71.☆実は公爵もアリスと同じくらいチョロかった
「じゃあ、誤魔化す?」
「…………それが一番良い気がします」
「うん……。そうだね」
小さな嘘ならともかく、大事な事で嘘をついて物事が上手くいったためしは無い。
それでも隠さなくちゃいけない事って、あるもんなんだな……。
「じゃあ、君が急にいなくなる理由を考えておかないといけないな。いや、本当に死ぬなんて思ってないけどさ、一応ね。……どうにかして助かったなら、なに食わぬ顔で戻ってくればいいんだ」
「はい」
公爵と相談し、ラヴやアリスには“魔王みたいな奴が現れたので討伐しに行く”と言う事にした。
別に間違ってないし、全てが嘘でもない。その魔王みたいな奴が自分自身ってだけだ。
数年経って色々落ち着いた頃に、そういえばアイツ帰ってこないなぁという話題にでもなったら“どこかで死んだのかねぇ”と言って終わらせてほしい。
「公爵……。一つ、我が儘を言っても良いでしょうか」
「何?」
「俺、最後にリディルを見に行きたいです」
公爵は意外そうな顔をした。
「どうして? あんまり近くはないし、そんなに思い入れもないでしょ」
「そんな事はありません。短い期間でしたが、俺はリディルの事をたくさん勉強しました。そこでアリスと暮らす日々を想像して楽しい気持ちになったりして――俺にとって、あそこは希望の象徴なんです」
……それに、深い森があるのも良い。
人目に付きやすいところで死ぬのはちょっと嫌だからな。
そう思っていると、公爵の目が少し潤んだ。
「……いいけど、そうなると三日後くらいには出発したほうがいいかもね。あそこに行くには乗り物を使ってもそれなりに時間が掛かるから」
「はい。でも、道中寄り道をしながら魔力の流れを見て水晶を打ち込みつつ向かいたいと思っています。上手くいけば、市街地のように魔物が出ない道を作れるかと」
使える水晶の数に制限が無いも同然な今なら、きっと出来る。
本当は世界中にそれをやって歩きたいけど、さすがに時間が足りない。
「……分かったよ。じゃあ、出発はもっと早くなるね。残念だけど……。王都の安全は私達に任せて、安心して行って来なさい。幸いなことに私達一家は、出来る事が他の貴族よりも多いはずだ。きっと、こんな時のために女神様は力を授けてくださったんだね。……だからさ、お土産はリディルの村長の奥さんが作ったクッキーがいいと思うんだ。頼んでもいい?」
「覚えておきます」
急に話題が変わりすぎだと思うけど、これは“生きて帰って来なさい”と言われているんだ。
言葉の選び方と話題転換の強引さがアリスそっくり。
つい笑ってしまっていると、公爵はぽつりと呟いた。
「こんな時に何だけどさ……」
「はい」
「女神様ってどんな人だった?」
またかよ。
どうしておじさん達は気になるポイントが一緒なんだ。話の切り出し方まで一緒だし。
「真っ白で、ものすごく綺麗な」
「おお……!」
「梟でした」
「フクロウ!?」
「はい。梟です」
「そうか……。真っ白で綺麗な……梟か……」
示し合わせたように同じ反応。
公爵もやっぱりションボリしてた。
☆ ☆ ☆
“随分、生意気な子だったわよ”
新しく雇った侍女の兄に会ったという妻が、そんな感想を口にしていたのを覚えている。
その新しい侍女はアリスが連れてきた義手の平民。
本来なら侍女に取り立てるような身分の人物ではなかったけれど、様々な事情がいくつも重なった結果、アリスの希望通り侍女として迎え入れる事にした。
その事情の内のひとつがクリスの縁談。もう一つが、彼女の兄の存在。
身辺調査によれば、兄の人物像は真面目でやや人に距離を置くところがあるものの人間関係は良好で目立ったトラブルは無し。
実績はじゅうぶん、口うるさい親戚の類もいない。
それでいて孤独を好む一匹狼タイプでもなく、適度に人間関係を維持できている。
しかし、貴族を嫌っている節があるらしい。
……一点を除いて、なかなか理想的な子なんじゃないだろうか。
社交性皆無のクリスの将来を支えてもらうとしたら、一点を除いてこれ以上なく好条件の揃った人物だ。
口うるさい親戚の類がいないというところがとても良い。これは平民ならではの利点だな。
性格だって、生意気なくらいがちょうどいい。
唯一の問題は貴族嫌いなところだが、これは原因となった家は数年前に人身売買がバレて取り潰しになっているので時間を掛ければクリア出来る問題でもある。
陛下はちゃんと民を見ているのだ。あの子もそれを分かっているから、何だかんだ言いながらも妹が我が家に仕えるのを許可したのだろう。
まだ若いところも良いな。仮に身内に引き込むとして、環境の変化にじゅうぶん付いて来られる年齢だ。
平民? それがなにか? 身分など後からくっつければ済む話だろう。
私は思うのだ。どこの国でも王族を始めとする貴い血筋のルーツは、必ず戦に勝つところから始まっている。今は戦は起きていないが、人の世から争いが無くなる事は決してない。つまり、あの子を貴族社会に引き込むという事は、いずれ王者になる者の初代家系を私が世話したも同然という事だ。
それってロマンの塊じゃない?
