91.女神様の宝剣


 ふっと目を覚ましたら自室のベッドの上だった。


「……!?」


 なぜ!?

 リディルに向かっていたはずなのに。


 夢……だったのかな?


 体を起こして自分の格好を確かめると、出発前に魔道具化してどこかの教会で着替えた黒いミニスカートの剣士服を着ていた。

 うん。そうだよね。あれは夢じゃなかった。

 きょろきょろと辺りを見回すと、なんだか様子がおかしい事に気付く。

 ここ……家じゃ、ない。

 というのも、天井、壁、家具などの調度品、全てが黒いのだ。

 最初は暗いからそう見えるだけかと思っていたのだけど、本当に黒い色だった。

 よく見たら紫がかった黒だとか翠っぽい黒だとか微妙な差異はある。でも黒いのだ。

 周囲に使用人の気配もしない。


 うちは夜間でも見回りの警備兵とか夜勤のメイドさんとか、常に誰かしらの気配がする家だ。

一人もいないなんてあり得ない。


 怖くなって急いでベッドから降りると、扉の向こうからコツ、コツ、と足音が聞こえた。


 ――誰か居た!?

 ……こっちに向かって来る。


 恐怖心で身が竦みそうになるけど、心を奮い立たせて黒い剣を取り出し、構える。

 コンコンコン、と三回ノックされ、「誰!?」と訊いてみた。でもそれに対する返答は無く、かちゃりと取っ手が動いて扉が開いていく。

 向こうから現れたのは、黒髪のイケメン――。


 暗いはずなのに彼の周囲にはキラキラが舞って見えるような気がして、私は瞬きを何度も繰り返した。

 

「良かった。起きたんだね」


 喋った!?

 

 顔が整いすぎて人形かと思ってたら人間だった。びっくりした。

 状況が飲み込めなくて固まっていると、彼は後ろ手に扉を閉めてこちらにゆっくりと歩み寄って来た。私は少し後退する。


「ずいぶん寝たね。加減を間違えちゃったかな」


 彼はそう言った。……加減?

 ……あ。思い出した。


 私、眠りの魔法を受けたんだった。魔道車の上で突然眠らされて、誰かが受け止めてくれて……その人が「迎えに来たよ」と言ったんだ。

 もしかして、この人の仕業だったの?

 目の前の人物の得体の知れなさに警戒度が一気に上がる。


 絶対に知り合いじゃない。この人に迎えに来てもらうような謂れは無いはずだ。

 でも――眠りに落ちる直前、泣きたくなるような切なさを感じたのも思い出した。

 今だってそうだ。どこからか“会いたかった”という気持ちが湧き上がってくる。

 どうして?

 警戒するべきだという思いと、目の前の人に感じる“愛しさ”としか言いようのない思いに混乱してまた泣きたくなってしまう。

 ――だめだ。心を強く持たないと。

だって、どう考えてもこの状況はおかしいもの。

 

「あなたは誰?」


「なんだったかな。忘れちゃったよ。誰がどんな風に呼ばれてたとか、そういうのはどうも覚えられなくてさ」


 異常な状況に相応しいコメントを頂きました。

 よし、取り敢えず逃げよう。考えるのはその後だ。


 刺激しないようにこの場を離れなければ。そう思って「なるほど……。そうでしたのね」と言いながら愛想笑いを浮かべ、さりげなく窓際に寄って行く。

 このイケメン、間の抜けたセリフに反して所作や視線に隙が無い。

線の細い見た目に騙されそうになるけど、多分相当強い。張り倒すのは無理そうだ。

 でもバルコニーにさえ出られれば――庭に飛び降りて逃げる事くらいは出来るかな。


「……ええと。そういえば、ずいぶん寝たとおっしゃってましたけど……私、どのくらい眠っておりましたの?」


 話をするフリをして後ろ手に窓の取っ手に触れる。

 答えを聞いたら、この両開きの窓を思いっ切り押してバルコニーに飛び出すのだ。

 彼は少し考えてから答えてくれた。


「結構長かったと思うけど……正確な時間は分からないな」


「そうですか。それは――残念です」


 言い終えるか終えないかのタイミングで窓に体当たりし、派手な音を立てて開けた窓から真っ暗なバルコニーに転がり出る。

雪が降り積もる中、すぐさま体制を立て直して走り、手すりを跳び越えて庭へ――。


「あっ!?」

 

 しまった! この下、庭じゃない! 水面だ!


 まさか水の上だったなんて!

 気付いたのは既に手すりを跳び越えてしまった後で。咄嗟に身体中の魔道具に魔力を通す。

雪が降る気温の中、真っ暗闇の泉にダイブ……する直前で上の階に置いて来たはずのイケメンが抱き留めてキャッチしてくれた。

 私より先に降りたの?

 どうやって……って、ええっ!? ここ水面なんだけど!?

