メイドさん×煙突掃除屋さん

58.メイドさんと煙突掃除屋さん(新婚)


「はぁ!? メイプル男爵家のメイドになってくる!?」


 その日の帰り道。

 迎えに来た馬車の中で、通信を切った後の話し合いがどうなったのかをハヤトに聞かれ結果だけを伝えると彼はとても驚いていた。


「何がどうしてそうなった?」


「彼女は家庭に少し問題があるように感じたんですよ。外部の人間の介入が必要そうだと思って……。私も今になって冷静に考えると、ちょっと踏み込みすぎかなって思うのですけど……あの時はなぜか気分が乗っていて、そうするのが一番良いかなって思っちゃったんですよね」


「……やたら通信を切るのが早いと思ったらそんな話になってたんだね。学院の仕事はどうするの?」


「やりますよ。なのであちらのお家に行くのは週末だけになります。大したことは出来ないかもしれませんが、少しでも変わるきっかけを作れればいいなって」


 するとハヤトは、ふぅとため息をついて言った。


「ワルツなんか弾いてる場合じゃなかったな……」


「あ、そう言えばどうして終了の合図を出したのに続けてくれたんですか? おかげでこちらは助かりましたけど、貴方のお昼の時間が無くなっちゃいましたよね」


「なんか楽しくなっちゃって止められなかったんだよね……。ワルツのせいだと思う。お昼は大丈夫。最近、あんまりお腹空かないから」


「え……それって大丈夫じゃないですよね。そんなにストレスを感じて……?」


 彼が苦労する、と言ったアンナ嬢の言葉が脳裏をよぎる。

 だけど当人は首を振って否定した。


「別にストレスなんて感じてないよ。元々、時間通りに三食摂る事ってほとんど無かったからさ。ちゃんと食べるようになったのってアリスと一緒にいるようになってからなんだよ。だからそんなに心配する事じゃない。それより、アリスこそ大丈夫なの? メイドって」


「大丈夫ですよ。仕事内容なら、うちのメイドさん達から教われますし」


「休みが無いじゃん」


「それは、まあ……そうなんですけど、一時的な事なので」


「……俺も行こうかな」


「えっ」


「だって心配だよ。アリスがメイドさんをやるなんて」


 何が心配なんだろう。仕事が出来ないと思われているのかな。

 確かに私はうっかりが多いけれど、そこまでひどくはないはず。


「私からすれば貴方がアンナ様のお家に行くほうが心配ですよ。出来れば近寄ってほしくないです。それに私、エリー先生として行くんですよ? どんな理由を付けたとしても、貴方が一緒に行くっておかしな話じゃないですか」


「じゃあさ、俺も変装すれば良い? エリー先生の夫として」


 話がどんどん妙な方向に転がっていく。

 だけどやたら目をきらきらさせて詰め寄ってくるものだから、彼に弱い私としては頷く他に無い訳で。


「……貴方が良いなら、良いですよ」


「やった! アンナ様に言っといてね。夫もついてくるって」


「夫……。じゃあ私達、もう結婚しちゃってるんですね。その設定の中では」


「そうだねー。どうする? ラブラブごっこする?」


「します!」


 具体的に何をするのかは知らないけれど、是非やらせて頂きたい。

 そう思って隣り合った肩同士をぴったりと密着させたら背中にススっと手が回ってきて、腰のところをこちょこちょしてきた。笑いたいのをこらえてすぐにやり返すと、今度は背中から首筋に移動してくる。

 そうやってくすぐり合ってキャッキャッと笑っていたらいつの間にか家に着いていたみたいで、扉を開けた従者のやや冷たい(気がする)視線に促されて馬車を降り、二人ともキリっとした顔で歩いて家に入った。