あの子はワシが育てた――って言ってみたいんじゃよ。
話を戻すと、あの子が権力を手にしておかしくなってしまう人物じゃないというのは今現在の状態を見ればじゅうぶんに分かる。貴族社会に引き入れても問題はない。
クリスにあの侍女の子を口説き落とせるとは思えないけど、何とかならないだろうか。
クリスの妻にあの侍女の子――ラヴを迎え、彼女の後ろ楯にはあの兄がいる。
いい。それ、すごくいい。
歯がゆい事に、今現在貴族じゃないところが好ましいのに貴族じゃないから政略結婚を申し入れる事が出来ない。
たとえ平民であっても、私達とは違うルールの元で生きてきた人間相手に私達のルールが通用すると思ってはいけない。
この生意気な子を相手にするなら権力をちらつかせるのは悪手だ。
悪戯に反抗心を煽っても良い結果には繋がらない。付け入る隙を見付けるまで、距離感を保ったままじっくり付き合いを深めて行こう。
――と思っていたら、クリスが侍女の子に結婚を申し込んで承諾してもらったらしい。
あっさり事が運んで、驚きすぎて声も出なかった。
アリスのサポートがあったとはいえ、あのクリスが自ら動いて掴み取った縁……。
親として嬉しくない訳がない。
少し恥ずかしげに、だけど嬉しそうに寄り添う二人を見ていると、以前何とかクリスの縁談をまとめようとして貴族の娘と会わせまくっていた時期に妻が“もっとクリスを理解しようとしてくれる娘じゃないと嫌”と縁談を突っぱね続けた気持ちがようやく理解できた。
ラヴとクリスの間にある信頼感は、何物にも代えがたい財産だ。
ちゃんとした関係を築くのはこれからだけど、スタートが良いのは良いことだ。
ともかく、あの兄妹を身内に引き入れる事には成功した。
あとは妹――ラヴをダシにして兄ハヤトに爵位を受けさせ、貴族社会に入ってもらってクリスとラヴの公爵夫妻を支える仕事をしてもらいたい。
ただ、そう簡単に頷くとは思えなかった。
何せ、あの子は今のままでもじゅうぶんなのだ。
わざわざ苦労するのが分かりきっている社会に身を投じる必要性もメリットも感じていないだろう。
まぁ、だからこそ私は彼が良いのだが。
攻略が難しいからといって何もせずに諦める手はない。
いつ、どのようなタイミングで叙爵の話を持ち掛けるかを考え続けて――その絶好の狙い目は、クリス達の婚約についての話し合いの席で突然訪れた。
話の流れでアリスの婚約が潰れた話をした時だ。
「何があったんですか!?」
この子、アリスの話題に異様な食い付きを見せる。
もしかしてこれ、釣れるんじゃない?
義理の娘の兄ってだけじゃなくて、義理の息子コースでいけるんじゃない?
