第9話 そのような重傷者はこちらで浄化しておきました
10:59 アミューズランド
「聖フェミア女学院、か」
ぼそりと倫は呟いた。
たった今、渋谷署の指揮本部から連絡が入った。あの制服から犯人特定班が割り出したのだ。
そのようですね、と上柿も言った。
「昨年の女子高生失踪事件があった学校ですよ。ニュース覚えています」
昨年、聖フェミア女学院の生徒が失踪している。
行方が分からなくなったのは
学園祭準備をしていた三人だったが、夜九時を過ぎても帰宅せず、全員携帯電話も不通だった。
深夜になって木下瑞穂の両親が警察に捜索願を出すが、それから一週間経っても手がかりすら掴めなかった。
千葉県警は家出・誘拐の両方の線で捜査を開始。
しかし一年以上が経過した現在でも、三人の行方は分からないままだ。
「秋瀬さん。指揮本部から緊急連絡が入りました」
上柿がヘッドセットを押さえて声を張る。
指揮本部によると、聖フェミア女学院の学生課に問い合わせると、たしかに『神矢瑚都』という生徒が特進科の三年生に在籍しているらしい。
「やっぱり。あの神矢瑚都という少女は、本物」
その時、仮設本部の電話が鳴った。
捜査員たちに緊張が走る。この電話は犯人グループとのライフライン。倫は小さく息を吸ってからヘッドセットの受話ボタンに触れた。
「……もしもし」
耳の奥へとクスッと笑い声が届いた。鼓膜を擽られるような寒気が背中まで這ってゆく。
『初めまして。神矢瑚都です』
雪解け水のように透明で冷たい声。
ヘッドセットで聴いていた捜査員たちの表情が凍る。
「こちらこそ初めまして。警視庁捜査第一課の特殊事件捜査係、秋瀬倫よ。電話をかけ直してくれて、ありがとうね」
人質交渉では犯人を刺激しないよう親密に話し掛ける。
若年の被疑者相手には、あえて砕けた口調で話すのも交渉テクニックの一つだ。
「大丈夫? 怪我はない?」
『ええ、私たちは無傷です。一般の方々は42名ほど亡くなられましたが、浄化された魂は永遠の安息に包まれている事でしょう』
浄化。
瑚都は当然のように使った言葉。しかし捜査員たちは顔を顰める。
「あなたの事は、何と呼べば良いかしら」
『上の名前でも下の名前でも、お好きにどうぞ』
「分かった。それなら『瑚都』って呼ばせてもらっても良い?」
どうぞ、と瑚都は囁いた。
倫は下の名前で呼ぼうと試みた。その方が親密な関係を早期に築けるし、あの『神矢』という名前を呼び続けるには気が進まなかった。
「今、少し話せるかな」
『もちろんです。ゆっくりお話ししましょう。秋瀬倫さん』
大人びた口調。本当に十八歳の高校生なのか。
『外、ずいぶん騒がしいですね。SITの皆様が待機しているようですが、何時何分に突入をお考えでしょうか』
「安心して瑚都。誰も突入なんてしないから」
交渉で突入を示唆する話題は厳禁。警察側は『一発の銃弾も撃たずに』事件を解決するのがセオリーだ。
「彼らはただの見張り役よ。瑚都たちを力ずくで押さえつけるような事は考えてないわ」
被疑者との交渉において、同じ警察官でありながら戦術チームを『彼ら』と呼ぶ。
逆に交渉チームと被疑者の事を『私たち』と表現する。
親近感を与えるためのテクニックだ。
「瑚都、私たちで話をしよう。いったい何が起きたの?」
コンタクトに成功したら『目的は何だ』と責め立てず『何が起きたのか』と問い掛ける。
『私たちは死刑囚の解放を要求しています。本日JBS放送センターのお越しの方々にも、ご協力していただいております』
穏やかな声。
追い詰められて人質を取った立てこもり犯とは根本から違う。
「死刑囚を解放して、瑚都はどうしたいの」
『我々清教徒による浄化です。死刑など、穢れたままの魂を解き放つだけ。つまり我々の目的は全死刑囚の浄化、という事になります』
「なるほど。瑚都たちは全ての死刑囚を浄化したいんだね」
話を聞き、相手の言葉を復唱するアクティブリスニングという手法を取る。この時、どんな事を言われても否定してはいけない。
