57.ワルツの魔力
ハヤトに依頼を出し、作戦会議をした翌日のお昼休み。
私はⅡ–Aに顔を出し、アンナ嬢にランチをご一緒しましょうと声を掛けた。
彼女の隣の席からハヤトがチラッと視線を寄越し、小さく頷く。
私も頷き返してアンナ嬢を連れて廊下に出た。
これから彼女と一対一で話を聞き出すのだ。
悪役令嬢としてではなく、あくまでも先生としてね。
先立って廊下を歩くとアンナ嬢は戸惑いの声を上げた。
「あれ? 先生、ランチルームはそっちじゃない……」
「ええ。でも、あそこは人が多くて落ち着かないでしょう? サロンを一つ押さえておいたから、そこで頂きましょう」
そう。ここは貴族の学院だけあって、そういう社交のための部屋はいくつもあるのだ。
教室よりもサロンの方が数が多くて、そこは前世持ちからするとちょっとだけ笑うポイントなのだけれど、ご当地の人間としてはそれが当たり前であって別におかしな事ではない。貴族とは無駄をしてナンボなところがある。
サロンはそれぞれ部屋ごとに内装のテーマが決められていて、いつもハヤトと放課後に落ち合うのは楽器が置いてある音響室。
他には海をテーマにした内装だったり、女の子が好むリボンやレースばかりの内装だったり、はたまたダーツやビリヤード台が置かれている遊戯室だったりと様々だ。
二年に一回は改装が入るこの学院のサロンは、市井の内装職人が一流になった証として受けられる誉れ仕事らしいけれどそれは余談。
どこもお茶を飲みながらゆったりお喋り出来る仕様で、ランチもメイドさんに頼めば厨房から運んで来てくれる。至れり尽くせりだ。
今回私達が使うのは、海と真珠をテーマにしたサロン。
白を基調にところどころ青が差し色になっている爽やかなお部屋だ。
と言っても内装で選んだ訳ではなく、重要なのは、この部屋が音響室の隣というところ。
今回、会話の続かないアンナ嬢と話をするに当たり、私はハヤトにBGMを依頼したのだ。
さすがに三人で音響室ランチだと会話にならないので、ピアノの音が壁越しにさりげなく聞こえてくるくらいがちょうど良いと思ってこの隣の部屋を選んだ。
この依頼をした時、ハヤトは「そんな依頼初めてだよ」と言っていた。
でしょうね!
確かに、Sランク冒険者に頼む事ではないのは分かる。
だけど良質な音楽には人の心に作用する力があって、その上で、彼のピアノはその域にじゅうぶん達していると思うのだ。
名付けて! 刑事が容疑者に取り調べをする時になぜかお母さんを彷彿とさせる歌を歌い出すやつ作戦!
……例えがちょっと悪いし絵面もだいぶ違うけど、雰囲気はそんな感じになると思う。
持っていきたい流れとしては、まずは彼女が苦手な人(私の事)と向かい合って気まずい思いをしている中、不安な心に寄り添うようなリラックス系の曲が隣の部屋から流れてくる。
少し緊張がほぐれて軽い話が出来るようになったら、次は軽快な明るい曲調で笑顔を引き出すサポートをしてもらう。
やがて笑うようになってきたら、いよいよ本題の“女子が苦手問題”と“婚約者がいる人に粉をかけるな問題”に切り込む、と。
こうだ。この流れに持っていきたい。
ハヤトの仕事は、彼女の口が滑らかに動くようになるところまで。
早ければ数分、手こずればお昼休み全てを使うかもしれないこの仕事を、彼は普通に受けてくれた。
ちなみに報酬はまだ決めていない。
「別にいらない」って言ってたけど、貴重なお昼休みをもらうんだからそういう訳にはいかないよね。
後でちゃんと決めるんだ。
そしてこの作戦を実行するに当たり、彼にこちらの会話が聞こえていた方が良いと思った私は通信機の術式を一対のイヤーカフ(ルークに借りた)に書き移し、まるでスパイ道具のようなものを作り上げた。
一対をどちらもAとして式で繋げ、音を拾う範囲と音量を数値で指定するだけの簡単なもの――なんだけど、何せ小さいので書き込むのに非常に苦労した逸品である。
魔道具作成の肝はいかに小さく短く書けるか、その一点に尽きる気がする……。
さて、このシンプルな銀のイヤーカフ型魔道具。
これを私とハヤトで片方ずつ耳に装着し、魔力を通す事によってお互いの周辺の音声が拾えるようになるのだ。
拾った音声は装着している本人だけに聞こえる程度の音量に調節してある。
しかも、実はもう繋がっていたりする。
