75.百合の間に挟まりたい男、ジョージ
ジョージと魔道車の運転を代わって少し経った頃、後ろのテッドさんがポツリと言った。
「なあ。全然魔物が来ないな」
「……確かに」
これだけ異常なスポットが近くにあるのに、まだ一度も魔物と対峙していない。
道から離れたところの草原には何かの黒い姿がチラホラと見えるけど、こちらに気付いていないようで。近寄って来ないのだ。
「ちょっとゴーグルで見てみましょうか」
魔力の流れを見れば何か分かるかも。
そう思って、再びゴーグルを装着してみた。
「……あら?」
さっきは南東の空に気を取られて気付かなかったけど、地面……道幅に沿って左右、一定の間隔で光が点々と並んでいる。
空気中の魔力はもつれて絡まり合いながら漂い、その点々と置かれた光に近付くとスッと真っ直ぐにほどけて、他の流れの魔力とぶつかる事なく、まるで流れる水のように道を横切っていく。
「ジョージ、ちょっと止めて下さい」
車を止めてもらい、下りて光の正体を確かめに行く。
地面にしゃがみ込んで土を払ってみると、中から拳大の水晶の塊が出てきた。
「水晶が打ち込んでありますね。多分この道に沿って、ずっと」
「へぇ。道が町の中みたいになってるんだ? ちょっと前までそんなもの無かったはずなんだけど、一体誰が」
「アイツしかいないだろ」
そう言ったテッドさんにベティが言葉を返した。
「アイツって、ハヤト君?」
「他に誰がいるってんだ。騎士団が出てきて作業している風でもなし、個人でこんな事が出来る奴なんてアイツしかいないよ」
「そうよね……。石を用意するだけでも大変な事だもんね。ましてこの変異モンスターの中でなんて」
「じゃあ、あの人が安全な道を作ってくれてるって事ですか?」
「だろうな。よくやるよ、本当に」
「そんな……」
自分は生きて帰ってくるつもりがないのに、後の人が出歩きやすい環境を作っていくなんて……。
どれだけ人間の出来た人なんだろうと思うけど、何故そこまでするんだろうとも思う。
――というか、ここまでするってやっぱり、親玉を倒した後も影響は残るって事だよね。
お父様が武器の魔道具化を解禁した時からそう思っていた。
変異種が強くなっているらしい事も含めると、まるでこの世界全体が持つ魔力の総量が“増えた”とか”変質している”みたいな現象だと感じる。
倒しても環境は元に戻らないって……いったいどういう事なのかな。
「あの、そういえば……変異種ってそんなに強いんですか?」
「強いよ。何て言うか――”密度”が濃い感じがしたかな。やたら固かったし」
「密度ですか」
「うん。試しに一回戦ってみるか? 多分、道から一歩出たらそこら辺の奴らはすぐ俺達に気付くぞ」
「え……」
どうしよう。
試してみたい。どのくらい強くなっているのか、知っておきたい。
魔物だけじゃなく、今の私達の力も知りたい。
「……やってみましょう」
「おう」
テッドさんは口の端を上げてニッと笑い、ベティも少し緊張した表情を浮かべながらも目には高揚の光を宿して頷いた。
さっきは”わざわざ危険を冒す必要はない”と言った。
だけど本当は皆試してみたかったのだ。
全員車から下りて、道と草原の境目に立つ。魔道具の準備はOKだ。
足を踏み出そうとした時、隣からジョージが話し掛けてきた。
「いずれにしろアリスは自分が変異種にどのくらい通用するのか知っておいた方がいいだろうな。ハヤトに追い付く前にさ」
「ですね。一体も倒さずに“役に立ちたい”なんて言えませんよね」
「そういう事」
草原に、一歩踏み出す。
「でも、ヤバそうならすぐに逃げるぞ」
「はい」
ザザザザと音を立て、草むらの向こうから黒いものが猛スピードで近付いてくる。
身構えた時、近付いてくるのとは別にすぐ横で空間が歪んで、なにか強烈な気配が出現したのを感じた。咄嗟に黒剣を振り抜く。
何かをさっくり斬った感触がした。
見ると、真っ黒なクマが上半身と下半身に分かれていた。
幸運な事に核を斬れたようで、少しずつ霧になって消えていく。
「えっ!?」
テッドさんが驚いて声を上げる。次いでジョージ、ベティも。
「は?」
「え? アリーシャ様、そこに出るって分かってたの?」
「いえ。そんな気配がしただけです。……それより、全然固くなかったんですが」