そこで心理分析班の上柿がメモ紙を見せてくる。
質問内容のリクエストだ。そこにはボールペンで、こう走り書きしてあった。
【港区の強盗殺人の件】
倫は上柿のメモを見つつ、言葉を選んで訊いた。
「死刑囚。もしかして、ご両親の件と関係があるのかしら」
『ふふ。私の名前で、分かりましたよね』
こもった笑い声。耳の奥が擽ったい。
「あなたのご両親は死刑が確定して拘置所にいる。本当はご両親を助け出したくて、こんな事をしているんじゃないのかしら」
『さあ、どうでしょう』
愉快そうにはぐらかす瑚都。すると不意に瑚都が呼び掛けた。
『秋瀬さんにお願いがあります。こちらの人質は生存者148名。昼以降には疲弊と消耗が憂慮されます。そこで後ほど食事をさせていただきたいのです。別館の食堂を利用する間、SITの方々が強硬手段を取らないよう
「分かった。
被疑者の要求を飲むか否か、交渉チームに権限はない。だから被疑者には『指揮本部に相談する』という回答しかしない。
「その代わり、私から瑚都たちにもお願いがあるの」
相手からの要求に対し、必ず警察側からも交換条件を出す。
次からの要求をエスカレートさせないため、決して被疑者を交渉上で完全優位には立たせてはいけない。
「これ以上、一般の人を浄化するのは止めてほしいの」
『明確な約束は出来ません。
瑚都は明確な線引きをしている。冷静である分、感情に訴えかけるのが困難なタイプだ。
「せめて怪我人だけでも解放してほしい。今手当したら助かる人もいるでしょう」
『安心してください。そのような重傷者はこちらで浄化しておきました』
淡々と答えた瑚都。倫のこめかみから冷や汗が垂れる。
「じゃあ子供だけは帰してあげない? いくら何でも、可哀そうだと思うの」
倫が言ったきり、ヘッドセットからは無音だけが広がってゆく。瑚都は黙り込んでいた。緊張が広がってゆく。
そして瑚都の声が届いた。
『子供たちの魂は穢れが浅い。まだ我々が浄化するまでには至らないでしょう』
はっと倫は顔を上げる。「それじゃあっ」
『十二歳以下の子供を解放します』
「ありがとう。瑚都」
瑚都は『またお喋りしましょう』と通話を切った。
十分ほどして、正面玄関のバスの脇から幼い子供たちが出て来る。
皆、泣きじゃくっていた。恐怖から解放された安堵の涙だ。赤ん坊を抱いて駆けて来る少年もいた。
彼らは待機していた機動隊の
一息ついた倫。
しかしまだ安心するには早い。解放された子供たちは17名。まだ131名もの者が建物内に監禁されている。
未成年の武装集団による、政権のトップを含む131名を巻き込んだ人質事件。
しかもすでに42名の死者を出している。
「これは、ただの立てこもり事件じゃない。テロ事件よ」
アメリカ国防総省では、テロとは『政治的、宗教的、もしくは特定の
少女たちが望む『死刑囚解放』、『浄化』と呼ばれる殺人行為。まだ彼女たちの思考と思想の全貌は分からない。しかし目の前で繰り広げられている惨劇はテロリズムそのものだ。
「上柿君。死刑囚を浄化するとして、神矢瑚都たちは何が目的でここまでやるの」
「まだ彼女らの
テロの起きるメカニズムは、まず理不尽や不平等によって
つまり彼女らの不満が分かれば行動理念が見えてくる。
「神矢瑚都をはじめとする、他の少女たちの個人情報も必要です。彼女たちは今までに、社会へ対する何らかのメッセージを送っていたのか。それを探らない限りは、動機もはっきりしません」
「聖フェミア女学院に個人情報の提供を求めましょう。何十人分になるか、分かったもんじゃないけど」
要求を無視されると
瑚都は自らによる殺人を『浄化』と肯定表現していた。まさしくテロリストの思考だ。
倫はエントランスへ目を細める。そしてぽつりと溢した。
「え、嘘」
割れたガラスの向こうに、見知った者の横顔が見えた。
今、そこにいるのか。家永達哉。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます