第二話 お馬さんの名前

「ところで、成瀬なるせ警部も馬に乗られるんですか?」

「隊長」

「はい?」


 牧野まきの先輩の言葉に首をかしげる。


「ここでは、警部ではなく隊長と呼んでいるんだよ。ほら、ここは騎馬『隊』だから」

「ああ、なるほど。では言いなおします。成瀬隊長も、馬に乗られるんですか?」


 なるほどと納得して質問しなおした。


「そうだなあ……隊員も増えてイベントで騎乗することは減ったけど、調教の進み具合の確認や馬の体調確認を兼ねて、乗ることは今でもあるかな。どうして?」

「さっき、馬の紹介をしてもらった時、どの馬も隊長におとなしくなでられていたので」

「ああ、それね。隊長、どの馬にも好かれてるから。それもあって、なかなか他部署に異動できないらしい。今あの人が異動したら、人間ではなく馬たちが反乱を起こすんじゃないかな」


 おかしそうに笑う。


「馬が反乱を起こすんですか」

「うん、間違いなくね」


 厩舎きゅうしゃに入ると、馬のいない空っぽの馬房ばぼうに向かった。


「ここが、明日やってくる馬のスペースになる。そう言えば馬越まごしさん、馬の世話はしたことは?」

「ありません。実家にいるのは猫ぐらいです。馬は乗ったことぐらいしかないです」


 先輩はうなづく。


「一度にあれこれ教えても、すぐに全部は覚えられないだろうから、ざっと説明した後、詳しい説明をそのつどしていく」

「全部、自分達でしているんですか?」

「だいたいのことはね。専門的な知識が必要なこともあるから、嘱託しょくたく厩務員きゅうむいんが来てくれているけど、基本的な作業は全部自分達でやってるよ」


 そう言いながら私を見おろした。


「一番しちゃいけないことは、わからないままにしておくことだ。覚えるまで、遠慮なく質問を繰り返してくれてかまわない。もちろん俺だけでなく、他の人にも」

「わかりました!」

「ああ、そうだ。猫と言えば」


 なにか思い出したのか首をかしげる。


厩舎きゅうしゃの近くに野良猫が何匹か住みついていて、夜になると厩舎きゅうしゃにもぐり込んでくるんだ。馬たちは猫のことを覚えているから、入り込まれても心配はない。新しく来る馬に関しては、ちょっと注意が必要だけどね」

「そうなんですか? 今から見るのが楽しみです!」


 お馬ちゃんだけでなく猫ちゃんまでいるとは。ここは天国か。


「なるほど。馬も好きだけれど猫も好きと」

「どっちも一緒に見られたら超幸せです!」

 

 先輩は私の言葉にハハハッと笑った。そこで大事なことを思い出す。


「あ、隊長からお聞きになっているかもしれませんが私、しばらくの間は参加しなくてはならない研修があるんですが、それはどうしたら?」

「ああ、それもあったね」


 聞いているよとうなづいた。


「馬越さんは当分の間、騎馬隊の訓練よりそちらが最優先事項になると思ってくれ。予定が分かった時点で、ホワイトボードの自分の予定表に書き込むように。こちらがその予定に合わせるので」

「すみません、ご迷惑をおかけします」

「いやいや。警察官としての知識を積み重ねることは大事なことだからね。それに俺達も、年に何度かは研修に行くことがあるので、その時はよろしくお願いします」

「はい!」


 そして私達は、馬房ばぼう周辺の片づけと受け入れ作業を開始した。備品の説明を受けつつ、片づけたり移動させたりの作業を繰り返す。


「ところで馬の名前だけど」

「はい?」

「せっかく新人同士の馬と人がペアを組むわけだから、命名権は馬越さんにゆずろうと思うんだけど、どうかな」

「え、私がつけても良いんですか?!」

「うん。なにか名前候補はあるかな?」


 喜んではみたものの、いざ聞かれるといい名前が思いつかない。今ここにいる馬たちの名前は、主に京都府内の地名からつけられている。ということは、明日やってくる馬にもそういう名前が期待されるということだ。


「京都府にある山にちなんだ名前じゃないと、ダメなんですよね?」

「ダメではないだろうけど、今までの名づけのパターンからするとそうだね。まあ地名にこだわることはないと思うよ。山の名前なんて限られているし、宇治抹茶とか八ッ橋とかでない限り、問題ないと思う」

