96.ただいま


 ここはどこだろう……。


 起き上がって窓から外を見ると、暖かそうな日射しの下に牧歌的な村の田園風景が広がっていた。

 宿の内装は素朴ながら手入れの行き届いている清潔な部屋で。

 よく見ると、部屋の片隅に私の女剣士の服が吊るされている。


 あれ確かずぶ濡れにしちゃったやつだよね。

 ……あ。

 思い出した。ここ、リディルの宿だ。

 ハヤトと来た時と同じ部屋。そういえばあの服、ここで干したんだった。


 今は空が晴れていて明るいから、あの時とはだいぶ村の印象が違うけど……。

 そっか。私、魔力切れで気絶してここに運ばれたんだね。


 一瞬、これまでのあれこれは夢だったんじゃないかと思ったけれど――私の左腕には自分を魔道具化した時の魔法陣が今でも残っているので、全て実際にあった事だと思った。

 不思議なことに、刃物で直接刻み込んだのにも関わらず血のような赤さではなくて普通にインクで描いたような黒い色の魔法陣になっている。

 まるで自分と彼氏の名前をタトゥーにして入れている人みたいな……。

 いや、それよりも重症度は高い。だって実際に魔法効果がある訳だから。

 この魔法陣が腕にある限り、私はいつでもハヤトの思い通りに動く道具になり得る。しかもそれに対して“私、あの人に支配されちゃってるの……?”とキュンとしてしまっている。これを重症と言わずに何と言うのか。

 

 ともかく――全ては終わった。

 空は晴れているし、枯れかけていた木や草花も元に戻っている。

 女神様もこれまでと変わらない性格でいられるらしいし、私達も元の生活に戻れるよね。

 

 とりあえず、ジェネリックハヤトに着せられたスリット入りのタイトな黒ドレスを脱いでカルロス姐さんの剣士服に着替えることにした。

 肩からドレスの肩紐部分を落として素っ裸になる。その時ちょうど背後で扉が静かに開いて、そしてすぐに閉じた。


 ……タイミングの悪い人。


 急いで服を着て、ついでに髪も直そうと鏡を覗いた。

 あ……金髪に戻ってる。

 あの時は無我夢中すぎてスルーしちゃったけど、まさか私まで変色してしまうとは……。貴重な体験をしたものだね。


 ささっと身だしなみを整えて扉を開くと、廊下では案の定ハヤトが顔を真っ赤にして突っ立っていた。


「もう……。いい加減慣れたらどうですか? 何回も見てますよね?」


「そんなに見てないよ……。ごめん」


 なぜ私の方が慣れてしまっているんだろう……。心が穢れているせいかな。

 ノックすればいいのに、と思ったけれど、今回に関してはきっと眠っている私を起こさないように気遣った結果なのだ。仕方ないよね。

 

「いいですって。とにかく、入って来て下さい」


 腕を取って室内に引きずり込んだ。

 扉を閉めて、改めて向き合う。

 

「体は大丈夫なんですか?」


「もう、すっかり。……アリーシャは?」


 そういえば裂傷だらけだった私の体は腕の魔法陣を除いてもう全く傷一つなく、綺麗に治癒している。

 きっと『世界を癒した』時に私の傷も一緒に癒えたのだ。

 ――女神様、ありがとう。


「私も大丈夫です」


「……良かった」


 そう言って微かに笑う彼の表情はどこか陰りがあるものだった。

 

「顔、見せて下さい」


 なかなか目を合わせてこない彼に焦れて催促すると、おそるおそる視線をこちらに向けてきた。

 よく知ってる色合いの、金色の瞳。世界で一番大好きな人。


「本当に貴方なんですね……。良かったです」


「うん……」


「おかえりなさい」


「……ありがとう」


 何だか様子が変だ。

 私に対して気を置いているようにしか見えない。

 大体、おかえりなさいって言われたら普通はただいまって返すものなのに“ありがとう”ときた。

 もしかして、今回の事を後ろめたく思っているのかな。

 自分のせいで色んな人に迷惑をかけた、って。


 そりゃあ大変だったのは確かだけど、貴方が悪い訳じゃ無いのだし。

 第一、解決に導いたのは他でもない貴方自身なのだから……もっと普通に振る舞ってほしいな。

 こっちは元の貴方に会いたくて必死だったんだからね。

 

