38.笑ってはいけない学院


 さて、とりあえず見回りをしよう。

 そう思って歩き出すと廊下を曲がったところで理事長がうずくまってグッタリしているのを発見した。


「ど、どうしました!? 大丈夫ですか?」


「……死にそう」


「えっ! 大変! どこか痛みますか? 原因に心当たりは?」


「 腹が痛い……笑いすぎて……。何、あの変なカタコト。誰もそこまでやれなんて言ってないのに。ルークもルークであっさり騙されてるし、うっかり年上好きなの暴露してるし……。もう、最高に面白かった」


 ……心配して損した。


 もしかして、この学院で一番躾ないといけないのはこの駄目な大人なのではないだろうか。

 私はほとんど無意識のうちにハイヒールのかかとを理事長のうずくまった背中に当て、ぐっと体重を乗せていた。


「いっ、痛い痛い! ごめん、もうちょっと肩甲骨と背骨の間辺りだと気持ちいいんだけど」


「肩こりですか。それなら僧帽筋に鞭のほうが効くんじゃないですか?」


「効かないよ。とりあえずアリー……間違えた、エリーはどんな無茶振りにも全力で応えてくれるって良くわかったよ。学院への出入りは自由にしておくから、これからもよろしくな」


「無茶振りの自覚はあったんですか。あんまり虐めないでくださいね」


 ――思い起こせば、王妃教育……あの中に、どんな珍妙な食べ物を出されても笑顔で優雅に食べる練習というものがあった。

 食文化の違う外国に失礼のないように、という主旨の教育だったのだけど、あれが姿を変え形を変え、無茶振りには出来るだけ応えるという形で今に至っている気がする。

 理事長はすっくと立ち上がり、ジャケットを直しながら言った。


「……さて、そろそろ一限目の授業が終わる頃かな。エリー、順番が前後してしまったけど、次の授業が始まる前に教員達に顔合わせしないといけないから、教員室に行くぞ。生徒達への紹介はその後だ」


「はい。先生達にもエリーで通すのですか?」


「うーん……。そうだな。教員はアリーシャだって知っててもいいかもな。そのほうが口裏合わせやすそうだし」


「はあ……。あの、やっぱり詐称やめません? オバサンって言われちゃったんですけど。そんな姿で婚約者の目に入りたくないです」


「乙女か」


「乙女です」


「……心配しなくてもオバサンには見えないよ。ありゃただの女子マウントだろ。全く。レディはそういう言葉を使っちゃいけないって教えてやりなよ」


「私がですか」


「そう。どうしても不安なら化粧薄くすれば? むしろそのほうが髪と眼鏡に視線が行きやすくてバレにくくなるかもな」


「詐称は続行なんですね」


「もうやっちゃったんだから仕方ないだろ。多分さっきの女子達、今頃教室でエリーの噂話拡散してると思うよ」


 うわっ。

 あの奇行が拡散。


 たぶん実際の十倍くらいに奇行が強調されている気がする。

 なぜなら人の噂というのはそんなものだから。


「じ、自業自得ですね……。わかりました。腹を括りましょう」


「そのほうがいいと思うよ」


 また、黒歴史のページがひとつ追加された――。


 それから教員室で挨拶と事情の説明をしたところ、疲れ切った顔の先生達からは大歓迎を受けた。

 身分詐称に関しては、時折外国から高貴な人物が身分はなるべく伏せたいと希望しつつ留学して来るのを受け入れる事もあるそうで、私もそんなケースに当てはまるらしい。

 ただ、それが自国の人間なのは初めてだと言っていた。


 そうだよね。


 ともあれ、身分隠しには協力してくれるそうだ。

 ささっと化粧を薄くしたところでチャイムが鳴って、理事長と並んで各教室に挨拶に向かった。

 各学年にそれぞれ三クラスずつあるから、全部で六クラス。最初は一年生から順番に。


「あー、私の親戚で、臨時で授業の補佐をしてくれる事になったエリーだ。エリーの言う事は私が言っているも同然だと思え。厳しくやってもらうから、皆そのつもりで。エリー、自己紹介を」


