64.そうです、私が公爵家のお嬢様です
厨房で洗い物を手伝ってから、着替えて帰り支度をするべく一人で使用人部屋に向かった。
すると玄関ホールで例の先輩メイド達が立ち話をしている場面に遭遇してしまう。
「えー? 本当?」
「本当本当。昨日家政婦長と執事様が何かコソコソやってたでしょ? あれ、紛失物を探してたんだって」
「それなら言ってくれれば私達も手伝うのにね。なんで声を掛けてくれなかったんだろう」
「手伝うってあんた、宝石コレクションを眺めたいだけでしょう」
「あ、ばれた?」
きゃっきゃっと笑っている二人に反して、一人、反応が悪いメイドがいる。
うつむいて会話を聞いているだけ。嫌がらせが一番熾烈だった上級メイドの彼女だ。
ああ、もしかして、やっちゃってたのかな……。
見ていると、会話に混ざらず気まずそうに顔を逸らした彼女と目が合ってしまった。
彼女はみるみるうちに表情を険しくさせ、こちらに歩み寄ってくる。
「……アンタが来てからなんだかこの屋敷はおかしいわ。一体何をしたの?」
「特に何も」
強いて言うなら、メイドの規律が保たれていないと大奥様に伝えたくらいだろうか。
そこから全員の持ち物をチェックしたほうが良いと判断したのは大奥様だ。
あんな派手な嫌がらせを何のためらいもなくするのだから、遅かれ早かれ似たような展開になっていたと思う。
「もし紛失物に心当たりがあるのなら、早めに見付けてあげた方が良いんじゃないですか?」
「っ……」
顔面を蒼白にして目を泳がせる。
もう、これ確定じゃん。何でやっちゃったのかな。
「……何よ、その目。私がやったって言いたいの?」
「何も言ってません」
「嘘おっしゃい! 絶対そう思ってるわよね!? あんた一体何なのよ、もう! たった半日で上級になった時点でおかしいと思ってたの! ……そうだ。あんた、私を陥れたのね。大奥様に私の事を悪く言って取り入ったんでしょう! 大した女ね! どうせ盗んだのもあんたなんでしょ!?」
「違います」
同僚が突然異常な様子を見せたことに他の二人のメイドは呆気に取られている。
彼女の大声につられてあちこちの部屋の扉が開き、使用人だけでなくアンナ嬢や奥様、妹弟たちも顔を覗かせ始めた。
引っ込みがつかなくなった状況に彼女は顔を真っ赤にして私を指差し、「この女が泥棒よ! 誰か捕まえて!」と叫んだ。
だけど誰も動かない。皆、様子を見ている。ここで私が逃走する素振りでも見せれば動く人間も出るだろうけれど、生憎そうではないので。
その状況に焦りを感じたのか、彼女は私の胸ぐらを掴みに掛かってきた。
護身術の出番だ。内側から両手をパンと跳ね除けて手首を掴み、背中側に捻り上げる。
「いたっ! 痛い痛い! 離して!」
彼女は叫び、腕を振りほどこうともがく。
――さて、どうしよう。この場をどうおさめるべきか……。
考えていると、右から大奥様が、左から厨房組がホールに出てきた。
三角巾を顔に巻いたハヤトから、ピリッとした肌を刺すような感覚が伝わってくる。
も、もしかして、これが殺気というやつなの……?
