37.転入生と新女教師


 翌朝、学院の制服を着てキラキラを放ちながら公爵邸を出るハヤトを見送った後、私はお父様に呼び出しを受けていた。


「単刀直入に聞くけど、あの子が一人で学院に行くの、心配じゃない?」


「心配です!」


 どん! と机を叩く勢いでお父様に詰め寄る。お父様は肩をビクリとさせつつのけ反って、さりげなく椅子ごと後退していった。


「……私もね、彼の事は信頼しているけど、ほら、前の婚約者があんな感じだったじゃない。あ、そうだ。アリスの言った通り、陛下には助命嘆願出しておいたからね。落とし所に検討の余地はあるけど、たぶん今頃は幽閉塔で悠々自適じゃないかな」


「そうですか。それで?」


「本当に殿下には無関心だね。まぁ別にいいけど。何のために呼び出したのかと言うとね、様子を見に行ってもいいよ、って」


「お父様! さすが! ではさっそく」


「まあ待ちなさい。学院に卒業生の出入りの許可を問い合わせた折にね、頼まれたんだよ」


「何をですか?」


「腕の立つ講師の紹介を」


「はぁ」


 そんなやり取りがありました。

 今、私は学院の理事長室で臨時講師募集に関する説明を受けています。


「本当に来てくれるとは思わなかったよ、アリーシャ。武勇伝は、かねがね」


 そう言って格好良さげに足を組むのは、例の卒業パーティーで騒動を巻き起こした責任をとって辞任した前理事長に代わり新しく理事長に就任したクラーク公爵家現当主の弟、ダニエル・クラーク。

 三十四歳という若さながら、家格と世渡りの巧みさで理事長の座に収まったちゃっかり者。


「クラーク先生、お久しぶりです。まだ実際にやると決まった訳ではありませんが、その……本当に私で大丈夫なのでしょうか」


「フッ、先生なんて、よしてくれよ。君はもう生徒じゃない。理事長と呼んでくれたまえ」


 完全に浮かれた調子のこの大人は、元々は平の教師の一員だった。

 マリアの乱によって教師達に粛清の嵐が巻き起こった結果、繰り上がりで大出世を成し遂げたラッキーさんだ。

 彼のクラーク公爵家とこちらステュアート家とは、まあ、普通にご近所さん的な交友関係はある。

 なので、私はこの大人が実はとんでもなくヘタレな事を知っていた。


「理事長なんて柄ですか、ダニエル様。私のような人間に臨時とはいえ講師を依頼するなんて、余程困っているのではありませんか?」


「さすがアリーシャ。よく分かったな。…………もう! 限界なんだよぉ! 助けて!」


 あの浮かれ調子から一転、取り繕う事すら放棄して泣きを入れてくる新理事長のつむじを見つめながら、私は“ああ、ここは何て平和な国なんだろう“と考えていた。


「アリーシャは知らないかもしれないけど、君達の学年は特別だったんだよ」


 ぽつりと話を始める理事長。私は少し冷めたお茶に口をつけ、黙って耳を傾けた。


「王太子と次期王妃がいる学年なんて、学院側からすれば気合いが入って当然だ。貴族中から選りすぐりの優秀な人材を集めて、手厚い体制を作った。生徒達も王族に近付くために勉強を頑張るし、何も言わなくてもお行儀良く振る舞ってくれる。君達の代は一部を除いて全体的にレベルが高くまとまりがある学年だった」


「その一部のおかげで崩壊した学年でもありますね」


「まあね。それは一旦横に置いとくとして、私が言いたいのは、元々貴族の子息なんて手に負えないようなワガママばかりという事だ。今まではそれでも良かった。責任は理事長が取るのだから、私は適当に教師をやっていれば何の問題もなかったんだ」