 ――さて。

 そうと決まれば、早いとこ夫の設定を詰めなければ。

 私のように適当な設定で迷子になったら困るからね。私は着替えてからハヤトの部屋にお邪魔して、エリー先生の夫についてあれこれと話し合いをすることにした。


「まず、貴方はちょっと目立ちすぎるのでその外見をどうにかしない事には連れて行けませんよ」


「どうにかって……エリー先生みたいに眼鏡とか?」


「そんなもので(そのキラキラを)隠せるとは思えないですね。もっと本気のやつじゃないと」


「眼鏡じゃ変装にならないって分かってるんじゃん……。言っとくけど、俺はエリー先生がアリスだって知られるのは時間の問題だと思ってるんだからね」


「女には化粧がありますから大丈夫なんです。髪の毛も変えればかなり印象は違いますし……。そうですね、貴方も髪が変われば別人を装えるんじゃないですか?」


「そうは言ってもなー……。色が変わるくらいいつもの事だし。ほら」


 彼がそう言うと周囲がみるみる内に凍り付いて行き、本人の髪と瞳もアイスブルーに変化していく。


 ――セルフ変色、出来たんか……。

 いや、確かに出来てたよね。旧校舎を蒸発させた時ピンクだったもんね。火山の近くに寄るとピンクになるって言ってたけど、あれってつまり自らが火山になれるって事だもんね。

 この場合は氷山かもだけど、どんだけなの……。


「普通じゃないんですよ? 普通は色なんて変わらないですからね? あと、寒いです」


「あ、ゴメン」


 スッと氷が溶けていき、やがて室温が常温になる。

 元の色に戻ったハヤトは机に頬杖をついて、何やら遠くを見つめ考え始めた。

 見慣れたとはいえ、そんな何気ない仕草が非常に絵になる美しさは相変わらずでつい見とれてしまう。

 目元を縁取る長い睫毛。乙女ゲームのスチルじみた謎の色気。

 形の良い唇が薄く開き、白くて綺麗な歯がちらりと覗いた。

 そしてゆっくりと言葉を紡いでいく。


「鼻メガネ……」


 目から入る情報と耳から入る情報にギャップがありすぎて、何かがバグったとしか思えなかった。

 慌てて首を横に振る。


「それはダメです。使えません。作り物感がありすぎて変装がバレバレです」


「だよね。だったらもう顔全部覆っちゃえばいいかな」


「どういう事ですか?」


「俺の父親、そうやって仕事してたんだよ」


 そう言って彼は影の中から真っ黒な古びたシルクハットを取り出した。

 ――あれは、煙突掃除屋さんの帽子?

