第12話 彼らは正義の名のもとに両親をオモチャにしたのです

  11:49 アミューズランド


 正午まで、あと少し。

 次の人質が殺害されるまで、もう十分を切る。倫は焦っていた。


 正面玄関の大型モニターから瑚都の姿が消え、JBS内部の映像に切り替わった。ドローンで空撮し、その映像をテレビ電波で生放送しているらしい。

 スタジオやエントランスに集められた人質は皆一様に項垂れている。片隅には無残な死体が押し詰められていた。


 その時、ようやく電話が繋がった。

「もしもし、瑚都?」

 焦る気持ちを鎮めて声を掛ける倫。ヘッドセットに相手の吐息が流れ込んだ。

『放送はご覧になられましたか』

「見たわ。でも瑚都、さっき私と約束してくれたじゃない、もう人質を浄化しないって」

『あくまで条件付きの約束です。政府側が早急に回答をしていただけたら、これ以上の浄化は差し控えます』

「分かった。私も、上に掛け合ってみるわ」

 頭ごなしに被疑者を否定してはいけない。

 いかに無茶苦茶な要求であっても、一旦は受け入れる。倫は腕時計に目を遣った。

 針は十一時五十一分を指している。

「でもね、瑚都。いくら何でもあと九分で決定を出すのは、難しすぎるわ。お願い。もう少し時間をくれないかしら」

『残り九分で決定を出してください。さもなければ予定通り人質を一名、浄化します』

 浄化の様子もテレビで放送するつもりだろう。

 殺人が行われる様を公共の電波で生放送するなど前代未聞だ。警察として、それだけは阻止しなければならない。


「ねえ瑚都。お腹減ってない?」

 倫の唐突な話題転換に、心理分析班の上柿も眉を寄せた。

「もうすぐお昼よ。瑚都たちも、お腹が減ってきたんじゃないかなって。心配になってさ」

『食事の件は先程の電話で話が着いていたはずです。秋瀬さんは別館の社員食堂の使用を認めてくださいました』

 それがね、と倫は困ったような声を作った。

「十時二十分に警察がJBS周辺を封鎖したでしょ。だから一般車両の出入りは出来ていないの。つまり、食材の仕入れトラックも入っていない」

 瑚都は黙って聞いている。慎重に言葉を選ぶ倫。

「人質が130人、それに瑚都たちだけでも50人以上はいるよね。今、別館の食堂には全員分の食糧はない。仮に瑚都たちだけが食べたとしても、それでも足りないと思う」

 倫から取引を持ち掛けようとしている。

「食事の用意、私が警察側かれらに掛け合ってみる。だから瑚都は人質の浄化を止めてほしいの」


『もう一つ』


 瑚都は呟いた。ん? と倫が聞き返す。

『ジャミング電波、出していますよね。私たちの携帯電話が圏外になっています。ネットユーザーからも広く意見を求めたいので、今すぐジャミング電波を解除してください』

 犯人を警察以外の人間と接触させないため、広報チームが犯人への情報を遮断する。ジャミング電波で通信機器の使用を妨害するのがセオリーだ。

「分かったわ。食事と、ジャミング電波の解除。掛け合ってみる」

『ただし九分後に携帯電話が使えなければ、予定通りに一名の浄化を実行します』

 倫は他の捜査員に目配せし、指揮本部への連絡を促す。


「ねえ瑚都。もう少し、お話できないかな」

 瑚都は『構いませんよ』と承諾した。声の奥に人を試すような笑みが隠れている。

「特定班が、瑚都の事を調査したの。やっぱり神矢正敏、神矢恭子の娘だったんだね」

『やっと、信じていただけましたか』

 微かに瑚都の声に明るみが差した気がした。

『九年前の事、覚えていますか』

「覚えているわ。あれだけニュースになった事件なんだから」

『あれは七月八日、月曜日の事でした』


 港区一家五人強盗殺人事件。警察が正式に発表した事件名だ。

 当時、交番勤務だった倫も人員の増援のために急遽捜査員に抜擢された。

 東京都港区の住宅で家族五人の遺体が発見される。被害者は大手銀行の品川支店長を務める板倉亮太いたくら りょうた(42)・妻の歩美あゆみ(38)・長男の優斗ゆうと(9)・次男の陸斗りくと(7)・長女の杏梨あんり(3)。