「そんないい加減な人が理事長になってしまったら大変ですね」


「そうなんだよ。 出世したはいいものの、選りすぐりの優秀な教師達が一度に辞めさせられたおかげで、今残っているのは私以外は下位の貴族家出身の者ばかり。生徒には舐められるし、奴らクソガキ達は王族の目もないもんだからやりたい放題やりやがる。その後始末が全て私に回ってくるんだ。だけど私は本来他人に責任を押し付けて楽して生きたいタイプなんだよ。このままではストレスで禿げてしまう」


「まだ大丈夫みたいですよ」


「まだ、だと……。その言い方だと少しは進行しているのか……? まずい、本当に何とかしないと。アリーシャ。君、たった三ヶ月でBランクになった実力者なんだろ? 学院の甘ったれたクソガキ達なんて相手にならないはずだ。私のところに事案が回ってくる前に、現場でねじ伏せてやってくれないか」


「理事長。苦労しているところ申し訳ないですけど、私じゃきっと抑えにはなりませんよ。例のマリアを抑えきれずに婚約破棄された事件だってつい最近のことですから。それに、学院には今、新しい婚約者が通っているのです。おそらく微妙な立場で通う事になる彼にとって、年下の私が講師として出張ってくるなど彼にも彼の周囲にもあまり良くない影響が出る気がしますが」


「でも学院での様子、気になるだろ?」


「気になります」


「じゃあ詐称すればいいじゃないか。こっそり見守るなら大丈夫だろ」


「詐称?」


 この人は何を言っているんだろう。

 疑問を顔に浮かべて理事長を見ると、彼は悪巧みをするクソガキみたいな顔で説明を始めた。


 それから小一時間ほど経った後。

 私は長い赤毛の巻き髪カツラに大きな黒縁メガネを装着し、ブラウスと膝下の黒いタイトスカート、黒い薄手のストッキングに黒いハイヒールというコテコテの女教師スタイルに変装して授業中の教室の廊下に立っていた。


「うむ。変装は完璧だ。化粧がやや濃い目だが在学中のアレを思えば常識的と言える。誰もアリーシャだとは気付かないだろう。いいか、アリーシャ。いやエリー。もう一度設定を確認するぞ。君はとある国から来たとある貴族家のご夫人、エリー。二十歳だ。我がフォルトゥナ王国には向学目的でやって来た。クラーク家とは遠い親戚で、その縁でこの教師不足の学院にて特別臨時講師を勤める流れになった。OK?」


「設定ガバガバにもほどがあります」


「あんまりガチガチに設定しちゃうと誤魔化しが難しくなるだろ。こういうのは最初は融通が効くようにゆるめにしておくのがセオリーなんだよ」


「セオリーを見付けるほど詐称の経験があるのですか?」


「…………とにかく、君には正規職員の補佐をしてもらいたい。何、授業を抜け出す生徒がいたら取っ捕まえて席に戻してくれればいいんだ。難しい事は何もない。……あ、ほら。早速脱走兵が」


 見ると、廊下を歩く四~五人の女子生徒と一人の男子生徒の姿が。

 え、あれって。


「ルークじゃないですか」


「そう……。あいつ、最近すごく素行が悪いんだよ。ああして授業中でも女生徒数人引き連れて平気でサロンにティータイムしに行きやがる。……な? まずいだろ? 天下のステュアート家の養子があんな感じなんだ。それ以下の家格の奴らも真似して似たような事をやり始めてる」


「確かにこれはまずいですね……。わかりました。これは協力する他ありません」


 腕まくりをして、カッとヒールの音も高らかにルークを引きずり戻すべく歩き出す。


「あ、アリー。間違えた、エリー。これを持って行きなさい」


 さっそく名前を間違えている理事長は、私にそっと鞭(馬用)を手渡してきた。


「え、さすがにこれは」


「アリー。もはや君達の時とは世界が違う。いいか、ここは動物園だと思え。女子はさすがにやめたほうがいいが、男子はビシバシ叩いて構わない。野郎にとっては傷も勲章の一つだからな」