「あの、いつも通りにしてくれると有難いのですが……」


「でも」


「元の生活に戻りたいんです。……お願いします」


 すると彼は「……分かった」と言って、大きくため息をついた。


「でも、本当にごめんね。……俺、君や家の人達に大迷惑をかけて」


「いいんじゃないでしょうか。多分、うちが絡んでなかったらもっとひどい事になっていたと思いますし。これで良かったんだと思いますよ。……きっと、運命だったんです」


「……運命か」


 彼は一瞬遠くを見るような目になって、それから私の腕に視線を向けた。


「ああ、これ? 気になります?」


 ブラウスの袖を捲って、ちょっと恥ずかしい愛のタトゥーを見せてみた。

 

「……これ、消えないの?」


「そうですね……。インク等で描いたのではなく、皮膚に直接刻み込んでしまったので……消えない気がします」


「マジかぁ……。これ、良くないよね。入れ墨みたいだし、第一、俺が何かの間違いで起動しちゃったらまた大変な事になるよ」


「そうなのですが……。消えないものは仕方ないです。隠蔽魔法で隠せますし、別に問題ありません」


「問題あるよ。消せなくてもせめて無効化できないか考えよう。文字を足したりすれば何とかなるかな。でも下手に実験とか出来ないもんなぁ……帰ったらクリス様に相談しよう」


「お兄様に……。はい、そうですね」


 そういえば、王都は今どうなっているのだろうか。

 黒髪のハヤトがプリンを買いに行ってくれた時は「落ち着いている」と言っていた。

 プリンを販売できるくらいなのだから実際落ち着いているんだろうけど、早く帰って自分の目で確かめたいな。


「では早く王都に戻りましょう」


「あー……。そうだね。そうしたいんだけど……」


「けど?」


「みんな盛り上がっちゃっててさ」


「みんな?」


「今回協力してくれた人達と、村の人達。今夜、村を上げての宴会をするんだってさ。村長が張り切って準備してるよ。俺も一応……領主ってことで、みんなを労う必要はあるかなって」


 あら。

 領主の自覚。

 将来はここで生きるんだっていう意思が貴方の中にあるんだ。

 ……嬉しい。


「確かに必要な事ですね。では出発は明日にしましょう」


「アリーシャも宴会に出られる?」


「もちろんです。これが出来なくては領主の妻は務まりませんからね!」


 という訳で、村長に村の案内をして貰いがてら宴会の打ち合わせに行くというハヤトを見送り、私は張り切って教会で行われている宴会料理の手伝いに突撃した。

 でも奥様方に「そんな乳が半分出たような格好してたら気が散ってしょうがないよ! 服貸してあげるから着替えといで!」と言われて、村娘――ディアンドルっぽい若草色の服を渡されて追い出されてしまった。

 しょんぼりしながら宿に戻ると、同じ宿に部屋を取っていたベティと鉢合わせた。

 お互いの無事と健闘を喜び合っていたら、手元に持っていた服を覗き込まれて「なにそれ」と訊かれたので経緯を説明する。と――


「なんちゅう無礼な人達なのー!? オバちゃん達、アリス様が領主の奥さんかつ救世の聖女って知らないんじゃないの!?」


 と言った。


「救世の聖女? なんですか、それ」


「アリス様のことだよ! みんな言ってるよ!? 聖なる光を纏って銀髪になったアリス様が魔王城の屋根の上から放った聖なる光! あれが世界を救ったところ、みんな見てたんだから!」


「魔王城……」


 色々ツッコミ所はあるけれど、魔王城って。

 あれ、色は違うけど形は我が公爵家と同じなんだよね……。

 ここにいる人達は知らなくても無理はないけど、これ、お父様に報告と相談をした方が良い案件かもしれない。


 悶々と考え事をしながらディアンドル風の服に着替えて村娘になりきり、改めて料理の手伝いに向かう。

 今度は受け入れてくれた。

 野菜を切ったり洗い物をしたりしていると、奥様方がぽつぽつと話しかけてくるようになってきて。


「アンタ、冒険者なんだよね? 戦いに参加していたなら救世の聖女って人も見たのかい?」


「さ、さあ……見てはいないかもしれないです」


「それ私です」なんて言えない……。

 だって私、聖女ってキャラじゃないもの。ほとんどはハヤトの功績だし、何より恥ずかしいからその話題にあんまり触れないでほしい。


「見てないのかい。まあアンタそんなに強そうではないもんね。前線じゃなくて後方支援ってところかな。若いし器量良しなんだから、大怪我する前にいい男見付けて早いとこ結婚しなさいよ! ……あ、もうしてるのかい?」


