77.英雄

「へえ、ピアノの音で分かるのか。上流階級ってそんな特技を持ってるんだな」


 酒場の前に立つとジョージが言った。


「階級は関係ないです。私が、この曲を練習している彼をたくさん見てきたっていうだけで」


「そっかー。俺達もピアノはシスターに習ってたけど、すぐに飽きてメトロノームのモノマネして遊んで終わっちまったな。理解できない世界だよ。……でもさ、アイツ酒飲めないのにこんなところに居るかぁ?」


「きっと居ます」


 震える手で扉を開く。音が、あふれてくる。

 ピアノの周りには人だかりが出来ていて、入口からは姿が見えないけれど――いた。


 人だかりに近付くにつれ、どくん、どくん、と心臓が高鳴る。

 どうしてだろう。ここまで夢中で追い掛けてきたのに、いざ目の前にすると掛ける言葉が思い浮かばない。

 久しぶり……ではないし。


 離れていたのはたった半日程度の短い時間。別れをはっきりと告げられた訳でもない。

だけど、もう会えないんじゃないかって思ってた。

 怖かった。


 背伸びをして、人垣の隙間から中心を覗き込む。すると、旅人仕様の頭まで覆うタイプのマントを被った人が、古びたアップライトピアノを弾いている後ろ姿が見えた。

これじゃ誰なのか分からない。でも、手の形もピアノの音色も紛れもなくあの人のものだ。間違いない。


 曲が終わるまで待とう。

 ここまで来れば慌てる必要はない。話し掛けるには心の準備もいる。


 そう思って、お店に居合わせたお客さん達と一緒に53-6、前世の世界では通称“英雄ポロネーズ”と呼ばれていた曲を聴く。通称の通り、闘いと栄光を思わせる強い曲だ。

たくさん練習していただけあって、今まで聴いてきた中で一番の完成度に仕上がっている。


だけど、少し様子がおかしい。

不思議と、聴いているうちに不安や恐怖が取り除かれていくのを感じる。


「なあ、アリス……。なんかさ……この音、おかしくないか?」


 ジョージも違和感に気付いたようだ。


「……ええ。おかしいというか……。ちょっと普通じゃないですね」


 とはいえ決して悪いものではなくて。

 勇気が出てくる。

 心が奮い立つ。

 力が、湧いてくる。


 元々魅力的な音を鳴らす人ではあったけど、比喩でなく本当に音に魔力がこもっているようだ。

まるで、音楽が持つ力を魔力で増幅しているみたいな……。

 音による強化魔法? 気のせいで終わらせるにはあまりにもはっきりとした変化を自分自身に感じる。

やっぱりこの音、普通じゃない。


 魔力を帯びた曲を弾き終えると聴衆から割れんばかりの拍手が沸き起こった。

ピアノ付近にいる人達が次々に彼に話し掛ける。


「おいお前、凄いじゃないか! こんなお上品な曲、場末の酒場にゃ似合わないと思ったけど全然関係なかったな!」


「酒場でこんなにちゃんとしたピアノを聴いたの初めてだぜ! 今の何て曲?」


「“英雄ポロネーズ”だそうですよ」


 彼の声が響く。


「あ? そうなのか? 俺はこの曲知ってたけど、確か番号じゃなかったか?」


 そう。確かに、この世界ではこの曲は番号で呼ばれている。

でも私にとっては英雄ポロネーズなのだ。


「“彼女”がそう言ったんです。この曲の存在を、俺に教えてくれた彼女が」


 彼がそう言うとお客さん達は口笛を鳴らし一斉に囃し立てた。