貴方が殺気を放つと洒落にならない。駄目。
慌てて首を横に振ると、彼は踏み出しかけた足を止めた。
右側から大奥様の「何をしているの!」と怒鳴る声が響く。
その声にびくりと反応した二人のメイドが私と上級メイドを引き剥がしにかかった。
「ちょっとぉ、離しなよ」
「大奥様、怒ってるよ。まずいって」
手首と肩をメイド達に掴まれ、私も力を緩める。
その時、拘束から抜け出した上級メイドは顔を真っ赤にして掴みかかってきた。
身体を横にずらしてかわしたけれど、髪をわし掴みにされてしまう。
「あっ」
ぐい、と引っ張られてウィッグがずれた。勢い余った彼女は倒れ込むようにして床に転び、赤毛は握られたまま私の頭から外れていく。
中にまとめておいた地毛がはらりと肩に下りてきた。上級メイドはまさか髪が取れるとは思っていなかったのか、転んだ体勢のままウィッグを見つめ固まっている。
誰も動かず、何も言葉を発せず、ただ静けさだけが辺りに満ちた。
そんな中、アンナ嬢が呟いた一言が妙に響き渡る。
「……え? アリーシャ様……?」
沈黙を破ったアンナ嬢に視線が集まる。
使用人達はピンと来ていない様子だったけれど、真っ先に反応したのは彼女の十歳の妹だった。
「えーっ!? うそぉ! アリーシャ様ってあのアリーシャ様!? なんでうちでメイドなんてやってるの!?」
それに答える人はおらず、大奥様がつかつかと歩み寄ってきて私の前で跪いた。
「重ね重ね申し訳ございません。わたくし共の管理が不行き届きなばかりに、ステュアート家のご令嬢にとんだご迷惑を」
大奥様の言葉に、使用人間でもどよめきが起こった。
どう誤魔化そうかとばかり考えていたけど、ここまで来たらもう開き直るしかない。
そうです。私が変なご令嬢です。
「迷惑など。私は自分の都合でこうしているだけです。全ては自己責任、大奥様にそのような事をして頂く謂れはございません」
そう言い切って大奥様に直ってもらう。アンナ嬢はプルプルと震えながら口元を手でおさえた。
「そんな……。エリー先生がアリーシャ様だったなんて……。えっ? じゃあ、一緒に来てた旦那さんって……」
ちら、とハヤトに視線が向かう。ハヤトはため息をついて顔の三角巾を取った。
はっとするような美貌が現れ、大奥様と厨房組以外の人達が息を呑んだ。
彼はそれを気にするふうでもなく真っ直ぐに歩み寄ってきて、私のボサボサの髪を手で整えながら言った。
「大丈夫? 怪我してない?」
「大丈夫です」
「良かった。どうなるかと思ったよ」
そのやり取りを見ているアンナ嬢の目に涙が滲む。
心が痛い。好きな人に振り向いてもらえない辛さは私にだってよく分かる。
だからと言って譲ってあげたりは出来ないのだけど。
ぽろぽろ泣き出したアンナ嬢の肩を奥様がそっと抱いて「どうしたの? ママにお話してご覧なさい」と優しく言った。
ほら、貴女もちゃんと大事にされてるじゃない。
大奥様だって、婚礼用のリボンに刺繍をしたりして貴女の幸せを願っているんだからね。
略奪なんかやめなよ。みんなが悲しむじゃん。
ふーと息をついて足元の上級メイドを見ると、彼女はポーっとした顔でハヤトを見上げていた。そして私の視線に気が付いて「ひっ!」と叫んでうずくまってしまう。
「も、申し訳ございませんでした! 公爵家のお嬢様とは知らなくて、私……!」
狼狽する彼女の元にしゃがみ込んで、なるべく優しい声色を使って声を掛けた。
「知らなくて当然です。隠していたのですから。――ところで、奥様の持ち物を“借りて”いるのは貴女なんですか?」
「はいっ! そ、そうなんです! ちょっとお借りしただけなんです! すぐに返すつもりで」