 お父上の形見だ。

 そうか。分かった。貴方が言いたい事。


「良いですね、それ」


「でしょ? これなら布で顔を覆っても不自然じゃないし、帽子もゴーグルもつければ更に確実」


 確かに。

 幸運のシンボルと呼ばれる彼らは、煤から体を守るために様々な工夫を凝らす。

 帽子や口元を覆う布、ゴーグルなどはその一環だ。

 ――だけど、それはそれとして、私はなんだかとても嬉しかった。


「ちょっと被ってみて下さい。……ふふっ、似合いますよ。素敵です」


 彼のルーツに触れられたような気がして嬉しかった。

 決して高くはない身分の出自を、なんの気負いもなくさらけ出してくれることも、嬉しい。


「じゃあ、これで決まりだね」


「はい。でも、付いて来るのは良いんですけど、仕事はちゃんとするんですよ」


「それは任しといて。ちょいちょいアリスの様子を見られればそれで安心できるからさ。俺、週末は煙突を綺麗にします!」


 ――こうしてエリー先生の夫は、煙突掃除屋さんとしてメイプル男爵家に潜入する事に決定した。


 その直後から私はさっそくメイドさん達に仕事を教えてくださいと頼み込み、我が家のメイドさんの制服を着て彼女達と一緒に家の中を闊歩し始めた。


「ど、どうしたんだい、アリス」


 通りかかったお父様は私の奇行に目を丸くして立ち止まる。


「愛を守るために戦うんです。これはその練習」


「?」


 お父様にはきっと理解できないでしょうね。

 愛を守るためなら何でもするっていう女の子の心なんて。


「わぁ、アリーシャ様! どうしたんですか? かわいい!」


 きっとラヴはわかってくれると思っていた。

 ラヴの横からクリスお兄様がひょっこりと顔を出す。


「ラヴさんも着る?」


 兄はきっと目的を勘違いしている。

 違う。これはそういうアレじゃないっての。


「ね、義姉様!? それは一体!?」


 ルークにまで驚かれた。

 お父様に言ったのと同じような説明をすると、ルークは何かを噛みしめるような顔をしてハヤトの部屋のところまで行き、勢い強めに扉を叩いて中に突撃していく。


「義兄さん! ありがとう!」


「なにが!?」


 室内から二人の会話が響いてくる。

 本当に何がありがとうなんだろう。

 普段偉そうにふんぞり返ってる義姉を手懐けてくれてありがとう的な?

 ……失礼しちゃうわね。


 ちらっと部屋を覗くと、机に向かって勉強中のハヤトの前でひざまずくルークという謎の絵面が完成していた。


「おすそ分け、頂きました!」


「だからなにが!?」


 ルーク……あの子、大丈夫なのかしら……。

 数年後には伯爵になるのにあんな感じって。

 去年より退化してない……?

 もしかしたらクリスお兄様よりもルークのほうが曲者かもしれない。


 そう思いながら私はハヤトの部屋を素通りし、粛々とメイドさん達に業務を教わった。


 ――――


「え、えっと……」


「初めまして。エリーの夫、ハワードと申します」


「はい……初めまして……」


 週末。メイプル男爵邸に入る前に、最終的な打ち合わせのため男爵邸の鉄柵越しにアンナ嬢と落ち合った。

 今アンナ嬢に挨拶をしているのは黒尽くめの怪しい男、ハワード(二十歳)。

 その正体は黒の組織ならぬ煙突掃除屋さんに扮したエリーの夫だ。

 しかし更にその真の姿は隣の席のハヤト君という二段構えの身分詐称、なかなかややこしい事になっている。

 なぜこんな事になったのか。

 元はと言えば私のせいだ。


 彼は黒いシルクハットにダブルの金ボタンが並ぶスタンドカラーの黒い服、そしてスス避けの黒い布で目元以外の顔を覆っている。

 その目元もゴーグルで覆うという完全防備っぷり。

 こうなるともう完全に誰だか分からない。

 けれど美形オーラは消えていないのが不思議だ。

 服の上からでも分かるスタイルの良さ、この要素ひとつでもイケメンは成立するらしい。


「不慣れな事に挑む妻が心配で、どうしてもついて行きたかったんです。とはいえ余計な口を出すつもりはありませんので、男爵家の皆様はただ煙突掃除が始まったと思って頂ければ」


「あの……煙突掃除は良いのですが、まだ顔の布はつけなくてもいいんじゃ……」


「お気遣いありがとうございます。ですが少し風邪気味なのもありまして。このままで行かせて頂けたら」


「そ、そうですか……。それなら仕方ないですね……」


 やや強引ながらどうにか納得してもらい、話をする体制が整ったところで私はアンナ嬢に一つの要求をした。

 それは、何があってもいつ何時でも、アンナ嬢はお母様の味方をする事。


「でも……それをするとお婆ちゃん余計に怒るし、皆にうるさがられるから可哀想……」


「そこは私に任せて下さい。私がお祖母様の味方をします。孤立はさせません。ここで大事なのは、お母様を表立って庇う家族がいるという事です。お母様のお気持ちを貴女が代弁するくらいの気持ちでお願いします」


「は、はい……」


 アンナ嬢は不安そうに頷いた。

 気弱なお母様も、娘が絶対的な味方だと思ってくれれば気持ちを強く持てるかもしれない。

 一方お祖母様は、新人メイドに味方されたところで有り難くも何ともないかもしれないけど、自分の言いたい事を分かってくれる人がいるのといないのとではきっと大違いだと思う。