「彼女かー! いいね! いやホント良いもの聴かせてもらったわ。……にしても、英雄か。今の状況にぴったりだな。なんか俺、今なら魔王でも倒せる気がする」


 その言葉に、居合わせたお客さんの一人が反応する。


「魔王?」


「なんだよ、お前知らないのか? 王都の近くに魔王が現れたんじゃないかって噂。この辺の魔物はそいつに黒く作り替えられて、王都の空は分厚い雲で覆われてるって話だよ」


「何だそれ、マジかよ。これから行商に行こうと思ってたのに。……こりゃ大変だ。酒なんか飲んでる場合じゃないな。今のうちに物資をかき集めておかないと」


 その言葉を皮切りに商人風の出で立ちをした何人かが店から飛び出していった。

残るは冒険者風の強面達。彼らは一様に興奮した様子で瞳を輝かせている。


「なんだか本当に力が湧いてきた気がするな。あの黒い魔物には苦戦させられて来たとこだけど、今なら絶対に勝てる。おい、ちょっと行ってみようぜ」


「ああ。黒い魔物を倒すとランク頭打ちの奴でもまた上がり始めるって噂、本当かどうか確かめよう。本当だったら俺達でもいつか魔王クラスの奴を倒せるかもしれない」


「……頑張って下さいね」


 彼はそう言い、少し微笑んだようだった。

 少しずつお客さんがばらけて行き、残るは私達だけになる。

彼は深く被ったマントのフードで視界が隠れ、居残った客が私達だと気付いていないようだ。

椅子からスッと立ち上がり、酒場のマスターから飲みかけのグラスを受け取って、体をこちらに向ける――その時ようやく、動揺が見えた。


「…………あれっ?」


 小声でそう言って、私達の足元から、徐々に視線を上に上げていく。

目が合い、ガタッと後ろに下がった。すかさずジョージが詰め寄っていく。


「おい、何ビックリしてんだよ。お前が家出みたいな真似するからお嬢様が不安になっちまったじゃねーか。ここまで連れて来るの大変だったんだからな。取り敢えず一杯奢れ」


 するとベティが横で呟いた。


「そこまで大変じゃなかった癖に……」


「言うな、ベティ……。あれがアイツの交渉のやり方なんだ」


「交渉? ただのチンピラの言い掛かりじゃない」


「そうとも言うな」


 二人のツッコミはここだけの話におさまり、ジョージは彼の首根っこを掴んで私の前に突き出してきた。


「はい、アリス。話したかったんだろ? ちょうどいいからここで話していけよ。その間俺達はあっちで飲んでるからさ。ハヤトの金で」


「…………」


 フードを目深に被った彼は無言で私を見下ろしている。

何となく彼の目が見れなくて少し俯いたまま、まずは無難な質問をした。


「……どうして酒場に?」


 間を置いて、答えが返ってくる。


「少し、気が楽になるかと思って」


「お酒を飲んだらですか? 珍しいですね。でも……その、手に持ってるのって」


 白い飲み物。

多分だけど、ミルクにしか見えない。


「うん……。ただのミルク。結局、お酒苦手なんだよなーって思っちゃって」


 やっぱり!?

 酒場に来てミルクを注文する人、実在したんだ!?

 セオリー通りに行けば、それって酔客に絡まれるフラグだけど……。


「そしたら酔っ払いがからかって来てさ」


「華麗にお約束展開を踏破しましたね」


「そう? まあ、それで頭にきてピアノに八つ当たりしてたら、段々みんな聴いてくれるようになってさ。英雄は酒場で弾くような曲じゃないって分かってたけど……結構いい感じだったでしょ?」