「まだですが、婚約中です」


 うふふふ……と薄ら笑いを浮かべながら料理をし、新婚生活の妄想をする。

 

 厨房の窓から空が見える。

 赤くなってきて、夕方が近い空。

 まだ明るさの残る空には早くも一番星が浮かんでいて色彩が豊かだ。

 再びこの空を見る事が出来るのを、改めて嬉しく思う。


「……あら?」


 ふと、気が付いた。

 私の髪の毛が……毛先だけ銀色に変色している。

 あの人の道具になった影響かしら……。

 というかそれ以外あり得ないよね。

 腕に術式がある以上、このくらいの事はあってもおかしくはない。

 ま、いっか。

 

 暗くなる前に男衆が村の中心部に松明を焚きテーブルを並べてくれたので、そこに女衆が料理を運び並べていく。

 村人達や冒険者達は既にお酒で出来上がっていてご機嫌だ。

 冒険者の彼らは私を見た瞬間「救世の」と口にしかけたので、口元に指を当てて「しーっ」とやったら黙ってくれた。

 しばらくして日が完全に落ちた頃ようやく村長と銀髪になったハヤトが現れると、真っ先に奥様方がざわめき始める。


「え? あれが新しい領主様?」


「そうらしいよ。まだ若いけどステュアート公爵に見初められて、お嬢様の結婚相手に選ばれたんだって。平民から一気に子爵だよ。凄いねぇ」


「へぇー。ステュアート公爵が囲ってるのかぁ。あの顔だったら囲いたくなるのも分からなくもないねえ。でも、元平民って本当かい? 所作も訓練されてきた人みたいに綺麗じゃないか。余程大事にされているのかな」


 なんだか誤解がある気がする……。

 彼の所作が綺麗なのは元々だし、お父様だって顔を気に入ったから囲ったって訳じゃない。彼の妹がうちに嫁ぐから体裁を整えるためにそうしただけなの。

 ……そうだよね? お父様。

 お父様は私とちょっと性格が似ているから、信用して良いのかどうか迷う。

 

 宴の参加者達に声をかけて回るハヤトを遠巻きに眺めていたら、彼がふっと顔を上げた。目が合った。

 私が村娘に扮しているとは思わなかったようで、口をぽかんと開けて驚いている。

 ふふっと笑って人差し指を立て“内緒にしてね”のサインを送ると、彼は片手で口元を隠し目を逸らしてしまった。そして、何事もなかったかのように挨拶に戻って行く。

 私も給仕に戻り、奥様方から「アンタもういいから宴会に混ざっておいで。後方支援でも戦の功労者だろう?」と言われつつも宴の後方支援に徹した。

 だってお酒、飲まされたくないもの。

 絶対失敗するもの。

 これは遠慮でもなんでもなく、これまでの経験から学んだ結果“給仕の方が安全だ"と判断したまで。

 いつかはお酒に慣れないといけないとは思うけど、今はまだ、ね。

 

 広場と教会の台所を往復してせこせこ働く私を領主様は見かねたらしく、ぐいと腕を引っ張ってきて木陰に連れ込まれてしまった。

 

「ちょっと。何やってるの?」


「お手伝いです」


「見れば分かるよ。でも俺が参加してって言ったのはそっちじゃなくて――ああ、もう。色々言いたいことはあるけどさ、挨拶は一通り終わったから宿に戻ろう? あとは村長さんがやってくれるから」


「いいんですか? 後片付けとかは」


「村のお姉さん達にお任せしよう」


 そう言って私の腕を引き、村長さんに声を掛けてから宿に引き上げる。

 私も奥様方に挨拶しに行くと、彼女達はハヤトと並んだ私を見て色々と気付いたらしく「ヒッ」と小さな叫びを漏らして縮こまってしまった。

 