「エリーと申しマース。ヨロシクお願いしマース」


 隣で理事長の肩がピクピクしてるのが見えた。教室から出た瞬間


「お前なぁ! それヤメロ! 生徒の前で吹き出したらどうするんだよ⁉」


 と本気のお叱りを受けてしまう。が、もうとっくに賽は投げられているのだ。

 クラーク公爵実弟の肩書きを持つ理事長の威厳の行方など、私の知った事ではない。


「もうやってしまったんだから仕方ないじゃないですか。少しずつ流暢になっていくようにしないと不自然です」


「お前、変なとこで開き直るのな……。お前の婚約者のクラスで笑わずにいられるか不安だ……。慣らしたいから、そのクラスは最後にしよう」


 自分で弄した策に自分でハマってるのだから、本当にダメな大人だと思う。

 もしこの人が猟師だったらぜったい獲物より先に罠に掛かっているタイプだ。

 この学院の行く末が心配でならない。


 ルークとハヤトは違うクラスだったみたいで、先にルークの教室に入った。

 入った瞬間、ざわついていた教室がシン……と静まり返る。心なしか、ルークの視線が熱い気がしてならない。


 これ、本当にバレちゃいけないのかも……。


 義弟がこれ以上道を踏み外さないよう尽力しようと密かに決意し、板に付き始めたカタコト自己紹介を繰り返した。

 次はいよいよハヤトのいる教室の番だ。ついさっきまで大人しかった心臓が、急に痛いほど騒ぎ始める。

 教室の扉が、なんだか断罪パーティー会場の入り口のような、禍々しいオーラを纏っているように見えてきてしまった。


「どうしましょう、理事長。怖くて入れません」


「おい……あの開き直りはどこ行った。突然別人になるなよ」


「他の人はともかく、彼にだけは危ない人だって思われたくないんです」


「残念だが手遅れだろう。……ていうか、どんだけ婚約者の事が好きなの? 俺はまだお前の婚約者見てないけど、公爵家の娘がわざわざ学院に潜入までして、ここに来て急に弱気になるほどベタ惚れ?」


 頷くと、フゥとため息が聞こえた。


「……なんか、いいな。そういうの。眩しいよ。俺もそういう経験したかった」


「あぁ、そういえば理事長は独身でしたっけ。どうして結婚しなかったんですか?」


「言っただろ。俺は責任取らずに生きていくのが人生の目標なんだよ」


 そこだけはブレないらしい。潔すぎて逆に信頼できるかもしれない。

 ふふっと笑うと、理事長も少し笑った。


「まあ、とにかく頑張れ。行くぞ」


「はい」


 もとより逃げ出すつもりは無くて、少し弱気を吐き出しておきたかっただけだ。

 弱い気持ちも、認めてやるとそれだけでずいぶん扱いやすくなる。自分が本当に望むものが見えてくる。

 学院まで追い掛けてきて、変装でストーキング行為をするなんてちょっと常軌を逸しているとは思う。知られたらドン引きされるかも知れない。

 それはわかってる。だけど私はハヤトを誰かに取られたくない。ただそれだけなんだ。

 お行儀良く帰りを待つ間に誰かに横からかっ攫われる、またそんな目に合うくらいなら、やりたいようにやってドン引きされた方が百倍マシだ。

 マリアの乱を当事者として経験してきた私は、いつからかそんなワガママな思考回路を身に付けていたらしい。

 覚悟をきめて、いざ、出陣––。

 静かに教室の扉を開けると、窓際の一番前で頬杖をついてボンヤリ外を眺めているハヤトを即発見した。

 薄茶色の髪が、お日さまの光に透けてキラキラしている。首から頬にかけての線が愛しさを掻き立てる。

 皆と同じ制服を着ているのに、一人だけ発光しているような抜きん出た存在感。


 ひ、久しぶりの他人視点……!

 相変わらず綺麗な人!

 離れていたのはたった数時間、にも関わらず謎に久し振りな感覚になり彼のただ座っているだけなのに非常に絵になる姿にほぅっとしてしまう。

 ……あれ? 私、あの人と結婚するの? 本当に? いいの? そんな事って許されるの?

 などなど考えていたら、彼は隣の席の女子に何か話し掛けられて、外を向いていた顔をゆっくりとこちら側に向けた。

 眠い時の顔をしている彼は女子と一言二言話して、また窓側に顔を向ける。その時一瞬ふっと目が合いつつも、そのまま外を眺める姿勢に戻った。――と思ったら、バッと音がしそうなくらい凄い勢いで振り返ってきた。

 目をまん丸くしてこちらを凝視してくる。

 視線が、頭の天辺からつま先まで何度も往復してくるのがわかる。


 ……ああ、これ、バレてますわ……。


 二度見のお手本のような二度見と突き刺さる視線を受けて、諦めの境地で自己紹介タイムに臨んだ。まずは理事長からの紹介。


「えー、彼女は我がクラーク家の遠縁の家のご夫人、エリー。二十歳だ。とある国から向学のためフォルトゥナ王国にやって来た」


 エリー、二十歳。のところでハヤトは口元を片手でそっと覆った。


「ではエリー、自己紹介を」


「エ、エリーです……。よろしくお願いしマース」


 完全に勢いを失った中途半端なカタコトで自己紹介をすると、ハヤトは口元だけでなく両手で顔を覆って肩を震わせ、声を殺して笑っていた。

 何がそんなに面白いのか分からない。このネタで笑ったのは今のところ理事長とハヤトだけだ。

 完全にバレてるけど、とりあえずドン引きはされなかった様子なので良しとする。

 単純なもので、さっそく気分が上向いてきた私は隣の席の女子がハヤトに手を伸ばして「どうしたの? 大丈夫?」と言いながら腕に触れるのを黙って見逃し、仏の顔一回分としてカウントした。


 隣の女子、君はあと二回。


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