばれたけど」
「私が先輩と呼ぶのは牧野先輩だけですよ。ほら、同じお馬さんのチームですから」
首をかしげている隊員達に説明をした。
「ああ、なるほどね。で、やっぱりここはチーム
「ダメですかね?」
「ダメじゃないとは思うよ。だけど、地名の丹波じゃなくて枝豆の丹波なんだろ?」
「そこは皆さんが黙っていればバレませんよ」
「バレませんときたか」
「元ネタが枝豆ってこと、黙ってますよね?」
そう言いながら全員の顔を見ていく。
「黙ってるよ、もちろん。なあ?」
水野さんがそう言って隣の隊員に声をかける。水野さんに声をかけられた隊員は、さらにその隣の隊員に「なあ?」声をかけた。そして順番に黙っているという確約がとられていく。その様子を、牧野先輩は愉快そうにながめていた。
「決まりみたいだね、丹波号で」
「良かったです。それ以上にいい名前、思いつきそうにないですから」
「じゃあ研修の予定を書いてくれるかな」
「わかりました」
自分のスペースに予定を書いていく。書きながら馬の情報に目をやった。明日やってくる馬は男の子だ。地方競馬で50戦中7勝の成績をおさめているらしい。ただいま5歳。人間で言うと22歳ぐらいで、私とほぼ同い年だった。
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