 振り上げた拳をおさめるには、気持ちを理解してくれる味方の存在が必要なのだ。


「では行きましょうか。……あ、そうでした。私はアンナ様のご友人の紹介というていで参りましたので、一応紹介状を持ってきました。これを――お母様とお祖母様に」


 そう言って自分で書いた自分の紹介状をアンナ嬢に手渡す。

 自薦にもほどがある、我がステュアート家の紋入りの紹介状だ。

 アンナ嬢はぎょっとして封筒を裏表と何度も返しながら見た。


「えっ、これって」


「はい。ダニエルさん(理事長)のツテで書いてもらいました。同じ公爵家同士、交流があるようで。これがあれば、私が多少余計な口を利いても許して頂けるかなと思いまして」


 家にもよるだろうけど、メイドが主人の許しを得ずに喋り出すなんて本来そうある事ではない。

 だけど公爵家の推薦があればこの多少の無理が通ってしまう。ここは悪役令嬢らしく、家の権力で無茶を通して道理を引っ込ませていこうじゃないか。

 アンナ嬢は頷いて紹介状を握りしめた。


「な、なるほど……。分かりました。確かに、これならママもお婆ちゃんも何も言えないかも」


 これでエリーの無礼の責任は私自らが負う事になった。

 さあ、準備はOK。いざ行かん。

 私達はアンナ嬢に門扉を開けてもらい、敵地へと乗り込んだ。


 事前にアンナ嬢が「部屋の煙突が詰まっているみたいなの」と家の人達に話しておいてくれたおかげで、ハヤトは難なく潜入に成功した。

 彼は執事に挨拶をし、暖炉のある部屋に案内されて行く。

 上からススを落とす前に、暖炉の周囲が汚れないようマスキングの作業をしておく必要があるからだ。

 その際チラッと私を見て小声で「何かあったらすぐに呼んでね」と、片耳に装着しておいたイヤーカフ通信機越しに話し掛けてくる。


 私は頷き、家政婦長へ挨拶をするために別の部屋へと案内された。

 家政婦長はツィギーさんというミニスカートを履いていそうな名前に反してちょっとキツそうな顔立ちの、ベテランという感じがする人だった。

 彼女に挨拶をした上でアンナ嬢から紹介状を渡してもらい、地下にある使用人部屋へと案内される。


 渡された黒のお仕着せに着替えて、シンプルな白いエプロンを掛けた。

 こうしてまんまとメイドに成り済ますのに成功した私は、仕事に先んじて家政婦長と一緒にこの屋敷の女主人へご挨拶に向かう。

 この場合、女主人とは現当主の妻だと思うのだけど––。


「これから大奥様にご挨拶するので、失礼の無いように」


「大奥様、ですか? 奥様ではなく?」


「……当家ではそのようにしております」


 使用人の間でもこの少し歪な力関係が浸透しきっているようだ。

 それはおかしいでしょう、と言う事は出来るけれど、今はまだ長いものに巻かれる事にした。最初から一人で張り切っても意味がないからね。


 大奥様の部屋の前に着き家政婦長が扉をノックすると、しわがれた声で返事があった。


「さあ、中に入って」


「はい」


 家政婦長に促されて扉を開け、部屋に入るとすくに白檀と薬品の匂いが鼻についた。

 窓に向いたロッキングチェアがゆらりと揺れて、ああ、あそこにいるのが大奥様なのだな、と思った。

 家政婦長が先に部屋の奥へ進み、ロッキングチェアの主に声をかける。


「大奥様、新人のメイドでございます。アンナお嬢様のご友人のご紹介だそうで……。こちら、紹介状でございます」


 家政婦長が封筒を差し出すと、いくつもの指輪を嵌めた手がそれを受け取りすぐに「おや」と声が上がった。


「これはステュアート公爵家の紋章じゃないか。アンナにそんな大層なご友人がいたのかい」


「私は存じ上げませんでしたけれども……そのようですね」


 大奥様は首を動かして私のほうを見る。白髪を綺麗にまとめ上げた、眼光の鋭い女性だった。

 眼鏡の奥で薄い水色の瞳がじろりと私をねめつけるように見定め、それから封筒に視線を戻す。


