求めるは真実の青

霜花 桔梗

第1話

 放課後。


 わたしは物置になっている旧美術室で独り、油絵を描いていた。この場所は自殺した生徒の幽霊が出ると大騒ぎになり。美術室の移転にまで発展した。それでもわたしは描きなれたこの場所が好きだった。


「ダメだ、青が出せない」


 油絵の青が満たされない。わたしはネットで青の絵具を注文する。この青なら、わたしの心を満たしてくれるかもしれない。


 期待と不安の境目の気分だ。


 ふと、窓の外を見ると、空に雲が流れている。雲のすき間から見える青はわたしの心を癒してくれた。しかし、わたしの求める青は、この空の青でもない。


「渚沙、一緒に帰ろう」


 旧美術室の扉が開くと友達の亜夢が入ってくる。そんな時間か、わたしは片付けを始める。


「ちょい、待っていて」


 うん?視線を感じる、冷たくて寂しい視線だ。まさかの幽霊か……。


 ま、怖くはないが不思議な気分だ。とにかく、友人を待たしている。詮索は後日だ。


 わたしは家に着くとインスタントコーヒーを入れて自室に籠る。角砂糖が一つ入ったコーヒーからは香ばしい匂いがして落ち着く。


 それから、学校の課題など放置してわたしは自画像の写生を始める。キャンバス越しに見たわたしの自画像は空っぽなモノに見えた。わたしは何の為に絵を描いている?そんな疑問の湧くモノであった。これは、ボツだ。わたしは服を脱ぎ鏡に映る裸婦像を描く事にした。それは体の線が細く性的な刺激の無いモノになった。


「これか……この曲線が欲しかった。でも、青が足りない」


 ポツリと呟くが薄暗い部屋にはわたし以外は誰もいない。わたしはキャンバスに描かれた裸婦像を部屋の奥へとしまう。机の上に置かれた冷めたコーヒーを飲み干すと母親が帰ってきたらしい。父親はと言うと地方に単身赴任であった。仕事の忙しい母親の為に夕食はいつも、お弁当が届けられている。母親との会話は少なく、二人で食べると。また、自室に戻る。


 そんな毎日の繰り返し。


 旧美術室の幽霊でも探してみようかな。授業から出された課題をこなしながら、そんな考えが過る。


 スマホのアラームが鳴っている。今日は曇りか……。差し込む朝日は無かったからだ。アラームを止めると机の上の課題をノートに挟んでスクールバックに詰め込む。急がないと時間はない。


 朝ご飯はツナ缶のサラダにして、他にはカロリーメイトを食べる。母親はすでに出勤している。


 ホント、管理職は大変だ。


 ここは空気を読んで、わたしも大学への受験勉強を始めなくてはならない。


 しかし、本当に大学に行く選択は正しいのであろうか?わたしの青が見つからない理由の様な気がする。


 とにかく、登校だ。


 箱買いしたペットボトルを一本バックに入れて家を出る。今日もバスに乗り込むと。小説ではなく、ラフの自分裸婦像を見直す。


 ふぅ、まるで幽霊だな。確かに、細い線は健康的ではなかった。


 この絵はボツだ。


 その後、わたしは小説を読むことにした。この甘ったるい、恋愛小説はわたしには似合わないだろう。この手の小説を読んでいる事を知っているのは友達の亜夢だけである。


『カッチ……』


 スマホが謎の点滅をする。ありゃー壊れたか?


 などと、ブツブツ言っていると。高校前のバス停に着く。


 放課後、誰もいない旧美術室で油絵を描く。テーブルに置かれたリンゴを描いているのに青を求めていた。それは突然のことであった。『ビリリリ』スマホが狂ったように鳴り始める。


 な、なにごと。スマホの音を止めようと手にすると。


『死にたいの?』


 画面は点滅して謎のアプリが起動している。


『死にたいの?』

『死にたいの?』


 これは不味いかもしれない。旧美術室の幽霊か!冷たい体が背中に感じる。霊体が背中に着いたのだ。後ろから抱き着かれているのに左腕を見るとそれは切れていた。腕無し幽霊とは怖いと改めて思う。