「そうですか。ではすぐに返してあげて下さいね。使いたい時に無いと、困りますから」
大奥様に目配せすると、彼女は頷いて執事に指示を出した。この上級メイドを連れて行きなさい、と。
執事は上級メイドの腕を掴んで立たせ、どこか奥の部屋に連れて行った。
貴族の家あるあるなんだけど、尋問、懲罰用の部屋を置いている家は多い。彼女はひとまずそこに連れて行かれたのだと思う。
しっかり絞られて、大いに反省して頂きたい。
――さて、そろそろ解散にするか。
皆も仕事があるだろうし。私が動かないときっと皆も動けないだろうから。
「では大奥様、私は帰り支度をして参ります。短い間でしたけれど、お世話になりました」
「かしこまりました。お帰りの際はどうぞ我が家の馬車をお使い下さいませ。用意しておきます」
「ありがとうございます」
お互いに礼を取って挨拶をする。
やっぱり家の名前が出ると何でもさくっと解決するなぁ。
だけど同時にこうして人との間に壁が出来る事も受け入れなくてはならない。それが今の私には少し寂しく感じる。
少し前まではそんなの当たり前のことだったのだけど。
その時ふと、横のほうから女性の低い声が響いた。
「は? 何ですって、アンナ。……もう一度言ってご覧なさい」
見ると、少女のような無垢さで自分の物が持ち出されていた話にも特に反応を見せなかったフワフワ奥様が突然、夜叉のような顔付きに変貌していた。
あまりの変わりように、アンナ嬢含め周囲の人達も硬直している。
「え……だから……あの……私がハヤト君と結婚したかったのに、って……」
「このおバカ!」
ばちーんと頬を打つ音が響いた。奥様が思い切り平手打ちでアンナ嬢をひっぱたいたのだ。
この音の響き、ずいぶん腰の入った打ち方だったように感じる。
あの奥様、きっと平手打ちに関して素人ではない。少なくともかなり練習してきたものと思われる。
アンナ嬢は信じられないといった表情で頬を押さえ、奥様を見た。
「な、何するのママ……」
「何するのじゃないわよ! 人の婚約者にちょっかい出すなんて許される事じゃないの! 貴女ね、取られる人の気持ちを考えた事がある!? 私がそれでどれだけ辛い思いをしているか! 昨日だってあの人、仕事とか言いつつ帰って来ないし今も居ないじゃない。家の辛い事には関わらないくせに美味しいところだけつまみ食いするような泥棒猫、殺されても文句を言う権利なんて無いのよ!?」
か、過激派―!
どうやら奥様は、義母だけでなく夫である男爵との関係にも悩んでいるらしかった。
怒る事を知らない奥様の、唯一の虎のシッポ。それをアンナ嬢は踏みつけてしまったようだ。
何となく空気を読んだ使用人達は気配を消して音もなく退散して行き、残ったのは私とハヤト、弟妹君達と大奥様、それと家政婦長だけになった。
全員が目を丸くして奥様の変貌ぶりに驚いている。
アンナ嬢は昨日習得したばかりの負けん気を発揮して言い返した。
「泥棒猫だなんて……ひどい。人を好きになる事の何がいけないの!? 愛は素晴らしいものだっていつも言ってるくせに! それでどうして私をぶつのよ。文句があるならパパに直接言えばいいじゃない!」
「あの人は男性だから女性の気持ちなんて話したところで分からないし意味が無いのよ! でも貴女は女性でしょう? 裏切られる女性の気持ちくらい想像できるはず。だから余計に許せないのよ!」
扇を手にパシパシとアンナ嬢の頬を叩き続ける奥様。
やがてアンナ嬢は「やめて、やめて。ママ、ごめんなさい」と言って泣き出してしまう。
これは相当溜め込んでたな……。
メイプル男爵、罪深い人……!