『私の両親が、五人を殺したの。包丁で刺して』

「知ってるわ。私も資料もたくさん読んだ。だから瑚都の事も知っていたの」


 地域課警官は直ちに東京湾岸警察署へ応援を要請。

 捜査員の調べでは、玄関で倒れていた板倉氏は全身八か所の刺傷があり、肺まで達する胸の傷が致命傷になっていた。

 リビングでは長男と次男が死んでおり、キッチンでは妻が長女を守るよう抱えて絶命していた。長女だけは首を絞められて死んでいた。


『恨みがあった訳ではありません。ただ、私たちよりも幸せな生活を送っていた。それだけです』


 周辺住民の話では、午前十一時過ぎ頃に板倉宅から激しい物音が聞こえたという。正午頃には、現場周辺でリュックを背負って歩く中年の男女が目撃されていた。

 警察は目撃情報から神矢正敏(40)・妻の恭子(39)を重要参考人として任意同行して事情聴取。

 後日、現場に残された毛髪と恭子のDNAが一致し、両名を逮捕。


『それはもう、当時は騒がれました。鬼畜の所業だと』


 神矢夫妻は玄関から侵入するも板倉氏と鉢合わせた。

 正敏は包丁を出して脅迫するが板倉は怯まず。通報しようとした板倉の携帯電話を奪おうと揉み合いになり、包丁が板倉の腹部に刺さる。まだ息のあった板倉の胸部を恭子がさらに刺した。

 騒ぎを聞きつけた兄弟を追ってリビングへ行き二人を刺殺。

 キッチンに隠れていた妻の背中を四箇所刺し殺害。抱えられていた長女・杏梨を恭子が扼殺。

 神矢夫妻は一家殺害後、金品を強奪。

 さらに冷蔵庫の中身を食べられるだけ食べてから逃走。


 逮捕後、二人は「顔を見られたから殺した」「娘のために捕まれない」と証言。

 また恭子は「幸せな家庭に嫉妬した」とも答えた。


 神矢夫妻は空き巣の常習犯だった。

 事件の前年の十二月、神矢正敏は日雇いの仕事の帰りに空き巣を決行。現金や貴金属20万円相当を盗み出した。

 以降、妻・恭子も加わり六件の空き巣を繰り返した。


『夫婦による一家殺人事件。マスコミにとって絶好の獲物でした。彼らは正義の名のもとに、両親をオモチャにしたのです』


 一家五人惨殺。

 メディアが事件を煽り、神矢夫妻や過去を根掘り葉掘り公開する。


 一昔前に『オウム成金』という言葉がテレビ業界にあった。

 オウム真理教関連の番組を作ると視聴率が伸び、スポンサーが取れるという仕組みだ。

 当時のテレビはこぞってオウム関連の番組を作り、麻原彰晃元死刑囚の娘たちや信者に強行取材をおこなう事もあった。


 瑚都の両親の時も本質は同じだ。

 神矢夫妻の特集をすれば視聴率が稼げるので「傷害の前科がある」「虐待を受けて育った」「子供を虐待している」と嘘の報道も行なった。


『だから、私の事も誰もが知っている。マスコミが、私を、神矢瑚都を、悪魔として紹介したから』


 瑚都の顔写真も公開し『悪魔の子供』として紹介。

 我儘で残酷な性格だった、と近隣住民の取材をでっち上げた。そのせいで瑚都は養護施設をたらい回しにされた。


「けれど、瑚都のご両親はただの私利私欲で人を殺した訳じゃなかった。動機は、取り調べで証言していたよ」


 事件から一年半前、神矢正敏は十五年勤めた会社をリストラになり、一家は路頭に迷った。

 そこで初めて空き巣を決行したのが始まりだった。

 娘を食べさせてゆくには犯罪に手を染めるしかない、と神矢正敏は証言した。


『しかし証言は報道されませんでした。メディアは両親を徹底的に悪として紹介したかったのです。その方が、面白いではありませんか。視聴率が取れるではありませんか。報道された両親は真実の姿ではありません。メディアのせいで、両親は殺されてしまうのです』


 メディアにより夫妻は極悪人のレッテルを貼られた。

 第一審の裁判員裁判では死刑判決。二審でも、世論の反発を恐れた高裁は死刑判決を覆さなかった。

 そして上告を棄却され死刑確定。


「つらかったのね瑚都。今まで、ずっと」


 捜査を進める警察も、起訴後の検察も、神矢夫妻を絶対悪として糾弾した。裁判でも情状酌量の余地など認められなかった。

 国民と国家機関を扇動したのは、メディアだった。


「もしかして、瑚都。あなたの目的は、メディアへの復讐……」

 ヘッドセットの奥からくぐもった笑い声が漏れ出した。

『あの頃は、JBSの方々にも好き放題言われましたから』

 やはり、か――。

 倫は親指の爪を噛んだ。瑚都は両親を死刑囚にされ、自らを『悪魔の子供』とレッテルを貼ったメディアを憎んでいる。


「秋瀬さん。見てください」

 上柿がガラスの向こうに目を向けていた。

「人質に動きがあります」

 二階の渡り廊下に人質たちが歩いている。後ろから自動小銃を構えた少女たちも見張っていた。

 人質たちは両手を上げ、青褪めた表情で下を向いていた。

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