これからハヤトがこちらの会話の内容――例えば、険悪な雰囲気になったら明るい曲調を、みたいな感じで合わせてくれるらしい。
自分で言うのも何だけど、こんなふうに少しアホらしいと言えなくもない事に毎回律儀に付き合ってくれるのって本当に凄いと思う。
大好きだよ。
とにかく、私はマリンピアと名前が付けられたサロンにアンナ嬢と二人で入り、白いビロードのカウチに腰掛けた。
このカウチソファー、貝をモチーフにしたデザインでふちが真珠で飾られているなかなかに可愛いやつだ。密かにお気に入りだったりする。
アンナ嬢は少し迷った様子を見せながら向かいの一人掛けソファに座った。やはり落ち着きなく視線や指先がそわそわと動いていて、自分からは口を開いてくれそうにない。
これから学院メイドさんがここマリンピアに昼食を運んできてくれる事になっているので、それまでに少しでも会話の取っ掛かりを得たいのだけど……。
そう思って、イヤーカフを爪の先でコツコツと叩いた。これ「始めて下さい」の合図。ミッション完了の合図も同様だ。
するとすぐに隣から音楽が聴こえてきた。
夜想曲9–2。女神様が持ち込んだ、こちらの世界でも有名なやつ。夜の静かな時間を想わせるしっとりとした名曲だ。
曲が響いてくると同時にアンナ嬢は落ち着きなくさ迷わせていた視線を上げて、隣の部屋に面した壁を見た。そわそわしていた指先もぴたりと止まり、膝の上に両手が揃ってお行儀よくおさまっている。
――すごい。これ、アホらしいって言ったけど、効果てきめんじゃないかしら……。
内心で感心しつつ声を掛けてみる。
「誰かが練習しているみたいですね。アンナ様は、夜想曲がお好きなんですか?」
するとアンナ様はこくんと頷き、口を開いた。
「……ええと……今わたしも同じのを練習してて……なかなか上手く弾けなくて悩んでいるところだったんです」
「あら、そうでしたか。確かに、夜想曲は難しいところがありますよね。鍵盤を押さえるだけなら割とすぐに出来るようになるのですが」
「そうなんです。なんだか平坦な感じになってしまって……味気ないと言うか」
おお! 初めてアンナ嬢と会話が二往復成立した!
これは良い傾向!
身を乗り出し、耳を傾ける。
「わたしのピアノの先生は、センスがものを言う曲ですって言うんですけど……でも、センスって言われてもなぁって」
「困りますよね。楽譜通りにしても弾き手によって違いが出るのが面白さと奥深さではありますが」
「はい……。今弾いている人の夜想曲、わたし凄く好きです。誰が弾いてるのかな……」
それは教えられない! だって惚れちゃうでしょう!?
こほんと咳払いをすると、耳元からふっと笑う声が聞こえてきた。
こ、これがイヤーカフの威力! だめ、爆発しそう!
「……どなたかは存じませんけれど、センスがある弾き手というのはきっと彼のような人の事を言うのでしょうね。私もとても好きです」
『俺も愛してるよ、エリーせんせ』
ナチュラルに会話に混ざってくるな!
しかも今の“好き”はその好きじゃない!
次はどんな話を振ろうか考えていたのに全て吹っ飛んでしまった。
何も言えずにいると、アンナ嬢は不思議そうな顔で尋ねてくる。
「先生、どうしてこれを弾いているのが男の人だってわかるんですか?」
早速墓穴を掘ってしまった……。
バカは死ななきゃ治らないって、誰が言ったんだろう。死んでも治らない、の間違いだと思うよ……。
うっかり失言をしてしまった私は脳をフル回転させ、必死に言い訳を考えた。
性格がうっかりしている人間はやがて言い訳が上手くなってくるのだ。
今では私の得意分野とすら言える。
「ええ、もちろん分かりますよ。女性にはない力強さのあるタッチでしょう? ほら、よく聴いてみて」
「……はい、言われてみればそのような気がしてきます。先生、凄いですね」
よし! 切り抜けた! ていうか君案外チョロいな!?
こういうのは強めに言い切るのがポイントだ。間違ってもうろたえてはならない。
多少無理があるとしても勢いで押し切るべし。
イヤーカフからはハヤトが声を出して笑ってるのが聞こえてきた。
そしてわざと音色を柔らかくしてくる。突然女性的な音色に変貌した夜想曲に、アンナ嬢は戸惑いの表情を浮かべた。
「どうしたのかしら。まるでこっちの会話が聞こえているみたい……」
くっ……! なぜわざわざ追い詰めるような真似を……?