結び付きは強いほうが良い。いつかこの子の伴侶になるのがうちの娘だったら安心も安心だ。
やや世界が狭くなるきらいはあるが、クリスの周囲を理解者で固められるメリットは大きい。
ああ、そうだな。過保護かもしれない。
でもそれだけ私はクリスの事で頭を悩ませてきたのだ。
だってあの子、放っておいたら絶対にどこぞの貴族に食い物にされる……。
ともかく、例の婚約破棄騒動以降、火中の栗と化したアリスにまともな縁談はしばらくは来ない。
今縁談を申し込んでくる家は大抵空気が読めないので有名なところばかり。
だったらいいんじゃない?
君、うちの娘どう?
顔がニヤけそうになるのを抑えながら、話が一段落したところでちょうど庭に散歩中のアリスの姿を見付け、声をかけてくるように水を向ける。
面食らいながらも彼は素直にアリスのところに向かってくれて、庭で二人で話をし始めた。
その光景の眩しさに、私は目を細める。
若いっていいな。
つい、そう思ってしまった。
その後アリスが市井で平民として暮らすと言い出したのは、多分にハヤトを意識しているところがあったからだと思う。
妻も同じ意見だ。
本来なら市井に出すなんてそんな危ない真似は絶対にさせないんだけど、これはチャンスだと思った。
人付き合いに一線を引きがちなハヤトも、仕事のていを取ればもっとアリスに近付いて来るはず。
彼が護衛として付いてくれるならアリスに平民体験をさせてみるのもやぶさかではない。
そう思って彼に仕事として護衛を持ち掛けてみれば案の定食いついてきた。
この時点で一本釣の成功を確信した。
この年齢の男女が二人で暮らして起こる事など一つしかないが、そうなったらなったで結婚の圧力を掛ける大義名分が立つ。
断ったら堂々と潰す。その時は誰にも文句は言わせない。
父親が男に娘を預けるとはそういう事だ。分かるだろう?
それにしても、将来有望な若者に囲い込みを仕掛けるのはなぜこんなにも楽しいのだろうか。
妻に悪趣味と言われつつ、爵位を用意して事の動きを待った。
そうして三ヶ月後、ようやくアリスから連絡が来た。話があるから二人で行きます、と。
来た。
ああ、ようやくうちの問題児達が片付いた。
真っ先に感じたのは、そんな思いだった。あと一人いるけど、二人片付いたのは大きい。
ハヤトはよくやってくれたと思う。
慣れない環境で暮らし、予定も管理され、勉強三昧で、今までとは正反対の生活にも関わらず不満ひとつ溢さずにこちらが求める以上の水準で物事をこなしてくれる。
学院へ編入するに当たって受けた試験では驚きの全教科満点という結果を叩き出し、それが当然のような顔をしていた。
えーと、これまで勉強する習慣、無かったんだよね?
……この子の頭の中ってどうなってるんだろう。ていうか、その外見でこの能力ってズルくない?
「……これからも驕る事なく励みなさい」
そう言うと、彼は神妙な面持ちで頷いていた。
私はそこまで特別頭が良い訳でもないから、この時の彼の気持ちは推し測る事しか出来ない。
しかし、きっと常人には思いも付かないような事を考えているのだろう。
末恐ろしい子だ。味方でいてくれるこの現状の、何と心強い事か。
私は良い拾い物をした。
この縁は全てアリスのおかげだ。
いずれ訪れる引退の時も悠々とした気持ちで迎えられる。
そんなふうに安心しきっていただけに、今回の件は堪えた。
数ヶ月前に受けた依頼で、中に闇属性に特化した神格が入り込んでしまっていたと言う。
今まで気が付かなかったのは、アリスに夢中なあまりそやつが付け入る隙が無かったせいではないかと女神様が言ったらしい。ギルド長はそう証言した。
そんな事ってある?