 わたしはがばっと立ち上がると。その刹那、顔が確認できたそれはわたしの顔であった。やがて、霊体も消えるとスマホも元に戻る。旧美術室の幽霊が自分の顔で腕まで無いときている。


 これは探偵でも初めて真相を知りたくなった。わたしは亜夢を呼び出して、真相解明だ。


 わたしは旧美術室に残された、絵の整理をしていた。腕無し幽霊の描いたモノがないかだ。無雑作に置かれた油絵から探すのは困難を極めた。


「ダメだ、わたし、今日はパス」


 亜夢がやれやれとの表情である。ここは一旦、捜索を中止して。美術の先生に経緯を聞くことにした。


 そもそも、腕無し幽霊の顔がわたしのモノであったのが気になる。わたしも自画像は幾つか描いている。一枚だけ顔の無い自画像を描いたモノがある。両親の冷えきった関係の仲で、父親の単身赴任で家を出た頃に描いた油絵だ。親ガチャなる言葉があるが経済的理由で言うには大きな間違いである。


「なに、ぼっーとしているの?」


 亜夢が声をかけてくる。


「あ、ごめん、腕無し幽霊の顔の理由を考えていた」

「きっと、鏡でしょう、わたしの推理では顔のない幽霊に鏡の様に渚沙の顔が映りこんだのよ」


 確かにそう考えるのが妥当か。それとも、わたしの日常が幽霊のようと言いたいのかと思う。


 しかし、個性の強い幽霊だな。左腕と顔が無い幽霊だもの。


 結局、一番簡単な美術の先生に話を聞く事にした。現在の美術室は旧定時制の職員室であった。この少子化時代、定時制も合併が進んでいる。また、私立の定時制的な高校も増えたからだ。中に入ると、書類を片付けている人がいた。


「あのー、美術の先生がいますか?」

「はい、わたしですけど」


 よかった、直ぐに会えた。


「少し、聞きたいことがありましてよろしいですか?」

「お役に立てるなら何でも」


 わたし達は旧美術室の幽霊について聞くのであった。


「ごめんなさい、わたしが赴任してきてから、すでにここが美術室だったの」


 あいたたた。そう来るか。仕方ない、旧美術室に戻るのであった。

その途中の事である。亜夢が首を傾げている。


「本当にその幽霊は危険なのかな?」


 確かにそれは言える。だが、幽霊の類はこの世に恨みを持っているから幽霊なのでは?亜夢と二人で腕を組んで考えながら歩く。わたし達が五階の旧美術室に着くと。教室の中にある水道に目が止まる。


 そこにある鏡にわたしの姿が映る。


 これか!


 そう、わたしのこの顔が幽霊の顔であった。確信と共に鏡を外してみる。


 これで幽霊の顔はわたしの顔でなくなる。


ああぁ!!!


 『わたしの顔が、無くなる』


 旧美術室の中に悲鳴のような声が響く。高く積まれた、油絵の中から濃い紅色の水が噴き出す。一瞬、血かと思ったが絵具であった。この事態に亜夢は油絵の積まれた山に蹴りを入れる。亜夢にとって幽霊は恐怖の対象でないらしい。煙の様なモノが立ち上がり、幽霊が可視化される。

その幽霊の顔は長い髪の毛で隠されていた。やはり、鏡が影響していたのか。さて、問題は切れた左腕である。これも何かの縁が関係していると推測される。


「幽霊よ、何故そこまで荒ぶる」

「わたしは殺された。正確には自分で殺した。笑い声の中で左腕に彫刻刀で潰した」


 悪ふざけもここまでくると公開処刑の言葉が浮かんだ。


「わたしを殺した者達は顔が無かった、わたしの描いた自画像はすべて顔を消した、だから顔を貰った」


 大衆の事が時に顔が見えなくなることがあるがその現象に近いのか。そして、死した時に顔も失ったのか。


 そんな事を考えていると。黄昏の夕陽が旧美術室に差し込む。直射日光は流石に幽霊に効くらしく。霊体は消えていく。今日はこれまでか。わたしと亜夢は帰る事にした。帰りのバスの中で想像してみた。腕が潰れるまで彫刻刀で刺した痛さだ。流石に気持ち悪くなった。今日は早く寝よう。それはわたしの本能的な感情からだ。自転車組の亜夢からメッセージが届く。