 彼の足元には波紋が広がり、雪が次々に水の中へと吸い込まれていく。


「危ないなぁ。急に飛び出しちゃダメじゃないか」


「ど、どうも……」


 逃走を図ったことは不問らしい。

 特に機嫌を損ねた様子もなく、彼は表情を変えずに私を抱えたまま建物の中へと戻って行く。

 不思議だ。やっぱり、この人に対して恐怖心はあれど不快感はない。

顔が良いだけで不快感まで消えるものなんだろうか……。

 

 私はお姫様だっこのまま再び自室(に似た部屋)に連れ戻され、ベッドまで来てようやく降ろして貰えた。


 逃走に失敗してしまった……。


 どう考えても危険人物でしかない彼は、意外にもずいぶん広い心をお持ちのようだ。

 会話の途中で窓から逃亡を図るという特大級の失礼をかましたのにも関わらず、怒りもせずに私が乱暴に開け放った窓を静かに閉めている。

 少なくとも今は危害を加えてくる気は無さそうだ。

 私も少し落ち着いた方が良いのかも……。

 彼は窓の鍵をかちゃりと閉め、ゆっくり振り返りながら笑みを浮かべて言った。


「もう逃げちゃダメだよ」


 やっぱり怒ってた。

 心なしか笑顔が怖い。


「す、すいません……」


 仕方ない。

 今は情報収集に徹しよう。何もかも分からないことだらけだ。


「あの、つかぬことをお伺いしますが……ここは一体どこなのでしょうか」


「リディルだよ」


「そうなんですか!?」


 まさかのリディル。

 目指していた場所に居たらしい。ということは、私、本当にしばらく寝ていたんだわ……。

 眠らされる直前、ジョージ達とはぐれた場所はここよりずいぶんと手前の地点だった。魔道車を休みなく飛ばして夜明け頃に着けるかどうかって話だったから……少なくとも一晩以上は寝ていた事になる。

ん? でもそれなら乗り物を使っているジョージ達の方が先に着いているはずだよね。

みんなはどうしているのかな。

 他にも、なぜ私の家と色違いの家がここにあるのかとか、天変地異の元凶がここリディルにいるはずなんだけどその件はどうなっているのか、とか疑問は山盛りだ。

 一つ一つ聞いていこう。


「ジョージ達はどうしているんですか?」


「ジョージ? ……ああ、仲間達のことかな。さあ。今頃こっちに向かってるんじゃない?」


 ん? みんなはまだ到着してないって事?

 それならどうして私達は既にリディルに居るの?

 ……分からない。

 

「じゃあ……“ハヤト”は」


 この近くに居るのかしら、と言おうとした時、目の前の人が「ん? 何?」と反応した。


「え?」


「え?」


 お互いにきょとんとした顔で見合ってしまう。

 今の……どう捉えても名前を呼ばれた人の反応だった。

 忘れたって言ってたけど、頭のどこかで覚えていてそれに反応した、的な……?

 え、それって。

 もしかして、この人が“ハヤト”だった!?

 謎のLOVE-NOTEに大事そうな筆致で書いてあった、あの!?

 だとしたらハヤトも記憶喪失になってたって事!?

 た、大変……! 一体何があったのかな。


 びっくりしたけど、彼がハヤトだとしたら触れられても不快感が無かったのは理解できる。

 私、彼のことが大好きだったから。

 ――ああ、記憶が一部無くなってるの、私も同じだったね。

 私達、こんな大事な時に二人揃って何をやっているのかしら。

 

 知りたい。

 ノートにはまだ書かれていない、今の“彼”のこと。

 

「……どうして私をここに連れて来たんですか?」


「約束、したから。君とずっと一緒に過ごすって」


「誰と?」


「君と――アイツ」


「アイツ?」


「うん。名前は思い出せないけど」


「何ですか、それ」

 

 ……記憶を失っているのかちゃんと覚えているのか、どっちなのか分からない。

 困ってしまって目線を下にやると、ふと、私が身につけている魔道具化したマントの裾がぐっしょり濡れているのに気が付いた。

 さっき泉に落ちそうになった時にマントだけ水に浸っていたらしい。

ベッドが濡れてしまうのは良くない。

 絞ろうと思って立ち上がると、ハヤトは少し目付きを険しくした。


「どこに行くの?」


「え? マントの裾が濡れているので、絞って水気を落とそうと思って」


 すると彼は「なんだ、そっか」と言って温かい風の魔法を使い、一瞬で乾かしてくれた。

 有り難いけど、今ので彼の怒りのツボが分かってしまって怖くなった。

 おそらく、彼は私が逃げようとする時に怒る。


「ありがとうございます……」


 こわごわお礼を言って、まだ温かさの残るマントになにげなく触れる。

 すると指先に僅かな痛みが走った。


「……っ!?」


「どうかした?」


「いえ……」


 今の、何!?

 指先が切れてるんだけど!?


 彼に気取られないようにこっそり見てみる。

 すると、魔道具として影収納の機能を付けたマントの裏地から飛び出すようにして――見たことのない、白い刃物が刃先を覗かせていた。


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