 意外と普通に喋ってくれる。

緊張が解けてきて、頷きながら彼の腕を引きカウンターに誘導した。


「今まで聴いてきた中で一番の仕上がりでしたよ。なんだか魔法的効果も感じましたし……。いつからそんな事が出来るようになっていたんですか?」


 私も隣に並んで座り、ミルクを注文する。


「気が付いたら、かなぁ。演奏が上手くいかないと効果がないみたいなんだけど。…………ていうかさ、何でここにいるの? ジョージ達まで連れて」


 あ、向こうから本題に入ってくれた。

助かる。


「貴方を追い掛けてきたに決まってるじゃないですか。ジョージ達が一緒なのはお父様がそう条件を付けたからです」


「公爵が許可してるの? ……なんだよ、内緒で出てきたのかと思った」


「それをやったら帰れって言われると思って、ちゃんと準備して来ましたよ。ここに来る途中で黒い魔物も倒せました。きっと、力になれます。……一緒に、行きましょう?」


「…………やだ」


 頑なだ。

 しかもまだ一度も目が合わない。


「どうしてですか? あなたが命懸けだと思うほどの強敵なんですよね? 味方は居たほうがいいじゃないですか。後方支援くらい出来ますよ」


「そういう問題じゃないんだよ。気持ちは嬉しいけど一緒には行けない。無事に終わったらちゃんと帰るから、家に戻りなよ」


「無事には終わらないと思ってるくせに」


 ついキツめの言葉が口をつく。

 彼は何も言わず、カウンターの上で手を組んだ。よく見ると、私が贈った婚約指輪はそのままだけど、小指の紋章の指輪はもう着けていなかった。


 ……あまり追い詰めすぎるとかえって良くないかもしれない。

 一旦、引こう。


「……いずれにしろ、今日はもう遅いですから、この町で一晩過ごします。貴方も来て下さいね。みんな一緒です。宿を取ったんですよ。オリビアちゃんの宿」


「あ、そうなの? オリビア、元気だった?」


「はい。にゃーん、って鳴いてて、とっても可愛かったです。……というか、まだ宿は決めてないんですよね? 今夜はどうするつもりだったんですか?」


「……夜営にしようと、思ってた」


「なぜ……?」


「怖いから」


 怖い……?

 この人がこんなにはっきりと弱音を吐くのは初めてで、少し戸惑う。

 でももし、私がゴーグル越しに見たあの巨大な魔力を彼も感じ取っているのだとしたら、そう思うのも無理ない事なのかな。


「そうですか……。確かに、今この町は“魔王”のスポットの中にあるので、その気持ちは分からないでもないですけど」


 すると、彼はカウンターの奥に向けていた顔をバッとこちらに向けた。

 ここに来て初めて目が合った。

フードの奥から、輝く深紅の瞳が覗く。

 ふぅん……? 今日はその色なんだね。


「アリスは……、公爵からどんなふうに話を聞いてるの?」


「え? お父様からですか? えーと……。なんだかとんでもない魔物が出たから、貴方が行かなければならなくなった、とだけ……」


「……そっか」


「それと――貴方を今まで守っていたという愛の力を、もっと信じても良かったのかもしれない、とも言っておりました」


 あの時お父様と交わした会話の中では、かなり印象に残っていた言葉だ。

それをお父様がどんな意図で言ったのか聞くことは出来なかったけれど。

 体質を含め色々と特殊なところがあるこの人には何か特別な女神様の愛――加護のようなものがついていて、それが強さの源だったりしたのかな、と私なりに解釈していた。

 気のせいか、彼の赤い瞳が少し潤んだように見える。

 あ、と思った時、彼は立ち上がって金貨を一枚、カウンターに置いた。


「……どうしたんですか?」


「ごめんね、やっぱりもう行かなきゃ。オリビアの宿には行けない。アリスは皆と一緒に一晩休んで、夜が明けたら王都に帰りな」


 そう言って背中を向け、お店の出口に足を向ける。


「……ま、待って下さい!」


 咄嗟に腕を掴んだけれど、彼はそっと手を重ね、私の指を優しく外していく。

そして一度も振り返らずにお店を出て行った。

あまりの取り付く島の無さに呆然としていると、横のテーブル席で飲んでいた仲間から声が掛かる。


「アリーシャ様……」


「お前、何やってんだよ。追い掛けろよ」


「だって……」


「だってもクソもあるか。俺達を巻き込んでこんなとこまで来ておいて何で簡単に逃がすんだ。俺、そういうの嫌いだよ。いいから追え」


「……いい、んでしょうか……」


 拒絶は二度目、しかも家から離れた町で準備万端な状態にも関わらずとなれば、さすがに本当に迷惑なのかなと思い始める。

 だけどジョージは言った。


「男と女はな、イヤとかキライとか三回言われるまでは押していいんだよ。ましてアイツとお前だろ。大丈夫だよ。どんな事情があろうと、惚れた女に追い掛けられて嬉しくない男は、いない」