『明日も旧美術室に行って幽霊と対決だ!』


 少しは怖がれよと思うのであった。


 バスから降りると何かが付いている感じだ。わたしは急いで家に帰ると。塩を振るう。


「ヒーーー」


 体からナメクジの様なモノが離れる。やはり付いてきたか。その塊はやがて、美術室の幽霊に変わる。


「幽霊よ、名前はあるか?」

「な、な、名前ですか?紅崎です」

「は?普通コミュニケーションできるじゃん」


 張り詰めた空気はいっきに和らいだ。


「はあ、わたしは幽霊ですものね」


 驚くわたしに幽霊こと紅崎は困った様子である。とにかく玄関ではなんだ、自室に行くか。紅崎を部屋の中に案内すると。部屋は画材の道具でいっぱいである。その部屋の中を紅崎が舐めるように見る。そうだよな、この幽霊の紅崎は美術部の部員であった。他の人のアトリエに興味を持っても不思議ではない。


「何故、青が無いないの?」


 紅崎は不思議そうにしている。それはわたしの作品には青を使うべき場所が空白である。


「わたしの世界は青が見つからない。きっとわたしは壊れているのだろう」


 ふと、紅崎は『あおいろ』と書かれたる幼児用の絵具をとりだす。わたしは試しに筆を走らせる。


 これだ!


 わたしの探していた、青だ!それはわたしが幼稚園児の時に描いた青だと思い出す。


「あの時の青か……」


 その絵は落款のつもりで黒に塗りつぶしてしまい。幼稚園の先生に怒られてしまった苦い思いであった。


「幽霊よ、いや、紅崎さんお礼せねば」


 わたしは求めていた青が見つかり上機嫌であった。改めて客人とし向かえる事にした。


「わたしの願いは左手が潰れるまで彫刻刀で刺さすことになった。『梶浦』にリベンジしたい」


 少しネットで調べてみると。大学生になっていた。SNSのハンドルネームが変わってない、無防備なものだ。


 うん?教育実習生に行くと自慢している。これは好機、わたし達は明日、亜夢と共に計略を練る事にした。


 そして……。


 職員室の中で教育実習生が紹介されている。


「目標確認、予定通り、作戦Aでいく」


 亜夢からのスマホで連絡が入る。


「よし、出発だ」


 わたしは旧美術室から小会議室に向かう。毎年、この小会議室は実習生の控室になっているのだ。


「あのー梶浦先輩いますか?」

「僕に何の用だい?」


 わたしはもじもじしながら。


「わたし、美術部の後輩です、二人だけでお話がしたいの……」

「おおお、わたしのファンだね、卒業しても、この梶浦の輝きは失われていないか」

「ささ、美術部に向かいましょう」

「あれ?美術室は移動になったと聞いたが?」

「勿論、二人きりになる為です」

「そうか、そうか」

「はい、梶浦先輩」


 でれでれの梶浦は五階まで上がり旧美術室の中に入る。


『カチ』


 わたしがカギをかけると、カーテンが突然閉まる。


「うん?」


 次の瞬間、山の様に積まれた油絵から血が飛び出す。何だ?絵具?違う、血だ!


 そこで紅崎が登場して『死にたい?死にたい?』


「お前は確かイジメ過ぎて自決した紅崎!」


『そうです、冥界からの扉は開きました、あなたは死ぬのです』


「アガガガガ」


 生臭い血の臭いが立ち込めて、梶浦もどす黒い色に染まっていく。


「助けてくれ、助けてくれ」


 自力でガキを開けると小会議室に置いた荷物も持たずに高校から逃げ出した。

「やった、作戦大成功」


 亜夢とグータッチをして、紅崎ともグータッチをする。


「あれ?紅崎さんの左腕がある」


 わたしがキョトンとしていると。


「わたしの無念が終わったのです」


 そうか……。


 「ひょっとしてお別れ?」


 わたしの問に紅崎は顔を横に振る。


「きっと、もっと絵が描きたいのですよ」

「絵か……わたしも描きたい」


 『あおいろ』と書かれた絵具を取り出す。


 これからも沢山絵を描こう。そして、わたしの青はこれだと思うのであった。

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