「またえらく派手なお嬢さんを送り込んできたものだねぇ……。まあ、公爵家のお嬢様からの紹介なら無下には出来ないけれども」


 は、派手って……。

 大奥様は家政婦長に封筒を開けさせ、中の紙を受け取り目を通す。


「週末の二日間のみ勤務? ……まあ、いいんじゃないかい。そこは元々手薄なところだったから丁度良いね。ツィギー、世話してやんなさい」


「かしこまりました」


 当主夫人を介する事なく決まってしまった。

 お辞儀をして部屋から退出した後、家政婦長にさりげなく探りを入れてみる。


「あの、奥様へご挨拶は」


「ああ、そうね……。後でも構わないわ。それより先に仕事を覚えてもらわないと。公爵家にはたくさんメイドがいるでしょうから仕事も分担していたと思うけど、ここでは全ての仕事を一通りやってもらうわよ。週末は特に人が少なくなるから、忙しいの」


 奥様の存在が軽い。これは、良くない。

 家庭のあり方など家庭の数だけあって当然だけれど、こんなふうに軽視される当主夫人が良い訳がない。


「家政婦長。私、奥様にお会いしてみたいです。あのアンナ様のお母様ですもの。きっとお優しくて素晴らしい方だと思って楽しみにしてきたんです」


 反論紛いの口を利いた新人メイドに家政婦長は一瞬眉間に皺を寄せた。

 だけど、当主夫人に挨拶をしたいというごく当たり前の主張に結局は折れてくれて。


「……すぐに終わらせるように」


「ありがとうございます! ツィギー家政婦長!」


 さっそく家政婦長のメンツを潰してしまったけれど、このくらいの失点ならまだ挽回は可能だ。

 なんとなく、ツィギー家政婦長は筋が通った要求ならちゃんと聞いてくれる人だと感じたのだ。

 きっとあの大奥様もそうなのだと思う。女主人と家政婦長は、必ず似てくるものだから。


「こちらが奥様のお部屋よ」


「はい、行って参ります」


 大奥様の時と違って、ノックも私がするようだ。

 中に入るつもりもないのかも知れない。

 私がコンコン、と扉をノックすると、細い声の返事が聞こえた。失礼いたします、と声をかけて扉を開け、中に入る。


「あら? 貴女は……?」


 本から視線を上げてこちらを見る女性はアンナ嬢そっくりの黒髪が可愛らしい奥様で、とにかく儚げという言葉がぴったりな女性だった。


「お初にお目にかかります。このたびアンナお嬢様のご厚意によりお仕事を頂く事になりました、エリーと申します。奥様にお目通りが叶いました事、とても光栄にございます」


「そう、ありがとう。よろしくね」


 にこりと微笑む奥様はまるで少女のように無垢だ。

 声も線も細い人。

 私の最終目標は、この方を姑に負けない気持ちを持てるように仕向けていく事だけど……。

 果たして、出来るのだろうか。


「ありがとうございます。それでは、失礼いたしました」


 お辞儀をして退室する。一瞬で終わった挨拶だったけれど、ちゃんと出来て良かった。

 廊下で待っていた家政婦長にお礼を言うと、さっそく仕事を割り当てられた。

 まずは家中の洗濯物を集めてくるように、との事だ。


「洗濯物ですね。かしこまりました」


「細かい指示はなくても大丈夫よね? 貴女、公爵家のメイドだったんだものね。集め終わったら裏口に洗濯室があるから、そこで洗ってね。終わったらシーツ類はリネン室に入れて頂戴。私物はそれぞれのお部屋に戻すこと」


「はい」


 頷くと、家政婦長はさっさと立ち去って行った。いきなり放り出されてしまったけれど、大丈夫だ。

 この日のためにうちのメイドさん達から仕事のやり方を教わってきたのだから。


 ふと、クスクスと笑い声が聞こえてそちらのほうに顔を向けた。

 少し離れたところでは三人のメイドが私を見て何かを小声で話して笑っている。

 何が面白いのかは謎だけど、あまり良い意味では無さそうに感じた。


 ……すっごく意地悪そう!


 長いこと仕事をしていなかった令嬢スキルが発動した。

 この男爵邸、想像以上に女性同士の人間関係が陰湿そうだ!