 その言葉に、弾かれるようにして扉を開ける。

だけど夜の雑踏の中に既に彼の姿は見付からず。

 右か、左か。正面か。

 迷っていると、後ろからベティが肩に手を置いて言った。


「私達も手伝うよ」


「ベティ……」


 横をテッドさんがすり抜けて、先に扉の外に出る。

彼は少し周囲を見渡してからある一点をじっと見つめた。


「あー……。こりゃよく見えるわ。でもアリスちゃんの目線からじゃちょっと難しいかもな」


「目線?」


 何の話をしているんだろう。

 きょとんとしているとジョージも出てきて、大柄なテッドさんの肩に両手を置き、よっと掛け声を出してひょいと肩に乗り上げた。


「お~! 明かりがあっても案外ちゃんと見えるもんだな」


「何の話ですか?」


 テッドさんの肩から下りたジョージはニヤッと笑い、腰につけていた、我が家から売り出されたばかりの異次元袋に手をやった。

中から取り出したのは、ガラス瓶に入った透明なスライムのような物体。薄暗がりの中でぼんやりと緑色に光って見える。


「これ、ドロップアイテムなんだけどさ。夜になるとこうして光るんだ。本来は山とか森の中で迷わないようにマーキング目的で使われてるんだけど――、さっきアイツのマントの首根っこを掴んだ時、付けといた」


「すごい! ジョージ!! 有能!!」


 まるでコンビニ強盗がぶつけられるカラーボールみたいだね!

 ジョージの手際に感動していると彼は得意げな顔で胸を張って笑った。


「へへっ、だろ? 最初にアリスから話を聞いた時から拗れる予感しかしなかったから、色々対策を考えてたんだよ。これはその中の一つって訳。じゃ、アイツが町を出る前に引っ捕らえるぞ。人が多いから、ここではアイツの歩く早さも人並みのはずだ」


「はい!」


「俺がまず普通に尾行する。多分アイツは気付いて逃げるから、ベティとテッドは左右から回り込め。アリスは……身体強化ついてるよな? よし、じゃあそこの木から建物の屋根に移って上から追い掛けろ。上からの方が人混みに邪魔されないし、アイツの居場所も見えやすい」


「全員ばらけるって事ですね。では、少しだけ待って下さい。皆さんに通信機をお渡しします」


「おお! めっちゃ便利なのきた!」


 物陰にしゃがみこんで、手の周りをマントで隠す。マントの中からペンとインク壺、それから適当な大ぶりのイヤリングを四つ取り出した。

 その宝石面に術式を書き込み、四つを一つのグループに設定。これで四人同時通話が可能になる。

こんな時になんだけど、これだけポンポンと魔力耐性の高い貴金属や宝石を自由に扱えるなんて。

私、お嬢様で良かった。


「皆さん、これが私達の通信機です。魔力を通している間は皆に声が聞こえていると思って下さい。聞かれたくない時は魔力を流すのを止めれば切れます」


「えー……。これ女のアクセサリーじゃん。俺、こんなの着けんの?」


「案外似合うかもしれませんよ」


 するとジョージは素直に片方の耳に着け、満更でもない顔をした。


「似合う?」


「はい、意外と」


 ジョージは二つ名が羊というだけあって、クリーム色の癖のある髪と垂れ目がちの外見が非常に優しい草食系男子だ。中身はともかく、妙に女性もののアクセサリーが映える外見をしている。

 テッドさんの方は敢えて見ない事にして、さっそく近くに生えている大きなオリーブの木に手足をかけた。


「では皆さん、よろしくお願いします!」


「おう!」


 全員でサムズアップをして、一斉に四方にばらけていった。

私は木から白い石造りの建物に跳び移り、屋根の上から町を見下ろす。

 ジョージが言った通り、ここからは皆の動きがよく見える。

なんて頼りになる人達だろう。

さっそく通信機を使ってみんなに言葉を伝える。最初の言葉は、


「みんな、ありがとう」


 だった。



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