94.This is a Rock
「女神!」
彼は私から手を離し、立ち上がった。
眩い光はゆっくりと高度を下げて音もなく床に足(?)を付ける。
どちらの顔も見えないけれど、それでも身じろぎひとつどころか呼吸ひとつにも神経を張り巡らせるような緊張感に満ちているのが分かる。
どのくらい見合っただろうか。突然爆発が起きて私は吹き飛ばされ、壁に背中を強打してしまった。痛い。
魔物との戦いでランクを上げてきたおかげかこの体は頑丈だ。
それでも痛い。耳の奥もジンジンする。
あの爆発はどちらの攻撃だったのだろう。爆発の中心部には大穴が開いていて、家が瓦礫と化していた。ぱらぱらと瓦礫が天井から落ちてくる。
見上げると建物の屋根にも大きく穴が開いていて、そこから空が見えた。黒い雲が渦巻く空だ。
稲妻も走っていて、まさしく終末の様相。
屋敷の中にも雷がバチバチと唸りながらそこらじゅうを駆け巡る。雷の出所は白いフクロウ――女神様だ。
女神様が飛んだ軌道に沿っていくつもの雷が柱のように立ち並ぶ。
彼は爆発の中心部にいて、飛び回る女神様をじっと見上げていた。
「ねぇ……」
瓦礫をかき分け、声をかける。
「もうやめよう? 帰ろうよ」
私の言葉遣いから敬語が抜けてしまっている。
でも取り繕う余裕がない。目が回るし頭がガンガンする。どこか切れているのか、生温い赤い血が頬を伝い落ちた。
彼は聞こえていないのか反応せず、目に見えるほど濃密な闇色の魔力を周囲に溢れさせる。
何かする気だ。止めなくちゃいけない。
闇色の魔力は渦を巻き、そこに引力を発生させて周囲の瓦礫を集め始めた。
あれは――ハヤトが使っていて私も教えて貰った、重力を弄る魔法だ。
右向きの渦の時は軽くなり、左向きの時は渦の中心により強く引っ張られるようになる闇魔法。
私が使うのよりもずっと強力で広範囲に作用するその渦に、女神様が引っ張られる。
上空から地上に落ちてくる。
女神様の怪我は以前会った時よりもだいぶ治っているようだけど、片方の翼が短い。まだ治りきっていない。
渦に引き寄せられてしまった女神様の首を、彼は片手で掴んだ。
――だめだよ! それだけはだめ!
切り札の白い短剣をジョージみたいに投げてみようか?
いや、当たる気がしない。それどころか女神様を盾にされそうだ。
魔法は……、さっき全く通用しなかった。
打つ手は……無いのだろうか。
……私は、無力だ。
額から、ぽたぽたと足元に落ちる血を眺めた。
特別な力を授かっておきながら、誰も助けられない。
貴方と魔物を分離しようとしたけれどそれも出来なかった。
もしもここに貴方がいたら――ハヤトがいたら、何とかなったのかな。
女神様とあの人の周囲では単なる魔力の範疇を超えているとしか思えない力が迸り、バチバチとぶつかり合ってそこらじゅうで火花を散らしている。
「ねえ、帰ってきてよ……」
呼び掛けても返事は返ってこない。
でもどこかに居るんだよね?
貴方の声が聞きたい。
女神様とあの人の力のぶつかり合いは近くに居る私の体にも影響を及ぼしてきて、バチバチと火花が頭の近くで弾けた時ふっと意識が遠くなった。
膝をつき、両手を瓦礫だらけの床につけて、気絶しないようになんとかこらえる。
手のすぐ近くにはヒビだらけの黒剣が落ちていたけれど、手に取る余裕はない。
ぐらぐらする頭で考えるのは本当の貴方の事。
――ねぇ。本当の貴方はこんな事したくなかったって、ずっと一緒にいたから分かってるんだからね。
最初はツンツンしてたけど、すぐに優しい人だって分かったもの。
ツンツンしているように見えたあの時は妹が大怪我をした後でうちに雇われたから、疑心暗鬼になっていたんだよね。
分かるよ。
それまで何の関わりも無かったのに、自由に動かせる義手を作った上に侍女として迎え入れるなんて――そんな待遇、普通じゃないもんね。
――ん?