「私、怒ったりしないのに……」


「はいはい。いいからおいで。一応俺と別の部屋にしてもらったけど大丈夫? 夜、怖くない?」


 この人は私を何だと思っているのだろうか。

 夜を怖がるなんて子どもみたいな――あ、そうか。

 ここ数日の経験で“そう”なってもおかしくないと思われているのか。

 部屋の前で立ち止まり、じっと見上げてたずねる。


「怖いって言ったらどうするんですか?」


「……君が眠るまで、一緒にいようかなって」


「じゃあ……そうして下さい。私、夜が怖いです」


 ちょっとズルい気がするけど、もう黙って居なくならないって思えるようになるまで甘えさせてほしい。

 一緒に部屋に入ると、灯りを点ける前に突然後ろから手が回ってきてきつく抱きしめられた。


「どうしたんですか?」


「ありがとう、アリーシャ。俺、君のことが本当に大好きだよ」


「え、ちょっと。本当にどうしたんですか?」


 なんか珍しい感じ。

 ついさっきまでキリっとしてたのに急にデレ始めた。

 腕の中で回れ右して向かい合い、首に腕を回す。


「私も大好きですよ」


「本当に?」


「当たり前じゃないですか」


 こつんと額がくっつく。

 な、なんだか顔の距離が近いような……。

 急に頬が火照り出して目を見られなくなる。

 耐えられなくて目を逸らすと頬にキスされた。

 いつもならキャッキャってするところだけど、今回は何か違う。

 夜の気配に当てられてか、雰囲気がどこか濃密というか……官能的だ。

 私も彼も、死線を潜り抜けたばかりで感情が高ぶっているのかもしれない。

 

「ね、ねえ……」


 話を逸らそうとしたけれど咄嗟に話題が出てこなかった。

 言葉に詰まった私に彼はまたキスをしてくる。さっきより口元に近い。


「……これ、可愛いね」


「え?」


「村の女の子の格好」


「あ、ああ! そうですよね、私も可愛いと思います。……貴方はこういう服の方が好きですか?」


「いや。君が着ているなら何でも好き」

 

 ある意味無頓着……。

 どきどきが治まらないまま、静かに唇が重なり離れて行く。


「……ごめんね」


「どうして謝るんですか?」


「キス、しちゃったから」


 やっぱり今のそうだったんだ。

 気のせいかと思った。

 今さらな気もするけど、ちゃんとキスをしたのは初めてだからね。

 なんだか恥ずかしい……。


「これからは解禁するんですか?」


「解禁って。……まあ、ちょっと心境の変化があってさ」


「どんな?」


「上手く言えないけど、今日という日は二度と返って来ないんだなっていうのが身に染みたというか……。そんな感じ」


 一時的とはいえ死を体験してナイーブになっているんだね。

 もしかして、夜が怖いのってむしろ貴方の方なんじゃないのかな。

 

 貴方を失うのが怖い私と、夜が怖い貴方。

 一緒に居るのにちょうど良いね。

 

「少し、一緒に横になりませんか? ……ベッドから星空がよく見えますよ」


 星空、という単語に彼はピクッと僅かに反応した。

 よく分からないけど何か思うところがあるらしい。

 ぐっと目を閉じて、覚悟を決めたような顔で「……いいよ」と言った。

 

 

 狭いベッドに身を寄せて横たわり、手を繋ぎながら窓の向こうに広がる星空を眺める。

 私はぽつぽつと星座の名前を口にしながら彼の緊張が解けるのを待った。

 初めは手のひらが強張っていたけれど、時間が経つごとに少しずつ和らいできたようで、やがて私の髪に触れてくるまでになった。

 日常に戻りたいのは私だけじゃなくて彼も同じなのだなと思う。

 こうして少しずつ普段の調子を取り戻せていけたらいいな。


 顔を少し傾けて彼の方を見ると、彼も私を見てくる。

 頭の下に腕が差し込まれた。

 腕枕。

 ころりと転がって体ごと彼の方を向くと、背中に腕が回ってきて抱き寄せられた。

 どきどきする。でも気持ち良い。

 大好きな人と触れ合うのって、どうしてこんなに気持ち良いんだろう。

 目を閉じると額にキスされた感触がした。

 次に瞼。

 頬。

 どんどん下がってきて、少し間が開いて唇。


 本当に解禁したんだ……。


 妙なところで感動していると再び唇に触れてきて、ぺろりと舐められた。びっくりして目を開くと舌が中に入ってくる。

 き、急に進化しすぎじゃない……!?


 驚いたけれど拒否する理由もないので大人しく受け入れていたら、手のひらが重なってぎゅっと握られた。

 愛しさがとめどなくあふれてくる。

大好き。


 何度も唇を重ね合っているうちに頭も体もとろけていくような心地になってくる。

 気が付くと脚まで絡んでいて、はぁはぁと息を切らしながら夢中で求めていた。

 彼がこれをずっと禁じてきた理由がちょっと分かってきてしまう。

 こ、これは確かに危険かも……!

