95.おかえり


 ハヤトの力が丸ごと抜け落ちた敵は、途端に存在感が薄くなったような感じがした。


 と言っても規格外の存在な事に変わりはない。

 彼は驚愕の顔からスッと無表情に変わり、周囲に闇色の魔力をあふれさせる。

 その魔力は幾本もの槍となりふわりと浮かび上がって――周囲の瓦礫を集めながらこちらに向かって一斉に飛んで来た。

 引き寄せられた瓦礫はことごとく形が歪み、小さくなって闇の中に吸い込まれていく。まるでブラックホールだ。当たらなくても近付くだけで危険。

 私の体は回復魔法を絶え間なく発し続け、傷を癒しながら跳んで槍をかわしていく。

 全ての動きが早すぎて私には回避の道筋がまるで見えておらず、何が起きているのか把握するだけで精一杯だ。

 ただただ、全身が痛い。回復魔法でなんとか維持出来ているけれど、容量を超えた力に体が崩壊しかかっている。


 槍の雨の向こう側の空間がぐにゃりと歪み、数体の黒ドラゴンが現れた。あっと思う間もなくその巨体からは想像もつかないほどの速さで大きな鉤爪が目の前に迫ってくる。

 私は槍を避けている最中で地に足が付いておらず、鉤爪を回避する行動が取れない。

 ――危ない!

 そう思った次の瞬間、世界の白と黒が反転した。

 ほぼ黒しかなかった世界が反転、ほぼ白一色の世界。

 色どころか音も温度も無くした世界で、ああ、影の中に入ったのだなと理解する。その間に鉤爪も巨体もただの立体映像みたいに体をすり抜けていった。

 着地するよりも早く世界がぐるりと回転して、敵が――ハヤトだった人が目前に迫った。


 そういえば、ハヤトはこの人をどうするつもりなんだろう。

 殴って終わりでいいのかな。

 そう思った時、心のどこかから申し訳ないと思う気持ちがあふれてくる。

 

 (ごめんね、アリーシャ)


 ハヤトの感情だ。私の中にいる彼の心がありのままの形で伝わってくる。

 その時私は彼がどうするつもりなのかを理解してしまった。

 

――そんなの、出来ないよ。


 躊躇する間もなく、敵の背後に回った瞬間世界が黒に戻り動き出した。

 敵が――黒髪のハヤトが素早く反応して振り向く。

 紅い瞳と目が合った。

 あぁ、貴方とはここでお別れなんだ。

 悲しい。

 胸の奥がぎゅっと痛くなった。

 私が振り下ろした黒剣に闇色の槍が当たる。闇魔法を跳ね返した黒剣はパキパキと音を立て、今度こそ完全に崩れ落ちていった。敵の顔に勝利の笑みが浮かぶ。


 いや、私達はまだ負けてない。

 

 覚悟は出来ていなくとも闘志は折れない。

 きっとハヤトの心が混ざっているから。

 私は刃を無くした黒剣の柄を手放し、左の手のひらの影から女神様の白い短剣を抜き出した。

右手でしっかりと握りしめる。

 黒髪のハヤトの目が見開かれた。


(……ごめんね)


 私の体はなぜか闇魔法を使った。

 眠りの魔法だ。その魔法は敵ではなく私に向けられたもので、あっという間に意識が落ちる。

 

(今までありがとう。楽しかったよ)


 そう言っている声を感じた。

 はっと意識が戻ったのは轟音が鳴り響いた時のこと。

 女神様が――白い梟の姿が薄くなり、霧へと変化し辺りに大きく広がっていく。

 女神様の首にかけてあった琥珀のフェロニエールが、カツンと音を立てて床に落ちた。

 白い霧と化した女神様は辺りに立ち込める黒い霧と混ざり始める。

地鳴りがして、世界が大きく揺れた。

 外からは魔物の雄叫びと人々の悲鳴が聞こえてくる。

 でも、ここにたくさんいたはずの黒ドラゴンはもう一匹もいない。ハヤトが倒してくれたのだろうか。


 そんな事を考えながら、私は瓦礫の中心で倒れている彼のそばにフラフラと歩み寄り――そうして、膝から崩れ落ちた。

 仰向けに倒れている彼の瞼は閉じられ、心臓の辺りからは血が流れ出ている。

 地面には血まみれの白い短剣が転がっていて、ああ、これで一突きだったのだな、と思った。

 その瞬間を私に見せないために、ハヤトは闇魔法を使ったのだ。


 震える手を伸ばし、彼の首元に触れる。

 何度触れても脈を感じ取ることは出来なかった。

 頬に触れる。まだ温かい。


「う……うぅ……っ」


 涙があふれてくる。

 彼の髪が、黒から薄茶色に戻っていく。

 やっと会えた。


 ずっと――貴方に、会いたかったの。


「……おかえりなさい」


 声が震えて上手く言えなかった。

 彼の頭を少し持ち上げ、膝の上に乗せる。

 まだ温かくても、彼の体からはもう一切の生命の動きを感じ取れなかった。

 頭をぎゅっと抱きしめると叫び出したいくらいの悲しみが湧き上がってくる。でもようやく不安から解放されて眠った彼を驚かせちゃいけないと思って、声を殺して泣いた。

 