義手……?
記憶の中に引っ掛りを感じて目を見開いた。
義手。
本人の意思によって自由自在に動かせる魔道具。
そこから発展した、あのドラゴンのオモチャ。
触れていなくても発動できて、名前を入れる事で使用者を限定出来る魔道具。
さっき貴方は自分の名前を知らないと言いながら無意識にハヤトという言葉に反応した。
そして魔道具化とは、素材と対話することで完成する魔法。
頭の中で点と点が繋がっていく。
どくん、と熱い血潮が迸る。
無駄かもしれない。
危険かもしれない。
でも、もしかしたら。
未来を掴むヒントが、貴方と出会う切っ掛けの中にあったのだとしたら。
ペンもインクももう手元に無い。
それなら。
胸の間から白い短剣を取り出し、巻き付けていたハンカチを外した。
ハンカチは風に乗ってどこかへ飛んで行き、私は短剣の切先を自分の腕に突き立てる。
「っ!」
熱いのか痛いのか分からない。そんな事は構わない。
血が飛び散るけれど、これからする事に比べたら些細な事。
難しい術式なんて考えている余裕は無い。描くのはただただ単純な魔法陣。
短剣の刃先を腕に滑らせ、私の名前とハヤトの名前を私の体に刻み込む。二つの名前をイコールで繋げ、丸で囲う。
術式を体の中に沈み込ませると、その瞬間赤い血は消し飛び魔法陣のような模様が私の肌の上で眩く光った。
私が、貴方の義手になる。
瓦礫から身を乗り出し、あの人に――他の誰でもない貴方に届いてほしくて、大声で名前を叫んだ。
「ハヤト!!」
彼も異変を感じたのか、バッとこちらに顔を向けた。
私は魔法陣を刻んだ腕をかざし、彼に見せつける。
「カモンベイビー」
何回も言ってきた割に一度も通用しなかった言葉が口をついて出て来た。
その瞬間、目には見えないけれど確かに繋がって――愛しい人の力が私の中に一気に流れ込んできた。
数値も何も指定していない、純粋な貴方の力。
その強大な力を、全て受け入れてみせる。
敵の闇属性に対抗するためか、私の体は強力な聖属性の魔力を放ち始めた。
あっという間に私という素材のキャパシティを超え、体中が激しい痛みに襲われる。肌があちこち裂けて、口の中に血の味が広がる。体中が壊れていく。
――持たないかもしれない。
そう思った時、私は私の意図しない回復魔法を使った。聖なる光が傷を癒してくれる。
ハヤトがやっているんだ。
……ありがとう。
心の中でお礼を言うと、抱きしめられた時と同じような感覚がした。
とはいえ、聖属性の力を取り戻した彼の力は確かに傷を癒してくれたけど、キャパシティを超えているのは変わらない。治す側から新たな裂傷が出来ていく。
それをまた回復魔法で癒す。
無限に出てくる傷と回復魔法は拮抗していて、けれども人が使う回復魔法は不完全という理の通り、治りきらない傷が少しずつ増えていく。
――時間がない。
体が勝手に動き、ひびの入った黒剣を拾って構えた。
回復魔法の光が黒剣に反射し、私の顔を映し出す。
長い金髪が、カメレオンみたいに月夜の銀髪に変色していくのが見えた。
瞳の色も、晴天の青から群青の深い青に変化していく。
表情が、弱い女の泣き顔からみるみるうちに闘志のあふれる顔つきに変わっていった。
私は黒剣を手に敵を睨み付け、燃え盛るような怒りを隠しもせず心のままの声を上げる。
「ブッ殺す!!」
私、こんな言葉使ったことない。
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