この子、どれだけアリスの事好きなの? ハヤト、恐ろしい子……。
しかし、恋愛脳で神格の意思を抑え込むなんてバカバカしいようでいて案外古典的王道なのかもしれないとも思った。
太古の昔から、英雄の危機を救い出すのはいつだって愛の力と相場が決まっているのだから――。
などと現実逃避してみたものの、それで物事が解決する訳ではないので思考を目の前の問題に向ける。
ギルド長の励ましもハヤトにはさして響いていない様子で、彼はぼんやりとした顔で宙を見つめ空返事を繰り返していた。
ショックを隠し切れていない様子が痛々しくて、上手い励ましの言葉も思い浮かばない。
私は、この子が本当に真面目で勤勉なのを知っている。
恋愛脳も生意気さも、愛嬌のうちだ。
最初は、クリスのために是非とも身内に引き込みたいと目論んでいた、それだけだった。
だけどいつの間にか本当の家族のような感覚を持つようになっていた。
決して長い期間を共に過ごした訳ではないけれど、娘を大事にしてくれて、娘のために慣れない環境で身を立てるために実直に努力を積み重ね、持ち前の素直さで頼るべきところは頼ってくれて。
その姿を間近で見ていて、絆されない訳がない。
妻には“貴方ってそういうとこあるわよね”って言われたけど、何をもってそういうとこなのか私には分からない。
ただ、妻と一緒に舞台などを観に行っても毎回真っ先に泣くのは私のほうなので、それを指して言われたのかなとは思っている。
ともかく、ハヤトが戻らぬ旅に出ると言い出した時、私は止める事が出来なかった。
リディルで最期を迎えたいと言うなんて思いもよらなかったのだ。
もしかしたら、王都に留まる事で決意が鈍る事を恐れたのかもしれない。
あの子が責任を感じてしまうのは筋違いだけど、気持ちは分かる。
自分のせいで誰かが死ぬかも知れないと思ったら耐えられないのが普通の人間の感性だ。
そう、あの子は規格外であるけれど、人間なのだ。
内に神格を宿してしまったとしても、その心や目線は以前と変わらず少し臆病なまま。
あの後ギルド長と通信機で少し話をして聞いたのだけど、どうやらあの子はアリスの事を“いつか俺の事なんて忘れて他の人と幸せになる”と言ったらしい。
私は、個人的にそれは間違いではないと思っている。こと、人との別れは時間が必ず解決するものだから。
あの子もそれをよく知っていたのだろう。両親や友人、または顔見知りの冒険者達。
彼がこれまでどれだけの別れを見て、自らも経験してきたのか……私には報告書以上のことは知る由もない。
けれどきっと、その度に立ち直ってきたからこそ出た言葉なのだ。
彼と相談した結果、アリスには本当の事を言わずにおくと取り決めを交わした。
すぐに――明日にでも王都を出るそうだ。
つまり、この話し合いの席が今生の別れになる。
だけど私にはまだ彼が何事も無かったかのように突然帰ってくるような気がしてならない。
彼だけでなく、私もまたこの話を現実味をもって実感出来ていない内の一人なのかもしれなかった。
今、各所から集めた変異種の情報をまとめたレポートが私の机の上に置いてある。それによると、確かにどれもこれまでより数段手強くなっていて、重傷者が多数。
いつ犠牲者が続出してもおかしくない状況にある。
しかも範囲が徐々に広がっているようだ。現在も広がり続けているのだろう。
私は、あの子と約束した。
王都の安全は任せなさい、と。
変異種による犠牲者が出てしまったら、あの子が帰って来られなくなるじゃないか。
……しかし、任せなさいと大見栄を張ったものの、神格相手に私達が果たしてどれほどの事が出来るというのか。
窓から夜の闇を眺め、思案に耽る。
その時、背後で扉がガチャリと開いた。
「父上~……。こんな夜遅くに呼び出すなんて何事ですかぁ。せっかく今夜からラヴさんと一緒に眠れるようになったのに……。うわっ! 何ですか、この素材の山は!?」
「来たか。……クリス、私は決めたよ」
「ほえ? 何がです?」
いつかはそうなる日が来ると思っていた。いつ、それを許可するのかと考えてもいた。
きっと今が、その時。
「今。この時をもって、我が家は魔道具としての武器防具の開発を解禁する」
私達に出来るのは、そのくらいしか無いのだ。
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