 女神様と敵の戦いは続いているようで、地鳴りと揺れがおさまらない。

 ハヤトを敵から解放しただけじゃダメなんだ。女神様が主人格を勝ち取らないと、この世界は暗闇のまま。

 二つの魔力――いや、神力のぶつかり合いを背中で感じながらも動けずに泣き続けていると、地面が割れて泉の冷たい水が噴き出してきた。

 どうも女神様が劣勢のようだ。

 この世界はどうなってしまうんだろう。

 私はもう、ダメかもしれない。

 自分を無茶な術式で魔道具した影響か、あちこち激しく痛んで動けない。

また皮膚が裂け、血が流れ出てきた。

 

 ……構わない。

 貴方を一人になんてしない。

 私も一緒に行くからね。

 後のことはみんなに任せよう。

 

 そう思った時、どこからか魔法が飛んできて癒しの光が私の傷を治して消えた。

 

温かい……。


 よく知っている人の魔力にはっとして顔を上げる。

 癒しの光は一度では終わらず、蛍のように次々といくつも私から浮かび上がっては私の傷を治していく。

 

 ハヤト……?

 まだ私の中にいるの……!?


 少しばつが悪いような感情を心のどこかで感じる。

 気まずそうな彼の顔が頭に浮かんできて、同時に私の腕が勝手に動いて白い短剣を拾い上げた。


「な、何をするの……?」

 

 語り掛けても答えは無い。代わりに瓦礫の中から黒剣の破片を見付けてこちらも拾い上げる。

 私は彼のする事を黙って見守る事にした。すると彼は私の体を動かして白い短剣についた血を拭い、綺麗になった刀身へ黒剣の破片で文字を刻み始める。


「……魔道具を作るの?」


 そうだよ、と答えてくれた気がした。

 白い短剣に刻み込まれていく文字は紛れもなく彼の筆跡だ。

 女神様の名前と、私の名前と、彼の名前。ついでにフクロウの絵も描いていく。

 ご自分の名前をあまり分かっていない女神様への配慮かな。

 私は涙が滲む目で「ふふっ」と笑った。

 そうして、彼は私達の名前の下に“×255”ととんでもない数値をためらいなく入れ、更にその下に“heal the world!”と書き込み、丸で囲った。


「……どうして255なんですか?」


(前、これに触った時にそのくらいだなって読み取れたんだ。多分アイツの力。今はもう読み取れないかも)


 そうなんだ。

 

 白い短剣に術式を定着させる。黒剣とは性質が違うようで、弾かれることなく魔道具化に成功した。

 255を受け入れるなんて、ものすごい容量の素材……。

 この白い短剣、魔法銀を軽く凌駕している。

 

(行こう、アリーシャ。あと少しだけ頑張れる?)


 うん。

 ……どこへ?


(世界を癒しに)


 私は彼に導かれて、廃墟と化した屋敷の壁をよじ登っていった。

 その間もずっと彼は回復魔法で傷を癒し続けてくれて、私の周囲には常にいくつもの光が漂っている。おかげで手元足元がよく見えた。


 天井の大穴から屋根の上へと上がり、そこから見える世界を一望した。

 頭上には相変わらず黒い雲が渦巻き、稲妻が走り――日の光を失った地上はすっかり凍てついて強く吹雪いている。

 

「あ! アリス!?」


 ジョージの声。

 他の冒険者達の姿も見える。皆、泉の上に出現した足場で魔物と戦っている。みんなボロボロだ。怪我も負っている。

 よく見ると、彼らの中には見覚えのある人達がいた。

 ハヤトが“英雄”候補にした人達だ。

 

「え!? アリーシャ様、無事だったの!? ……って、なんで銀髪!?」


 ベティの声。

 ベティも無事だったんだね。良かった。


 屋根の上からみんなの姿を確認して安堵の笑みを浮かべていると、ハヤトが私の体を動かしてきた。

 白い短剣を、空に向かって掲げる。


(いくよ、アリーシャ)


 うん。


 その瞬間、短剣に魔力を吸い取られて癒しの魔法が発動した。

 私とハヤトと、それと女神様の力を限界まで掛け合わせた癒しの魔法。

 この聖なる力は瞬く間に天まで届き、渦巻く雲を突き抜けて敵の闇魔法を撃ち払った。

 眩しい光が空を駆け抜けていく。


「空だ……!」


 下から人々の声が上がった。

 雲が晴れて、青空が広がっていく。暖かな日射しが戻ってくる。

 空ってこんなに綺麗だったんだ、と初めて思った。

 癒しの魔法によって、枯れかけた森の木までも回復して緑を取り戻していく。

 世界の全てが雪化粧に反射する光でキラキラと輝いて見えた。

 きっと今、世界中がこんな景色でいっぱいなんだ。

 どこまでも広い空。

 黒水晶と名付けられた魔物が数日かけて作り出した雲が、一瞬で消え去っていく。


 その時、チカチカと目眩がした。

 本能で分かった。これは魔力切れの前兆だ。

 こんなの初めて。

 底をついた事がない魔力がここに来て初めて尽きかけている。


(あと少しだよ。大丈夫?)


