76.旅人の町エウロパレア
イナゴのおかげですっかり時間を食ってしまった。
日はもうかなり西に傾いていて、あまりのんびりしていられなくなっている。
「急ぎましょう」
「ああ。でもさ、行き先の見当は付いてるんだから、そんなに焦らなくても大丈夫だろ」
「そうですけど……。目的地は案外近いようですし。間に合わなかったら大変です」
「大丈夫だって。いくらアイツでも、もうすぐ夜になるって時に命を懸けるほどの強敵に挑みには行かないよ。もう少し進んだら宿場町があるから、そこに行ってみよう」
私とジョージの会話にテッドさんが入ってくる。
「確かにな。俺達はアリス号で移動してるからいいけど、アイツはそうじゃない。歩きで魔物の相手をしながら進んできたなら、そろそろ今夜の宿を決めたいと思う頃だろうな」
「そう考えるとやっぱりハヤト君は凄いよねぇ。この変異種の中を一人で進んでる訳でしょう? 私達は魔物の出ない道をアリス号で進んでるのにまだ追い付けてないってさぁ……。なんでだろ? 歩くの早くない?」
するとジョージはどこか遠い目をして答えた。
「まあ、アイツはそういう奴だから……。同じように歩いていたつもりでも、いつの間にかずいぶん先まで行ってる。いつも、何でもそうだった。今回もそう。きっと、俺達はアリス号に乗ってるくらいがちょうど良いんだ……」
「それって物理的な距離の話じゃないですよね? というか、アリス号って言うのそろそろやめて貰っていいですか」
みんなして他人の黒歴史を連呼するなんて。ひどいと思わないのかしら。
「だってアリス号はアリス号だろ。別に内面の話だけでもないし。アイツ昔から歩くのがやたら早いんだよ。アリス号は甘やかされてたから知らないだろうけどさ」
「……そうなんですか」
さりげなく私までアリス号呼びされている。
まあ、いいや。放っておけばそのうち飽きるでしょ。
「ええと、そういう事なら町に寄ってみましょうか。この付近だと確か……オリーブの多い町があったはず」
「そう。このまま道に沿って行けばエウロパレアに着く。王都から出た旅人は大抵立ち寄る最初の宿場町だから、多分アイツも寄ると思うよ」
とはテッドさんの言葉。
「じゃあ、そこに行ってみましょう」
ひとまずの目的地はエウロパレア。
オリーブの木が立ち並ぶ、旅人の宿場町。
町の中では車はかえって邪魔になるので、少し離れたところで下りて町には歩いて入る事にした。アリス号は他人は操作出来ないように設定してあるので、盗難の心配はない。
でも悪戯される恐れはあるので、なるべく目立たない場所を選んで隠しておいた。
夕暮れの前に辿り着いた、オリーブの木と白い石造りの建物のエウロパレア。
白い建物は青い空によく映えて、絵画のように美しい。王都から近い割にやたら異国情緒漂うこの町は、私も領地と王都を行き来する際に何度か寄った事がある町だ。
ただその時は公爵家御一行の一人としてだったので、こうして普通に歩いて入るのは初めて。
道行く人達の多くは旅装に身を包み、どこか鋭利で野性的な雰囲気を醸し出している。
「なんだか……王都とは人の種類が違いますね」
「そりゃそうだろ。旅をする人間なんて荒っぽくて当然だ。それを相手にする住人だってお上品じゃいられない。でもここは良いほうだぞ。都会から離れれば離れるほどアリスの知ってる人種からかけ離れていくんだからな。覚悟しておけよ」
「……はい」
確かに、私は本物の荒くれ者を知らない。
どんな町でも村でも、対応してくれるのはそれなりの立場の人ばかりだった。
王都の下町でも、いつもハヤトと一緒にいたからか変な人に絡まれた事は無い。
ここはしっかりしなければいけない場面だ。
「さて、どうする? 俺はアイツを探す前に、宿を取っておいたほうが良いと思うんだけど」
「そうだな。質の良い宿は早い者勝ちだから、日が暮れてから取りに行くようじゃ遅い。アリスちゃん、悪いけど、先に宿を取らせてもらってもいいかな。ベティと同室でいいよね?」
「はい。お任せします」
「良かった……。私、シャワー浴びたかったのよね。遠征帰りで、家に帰る時間が無かったから」
「あっ……。ごめんなさい。そうでしたよね。無茶な事を頼んで申し訳ないです」
「ううん! それはいいの! なんか凄い魔道具貰っちゃったし……こっちがお礼を言いたいくらいよ。でも身体は洗いたいかな」
「そうですよね」
「おい、行くぞ。運が良ければアイツと宿でかち合うかもしれないからな。アイツが行きそうな宿に当たってみよう」
