93.ヤンデレ絶好調
廊下に出ると何体もの蜘蛛型の大きな黒い魔物が待ち構えていた。
蜘蛛型は大きいくせに素早くてものすごく高く跳ぶ上に、半端な攻撃をするとお腹から子蜘蛛がワーッと出てくる悍ましい魔物だ。
黒蜘蛛は私に向けて糸を吐き出してくる。手首に絡みついてきたそれを黒剣で切断し、蜘蛛本体を氷漬けにした。
今は倒すより逃げる方が先。次々に湧いてくる黒蜘蛛を相手しながらエントランスに向かって走りつつ背後の気配を探る。
彼が追って来る気配は特に感じられない。
追って来ていない……?
良かった。
安堵しつつも混乱の極みで涙が出てくるのを止められない。
貴方が世界をこんなふうにしているの?
どうして?
そんな人じゃなかったよね?
私が知っている貴方はどこに行ってしまったの?
外からは激しい戦闘音が響いてくる。
みんな必死だ。私も泣いてる場合じゃない。
黒蜘蛛の群れを相手にしながら走っていると横から火球が飛んで来て、咄嗟に氷柱の陰に隠れてやり過ごした。見ると黒ローブの小人型魔物が廊下の角から姿を覗かせている。
あの小人型魔物はローブの色で使ってくる魔法の予測が付けられる奴で、いつもフードを深く被っているのだけどフードの中には誰もいないのだ。
顔は無くとも人型だけあって知能が他よりも高く、人間に近い戦法を取ってくるのだと――以前、ハヤトに教わった事がある。
私が知っている魔物の知識は、ほとんどがあの人を通して覚えたものばかり。
体の使い方だってそうだ。自宅で大人しく過ごしていたら護身ではなく自分から攻める戦い方なんて絶対に身に付かなかった。
さっきあの人の声を聞いてから、時間が経つごとに少しずつ思い出の蓋が開いていく。ノートに書いていなかった事まで浮かんでくる。
ついさっきまで忘れていたのが噓みたいに鮮明だ。本当に、本当に大好きだった。
角の向こうから火球が立て続けにいくつも飛んできた。聖魔法で自分の周囲に結界を張り、炎の中に突っ込んで行く。ダメージはゼロではないけどさほど問題じゃない。角から飛び出して一体の小人に肉薄し、黒剣を横に薙ぐ。霧を斬るような感触。魔物は真っ二つになり消えた。
でもまた次の魔物が出てくる。出口は遠い。
「もう! うち、広すぎだってば……!」
思わず独り言が漏れる。
いくら公爵家だからって、王都の別邸なんだからもうちょっと慎ましくても良かったんじゃないの!?
そんな事を考えながらようやく階段にたどり着き、一気に駆け下りようとしたのだけど――彼が先回りしていて、降りられなかった。
「どうして逃げるの?」
悲しそうな顔。今にも泣き出しそうな。
私は肩で息をしながら後ずさる。
「どうして、って……」
私も泣きたいよ。
愛した人がこんなにも変わってしまうなんて。
「私が好きなのは、今の貴方じゃ……ないんです」
言ってしまった。でも本音だ。
顔が同じでも中身が真逆くらいに違っていたら今までと同じように愛するのは難しい。
彼は傷付いたような顔をして俯いた。
「どうして……? 死ぬまで一緒って言ったじゃないか」
胸が痛む。
確かに言ったよ。
また思い出の蓋が開いた。不思議だ。貴方が話すたびに記憶が戻っていく。まるで何を思い出すかを彼にコントロールされているかのようだ。
死ぬまで一緒、なんて言ったのはいつだったかな。
確か、黒い雲と朝の空の境目の下で……貴方の服を掴んで泣きながら言ったような。
「だから俺は君を受け入れたのに。あれは嘘だったのか……?」
「そういう訳では……。あの、話を――っ!」
ゾクリ、と悪寒が走る。次の瞬間、私は彼に首を掴まれていた。
警戒していたのに、危険を察知したのに、少しも動きが読めなかった。
逃げる隙なんてどこにも無かった……!
「ま、待っ……」
「俺は別にいいんだよ。魂だけでも」
首筋に指が食い込んでいく。
黒剣を持っている右の手首は掴まれて動かせず、左手を使って引き剥がそうとしてみるけど到底敵いそうにない。徐々に顔が熱く、耳鳴りがして、全ての音が遠くなっていく。
彼は何か言っているようだ。
「君をずっと手元に置いて、どこにも転生させないようにするんだ。……ずっと、一緒だよ」
よく聞こえない。
焦点が合わなくなってきた目を必死に凝らして、彼の目を見る。
凶悪な行動に反して悲しそうな目がこちらをじっと見つめていた。
こんなに性格が変わってしまっても、どこかに元の彼が残っているのかな。
意識が遠のくのを感じながらそんな事を考える。
走馬灯だろうか。色々な記憶がとりとめもなく次々に頭の中に浮かんできた。
前世を思い出す前の、小さな頃の記憶から今ここにいる自分に至るまでの様々な記憶が……浮かんでくる。
ああ……そうだ。思い出した。
ようやく全部思い出せた。
貴方は黙って家を出て行って、私はそれを追い掛けて……見付けてからは一緒に旅をしたんだよね。
私は貴方を助けたかったけど、貴方はきっとどうにもならないって知っていた。
だからあちこちで魔力を含んだ音を鳴らしては自分を倒しに来てくれる“英雄”候補を作ったりして――最後まで抗っていた。
助けられなくて、ごめんなさい。
右手から黒剣が落ちた音が響いて少しだけ意識が浮上する。
無意識に、名前を呼んだ。
「ハ……ヤ、ト……」
大好きだった。
貴方に、また会いたい。
朧げな視界の中、彼の目から涙が零れるのが見えた。
首元の手が緩み、離れて、血流が一気に元に戻っていく。
激しい頭痛にうずくまり、咳き込みながら必死の思いで黒剣を手に取った。
どうして、離してくれたの……?
