35.いつからそう呼ばれていたのか


 その日の夜、灯りを消して眠ろうという時になってコンコンと窓がノックされた。


 ――なんだろう?

 こんな時間に私の部屋の窓をノックしそうな人なんて一人しか思い浮かばないけど、念のため剣を持ってカーテンを開けた。

 案の定ハヤトだったので剣を置いて、窓を開けてバルコニーに出る。

 ひやりと涼しい夜風が髪を撫でるように室内へ吹き抜けていった。


「ごめん、こんなとこから」


「いえ、それは良いのですが……どうしたんですか? なんで窓から?」


「ちょっと外に出てたんだ。戻ってきたら、灯りが消えるのが見えて急いで影を渡ってきた」


「外に? どちらへ行かれていたのですか?」


「……これ、受け取りに行ってた。どうしても今日中に渡したくて」


 そう言って取り出したのは、黒いベルベットの小さな箱。これって。


「……指輪?」


「そう。遅くなってごめんね。どんなやつにするか迷っちゃって、なかなか決められなかった」


 結局名前で決めちゃったよ、と言いながら箱を開いて見せてくれる。

 ダイヤモンドが並ぶエタニティと呼ばれるタイプの指輪が、月の光を反射して柔らかくちかちかと光った。

 彼が悩んだ末に選んだのが“永遠”だなんて……、様々な思いが湧き上がってきて、言葉にならない。


「アリスに似合うのを、と思ってたんだけど、どれも似合うなぁって思ったら選べなくなっちゃってさ。最初は選ぶのに一か月もかけるつもりなかったんだ。……本当だよ?」


 一生懸命に遅くなった言い訳をしている。

 一人になる時間なんてほとんど無かったのを知っているから、遅いなんて思わないし、むしろ婚約指輪は無くてもいいやって思ってた。


 けど、やっぱり凄く嬉しいよ。


 左手を彼に差し出す。するとそっと手を取り、薬指に指輪を嵌めてくれた。

 ……サイズ、ぴったり。


「ありがとう。すごく、嬉しいです」


「よかった」


 ぎゅーって抱き合った。


「……俺、ちょっとはアリスに相応しくなれたかな?」


「え、なんですかそれ。そんな事を思っていたんですか?」


「そりゃね」


「どうして……。相応しくなれるよう努力しなければならないのは、私のほうですよ」


「どこが? これ以上にならなくていいんだけど」


 なんだか誉め合い合戦になりそうな気配を感じる。話を変えよう。

 だって私、誉めるのはいいけど誉められるのは苦手なのだ。

 私の長所など親から与えられたものしかないのは自覚している。

 自分の力で手にしたものじゃないのに誉めてもらうと、ありがとう、とも、そんな事ないです、とも言い難い複雑な気持ちになる。

 社交の場なら割り切って「ありがとう」と言えると思うけど、ハヤトの前では言いたくない。

 私は結構めんどくさい人だって自覚している。


「ともかく、こんどお礼の品を贈りますね。何かリクエストはありますか?」


「アリス」


「それはもう貴方のものじゃないですか。そうじゃなくて、記念になるようなものを」


「別にいいよ。何もいらない」


「うーん……。じゃあ私が選びますね。本当は私からも婚約指輪を贈りたいくらいですけど」


「え、じゃあそれがいい」


「いいんですか」


 男性が結婚指輪でなく婚約指輪をするのはあまり一般的ではないけれど……本人がいいと言うのならいいかな。


「じゃあ、そうします。……ふふっ、楽しみです。じゃあ、サイズ測らせて下さい」


「うん」


 室内から紙を細長く切ったものを持ってきて、彼の左手の薬指に巻いて印をつける。薬指の隣、小指にはちゃんと紋章のシグネットリングがつけられていた。

 ちょっと意外。


「これ、ちゃんとつけてるんですね。必要な時しかつけないんじゃないかと思ってました」


「最初はそうしようと思ったんだけどねー。ジェフリーさんに怒られた。これは身分証明と一緒だから、安易に外しちゃいけないって」


「あら、怒られちゃいましたか」


 でもそれでちゃんとつけるようになるなんて素直な人。


「まあね。……そういう事なら、これももう俺の一部なんだから変につけたり外したりするのも良くないなって思って。後押ししてくれた公爵にも失礼だしね」


 そうは言うけど、果たしてどんな思いでそれを身に着けてくれているのか。

 私は、彼が好き好んで貴族社会に飛び込んできた訳じゃないと知っている。

 推し量ることしか出来ないけれど、きっと、今までの自分と決別するような気持ちが少なからずあったんじゃないかと思う。

 どうすれば彼に報いる事が出来るのだろう。

 平凡な私が彼に与えられるものなど、あまり無い。それを悔しく思う。


「じゃあ、指輪楽しみにしてるよ。おやすみ。また明日ね」


「はい。おやすみなさい」


 月が作る木の影に溶け込むように彼の姿がかき消えていく。

 完全に見えなくなるまで、繋いだ手の感触は消えなかった。




 ☆☆☆☆




 私達は、星の浮かぶ空間で神力を持って自然発生した意識です。

