34.えっ、売るの!?マジで!?

さて、本当にどうしよう。

何故かは分からないけど、とにかくやらかしてしまった。

反省は後でするとして、今はこの場をやり過ごす方法を考えなければ。


「……いっそ何食わぬ顔で出ていくのがベストだと思うんですけど、どうでしょう?」


さっきから私の肩に額を押し付けたまま死んだように動かないハヤトに、"私が考えたベストな出方"を提案してみる。

"あら皆さんどうかなさいまして? "みたいな顔で出て行って、何か言われても"あらうふふ、そのお話はいずれまた"と言って優雅に立ち去る。

これしかない。

店主さんには本当に後日お詫びをするとして、殿下に対してはそんな感じで逃げていいと思う。


「ね、ハヤト。もう開き直っていきましょう。このままだと出荷されちゃいますよ……どうしたんです? 大丈夫ですか?」


彼は肩に押し付けた額はそのままにゆるゆると首を振り「……屋根に登ってからの梯子外しはキツいって……」と呟いた。

ごめんて。


うだうだしていても仕方ないので、蓋に手をかけ開けようとする。

だけどその手首が掴まれ止められてしまった。


「ん? もう少しここにいたいんですか?」


「そんな訳ないでしょ。ただ、いけそうな気がするから、試してみたいんだ」


「?」


何を、と聞こうとして、木箱の内側一面の薄暗い『影』がまるで水面のように波打っているのに気が付いた。

––これは、闇魔法?

足元がぬかるみに沈んでいくような感覚がする。


「いける」


ハヤトがそう呟いた瞬間、何とも言えない浮遊感と共に暗闇に落ちた。

そう、落ちた。落ちたとしか言いようがない、だけど上下が逆転したような感じがあって、何が起きたのかわからないうちに私達は箱の外、先ほどの場所から少し離れたところの物陰に座り込んでいた。


「いけたね」


あっさりした口調でそう言ってスッと立ち上がったハヤトは私の手を取り、引っ張りあげてくれた。


「今の、影移動ですか?」


「うん。今やっと闇属性に染まってない時にも入れるようになったよ。しかもふたり一緒になんて、我ながら急進化したなぁ」


そう話しながら、彼は物陰から殿下のいるところを窺っている。

軽い感じで言ってるけど、それって凄い事だよね?

 日頃から彼の近くにいると凄さの基準がわからなくなって困る。

とりあえず、これから通う予定の学院では影を使った闇魔法など誰も存在すら知らないのは確かだ。異次元の構築など、私も含め普通の人間には無理無理無理。

それを感覚で作り出してしまったハヤトと、説明を聞いて理解し術式化してしまったクリスお兄様がおかしいのだ。

先日お兄様に術式を解説してもらったけど、多元宇宙論のような感じでふんわりとしか理解できなかった。私はホーキング博士の弟子にはなれそうにない。

それはさておき、あまりおおっぴらにやると、もしどこかで暗殺などの事件が起きた時に濡れ衣を着せられかねないので秘密にしておいたほうがいいような気がする。


「とっても凄いんですけど! だけどそれ、人前で使わないほうがいいと思います」


「うーん……そうだね。影からいきなり出て来る人なんていたら嫌だもんね。そうするよ」


荷車のほうから殿下が「今から三秒以内に自分達から出て来い。三、二、一…………そうか、出て来ないか。では開けるぞ。何っ!? 消えてる!?」と言っているのが聞こえる。