 この瞬間、とりあえず使用人部屋に置いてきた私服や荷物は全て影に異次元を作り出す術式(お兄様に教わった)を使って隠す事に決めた。

 一人で放り出されたのを良いことにいったん使用人部屋へ戻り、兄に教わった術式を絹のペチコートの裏に書き込む。

 そこに荷物を全てしまってから、ようやくお屋敷中の部屋を回って洗濯するものをかき集める仕事を始めた。

 洗濯室から車輪付きの大きなランドリーバスケットを持ち出し、押してカラカラ言わせながら各部屋を回る。

 すると、大奥様の部屋で暖炉の周りのマスキング作業中のハヤトに遭遇した。

 彼は大奥様と世間話をしながら布を広げ、手際良く調度品に被せていっているところだった。


「あら、それじゃあ貴方は新婚さんなの。いいわねぇ。お子さんはまだなの?」


「はい。まだそんなに焦らなくてもいいかなって思いまして。今は二人の時間を大事にしたいと思っているんです」


「そんなのダメよ。時が過ぎるのは一瞬なのよ?」


 年配の奥様と若い作業員が交流する時、この話題は避けて通れないらしい。

 大奥様は先ほどとは打って変わって声も話し言葉も社交用に切り替わり、ロッキングチェアから上半身を乗り出してまでハヤトとの会話に興じている。

 まるで正月に親戚のところの子と久し振りに会ったお婆さんみたいだ。

 あと少ししたら飴玉とか握らせそうだなぁ、と思っていたら、布を張り終えたハヤトが顔を上げて不自然に動きを止めた。そしてギギギ、と音がしそうなぎこちなさで首をこちらに向けてくる。

 つられて大奥様もこちらに顔を向けた。


「……ああ、誰かと思ったら貴女だったのね。こちらの方から聞いたわよ。貴女、この方と夫婦なんですって?」


 もう大奥様に話したのか! いやいいけどね。

 聞かれたらそこは普通に答えようって事前に決めてたから。

 公爵家勤めのメイドが煙突掃除屋さんと結婚するか? という疑問は出るだろうけれど、辻褄を合わせるのは不可能ではない。


「はい。彼を心底から好きになってしまって。私、これから夫を支えるために何でもしようと思っておりますの」


 好きになったから結婚した。

 地位を省みない婚姻に対するこれ以上の回答を、私は知らない。


「そう……。それで公爵家にいづらくなってうちに流れてきた、という事なのかしら?」


「おっしゃる通りでございます。ですが、アリーシャ様は理解して下さいました。私の味方になってくださる、と」


 自分で自分を味方につける。変な話だけどなんだか心強い。

 アリーシャ様ありがとうね。


「そういう事だったの。…………ご主人、貴方。ちょっと布を取って顔を見せてご覧なさい。さっきから言おうと思っていたのだけど、出入りの業者とはいえ顔を隠したままなのは失礼なのよ?」