 乙女の想像するロマンチックさが実在していたのは最初だけで、その先には生々しくて深い渇望が広がっていた。

 彼も私と同じ気分のようで、呼吸を荒くしながら上にのしかかってきた。

 でも、目が合った瞬間ふっと正気に戻ったらしく、しばらく見つめ合ったのち大きく息をついて「……ここまでにしよう」と言った。

 何が何だか分からないまま頷くと彼は唸りながらベッドに突っ伏す。


「俺は何をやっているんだ……」


「もうちょっとします?」


「だめ」


「気持ち良かったのに」


 ぴく、と指先が動いた。

 でもそれだけだった。それっきり動かなくなってしまった彼はしばらくして「早く結婚したいな……」と呟いた。


「私もです」


 隣に寝転んでリディルの星空を眺める。

 数年後、またこうして一緒に同じ星空を眺められたらいいな。

 そう思いながら眠りについた。



 翌日、みんなと一緒に村を立ち、数日かけて王都へと凱旋した。

 王都ではあちこちに花が飾られていて大騒ぎ。私達が歩くと建物の窓という窓から花びらが舞って落ちてくる。

 どうやら国を挙げて私達を英雄として歓迎するムードが出来上がっているようだ。ちらほらと救世の聖女という言葉も聞こえてくる。


「情報が早いですね。女神様のしわざかしら」


「そんな気がする」


 私とハヤトだけじゃなくて、リディルに来てくれた人みんなが英雄だ。

 ベティも嬉しそうに町の人達に手を振っている。

 ギルドの前でみんなと別れ、私とハヤトは貴族街のステュアート公爵家へ。


「ただいま戻りました」


「アリーシャ様ー!!」


 扉を開けて一番最初に駆け寄って来たのは義妹ラヴ。目を潤ませながら飛びついてきて、心配をかけたのだな、と改めて思った。


「おかえりなさい……!」


「ただいま」


 ラヴの後ろにはクリスお兄様が立っている。

 ラヴほど感情を露わにしないけれど、とても嬉しそうだ。


「義弟氏……。無事で良かった」


「はい。みなさんも……無事で、本当に良かったです」


 兄キャラ二人は手を差し出し合った。

 でもクリスお兄様は握手、ハヤトはグータッチのつもりで出していて、ハヤトの握り拳をお兄様がそっと包み込むという奇妙な挨拶になってしまっていた。



 感動の再会もそこそこに私達はお父様の部屋へと報告に向かい、一連の流れをざっと説明する。

 お父様は黙って一通り聞いた後、ふぅとため息をついた。


「……大儀であった。聞きたい事は山のようにあるのだが、疲れているだろう。まずは体を休めるが良い」


「ありがとうございます」

 

 詳しい話はまた後で、という事で、一旦退室の流れに。

 廊下に出る直前、お父様は「ああそうだ」と思い出したように言った。


「なんですか?」


「クリス達の結婚の予定がかなり後ろにずれ込んだだろう。しかし、教会や賓客、腕の良い仕立屋の予定はもう押さえてある」


「……というと?」


「うむ……。この際だから、お前達の結婚を早めようと思ってな。ハヤトが学院を卒業する前になってしまうが、なに、早い分には構わないだろう。……なんだか、お前達の身は早く固めておかないとまずい事になるような気がして」


 その言葉に、ハヤトと顔を見合わせて飛び上がった。


「ありがとうございます! お父様!!」


「それまではくれぐれも節度を持ったお付き合いをするんだぞ」


「もちろんです!!」


 あ。言い切っちゃった。


 お兄様達の元々の結婚の予定はおよそ半年後だった。そこに私達を当てるとしたら、少なくとも数年先だと思っていた結婚が一気に目の前にやって来る。

 お父様の部屋を出てハイテンションでキャッキャとしていたらまたお兄様が現れた。

 どうやらお兄様は私の腕に女神様の隠蔽魔法が掛かっているのに目ざとく気付いていたようで、興味津々の顔で「父上とのお話、終わった? じゃあ腕見せて」と詰め寄ってくる。


 お兄様のお部屋で腕の魔法陣を見せると、奴は目をきらきらさせて観察していた。


「そっかー。自分を魔道具に。ふんふん、で、どうだった?」


「凄かったです」


「もっと具体的に」


 そう言われても。

 

 頑張って覚えている限りのことを言語化していると、横で見ていたハヤトが口を開いた。


「クリス様。これ……無効に出来ませんか?」


「そうだなぁ。インクなら消せるけど、直接刻んじゃってるからなぁ。文言を足したとしても、完全に無効化するのは難しいかも」


「そうですか……」


 気落ちした様子のハヤトに、お兄様はふと思いついたような軽いノリで言い放つ。

 