見付かったら困るので、今のうちにこっそり退散する事にした。




予定していた"かわいい眼鏡探し"は今回は無し。

ギルドにも寄らずまっすぐ家に帰り、まずはシャワーを浴びて、着替えてから玄関の扉付きの手紙入れをチェックしてみた。

ベティは私の家を知っているから、不在の間に手紙を入れてくれてたりしないかな、と思って。


「あ、来てる。嬉しい」


立ったまま手紙を開いて読んでみる。手紙にはお祝いパーティーの日にち伺いと、テッドさん達との活動がすごく楽しいという話が数枚に渡って書かれていた。

あと、ワンちゃん達が可愛いという報告も。

上手くやっているみたいで何よりだ。


テーブルで返事の手紙をしたためていると、浴室から上半身裸のハヤトが頭をタオルでがしがし拭きながら出てきた。

慣れとは恐ろしいもので、そんな姿を見てももう意識が飛んだりはしない。少し目眩がする程度だ。


「もう、服を着てから出てきてくださいよ」


「だって濡れたまま着るの嫌なんだもん」


「ちゃんと拭けばいいじゃないですか」


「まあそうなんだけど。……手紙書いてるの? 誰に?」


「ベティです。手紙が来てたんですよ。読みますか?」


「うん」


デリケートな内容は書いてなかったので、ハヤトにも読んでもらった。

テッドさん達と上手くやれているかハヤトも気になっていたようで、読み進めるごとに表情が柔らかい笑みになっていく。


「……そっか、楽しくやってるみたいだね。良かった。このお祝いパーティーって、半月後? アリスはこの日でいいの?」


「はい。ハヤトも大丈夫ですか? 学院に入ってからの日程にはなりますが、週末の夕方からですし、時間的には余裕があるかと」


「いいよー」


手紙に日程OKの返事を書き込み、折り畳んで封をした。

あとは出すだけだ。


「……そういえば、市井の皆さんって、結婚が決まった時のパーティーはどんな事をするんですか?」


「集まって飲んだり食べたり音楽鳴らして踊ったり、かな」


「ふふ、貴族とそう変わらないですね。音楽は誰が鳴らすんですか?」


「楽器出来る奴が持ち込んで勝手にやってるよ。音楽の感じは貴族のとは全然違うから驚かないでね」


「はい、大丈夫です」


こちとら前世でポップスからクラシック、何でも聴いてきたのだ。例え突然ラップバトルが始まってもうろたえない自信はある。……まあ、さすがにラップはないと思うけど。


「そういう雰囲気なら、何を着て行けばいいですかね……。少し改まった感じで大丈夫ですか?」


「何でもいいんじゃないかなー。女の子は確かにそういう時はいつもより気合い入れてくるけど。……うん、アリスの基準だと確かにちょっとズレる可能性はあるね。こんどカルロス姐さんに聞いてみようか」


「嫌な予感しかしない」


だけど私の基準が当てにならないのは確かなので、聞くだけ聞いてみようと思った。

ハヤトはようやく肌が乾いたらしく、黒いパーカーを羽織った姿にほっとしながらお茶を勧める。


「ありがと。あ、そういえば……これ、どうする?」


彼が突然神妙な感じになってテーブルの裏面の影から取り出した物は、例の、キラービーの蜂蜜酒だった。


「どうする、とは?」


元はといえば、苦労しがちなお父様にお酒を贈ろうという思い付きから取ってきたものだ。贈る以外に何か使い道があっただろうか。


「その……アリスはこれ飲んだ時、どうだった?」


めちゃくちゃ気まずそうに言ってくる。

何だろう?


「喉が焼けるようだと思いましたよ。他には……あまりおいしいものではないな、と……」


「……ちょっと変な作用を感じなかった?」


「変な? んー……これと言って、別に」


するとハヤトは「はぁー……」と大きなため息をついてテーブルに突っ伏した。


「あれが素だとしたら精神が持つ気がしない……。とりあえず明日、ピートさんにこれがどんな性質を持ってるのか詳しく聞いてみよう。もしかしたら結構厄介なものかも知れないから」