「なんですか、その名前」


 いきなりの異質な単語に、思わずツッコミを入れた。


「騎馬隊の設立当初、府民に向けて公募したら、そんな名前が含まれていたってことかな」

「あ、ダメだ」

「?」

「先輩が宇治抹茶とか八ッ橋とか言うものだから、食べるものしか浮かばなくなりました!」


 浮かぶのは自分がいま食べたいものばかり。これは困ったことになった。


「ちなみにどんな? もしかしたら名前として使える候補があるかも」

「どうかなあ……志津屋のカルネ、千枚漬け、抹茶パフェ、あぶり餅、間人たいざのカニ、紫ずきん、それから~~」

「ものの見事に食べものばかりだね。かろうじて間人たいざは使えそうな気が」

「たしかに地名ですけど、名前を聞いた人は絶対、カニしか浮かばないと思います」

「抹茶パフェと紫ずきんは警察でなければありかな。たとえば競馬とか」

「だったら志津屋のカルネもいけそうですね。もちろんオーナーは志津屋さんてことで」


 たしかに競馬で走っている馬の名前は変わったものも多い。だからその場合なら『抹茶パフェ』『紫ずきん』もありだと思う。だがしかし、騎馬隊ではどう考えても使えそうにない。


「他に浮かんだ候補は?」

「千枚漬け、しば漬け、ぶぶ漬け、さば寿司、英勲えいくん玉乃光たまのひかり

「飲酒運転はダメです」


 お酒の名前になったところでストップがかかった。さすが元白バイ隊員。なかなかチェックが厳しい。


「馬越さんのそれを聞いていたら、好きな食べ物の質問をしたんじゃないかって心配になってきた。もしかして、お腹すいてる?」

「あ、それはあるかもしれません」


 実は、昨日から興奮して寝つけなかった。寝るのをあきらめてベッドから抜け出して、本を読んだり動画を見たりしながら朝までの時間をつぶしたのだ。それもあって、夜中にスナック菓子を食べたものだから、朝ごはんがお腹に入らずそのまま出勤してしまった次第。ちょっと後悔している。


「せめて、ぶぶ漬けだけでも食べてくるべきでした」

「ま、あと一時間ほどで昼だから。うち、基本は弁当持参なんだけど、今日は持ってきた?」

厩舎きゅうしゃは最寄りのコンビニが遠いって聞いていたので、お弁当を作ってきました」


 眠ることをあきらめて作ったので、今日はそれなりに豪華だ。


「皆さんもそうなんですか? あ、もしかして愛妻弁当持参とか?」


 ヒヒヒヒッと笑ったら、先輩はいやいやと手をふる。


「そりゃ何人かはそうだけど、そうでない人のほうが多いかな」

「……もしかして聞いちゃいけなかったことですか?」


 考えたらバツイチもいるだろうし独身もいるだろう。自分より年上だからと言って、誰も彼もが所帯持ちで奥さんの作ったお弁当持参とは限らない。


「そんなことはないよ。俺はここ最近は弁当の配達を頼んでいるから、もし作るのが面倒ならどうかなと思っただけなんだけど」

「うっわー……すみません」

「え? もしかして誤解されてる? 俺、独身で作るの面倒だから、弁当の出前なんだけど」

「あ、そういうことですか」


 そこで妙な沈黙が流れた。


「なに、その沈黙。もしかして、なにか良からぬことを考えていたのかな?」

「え? いえ、特になにも」


 一瞬だけ、家庭内別居状態で愛妻弁当を作ってもらえない寂しい状態なのでは?と思ったのだが、そこは私だけの秘密だ。


「うーん。なんとなくだけど、とても俺に失礼なことを考えていた気がするんだけど」

「気のせいです。ああ、話がそれましたけど馬の名前ですよね!」


 無理やり話を本筋に戻した。私の考えを読んだのか、先輩は苦笑いを浮かべた。


「まあそういうことにしておくか」

「はい。なにか思いつくためのヒントはありませんか?」

「えーと、馬越さんは独身寮にいるんだよね? その近くの地名なんかどうかな。なにか良さそうなのはないかな?」

「ペパロニとかジャガマヨ?」

「へ?」

「寮の近くにピザ屋さんがあるんですよ」


 とたんに先輩は笑い出した。


「こりゃ、先に馬越さんの空腹をなんとかしないと、馬の名前は出そうにないかな」

「……すみません。これからは朝ご飯は出てくる前にちゃんと食べてきます」

「じゃあ、馬の名前は午後からの課題として、いったん棚上げにしておこうか」

「それでお願いします。あ!」


 突然それらしい名前が頭に浮かぶ。


「どうした?」

「紫ずきんの枝豆つながりで、丹波たんば号ってのはどうでしょう?」


 それを聞いた先輩は、お昼休みが終わるまで、ずっと笑い続けることになった。なぜ?

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