 大丈夫です。


 朦朧としながら頷き、もう限界だと思った瞬間短剣がパンと破裂した。

 なにごと!?


(役割を終えたんだよ)


 ハヤトが教えてくれた。

 役割……?

 それって、短剣に書いた文字通り“世界を癒した”ってこと?


(そう。女神様も無事なはずだ。……確かめに行こう)

 

 頷いて、ハヤトに体を動かしてもらって屋根を降り、屋敷の大穴へと戻る。

 彼が言った通り、大穴の底には白い霧が静かに立ち込めていて、女神様に相応しいとしか言いようのない静謐な空気に満ちていた。


 女神様、勝てたんだ……!

 良かった……。


 敵の気配が消えていることに安堵して泣きそうになっていると、白い霧が一か所に集まって人の形を取り始めた。

 ずっとフクロウの姿だった女神様が――初めて、人の姿を取り、目の前に現れる。


「よくぞやり遂げて下さいましたね、二人とも」


「は……はぁ」


 つい気の抜けた返事をしてしまった。

 だって……女神様、白い衣なのは想像通りだけど……目の位置とか手の生え方とか微妙にズレてておかしいっていうか怖いんだもの。

 生まれて初めて筆を取りましたって人が描いた絵っぽい……。

 黒水晶を――モリオンを取り込んで人格が変わってしまったのかしら。

 そんな事を考えていたら、「私、やっぱり変ですか?」と訊かれてしまった。

 

「まぁ……ちょっと……」


「そうなんですね。人の姿は真似るのが難しいです。やっぱり慣れた姿じゃないと」


 そう言って白フクロウの姿に戻ってしまった。

 な、なんのために人の姿になったの……?


「あなた達のおかげで敵を大きく圧倒することが出来ました。おかげで私はほとんど敵の影響を受けず、これからも私のままでいられそうです。しかも大幅にパワーアップしてしまいました……。本当に感謝します」


「はぁ」


 今ので一気に神聖さが損なわれた。

 女神様、案外ポンコツなんじゃない……?


 女神様は特に気にした風でも無く視線を大穴の中心にやり、横たわったままのハヤトの体を梟の白い翼で差し示した。

 

「見てご覧なさい。先ほどの癒しの魔法で、この者の心臓の傷までも治癒されましたよ」


「えっ!?」


「本来、生命活動を止めた物質は何をしても治る事はないはずなのですが……。死んで間もないのと、魔法に私の力も加わっていたからでしょうね。人の限界を超えた治癒の力が働いたようですよ」


「そ、それって、つまり」


 生き返ることが出来るの……!?


 女神様はふわりと飛び上がり、屋根の大穴に止まってこちらを見下ろしながら言った。


「体が元に戻っただけです。生き返るには魂を戻さないといけません。……普通は、死ぬと同時に魂と人の世との繋がりが断ち切れるものですが。その者の魂はまだそこに在るのでしょう? まだ間に合うと思いますよ」


 その言葉に体の痛みも魔力の枯渇による目眩も全て吹き飛んで、彼のところに駆け寄った。

 逸る気持ちで頭を持ち上げて、ふと止まる。

 魂を戻すってどうやるの?


「あら? 知らなかったのですか? 人間は皆知っているものだとばかり思っていました。古来からの伝統でしょう? 特定の条件下で口元を重ね合わせると生き返るって。これはどこの世界にもある普遍的なお話です」


「口元を重ね合わせる……」


 つまり。

 キス。


 お安いご用ですっ!

 ばっと顔を近付けると、何故か私の体が抵抗してぐぐっと後ろに頭を後退させられた。

 ちょ、なんで!?


(いや……自分の顔が迫ってくるのを見るのキッツって思って)


 そんな事言ってる場合か!


 心の中で一喝すると、彼はシュンとして大人しくなった。

 改めて彼の体と向き合うと、言葉にならない想いが込み上げてくる。

 早く、目が覚めた貴方におかえりって言いたい。

 薄茶色の前髪をかき上げ、どきどきしながらキスをする。

 私の中から一気に力が抜けていき、魔力の枯渇状態に耐えられなくなってつい彼の上に倒れ込んだ。

 重なった体から、心臓の鼓動が伝わってくる。


「……アリーシャ」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。

 瞼が開き、琥珀のような金色の瞳がこちらを見ていた。


「ハヤト……!」


 生き返ってる。

 良かった。

 本当に良かった。

 ぼろぼろと涙があふれる。悲しい涙じゃない、喜びの涙。おさえられない。

 しがみついてわんわん泣くと、彼の腕がおそるおそるといった感じで背中に回ってきた。

 

「大変な思いをさせて……ごめんね」


「いいの! 全然いいのー!」


 そのまましばらく抱き合ったまま泣いて、私は「おかえり」と言わないうちに気絶してしまった。


 どのくらい眠ったのだろう。私は見覚えのある宿の一室で目が覚めた。


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