「マジかよ。ハヤトみたいな奴だなお前。今のやつ、黒かったけどブラッドベアだろ。元はBランク相当の奴だぞ。変異種ならAランク以上のパーティじゃないとまともに相手出来ないはず」
「ジョージ、お喋りは後だ! 来るぞ!」
前方から近付いてきた黒いものが空に大きく跳び上がった。
今度はイナゴだ。大きな、黒いイナゴ。
「げっ! キングローカスト!」
「やだ! 最悪!」
「ついてないぜ!」
皆が口々に悪態をついたキングローカストは、大きなイナゴ型の魔物だ。
単体ならさほど脅威ではないけれど、倒すのに少しでも手間取るとあっという間に増えて本物のイナゴよろしく大群になってしまう厄介者。
そこらのAランクモンスターより嫌がられているやつの変異体。このスピード勝負にジョージの判断は早く、すぐさまナイフを投げ付けた。
ナイフは上空のキングローカストに突き刺さり、その瞬間炎を上げて燃え上がる。
魔道具化した武器の効果に投げた本人がびっくりしていた。
「おおっ!? 凄え!!」
「まだ仕留めてないぞ! 俺が斬る!」
燃えながら飛んでくるキングローカストをテッドさんが大剣で迎え撃った。
聖結界を纏った大剣はうっすら白銀色の光を纏って流星のような太刀筋を見せる。
炎を纏った黒い体を一撃で切り裂き、勝敗はついた。
テッドさんは大剣をまじまじと眺め、感嘆の息をつく。
「……アリスちゃん、これ凄いな。手応えが全然違う。本当に固さを感じなかった」
「それは良かったです」
「ああ……。それに、アリスちゃん自身も」
「おい! まだ居るみたいだぞ。もしかしたらもう増えてるかもしれない」
その声に反射的に身構えた。すると後方にいたベティが杖をかざし、横に並び立つ。
「私、やってみる!」
杖が光った。護身用の杖が、魔法の杖になる。
空中に大きな氷槍が二本現れ草むらの中を一直線に突き進んだ。
標的に刺さる音が二回続き、黒い霧が立ち上る。
「……やった! ねえ、見た!? 今の! 氷槍が同時に二本出たよ!!」
目を輝かせるベティ。テッドさんも嬉しそうだ。
「見た見た! そんな事が出来る奴、この辺じゃハヤトくらいだと思ってたけど……まあ、アイツはもっと出せるけどさ、でも凄い! ベティ、やったな!」
「えへへ……。今までどれだけ魔力をたくさん使っても大きさが変わるだけで、数を増やすのは出来なかったのよね。これって杖の力だよね? アリーシャ様、ありがとう!」
「実戦で役に立って良かったです」
……でも、そっか。威力じゃなくて数に作用したのか。
これはこれで良いけど、威力を強めたい場合はそういう風に指定する必要があるのかも。
そんな事を考えていると、ジョージがナイフを拾いながら言った。
「ま、一番凄いのはアリスだったな。……ところで、キングローカストはもう大丈夫か? 増えてなきゃいいんだけど」
「あ、そうだった。油断するには早かったね。でも、今ならいくらでも撃てる気がする!」
笑顔でそう言ったベティの期待に応えるかのように草むらからまた一体、黒いキングローカストが跳び上がった。
ジョージはじろりとベティを睨む。
「おいおい……。ベティ。滅多な事言うんじゃねえよ。本当にいくらでも撃つ羽目になりそうじゃん」
「ごめん」
ベティの杖から再び氷槍が放たれる。空中で二本の氷槍がキングローカストに突き刺さり、体に大きな穴が開き黒い霧となって消えた。
けど、横からもう一体飛んできてジョージが拳で応戦する。
「おい、やべーぞ、これ……」
ざわ、と草むらの中に無数の黒いものが蠢いた。
――これ、手遅れじゃん。
逃げようにも背後も既にイナゴでいっぱいだ。
「もう、やるしかありませんね」
「あーあ。本当、ついてないぜ。遭遇したのがよりによってコイツらなんて」
羽音が空気を震わせ、イナゴ達が一斉にブワッと跳び上がった。
空中が黒いもので埋め尽くされる。なかなかにおぞましい光景だ。
――よし、一網打尽でいこう。
風魔法を使い、上空に竜巻を起こした。空中にいる蝗達は次々に吸い込まれていき、やがて黒いものでいっぱいの竜巻が出来上がる。
「ベティ! この中に火を入れて下さい!」
「え!? わ、わかった!」
頼んだ通り、ベティの杖から大きなファイアボールが二つ放たれた。
キラービーの大群を狩った時と同じ、炎の竜巻。
火はイナゴからイナゴに燃え移り、やがて巨大な火柱となって天高く燃え上がる。