「聞こえてる……そうかも……知れませんわね」
「うふふ、先生ったら。冗談ですよ。そんな訳ないじゃないですか」
ごめんなさい。そんな訳あるんです。
でも話がデリケートな内容になったら通信はちゃんと切るからね……。堪忍な……。
先生という立場を使ったおかげかそれともハヤトのBGMのおかげか、アンナ嬢はかなりリラックスして自然体になれたようだ。
この調子で例の言いにくい話題に持ち込みたい。よし、もう少し打ち解けたら切り出そう。
……っていうか私、ハヤトに完全におちょくられている気がするのだけど。
初めて“愛してるよ”って言ってくれたのに、それがこんな場面でなんて……少し、いや、かなり残念。
そんな事を考えていたら、夜想曲が終わり今度は軽快なワルツが始まった。
どうやらあちらも掴みはOKだと判断したらしい。月にワルツと呼ばれるスタンダードなワルツの曲が、温まった場の空気を華やかに彩っていく。
その時、扉が開きメイドさん達がワゴンを押して入ってきた。
しずしずとテーブルにプレートを並べてくれているその間に月のワルツは終わり、ズンタッタのワルツ三拍子はそのままに誰もが知る童謡のメロディがワルツアレンジで流れ始めた。彼、ノリノリである。
「これ弾いてる人、凄いですね……。童謡をワルツにしちゃうなんて初めて聞きました。楽団入りでも目指してるのかな」
「どうでしょうね。さあ、テーブルの準備が出来たようですから、いただきましょうか」
見に行きたいと言い出す前にソファからテーブル席に移り、形式的にお祈りを捧げてから食べ始めた。
「アンナさんは何かお好きな食べ物はありますか?」
「わたしは甘いものが好きです。あとは果物も好きかな」
「とても女の子らしいですね。そういえばクッキーを焼いたりするのもお好きだとか。ご家族の方にあげたりなさるんですか?」
「はい。皆おいしいって喜んでくれて……あ、お祖母ちゃんだけは何も言ってくれないんですけど」
あ。自分から話し始めた。
もう依頼は完了で良いかな。
そう思ってイヤーカフを叩き終了の合図を出して、通信を切った。
思った以上に依頼が早く終わった。
彼女がご家族の話をするならそれはここだけの話。
いくらハヤトでも無断で聞かせる訳にはいかない。
「お祖母様ですか。アンナ様は仲が良いのですか?」
「うーん……まあ、悪くはないですけど……口うるさい人で……最近はあんまり話さなくなりました」
「なぜ?」
「お祖母ちゃんが元気だと、ママがよく泣くから」
あらー……。
まさかの嫁姑問題。
「そんなに厳しいんですか? お祖母様って」
「私はうるさいなぁって思うだけなんですけど、ママにとっては怖い人みたいで。泣いてないで言い返せばいいじゃないって言うと、“貴女は孫だから何を言っても大丈夫だけど、私は他人だから言えないのよ”って言うんですよね」
「なるほど……」
気弱な嫁と強い姑。
それは確かに相性が最悪だ。そういう話は前世でも今生でもどこにでも転がっている。
「そういう時、お父様はどうなさっているんですか?」
「パパは一応お祖母ちゃんに注意するけど、そんなに強くは言わないみたい。パパもお祖母ちゃんのことちょっと苦手みたいで」
「そうですか……。ちなみにお祖母様はどんな事でお母様といさかいを起こすのですか?」
「小さな事ばかりです。ホールに飾る花の種類とか、パーティーに着ていくドレスのデザインとか。うちでお茶会なんて主催しようものならもう最悪なんですよ、家の中の雰囲気が。お祖母ちゃんは細かいし、ママはすぐに泣くし。もう、嫌になっちゃう。なんで仲良く出来ないのかな」
本当によくしゃべるようになった。
アンナ嬢は、思っていたよりもずっと普通の女の子だ。
しかし嫁姑問題は難しい……。
多分これ、どっちの味方をしても解決しないやつだ。
だって、きっとどっちも悪くはないもの。ただ主張が違うだけだもの。
だから男爵も解決出来ずにいるんだわ……。
それでも、ギスギスした家の中で幼少期を過ごし、成長してからもお祖母様とお母様の板挟みに合う……私だってそんなの、想像しただけで嫌な気持ちになる。
「アンナさんは……どこかに信頼できる方はいらっしゃるの?」
するとアンナ嬢は押し黙り、やがてポロッと涙をこぼした。