 実体はありません。

 私の他にも神力を持った意識はいて、皆それぞれがひとつの星を持っております。

 神力とは無機物への干渉力と言うと伝わりやすいかもしれません。勿論それだけではありませんが……。


 私達は意識を持たない物であれば自由自在に創造する事が出来ます。

 その力を使って私達は星が生み出す生命を育み、星と共に生きていく訳です。

 が、ある程度生命が育ちましたら大抵は見守るのみに徹します。

 そのほうが、いたずらに神力で介入するより余程面白いので。


 星は神に似ると言いますか、神の性質によっては生命体の維持が困難な世界になったりもするようですが、私は優しい世界を選びました。

 神力の一部を星に与え(人はそれを魔力と呼ぶようになりました。星のものになった時点で、もう、私の神力とは別物なのです)水や資源がよく循環する世界であるように。

 初めの頃は加減が上手くいかず、生命が増えすぎて星の容量を越えてしまったり、逆に魔力が濃くなりすぎて強い魔物ばかり山ほど発生してしまったりもしましたが、最終的には自然とバランスのとれたところに収まりました。

 今の世界は概ね上手くいっているようです。

 小さな諍いはありますが、全体的には調和の取れた状態で回っております。


 生命たちはいつからか『ミナ―ヴァ様』という言葉を、世代を越えて口にするようになりました。

 何のことだろう、と思っていたらどうやら私のことのようで、祈りの言葉と共にその言葉を度々口にしてきます。

 妙な心地でした。

 私はいつまで経ってもその言葉が覚えられなくて、それは今でも変わらないのですがなんとなく私に向けて語り掛けているのだという事だけは、今は理解しています。


 私達はどうも個体を指す言葉を覚えることが出来ないようです。


 生命たちにはそれぞれ固有の名前があるらしいのですが、私が覚えることが出来たのはせいぜい地域の名前まででした。

 その地域を支配する一族がなんという名前なのかまでは分かるけれど、個体名となると途端に分からなくなってしまいます。自分の名前ですらそうなのですから、幾多の生命たちの名前ともなればなおさらです。

 それでも、特に困る事は無いので放っておきました。


 少し前に魔法を物質に付与したいという祈りが聞こえました。

 物質への付与。

 少し迷いました。

 無機物への干渉は私達の力そのものです。

 生命たちが扱うには少しばかり大変なもののように思うのですが、彼は挑戦したいと言うのです。

 これまでにもそういった祈りが届くことはありましたが、聞かなかった事にしておりました。


 きっと、気まぐれだったのでしょう。私は彼の扱う文字に力を与えました。

 しばらくバランスの取れた状態が続いていたので、この辺りで少し変化しても良いような気がしたのです。

 ただ、急激な変化は困りますので、緩やかに変化していけるよう一つだけ制約を設けました。


 "これを使うのは貴方の血筋のみです"


 その言葉をどう受け止めたのか、彼は文字を一見しただけでは分かりにくいように記号と数式にしてしまい、自分の息子にだけそれを教えるという頓珍漢な行動に出ました。

 血筋に与えた力は、そんな事などしなくとも他には真似出来ないというのに。


 彼にはちまちまと細かい事を工夫する力があり、何事にも大味な私には到底思いつかないような発想でもって素材と文字の組み合わせを研究して、この世界を発展させていきました。

 久しぶりに見る世界の変化。

 面白かったです。


 なので定期的に届く"約束の言葉"にはきちんと答えてあげました。

 長い間見守るだけだった生命たちと意思を通わせるのが、楽しみになっていたのです。

 彼の一族を通して世界に悪戯をしているような――小さな子供のような気持ちでした。


 そんな平和なところに、ある時不穏がやってきました。

 神力を持って発生したものの、自分の星を持たずただ浮遊するだけの意識が。

 それは星とも呼べないような小さな星屑に入り込み、私の星に迷い込んできました。

 神力を持つ者同士は干渉し合わないのが不文律なので、どうしたものか、と迷っているうちに、それはあろう事かひとつの生命体に入り込んでしまい、私が手出し出来ないようになってしまったのです。

 思い通りになるのは命の宿らない物質だけで、生命体にはほとんど干渉出来ない私達ですが――例外があります。

 自分が生命体に入り込む事です。

 私達を受け入れるだけの器がある体じゃないと壊れてしまうので私はやった事がありませんが、不運な事にそれは器を見付けてしまいました。

 一度生命体に入り込むとその生命と融合してしまい、体が死ぬまで出られないのに、入り込んでしまったのです。


 今のところ大人しくしている様子ですが、あれがこの先どうするつもりなのか、注視しているところです。



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