 ド正論きた。これは断れない。

 相手が礼儀作法にうるさいお年寄りとなれば尚更だ。

 とはいえ彼の顔はアンナ嬢にさえバレなければ何とかなるので、ここは見せても構わないと思う。

 今この部屋には大奥様とハヤトと、ハヤトをここに案内してきた執事、それと私の四人しかいない。むしろ、顔を見せておくなら今しかないという絶好のタイミング。

 私の反応を窺うハヤトにこくりと頷いて見せると、彼は口元に手をやり布を引き下げた。次いでハットも外しゴーグルも額の上に持ち上げる。

 室内が百ルクスほど明るくなったような気がしつつ大奥様を見ると、大奥様も眩しそうに目を細めた。


「なんだか緑内障が悪化した気がするわね。妙に眩しいわ。貴女、ちょっとそこの目薬をさして下さる?」


 言われた通りに目薬をさしてやり、ハンカチで押さえる。


「大奥様、眩しく感じるのは緑内障ではなく白内障ではありませんでしたか」


「あら、そうだったかしら。そうだった気がするわね」


 老人ジョークか。分かりにくすぎて笑ってしまう。


「……貴女、なかなか胆が据わってるわね。わたくしの発言で笑うなんて、ツィギーだってしないのに」


 しないのかぁ。

 この大奥様、おしゃべり好きにしか思えないけどな。

 でも確かに、純粋に使用人として働くのなら大奥様の発言を訂正したり笑うなんてしづらいのはあるかもしれない。

 私がこうして臆面無くツッコミを入れたり笑ったり出来るのは、万が一怒らせてクビになっても生活に困る訳ではないという背景があるおかげなのだから。


「いけませんでした? それは申し訳ございませんでした」


「申し訳ないとは全く思っていない顔をしているわよ。……いいわね、気に入ったわ。貴女、手が空いたらまたここにいらっしゃい。ご主人も、煙突掃除じゃなくてうちの従僕になるのはいかが? 是非ともうちに欲しいわ」


 大奥様の身の回りのお手伝い。狙っていたポジションが向こうからやって来た。トントン拍子すぎて恐いくらいだ。

 半分以上はハヤトのおかげ。彼が大奥様との会話の切っ掛けを作ってくれたから。

 彼がついてきてくれて助かった。

 だけど従僕はちょっとまずい。どうやって断ろうと考えていると、彼はゆるく首を横に振って答えた。


「せっかくですけど、俺は遠慮します。こっちの方が性に合っているので」


 彼はそう言って首元から冒険者の証、金のドッグタグを出して見せる。


 ––ちょっ、それ私の……!


 ずいぶん思い切った行動に目を見開くけれど、私の名前が刻印されている面はしっかり裏側に隠しているのを見てホッと息をついた。

 大奥様は少し驚いた様子でロッキングチェアに背中を預ける。


「あら……そう、そちらで身を立てていくのね。確か、金ならBランクだったかしら? まあ、それくらいの立場になれば身体を壊さない限りは安定した生活が出来るらしいわね。……じゃあ、なぜ、今日は煙突掃除を? こう言っちゃなんだけど、本業に比べたらお賃金は良くないでしょう?」


「妻が心配だったもので」


 たった一言に異様な説得力を持たせて彼は微笑んだ。

 よく考えればおかしな言い分だったけれど、大奥様も「そう、それなら仕方ないわね……」と納得してしまった。

 なんだか詐欺師と被害者の関係に見えてきてしまい、罪悪感が胸をちくちく刺してくる。

 最近、私は周囲の人を騙してばかりだ。

 アンナ嬢の件が片付いたらしばらく嘘をつくのはやめよう……。


 話がひと段落してハヤトは口元の布を目下まで引き上げ、ゴーグルをかけてハットを被り直した。


「では、そろそろ次の部屋に行きましょうか。他に暖炉のある部屋はありますか?」


「後は当主の応接室とダイニングくらいですね」


 後ろに控えていた執事と話しながら部屋を出ようとするハヤトに、大奥様は声を掛けて引き止めた。


「ちょっとお待ちなさい。貴方、これ持って行きなさいな。ほら、貴女も」


 二人して片手いっぱいに飴玉を握らされた。


「煙突掃除が終わったらお茶でも飲みにいらっしゃいな。最近、話し相手がいなくて退屈していたのよ」


 大奥様は相当ハヤトをお気に召したようだ。

 気持ちは分かる。分かりすぎて何も言えない。


「貴女もよ。エリー、だったかしら? 手が空いたら私の部屋にいらっしゃい。手伝ってほしい事があるのよ」


「はい。かしこまりました。では後ほど」


 首尾は上々。

 内心で高笑いしながらランドリーバスケットに洗うものを入れて退室する。

 バスケットを転がし、次の部屋に向けて廊下を歩いていたらイヤーカフが振動して通信を知らせてきた。

 

 何かあったのかしら。


 すぐに魔力を通して音声を繋ぐ。小声で「どうかしましたか?」とたずねると、向こうも小声で『あのさ、ずっと言おうと思ってたんだけど』と切り出してきた。

 なんだろう。改まって言わなくちゃいけない事なの? え、怖い……。


「はい。なんでしょうか」


『メイドさんのアリス、めちゃくちゃ可愛いね』


 とだけ言って、プツンと通信が切れた。


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