「……そんな人、いませんよ……。どこにも」
「お母様は?」
「あの人は自分の事でいっぱいいっぱいだから、わたしの話なんかして余計に悩ませる訳にはいかないんですよ……パパだって、お仕事で忙しくてあんまり。……わたし、あの家きらいです。早く出ていきたい」
そう言って涙を拭い、それ以上泣かないようにぐっとこらえるアンナ嬢。
気丈な面はあるけれど、自分で動いて何とかしようというところまではいかないみたい。
……貴族の令嬢、しかもまだ十四歳だから仕方がない事ではあるけれど……とは言え、早く出ていきたくて選ぶ手段がハヤトに粉をかける事なのは見過ごせないしやめて欲しいの。切実に。
「婚約は? まだ決まらないのですか?」
「はい。たくさん来ているんですけど、パパとお祖母ちゃんで意見が割れちゃってるみたいでなかなか」
たくさん来ている。
……そう、たくさん……。
少しイラッとしつつ「そうですか」と返し、次にかける言葉を探す。
するとあちらから声を掛けてきた。
「わたし、今日先生と話せて良かったです。女の人って細かい事を気にしなくちゃいけなくて怖くて……それで男の子とばかり話をするようになっちゃったんですけど、男の子もすぐにわたしの事を好きになっちゃうみたいで。結局話しにくくなっちゃうんですよね。わたし、そんなつもり全然ないのに」
イラァ……ッ。
いやいや、細かい事ですぐ怒るのは良くないよね。それよりも、今こそ本題に斬り込むチャンスでは?
「そんなつもりで好きな人、いますよね? ほら、同じクラスに」
すると彼女は頬を赤らめ、こくんと頷いた。
可愛いけど許さん!
「はい……。一目惚れしました。今まで見てきた中で一番素敵な人です」
「でもあの人には婚約者がいるでしょう? やめておいた方が良いと思いますけど」
「でも……その婚約者さん、凄く悋気が強い人なんですよ。嫉妬深いし、身分も高すぎるし。それに怖いし。彼があの婚約者さんと一緒になったら苦労するだろうなぁって思うと……わたしが癒してあげたいなって」
ちょっと待って!
私、そんなふうに見られていたの⁉
悋気が強い……。身分が高すぎる……。嫉妬深くて怖い……。彼が苦労する……。
なんてこった。何一つ否定出来ない。
いやでも余計なお世話だよ!
それはこちらで解決するべき問題であって、他人に言われる事じゃないはずだ。
「……それでは貴女の幸せには繋がらないじゃないですか。誰にもはばかる事なく共に歩める人を選んで、周りに祝福されながら真っ当に愛を育むのが一番良いと思いますが」
「わたしの幸せなんて……。わたしは、誰かを幸せにしてあげたいんです。それが、わたしの幸せなんだと思います」
「それならまずはお母様を幸せにして差し上げたら? もし貴女が不義理な事をしてお家にいられなくなったら、一番悲しむのはお母様でしょう?」
「あの人はわたしの事なんかで悲しんだりしませんよ。お祖母様に怒られる事が一番悲しい人ですから」
「そんな事はないと思いますけど……」
結構こじれた家族関係だな……。
誰もが明るい家庭を諦めているように思える。
もしも、そんな家族の言いなりになりたくない気持ちが略奪願望に繋がっているとしたら……それはもう自傷行為と変わらないんじゃないかな。
大切な誰かを幸せにしたいと思うのは素晴らしい事だけど、自分も幸せになっていいんだと思えないなら結局はその大切な人も不幸にする。
だって、自分の幸せに無頓着な人を愛してしまった人は絶対に苦しむもの。
あなたは役に立たないのだと言われ続けるのと同じだからね。
彼女とお母様の関係がいい例だ。
アンナ嬢だって、お母様を愛していない訳ではないのだろう。
お母様を慮って、お祖母様と話をするのを控えるくらいだから。
なのに上手くいかない。
……これ、外からの介入が必要なんじゃないかしら。
「ねえ、アンナさん……。貴女、私を雇ってみませんか?」
「え? 先生を? 私が?」
「はい。私ね、年上の女性のお相手、得意なんですよ」
すぐに手が出る王妃殿下に叩かれた事がないくらいにはね!
目をぱちくりさせるアンナ嬢の背後で、ノリノリのワルツはまだ続いていた。
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