「えー……。それって、彼らの家から苦情が来ませんか?」


「来ない。俺もやっていたが、一件も来なかった。でももうやりたくない」


「私だってやりたくありませんよ」


「大丈夫。多分、喜ぶ」


「誰が!?」


 背中を押され、追い立てられるようにしてルークの後を追い始める。

 結局、アリーなのかエリーなのかわからないまま特別臨時講師(補佐)が始まってしまった。


「ルーク」


 サロンの扉を開けようとしていたルークご一行に声をかけると、一斉に視線がこちらに向いた。怖。

 うわ……ルーク、めっちゃ見てくる。

 私だって気付いたかな。

 気付かないほうがおかしいとは思うけど、どうなんだろう……。?

 様子を窺う私と見つめ合うルーク。しかし戦いのゴングを鳴らしたのはルークではなく、女子生徒のほうだった。


「オバサン、誰~?」


「オバサン……」


 十五でオバサンと呼ばれてしまった。一つか二つしか違わないのにそりゃないよ! 化粧か!? この化粧がいけないのか!? この真っ赤な口紅が!


「……ええと、私は、クラーク公爵家の遠縁の者デース。ダニエルサンに頼まれて授業の補佐をする事になりまシタ、エリーと申しマース。ヨロシュウねー」


 外国から来た設定のためにカタコト風を装ってみる。キャラを固めてなかったから、早くも迷子になってしまいそうだ。

 空気を誤魔化すために、鞭を片手にパシーンパシーンと軽く打ち付けながら素行不良グループの周囲をぐるりと歩いた。


「まだ授業中デス。教室に戻ってクダサーイ」


「え~。あんな勉強何の役に立つんですか? 私達にとっては、将来の結婚相手を見付けるほうがよっぽど大事なんですけど」


 言葉遣いに、価値観。確かに私達の代とは世界が違う。

 一年違うだけでここまで違うなんて驚きしかない。


「良い結婚相手は良い生活習慣が連れて来るのデスヨ。授業をサボるような女性のところには、仕事をサボるような男性しか来ません。それでいいのですか?」


 段々流暢になって来ている言葉には誰も突っ込まず、彼女達はただお互いに顔を見合わせてキョトンとしていた。


「え~、そんな事ないよねぇ? 私たちもルーク君も、やる時はちゃんとやってるし。ねえ?」


 ルークに視線が集まる。ルークはじっと私を見ていた。

 ……やっぱりバレてる?

 いいや、バレていたとしても身内なので問題はない。私の婚約者ストーキングさえ黙って見逃してくれれば、鞭打ちはしないでやってもいい。


「……フォルトゥナ王国の貴族サン達は自由なのですネー。私の母国では考えられないデスよ。外国人に舐められたくなかったら教室に戻って、授業を受けて来るんデスネ」


 貴族は見栄っ張りなので、外国人には良いところを見せようとするはずだ。案の定、少し考え直した様子の女子が出始めた。


「どうする?」


「戻ろっか」


 という声が聞こえだす。

 あのダニエルも案外ちゃんと考えて設定を作ったのかもしれない。

 密かに感心していると、ルークは私のほうに向かって一歩踏み出してきた。と思ったら、突然目の前で跪いて。


「ぼ、僕と結婚して下さい!」


 と言い放った。


「は?」


 なんという事だ。義理の弟が突然求婚してきた。

 さすがの女子達も呆気に取られている。


 ……え、これ気付いてないって事?


「えーと……。私、既婚者なんです。ごめんなさい」


 正確には少し違うけど、大体合ってるよね。

 もっと言うと義姉なんだけど、たぶん今は口にするべきではない。


 左手を出し、昨夜もらったばかりの指輪を見せる。

 するとルークはがっくりと項垂れて、すかさず女子達に慰められていた。


「ルークくん、大丈夫だよ。元気出して」


「ああいうマダムが好きなら、私達も頑張ってそうなるから」


 ああいうマダムって言うな! まだマドモアゼルなんだからね!

 私は無事に教室に戻って行くルーク達を見送って、それからこっそりと口紅を落とした。


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