92.はじめてのおつかい~侵略者の神、彼女のためにパティスリーでプリンを買う~


 これ、何だろう……。


「寒い」と呟きながらさりげなくマントで体を覆い、膝を抱えて頭をマントの中に埋める。

 そこで確認した白い刃物は半透明の乳白色でほんのり青みがかかっていて、例えるなら月長石――いわゆるムーンストーンに似た物質だった。

 だけどあれは非常に割れやすい石で、剣に加工なんて無茶もいいところ。

 クラック(ひび割れ)が全く見当たらないので、大事に保管されてきたか衝撃に強い性質があるかのどちらかだと思うのだけど、形状から考えて普通に衝撃に強い方だろうなと思う。

 つまり月長石では……ない。そもそも、石ですら無いかもしれない。

 でも、じゃあ何かって言ったら全く分からない。

 そんな謎なところがなんとなく黒剣と共通するものを感じる。


 水の中に落ちていたものが、あの拍子に影収納の中に紛れ込んだのかな……?

 きっとそうだよね。覚えのないものが入り込むタイミングなんてあの時くらいしか無かったもの。

 咄嗟の出来事すぎて記憶があやふやだけど、あの時は焦って体中に装備した魔道具に一気に魔力を通したから。その時に入り込んだんだ、多分。


 納得して、影収納から少しだけ飛び出ていた剣先を彼から見えないようにそっと押し込んだ。

 なんとなく、この刃物の存在を知られない方が良い気がしたのだ。

 まだ存在を知られていないこの短剣は何かの時の切り札になり得る。

 切り札はいつでも取り出せるところに忍ばせなくては……。

 だとしたら、緊急時にちゃんと取り出せるかどうか確信が持てない魔道具の中に入れておくのは良くない気がする。


「……あの。喉が渇きました。お茶が欲しいです」


「あ、そうだよね。気付かなくてごめん。お茶かぁ……。どうしよ。ちょっと待っててね。準備してくる」


 意外と甲斐甲斐しい……。

 思惑通り私から目を離して部屋から出て行った。

 今の内に……!

 大急ぎでマントの影部分から短剣を取り出す。刀身が手首から指先くらいの長さの短剣だった。手持ちのハンカチでぐるぐる巻きにし、胸の間に挟んで隠す。

 ……まさかこんな映画や漫画に出てくるセクシーな女キャラがやるやつみたいな事を自分がする羽目になるとは。

 外見には自信がある方だけど、どうしてか私の場合はセクシーって感じはしないんだよね……。なんでだろう。性格のせいかな……。


 少し遠い目になりながら、彼が戻って来るまでにもう少し周囲の状況を把握しておこうと思い廊下に出る扉の取っ手に手をかける。

 大丈夫。別に逃げようって訳じゃないの。

 ただ我が家をどこまで再現したのか知りたいっていう好奇心で家の中を見て歩きたいだけ。

 心の中で言い訳をしながら取っ手を押す。

 

 ……開かない。


 さっきハヤトが通った時は普通に開いたのに! どうして!?

 全体重を乗せて力いっぱい押してみるけど、やっぱり開かない。彼が何か仕掛けたのかな。

 だったら窓から外を見てみよう。そう思って窓際に駆け寄り、開けようとしたけどこっちも開かなくなってる。


 ちょっと。

本気で閉じ込められてるんですけど!?


 なけなしの令嬢心を振り切って足でぶち破ろうと思い扉の前で片足を上げると、がちゃりと扉が開いた。

 

「お待たせ。お土産も持って来たよー……って、何してるの?」


 銀のトレイにティーセットを載せて戻って来た彼がご機嫌そうな顔をスッと無表情に変えた。

 怖い。


「また逃げようとしてたの?」


「いえ……。家の中を見て回りたいなと思いまして……」


「なんだ。そっか。いいよ。後で一緒に回ろう」


 綺麗な顔で微笑んで肩を抱き、室内に戻してくる。

 ……嫌ではない。

 でも、違うような気がする。

 私は本当にこの人のこと、恥ポエムを書いてしまうほど好きだったのだろうか。

 こうして近くで触れ合っても、ノートを読んだ時や眠らされた時に感じた苦しさまで伴うような愛しさまでは……正直、無い。

 一緒に過ごした記憶を思い出せていないせいなのかな。

 ……きっとそうだよね。

 思い出したい。思い出さなくちゃ。

 私だけじゃなく、貴方にもきっと必要な事。

 自分が何をするためにここに来たのか、忘れている場合じゃないはずだよ。

 

「あの――」


「はい、これ。お茶と、それからプディングも持って来たよ」


「あっ……ありがとうございます――って、これ王都のパティスリーのじゃないですか!? あんな遠いところの……っていうか、お店、この状況で開いてるんですか!?」


「うん。あっちは案外落ち着いているみたい。君の家が頑張っているおかげだね。貴族らはともかく、市民に対しては“落ち着いて日常生活を送るように”ってお触れが出てたよ。君、前にここで三百個くらいまとめ買いしようとした事があっただろ。すごく好きなんだなーと思ってたんだ。喜ぶかなって思って買ってきた」


「そ、そうでしたね。でも別に自分で食べるために買おうとしたんじゃないです、よ……」


 あ。

 思い出した。

 一緒にお菓子屋さんに行った時の事が、急に頭の中に浮かんで来た。

 あの時の貴方、ちょっと呆れた表情をしていたね。

 どうしてだろう。貴方の言葉を聞いたら、ノートの文字ではなく映像として突然思い出せるようになった。

 どうやって王都の生菓子をここに持って来たのかも理解した。

 貴方、日を追うごとにどんどん人間離れしていったよね。

 

 思い出したのは町で過ごしていた頃のことだけ。

婚約して、私の家から学院に通い始めて……それからどうしたんだっけ。

 空が暗くなってからの事はいまいち思い出せない。


「飲まないの?」


「え? ああ……はい、いただきます」


 カップを持ったまま考え事をしていた私を彼は不思議そうな顔で覗き込んできた。

 湯気の立つ紅茶で満たされたティーカップを唇に運ぶ。冷えた体にぽっと温度が戻る。


「おいしい?」


「はい」


「よかった」

 

 彼は綺麗に微笑んだ。つられて私も笑みを浮かべる。

 でも――思い出しても微笑み合っても、違和感は消えない。

 何か違う。

 貴方は本当にあの時と同じ人なの……?

