第4話 日本の皆様、おはようございます

  10:34 渋谷区 アミューズランド


 警視庁の被害者対策班は、現場近隣のゲームセンターに仮設本部を置いた。

「犯人は複数。銃器を所持している模様」

 報告を受けた秋瀬倫あきせ りんはガラス越しにJBSを覗き込む。


 正面玄関に大型バスが突っ込み、そこら中の窓ガラスが割れて寒風が吹き込む。

 中の人質たちが身を寄せ合っていた。フロアには何人も倒れている。血痕のような汚れも見えた。

 今すぐ救出しなければ手遅れになるのは分かっているのだが、どうしようも出来ない。


 割れたガラスの間から見えたものを目にし、倫は口唇を噛んだ。

 幼い少女たちだ。

 学生服を着て自動小銃で武装している。目視できるエントランスだけで十人以上いる。

「被疑者との連絡は?」

 倫が横目に言う。

 はいっ、と答えたのは心理分析班の上柿うえがき高志たかしだ。ヘッドセットを装着し、長机に設置した機材に片手を掛けている。

「オフィスの内線に繋いでいます。しかし応答がありません!」

 倫はJBSのビルを睨みつけた。

 背中に『POLICE 警視庁』と印字されたジャンパーのファスナーを閉める。

 ここからが特殊班の本番だ。


 午前十時十七分。

 警視庁の機動捜査隊から「立てこもり事件発生」と要請を受ける。渋谷署に指揮本部が設置され、刑事課長・捜査一課長・理事官・各班のキャップが集まって任務を統括する準備を整えた。

 そして誘拐・人質事件の専門である警視庁捜査一課の特殊事件捜査係SITが出動したのだ。


『周辺道路の封鎖。一般人の退避。完了』

 無線から連絡が入る。

 倫は「分かりました」と短く答える。

 このゲームセンターは現場建物の斜向かい。何らかの動きがあればすぐに対応できる。ゲーム機材を押し退け、窓際に仮設交渉本部を置き、倫たち人質交渉チームと上柿たち心理分析チームが持ち場についた。

『戦術チーム、総員配備完了』

 被疑者制圧を専門とする戦術チームも準備が出来たようだ。

 JBSを取り囲むように特殊装備の隊員たちが待機している。建物上空にはヘリコプターが屋上近くまで接近し、被疑者たちを陽動している。


「彼女たちは何者なの」

「まだ分かりません。制服を着ている事から、学生の集団である可能性もあります」

 上柿の返答に、倫は「まさか……」と口元を歪めた。

 少女たちは本物の銃器で武装している。それも拳銃ハンドガンではなく、軍用の自動小銃だ。

 しかも五階、七階、九階の窓から細長い銃身がいくつも突き出ている。狙撃銃スナイパーライフルだ。

『狙撃チーム、配備完了』

 警察側も周辺のビルに狙撃手が待機した。狙撃チームの役割は被疑者の射殺よりも、犯人グループの監視に重点を置く。

 あとは広報チームが被疑者たちへの情報を遮断して外部から隔絶させる。立てこもり事件では、犯人たちに『警察と対話しなければ展開がない』という状況を作るのが先決だ。


「秋瀬さん、内部との通話が繋がりました」

 広報チームから連絡が入った。

 倫はヘッドセットを取り、大きく深呼吸して精神を研ぎ澄ませた。ここからは倫の言葉一つで人命が左右される。


『……あ、ああ。警察か?』


 嗄れた男の声だ。

 倫は平静を努めて第一声を発する。

「もしもし。私は警視庁捜査第一課の特殊事件捜査係、秋瀬倫です」

 まずは自分の名前と所属を明らかにし、被疑者との対話できる精神状況を互いに共有しなければならない。

「今、話は出来ますか?」

『は、早く助けてくれ!』

 様子がおかしい。電話口の男は犯人グループではないのか。

「あなたを何と呼べば良いかしら」


『喜代田だ……』

 キヨダ。たしかJBSの社長の名前だ。


『お願いだ。命だけは』

 喜代田社長が犯人の代わりに電話口に出されている。

「安心してください、警察が救出準備をしています。喜代田さん、怪我はありませんか」

『は、あぁ。指がぁ』

 テロリストにとって、警察との交渉材料に重要なのは人質の『生命』のみ。交渉材料として、人質の指や耳を切り落とす事も珍しくない。

 しかも人質は一人ではない。交渉がスムーズにゆかなければ、見せしめに人質を何人か殺害する事も考えられる。

「喜代田さん、何が起きているのですか。話せる範囲で教えてください」

 倫が問い掛けると、電話口の背後で何やら話し声が聞こえた。少し間を開けてから喜代田の声が返ってきた。

『モニターだ。モニターを見てくれ』

 倫が顔を顰めると、上柿が「秋瀬さん!」と声を荒げた。

「正面玄関です。大型モニターを見てください」


 正面玄関の大型モニターに映っていたカラーバーが消えている。

 暗転していたかと思うと屋内が映し出された。横長テーブルが据えられている。奥には『憲法改正の是非を問う』と表示されていた。

 上柿が声を顰める。

「誰か、来ました」

 画面右側から一人の少女が現れた。

 肩に掛かる長い黒髪、洗練されたような上品な歩き方。彼女は音も無くテーブルに着いた。

 薄暗いセットに座って一礼する少女。彼女はその口を穏やかに笑ませた。


『日本の皆様、おはようございます』


 少女の声が大型スピーカーから発せられ、渋谷の街に響き渡った。静謐で澄んでいながら意志の強さを感じる声。鼓膜を擽られる感じ。


『はじめまして。私は、カミヤコトと申します』


 カミヤコト。

 彼女の名前を聞いて、倫は戦慄した。上柿や他の交渉チームの面々も「カミヤだと」「まさか」と騒然となった。


 神矢瑚都かみや こと

 その名は誰もが知っていた。

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