「す、すご……!」
「時々火を追加して下さいね!」
竜巻を維持しつつ、地面に残ったキングローカストを黒剣で斬る。
イナゴは脚が強いから、地面に貼り付いている奴までは竜巻に巻き込む事が出来ない。
でも跳ばないぶん動きが鈍くて仕留めやすくなっているし、跳べば竜巻が吸い込んでくれる。
とても楽だ。
「アリスちゃん、君、ホントすげーな! これ、めちゃくちゃやり易い!」
「なあお前、本当に俺達の仲間にならないか!?」
イナゴを殴り付けながらジョージが勧誘してきた。
「私はハヤトと組んでますから!」
「あ、そっか」
次々とキングローカストを倒していく。
竜巻を維持しつつ剣を振るうのは、魔法を同時に二種類展開するよりも難しくなかった。
やがて増殖がおさまり、目に見えて数が減っていく。
そしてようやく最後の一体を仕留めた時、テッドさんが肩で大きく息をして地面に仰向けで転がった。
「つ、疲れたー!! 数の暴力、キッツいわ!」
「だらしないぞ、テッド」
「そうよ。これでもアリーシャ様のおかげでかなり楽に済んだのよ」
「いやいや、何でお前らはそんなに元気なんだよ!? ジョージは明らかに身体強化が掛かってたし、ベティだってずっと魔法連発しててそろそろ魔力切れを起こしてもおかしくないとこだったろ」
するとジョージは少し首を傾げて視線を泳がせ、答えた。
「そういえば疲れた気がしないな。身体強化……ああ、ナックルにそういう効果が付いてたんだった。回復魔法も付いてるんだったな。ベティはどう? 魔力、大丈夫そう?」
「うん。撃ってすぐは結構減っている気がしてたけど……毎回すぐに戻ってた。確か、アリーシャ様に渡された指輪にそういう効果が付いてたのよね」
それを聞いたテッドさんはタグの鎖に通した指輪を摘まみ上げ、まじまじと眺める。
「この指輪の効果か。……いや本当、凄いな。魔力回復薬を飲まなくてもこんなに早く戻るなんて。魔道具を戦いに使うとこんなにも楽になるんだな。……でも、どうして俺だけこんなに疲れてるんだ?」
「……あ、テッドさんには回復魔法の効果があるものが付いていませんでした。ごめんなさい。確かに、前衛なのにそれじゃキツかったですよね」
回復魔法を掛けてやると、ムクリと起き上がったテッドさんに苦笑された。
「アリスちゃん、代金は支払うから俺にも回復効果のあるものを下さい」
「了解です」
その後、テッドさんの首元の鎖にもう一つ指輪が追加された。
力試しはいったん終了とし、魔道車に乗り込んで先に進む事にする。
運転手も交代して、今度はテッドさんの番だ。
助手席にジョージが乗り、後ろに私とベティで並ぶ。
「えーっと、この、アクセル? を踏むと前に進むんだな?」
「そうです。止まりたい時は横のブレーキを踏んで下さいね。どちらも右足で操作ですよ」
「分かった」
テッドさんは頷き、アクセルを思いっきり踏み込んだ。
いきなりベタ踏みしたおかげでグワッと急発進し、全員の体にGが掛かる。
「きゃー!!」
「ちょ、テッドさん! 最初はゆっくりです! 最初からベタ踏みすると大変なことに」
「おう! わかったぜ! んで、このハンドルを回すと方向転換するんだな!?」
そう言ってグリッとハンドルを右に回すテッドさん。
「うわっ!」
彼は、動作が! 荒い!!
急転回したおかげで体が勢いよく左に持って行かれ、座席に倒れ込んだベティの上に覆い被さってしまった。
「うっ……」
「ベティ、大丈夫?」
「だ、大丈夫だけど……。やだ、アリーシャ様、柔らかい。それに、すごくいい匂いがする」
「えっ」
ベティと見つめ合っていると、テッドさんは笑いながらハンドルを戻した。
「悪い悪い、加減がわかんなくてさ」
助手席で体勢を直したジョージが頭をこちらに向けて、重なりあう私達をじっと見る。
そしてボソッと呟いた。
「……やっぱ俺、後ろに座ろうかな。その、真ん中がいいんだけど」
ハンドルを握るテッドさんがすかさずツッコミを入れる。
「バカ、お前……ハヤトに殺されんぞ」
「あ、やっぱり?」
「当たり前じゃない。本当にバカね。こっちに来たらハヤト君じゃなくて私が殺すわよ」
ベティからも突っ込まれてジョージは前を向き、マイペースにケラケラと笑った。
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