「気になるなら、義弟氏の腕にも同じようなものを入れれば? そうすればおあいこでしょ?」


 ぱっ、とハヤトが顔を上げた。

 あかん。

 この人、乗り気だ。


 

「じゃあいくよ、義弟氏。痛かったら言って」


「はい」


 彼は私と同じように肌に直接刻み込むことを選んだ。

 と言ってもこっちはガチのタトゥー。道具は……実は貴族の家って、大抵タトゥーを入れる道具を持っているものなのだ。例に漏れずうちも持ってた。

 何に使うのかって? それはね。罪人に刻むという刑罰の一種があるためですよ……。

 歴史的にはタトゥー文化のはしりって身分を証明する何か――名前だったり所属だったりを刻むもので、身分の高い人の中にも愛好者がいた時期があるらしいのだけど。

 時代の流れと共に罪人に刻むものという認識が主流になり、いつしかカタギのモノでは無くなった。それをハヤトは自ら「入れる」と言った。

 そんな事はしなくていい、って言ったけど彼は退かなかった。


「……義弟氏、痛い?」


「平気です」


 ニードルを通して皮膚にインクが流し込まれ、腕に魔法陣が彫り込まれていく。

 ……ん?

 やだ、私がナイフで書いたのよりカッコいい……。


 とにかく発動すれば良いとばかりにナイフで刻んだアレよりも、ちゃんとデザインを考慮してニードルで描かれるそれは普通にカッコよかった。

 羨ましくなった私はお兄様に「終わったら私のもそんな感じに修正してください」と頼んでみた。

 

「いいよぉ」


 お兄様は快諾してくれたけど、ハヤトは渋い顔をする。


「やめておきなよ。痛いよ」


「やっぱり痛いんじゃないですか」


「そりゃ多少はね」


 ――というやり取りを挟みつつ完成した魔法陣を見て、ハヤトは嬉しそうな笑みを浮かべた。

 この人、今どういう心境なんだろう……。

 わざわざ私の魔道具になんてならなくても良かったのに。


「じゃあ、私のもお願いします」


「うむ。では腕を出したまえ」


 すっかり彫師気分のお兄様は謎の重鎮風を吹かしつつ私の腕に針を刺した。


「――いっ」


 いっったああぁx!!

 なにこれ、あの時のナイフより全然痛いんですけど!?

 

 目と口をパッカーンと開けて痛みに耐えていると、ハヤトが「大丈夫?」と気遣ってくれた。

 大丈夫じゃないけど、いまさら痛いと言っても仕方ないので気合いで「平気です……!」と答える。

 でも、完成したものを見ると顔が勝手に笑ってしまった。ハヤトもこんな気持ちだったのかな。

 私達、まるでお揃いのタトゥーを入れて浮かれているバカップルみたいだね……。





 こうして、私達に日常が戻って来た。

 日常と言っても今までとは全く違う、新しい日常だ。

 

 ベティやジョージ達はあの泉の戦いでドラゴンを撃破していたらしく、晴れてSランクへと昇格。

 パワーアップした女神様のお力か、ドロップアイテムの種類と数が大幅に増えているそうで大好景気時代が到来しホクホクなのだそうだ。

 我が家ではラヴが日々大きくなるお腹を愛しそうに撫でる隣で、クリスお兄様は武器商人としての実績を着々と積み上げ中。

 コミュ障は相変わらずだけど、人生で初めて出来た心を許せる友達(ハヤトのこと)と一緒ならなんとか人前に出ても大丈夫になってきている。

 お父様は家の改装工事を始め、職人達との打ち合わせが続いて毎日忙しそうだ。

 例の“魔王城”と違う外観にする必要があってのことだけど、お母様に「せっかくだから演劇用の舞台や大規模な演奏会を開くホールを作って頂戴」と言われて張り切っている。

 お母様は、私とハヤトが英雄と聖女コンビとして陛下から勲章を賜ったので「あちこちの新聞社から取材が来ているのよ」と対応に忙しそうだ。

 でも私達本人はこれまでと変わらず学院生と臨時講師として、学院に通う毎日を過ごしている。


 朝、身支度をして家の正面階段を駆け下りるとエントランスで待っていたハヤトが顔を上げた。

 魔法陣の刻まれた腕は、制服の下にしっかりと隠されている。


「準備できた? 行こう、アリーシャ」


 ハヤトが手を差し出してくれた。


「はい」

 

 私はその手を取り、慌ただしく家を出る。


「行ってきます!」


 ハヤトが扉を開くと、朝の澄んだ光が家の中に差し込んできた。




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