見上げると、彼は目元を拭ってぽつりと呟く。
「出来ない」
「……え?」
「出来ないよ」
そう言って、彼は私の前に膝をついてしゃがみ込んだ。
黒剣を持つ手にそっと触れ、ひと撫でしてから刀身に触れる。
この人、いったい何がしたいの?
動けずに黙って見ていると、黒剣からパキパキと音が響いてきた。
「あっ」
嘘……!?
彼が触れたところを中心にヒビが入ってしまっている。
粉々に砕けた訳ではないけれど、これじゃ戦えない。
「何をするんですか!?」
「君を殺せなかった。それなら、危険なものは排除しておかないと。……ああ、そうだ」
切り替えが早い彼はそう言って、次に私の耳にぶら下がるイヤリングに触れた。
「君が身に着けているものって、色んな魔法効果が付いてるんだよね。これも厄介だな……。壊しておくか」
パン、とイヤリングが破裂した。
呆然としながら粉々になったイヤリングの破片がパラパラと床に落ちるのを見ていると、今度は首元に手をきて首飾りに触れる。
それも小さな音を立てて崩れ落ちた。
私は恐怖心からかそれとも展開に頭がついていかないのか、動けずにただ見ている事しか出来ずにいる。
服とマントに手をかけられた。艶のある絹の繊維が細かく千切れ、イヤリングや首飾りと同じようにはらはらと崩れ落ちていく。
私は対抗手段を奪われ、文字通り、一糸纏わぬ姿にされてしまった。
「あ……」
咄嗟に体を両手で覆い隠した。変態との誉れ高い私でもさすがに全裸は恥ずかしいし、それに胸の間には切り札を隠してある。これがバレたら終わりだ。
――マントじゃないところに隠しておいて本当に良かった。
でも……これじゃ脱出できないよ。どうしよう。
小さく縮こまっていると、下手人である目の前の彼が固まっているのに気が付いた。
顔を上げてみると、両手で顔を覆って耳まで真っ赤にした彼がいて。
……なに? そのリアクション。自分でやっておいて。
まるでハヤトみたいじゃない。
散々からかって遊んで来たかつての彼の姿を垣間見た気がした瞬間、恋しさが湧き上がる。
この言動のちぐはぐさ、あの人は完全に居なくなってしまった訳じゃない……? そう思うだけで涙が出てくる。
彼は目元を片手で覆ったままもう片手を私の方に掲げ、黒くて綺麗なロングドレスを出現させた。全体的にタイトで太腿まで深いスリットが入っている。
「ごめん……。取り敢えずそれ着ておいて……。後で君のために魔道具化出来ないような弱い生地でドレスを作ってあげるから」
優しいのか横暴なのか……。
彼は指の間からチラッと確認してきて、ちゃんと着ているのにホッとした様子で顔から手を離した。
私が隠し持っている物の存在には気付かれずに済んだようだ。ピュアさに救われた。良かった。
彼は私の姿を確認するように上から下まで見て、そして手元に目を留めた。
「あぁ。……それもあったのか。壊しておかないと」
え?
左手を取られて気が付いた。
指輪が残ってた。ハヤトがくれた婚約指輪。
「だめ!」
思わず叫んで手を引っ込めた。
「これは魔道具じゃないんです! 壊さないで下さい!」
「分かっているさ。でも素材になり得るだろ」
左手を引っ張られて指輪に触れられた。
「だめだってば! 壊さないで! それ大事なの!」
「ごめんね。あの黒剣と同じ素材がまた創れるようになったら俺が新しいのをあげるから」
「要りませんよ!!」
必死に抵抗するけどまるで通用しなくて、とうとう私は彼に向かって渾身の攻撃魔法を放った。聖属性を混ぜた氷槍をこの至近距離から。
攻撃魔法は相手の魔力によって相殺できてしまうため、彼に突き刺さる前に弾けて散り破片が私の方に飛んでくる。
氷とはいえほぼ石つぶて。頬や腕に少し傷がついてしまう。
彼は無傷なのに私だけが自爆ダメージを……。
全然、力が足りない。
指輪が壊されてしまう。
助けて、女神様……!
目をぎゅっと瞑って女神様に祈った。
すると瞼の裏に眩しい光が映った。
あの白フクロウから感じた大いなる存在感を再び感じる。
女神様!?
本当に来てくれたの!?
おそるおそる目を開くけれど、暗がりに慣れた目には眩しすぎて白い光がある事しか分からない。
でも確かに女神様だ。
怪我は……?
大丈夫なの!?
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