「はい!」
ここに来て心の底から(一人で来なくて良かった)と思った。
王都の外の歩き方や、ハヤトの人となりをよく知っている人達が同行してくれているこの心強さと言ったらない。
「ところで、あの人が行きそうな宿ってどんなところなんですか?」
「んー……。実はな……アイツがえらく気に入ってる宿があったんだよ。まだ俺達と一緒にやってた頃の話だから、今はどうか知らないけど。そこの看板娘がとにかく可愛いくて可愛くて」
「看板娘!? 可愛い!?」
「お、おいジョージ……。誤解を招くような言い方をするなよ」
「今すぐそこに行きましょう!!」
お気に入りの看板娘とは聞き捨てならない。
ぜひとも拝見させて頂こうじゃないか。
案内してもらったのは小ぢんまりとした素朴な宿だった。
テッドさんが可愛らしい鈴が取り付けられている扉を開くと、チリンチリンという音と共にエプロンと三角巾をつけた十歳くらいの男の子が掃除の手を止め出迎えてくれた。
「いらっしゃい! あ、ジョージさんにテッドさん! 久しぶり!」
「おう。リゲル。大きくなったなぁ。父ちゃんと母ちゃんは?」
「二人とも夕食の仕込み中だよ。今はおれが受付やってるんだ。今日は二人?」
「いや、四人だよ」
そう言ったテッドさんが大きな身体をずらし、陰になっていた私とベティをリゲルに見せる。
するとリゲルは口を盛大に開き、幼げで丸い頬を少し赤く染めた。
「うわぁ……、きれーなお姉さんが二人も……!」
「あら、良い子じゃない。ね、アリーシャ様? どんな泥棒猫が出てくるかと思ってたけど、こういう子がいるなら心証も悪くないね」
「まだ何とも言えません……」
看板娘とはこの子のお姉さんか、それとも通いの従業員か。
神経を尖らせていると、リゲルは気まずそうに肩をすくめて言った。
「泥棒猫? ごめんなさい、オリビアが何かしましたか?」
「オリビア? それがこのお店の看板娘さんのお名前ですか?」
「はい……。よくお客さんや他所のお家から頂き物をしてくるんですが、盗んだ事はないので油断してました……。何か取られましたか?」
オリビア。思った以上に小悪魔のようだ。
私のピリつき度合いにベティが引いていると、足元に何やら小さくて柔らかいものが当たってきた。
「にゃーん」
「あら? 猫ちゃん! かわいい」
猫、大好き。
思わず顔を綻ばせると、リゲルはその黒い猫ちゃんを捕まえ、抱き上げて大げさに怖い顔をして見せた。
「こら、オリビア! このお姉さん達から何か取ったのか!?」
にゃーん、と鳴く黒猫。
看板娘、オリビア。
小悪魔な彼女。
本物の猫ちゃん。
じとりとジョージを睨むと、奴はニヤッと笑って目を逸らした。
や、やられた……!
「……ええと、リゲル君? ごめんなさい、私の勘違いだったみたいです。オリビアちゃんは何も取っていません。安心してください」
「そうですか? よかった……。じゃあお部屋にご案内しますね! 二部屋でいいですか?」
「はい。お願いします」
ジョージにチョップをお見舞いしてからリゲル君の後についていく。
ちょうど良かったので、階段を上りながら大事な事を訊いてみた。
「あの、リゲル君。ハヤトの事はご存じですか?」
「はい。最近は来ないんですけど、前はたまに来てましたよ。オリビアの事が大好きみたいで、この町に来た時は必ずうちを使ってくれてました」
「そうですか……。では、今日は来てないんですね?」
「はい」
そっか……。
肩を落としそうになっていると、ベティが慰めるようにポンポンと肩を叩いてくれた。
「大丈夫だよ、アリーシャ様。私達は早めに入ったんだよ? これから来るかもしれないじゃない。部屋でシャワー浴びたら町に出てみよう。捜索、付き合うよ」
「ありがとうございます」
優しさに涙が出そう。
客室に入り、シャワー室に行ったベティを待つ間にマントの中からティーセットを取り出す。
なぜこんな物を持ってきたのかって? 何でも入るから入れてみただけだ。
早速役に立ちそうで何よりである。
なんだか二十二世紀から来た猫型ロボットになった気分だけど、ベティがシャワーから出てきたら今回のお礼と共に一杯ご馳走しようっと。
紅茶の準備を終え、ボンヤリと窓から外を眺める。
たくさんの人が行き交う町。
ふと、ゴーグルで町の様子を見てみよう、と思い立った。
もしかしたら、少しくらい離れていてもハヤトの魔力なら捉えられるかもしれない。
そんな軽い気持ちでゴーグルを装着して、魔力を通す。
すると、
「……っ!」
眩しい!