その様子を呆然としながら眺めていると、大奥様はぽつりと小さく呟いた。
「あの子、あんなふうに怒る事が出来たのね……。知らなかったわ」
はっとして私に向き直った大奥様は「ここは私が見ておきますから、お二人はどうぞ帰りのお支度を。みっともない場面をお見せしてしまい、申し訳ございません」と言って私達の背中を押した。
何も言えなくて、促されるまま使用人部屋へ。ぱたん、と扉が閉まってしばらく呆然としたのち、私はのろのろとした動きでエプロンの結び目をほどいた。
「奥様、すごかったですね……」
「うん……。男爵、帰ってきたら地獄を見そう……」
確かに。
大人しい奥様が皆の前であそこまでぶちまけてしまったのだから、もう今までと同じようにはいかないだろう。
想像して、少し笑った。
「そうですね。男爵も少しくらい痛い目を見たほうが良いと思います」
シャワー室の脱衣所に入り、制服を脱いで来た時の服に着替える。
赤毛ではなく、金髪のアリーシャとして帰るのだ。アンナ様に正体がバレた件について、この先学院でどうするかは帰ってから考えよう。
借りていた制服は四角にたたんで、使用人用の洗濯バスケットに入れた。
「準備出来ました。帰りましょう」
彼は頷き、扉を開けて先に通してくれた。
厨房に寄って別れの挨拶をすると、ブラザーズ(偽)は礼を取ってから愉快そうに笑い、ルイージ料理長は私達を眺めてしみじみと語り出す。
「いや、なかなか無い経験をさせてもらいました。公爵家のお嬢様と一緒に厨房で仕事をするなんて、想像すらした事がありませんでしたからね」
「そうなんだよなぁ。確かに普通のメイドじゃないような雰囲気は出てたけど、まさかあのステュアート家のお嬢様だったとはね。芋の皮剥きをするお姫様に比べたら、うちのアンナお嬢様の趣味がお菓子作りなんていうのは全然可愛らしい事だったんだなって」
マリオさんにさりげなく変人っぷりをからかわれて苦笑するしかなかった。
ルイージ料理長は腕組みをしてしみじみと言う。
「私なんて子爵を後ろから殴ってしまいましたよ。とんでもねぇ石頭だなとは思いましたけど、噂のリディル子爵なら納得です。俺の拳が勝てる訳ねぇや」
「ですねぇ。俺の必殺技、空中芋切りも子爵相手なら敵う訳がねーです。料理長には怒られましたけど、良いもん見せて頂きました」
ははは、と笑って料理長はハヤトに右手を差し出した。
「私ね、こんど妻が初めての子供を産むんです。煙突掃除屋の幸運にあやからせて下さい」
ハヤトはニコッと微笑んで頷き、料理長と握手を交わした。
料理長は手を離してから一歩下がり、再び礼を取る。
「数々の無礼を働き、申し訳ありませんでした」
「いえ、無礼なんて」
「あ、俺も握手してもらおうかなー。いつか料理長になりたいから」
「却下。下剋上禁止」
マリオさんは差し出した手をルイージ料理長に止められていた。
大奥様は帰り際に馬車まで見送りに出て来てくれて、二日分の報酬とラベンダーの香りがする紫のリボンがついたサシェ、それに大粒の琥珀がついた金のフェロニエール(鎖を額に巻くアクセサリー)を渡してきた。
「え。これは受け取れませんよ。お返しします」
「あら、こんな年寄りのものは時代遅れで使えませんか? 使わなくてもいいからどうぞ持って行って下さい。迷惑料には足りないかもしれませんが、この琥珀には私が若い頃に名を馳せた一流の職人が彫った薔薇のインタリオ(彫り模様)が入っているのですよ。今じゃなかなか手に入りません」
「なおさら受け取れませんって」
「良いのです。もう私は社交界を引退した身ですから、使いどころが無いのですよ。琥珀はアリーシャ様の金髪によく馴染みますし、それに、子爵の昼間の瞳とも同じ色ですよね」
うっ。なんというキラーワード。
出入りの宝石商だったら迷わず購入していた。
やはりこの大奥様、やり手だ……!
「……では、ありがたく使わせて頂きます。後日、お礼を送らせていただきますね」
「お詫びのつもりですので、そういったお気遣いは無用です。では、お気を付けてお帰り下さいませ」
馬車の扉が閉められ、ゆっくりと走り出した。
少しずつスピードが上がり門扉が開かれて、蹄の音も軽快に通り抜ける。
こうして私の一泊二日の職業体験は終わりを告げた。
そう遠くない自宅にはすぐに着き、自室で一息ついていると扉が控えめにノックされた。
リズム感のない不慣れなノックの感じ、侍女やメイドではなさそうだ。
返事をすると、かちゃりと扉が開いてラヴが姿を見せた。
いつもの明るい笑顔は消えていて表情が固い。
こちらにまで緊張が伝わってくるようだ。
「……どうしたの?」
「アリーシャ様……少し、よろしいでしょうか」
ただ事ではないラヴの雰囲気に、姿勢を正して頷いた。
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