 

「あの。貴方はなぜここに来たのか覚えているんですか?」


 思い切って切り出してみた。

“覚えてない”という答えを期待して訊いてみたのだけど、そうはならなくて。

 彼は頷いた。


「もちろん覚えてるよ」


「そうなんですか? ……どんな目的でリディルに?」


「自分の居場所を創るためと……君と、明日も明後日もその先もずっと、一緒に過ごすために」


「……約束、したからですか? 名前も思い出せない誰かと」


「うん」


 よく分からない……。

 自信ありげに「覚えている」と言った割に、魔物を倒すという言葉が一切出てこなかったのが本当に分からない。

 異変が起きているのなんて空を見るまでもなく一目瞭然で、何よりも最優先して解決に向けて動くべき事のはずなのに。


「……誰かとの約束も良いのですが、ラヴの体は心配ではないのですか? こんなに急激に冷え込んでしまって……こんな気温があと数日も続けば母体にも子にも悪影響が出ますよ。私も協力するので、一緒に魔物討伐に行きませんか?」


「ラヴ? 誰だっけ、それ」


「貴方の実の妹ですよ! やっぱり忘れちゃってるじゃないですか」


「妹……。ああ、あの子か。別にいいんじゃない。環境の変化について来れないのならそれまでの存在だったってだけだ」


「なんですか、それ……」


 忘れている訳じゃない……?

 覚えているのにその言いぐさなの?

 ちっとも心配じゃないの?


 記憶の中にある彼の姿と、目の前の彼の姿。

 見た目は同じなのに中身が全く一致しない。

 また一つ思い出せた。貴方は妹の懐妊を知り涙を流していたはずだ。これはたった数日前の話。

 こんなに急に人が変わることってあるの?

 言葉を失う私に彼は言った。

 

「俺は君だけ居ればいいんだ。他には何にもいらない」


「そんな……。ジョージやテッドさんや、ラヴも?」


「うん」


「ラヴのお腹にいる子も、教会に居た子ども達も?」


「うん」


 思わずティーカップをがちゃんと乱雑に置いて立ち上がり、扉に向かって突き進んだ。

 こんな人、私が好きだった人じゃない。

 何かこうなる理由があったのかもしれないけど、それなら原因を調べてなんとかする。

 でもまずは魔物を倒してから。

 今の貴方とは一緒に居られない。一緒に居たくない。

 

「どこに行くの?」


「黒い雲を創り出している魔物を倒しに行って来ます」


「無茶だ。それがどこに居るかも分からないんだろ」


「貴方には関係ありません」


 扉の前に立ち塞がる彼を睨み付け、黒剣を抜いて突き付ける。


「どいて下さい」


「ああ、それ……。俺が渡したやつか。危ないな」


 その瞬間、私はもう一つ思い出した。

 この黒い鏡のような剣が私のところに来た時の事を。

 あの時の貴方の顔、感触、香り、不安な心まではっきりと思い出す。

 この剣、貴方に託されたんだ。

 これで身を守ってほしいって言ってたよね。


 彼はあの時とは全然違う表情で刀身に手を伸ばしてくる。

 掴もうとしている……?

 ためらいの無さに内心腰が引けつつも退く訳にはいかず、振り払おうと体幹に力を込める。

 その時、窓の外――森の方から眩しい光が室内に届いて、はっとして振り向いた。

 花火のように何度も暗い空を照らしたり消えたりしている。断続的に続くこの光は……魔法の光だ。

 誰かが森で戦っている……? もしかして、ジョージ達?

 私と同じように窓の外に目をやった彼は真っ直ぐに窓際へと歩いて行き、静かに窓を開いてバルコニーに出た。


「――もう来たのか。あいつらだけじゃないな。大勢で来ているみたいだ。女神が手引きでもしてるのかな」


 彼の後ろから森を見てみると、確かに木陰の隙間に大勢の人が動いている様子が見える。

 女神様の手引き、と言った言葉はその通りのようで、泉の上にあちら側の岸から私達が居るところまで飛び石のような足場がいくつも出現した。

 何も無いところに物質を出現させるなんて、こんな奇跡を起こせるのはきっと女神様だけだ。

 ……ん? ちょっと待って。

 あの人達、あれだけの人数を揃えた上に女神様の力まで借りてここに向かって来るの?

 魔物の討伐は?


「どうして……?」


 呟くと、彼は振り返って笑みを浮かべた。

 仄暗い笑みだった。

 周囲の空間が歪み、魔物が次々に現れて泉の足場を占領していく。

 その光景を目の当たりにした時、私は無意識に後ずさった。


「知りたい?」


 嫌な予感がひしひしと込み上げてくる。

 この感覚、前にも……。

 貴方の人が変わったような言動の原因って、もしかして。

 いや。今の貴方の口から聞きたくない。

 呆然と立ち尽くしていると、彼がゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。

 反射的に体が動いて扉に体当たりした。

 今度は開いた。廊下に転がり出て全力で走り出す。

 逃げないと。


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