あまりの眩しさに直ぐゴーグルを外した。ゴーグルの視界を全て強い光が埋め尽くしていたのだ。
目がチカチカする。
どういう事だろう。
もしかして、この町は今、王都の郊外で見た巨大な魔力の真っ只中に居るんじゃ……。
……だとしたら大変だ。
だけど、ここから見る町の様子におかしなところは一つもない。喧騒はあるものの、それは人の営みでしかなく平和そのもの。
警戒はするとして、まだ大騒ぎするような状況ではなさそうだ……。
下手に騒げばパニックを起こす。それだけは避けなければならない。
本当に、早くあの人を見付けなくちゃ。
……ねえ、会いたいよ。
どこにいるの?
焦燥感と恋しさがごちゃまぜになって苦しい。
もしもハヤトが見付からなくても、万が一この町があの魔王じみた力の魔物に襲われたら私は真っ先に行って抗わなければならない。
もちろん勝てるとは思っていないけれど、ここまで私に付き合ってくれたベティやテッドさん、ついでにジョージ。皆には何としても無事に王都に帰って貰いたいのだ。
家を出る前、お父様は、無駄死にするな、と私に言った。
皆を逃がす時間を稼ぐのは無駄ではない。もし私の身に何かあってもお父様は許してくれるだろう。
密かに決意し気を引き締めていると、かたんとシャワー室の扉が開いてバスタオル姿のベティが出てきた。
「はぁーさっぱりした~! アリーシャ様も浴びる?」
「いえ、私は寝る前にしておきます。お茶を淹れておきましたよ。いかがですか?」
「わ、嬉しい! すっごい喉が渇いてたんだ~! ……え、ちょっと待ってこれ、銀のティーセット!? まさか、公爵家の物じゃ」
「はい。家から持って来ました。私物なのでお気遣いなく」
「銀のティーセットが個人持ちかぁ……。いや、さすがだわ。こんなカップでお茶を飲むなんて初めてだよ。本当に口をつけていいの?」
「いいですよ。……あの、今日は本当にありがとうございました」
「何言ってるの。アリーシャ様には、普通に生きてたら出来ないような経験をたくさんさせて貰ったよね。私の方こそ、ありがとう」
銀のティーカップを傾け、お茶を飲むベティ。私も一緒に喉を潤す。
「はぁ……。あり得ないくらい美味しい……。幸せ……」
「あ。そういえば、婚約パーティーのお礼にお茶会をしましょうって言ってましたよね。……なかなか開けなくてごめんなさい」
「いいって。忙しいんでしょ? 落ち着いたら招待してね」
「はい。必ず。お茶会は、うちの庭でチョコレートファウンテンしようかなって考えているんですよ。来てくれます?」
「チョコレートファウンテン!? ……でも、アリーシャ様のおうちかぁ……。私みたいなのが行ってもいいのかな」
「お待ちしてますよ」
ふふ、と笑い合ってお茶を飲み干した。
無事に帰れたら、最優先でこの約束を果たそう。
その後、服を着替えて身支度をするベティを待ってから別室の男子組に声を掛け、さっそく捜索を始めた。
外はもう夕暮れで、白い石造りの建物が茜色に染まっている。
「さて、とりあえず一番賑やかなところに来てみたけど。どこから探そうか」
「まずは聞き込みだな。アイツは目立つから、町にいるなら何かしら目撃情報は入るだろ」
テッドさんの堅実な意見。
「んじゃちょっとそこの露店商に聞いてみるか。……すいませーん、人を探しているんですけど。このくらいの身長で、スカした顔の奴を見ませんでしたか?」
ジョージの聞き方が雑すぎる。
露店商の人も困っているようだ。
「え? 他の特徴? んー……。今日は月が出てるから、頭の色は銀かなぁ」
「いえ、黒な気がします」
「ちょっと待て、まだ夕暮れだ。茶色かも知れない」
なんと言う事だ。仲間内でさえ特徴を掴めていないなんて。
これじゃ露店商の人が分かる訳がない。
案の定首を横に振られ、私達は意外なところで暗礁に乗り上げてしまったと理解した。
みんなで唖然として顔を見合わせる。その、時だった。
私の耳が喧騒の中から覚えのあるピアノの音を拾い、反射的に胸が高鳴った。
これは以前、私が好きだと言った曲だ。弾き手の癖がはっきりと出る曲。
――すぐ近くにいる。
彼の弾く音が、どこからか響いてきている。
「ん? どうしたの、アリスちゃん」
私の表情の変化に気付いたテッドさんが訊ねてきた。
答えたいけど、胸がいっぱいで言葉にならない。
いた……!
まだ見付けてないけど、でもこの音は絶対にあの人のもの。
喉が詰まったようになりながらやっとの思いで声を出す。
「英雄、です……!」
「ん? 何、どういう事?」
駆け出したい気持ちをおさえ、慎重に音の出所を辿る。
それは町で一番賑やかな通りの一角にある酒場から漏れ聞こえていた。
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