「わかりました」


厄介って……。私、飲んじゃったけど。

大丈夫かな。お父様に渡すものが変なものだったら良くないから、ちゃんと確認したほうが良さそうね。



翌日、ギルドでピートさんに現物を出して聞いてみたら、彼は顔面を蒼白にして「……まさか……飲んでませんよね?」と聞いてきた。

少し飲んだと言うと、まずハヤトにゲンコツを喰らわせてから気まずそうに小声で説明を始めてくれて。

いわく、密室、密接、密着の条件が揃うと効果の出る、いわゆる男女関係に効く薬なのだそうだ。


「でも良かったですよ。そのご様子だと効果は出なかったようですね」


いや、出たよ。

心当たりあるよ。

時間差ありすぎてわからなかっただけだよ……。


結局、お父様に贈るのは取り止めて即売り払い、お金はそのまま何の変哲もない最高級ブランデーセットに化けた。



そうして日にちは過ぎ、とうとうハヤトが叙爵の儀式を受ける日がやって来た。


その日、私達一家とハヤト、ラヴ兄妹は三台の馬車に分乗して王宮に向かった。

お父様とお母様とルークで一台、クリスお兄様とラヴで一台、ハヤトと私で一台と、なかなか仰々しいことになっている。


「……緊張していますか?」


「少しね。でも大丈夫」


向かいに座るハヤトは珍しく言葉少なだ。

初めて王宮に上がる彼が着る大礼服は上質な生地できっちりと体のサイズに合わせて仕立てられたおかげで、立ち姿だけでなく動作の一つ一つまでがとても優雅に映える作り。

平民の貴方も好きだけど、今の貴方はどんな貴族にも負けないオーラがあると自信を持って言える。


「私ね、今日の貴方の隣を歩けることを光栄に思いますよ」

そう言うと、彼は少し笑って「ありがと」と言った。


王宮にはすぐに着き、お父様達の後についてハヤトのエスコートで謁見の間へ向かった。

今日は公的儀式なので私も宮廷礼服で謁見だ。細かな刺繍が施された薄紫のビロードのマントは、このところ忘れかけていた貴族の矜持を思い出させる。

––そういえば私、お嬢様だった。野菜の箱で出荷されそうになってる場合じゃなかった。

今日は手持ちの気品を全て出し切って、しっかりハヤトを引き立てないといけない。

 気持ちを引き締めて、深紅の絨毯の上をゆっくりと歩いた。


玉座の間は人でいっぱいだった。

他公爵家の当主夫妻はもちろん、侯爵家、伯爵家以下も派閥を問わず集まっている。平民への叙爵にここまで人が集まるなんて通常あり得ない。

それだけ彼が注目の人物という事だ。

孤児院出身ながら貴族にと望まれ、つれなく断り続けていたのがうちのお父様に捕まって、一代貴族を通り越しいきなり子爵位に就いたところとか。

次期王妃からの婚約破棄で社交界からしばらく消えていた私の、新しい婚約者なところとか。

妹が次期ステュアート公爵夫人になるところとか。

世界でただ一人、単独でSランクの称号を手にしたところとか。めっちゃかっこいいところとか。少し考えただけでも盛りだくさんだ。

これに加えて、私は儀式の最中に彼の髪が銀に変色するんじゃないかと予想している。

王宮は教会と同じくらい神聖な魔力に満ちた特別な場所なのだ。変色を初めて見た人はびっくりすると思う。私もびっくりしたしね。

改めて、大変な運命の星の元に生まれてきた人だと思う。

幸いな事に彼は注目され慣れているので、この王侯貴族に取り囲まれた状況でも平然としているけれど。

––二人で過ごしている間は意識していなかったけど、私達の結びつきは貴族社会から見ると案外大きな出来事だったのかも知れない。

品定めをするような視線を四方から浴びながら、そんな事を考えていた。


お父様達は横に控え、私とハヤトで玉座の前で跪く。目の前には、ルイス・フォルトゥナ陛下――私にとっては気のいいおじ様が今日は威厳をたっぷりみなぎらせて座っている。

宰相による前口上の後、ハヤト一人が前に出て跪き、勅許状の読み上げが行われた。そして、玉座から降りてきた陛下に魔法銀の儀式剣が渡され、ハヤトの両肩に当てられる。

これをもってハヤトは正式にリディル子爵家の当主となった。

同時に、予想していた通り、彼の薄茶の髪が銀色に変色していく。周囲からはどよめきが起こり、間近で変化を目の当たりにした陛下は嬉しそうな顔で笑った。


「話には聞いていたが面白いね。ここが神聖な場所だと改めて知れて良かった」


勅許状に加え、新しく創設されたリディル子爵家の紋章(お父様が出した図案)がついた懐中時計と指輪––シグネットリングが下賜され、玉座の間を下がる。この後は庭園に移り、お茶会になる予定。

廊下で紋章を見せてもらうと、下辺に五つのアマリリスが置かれ、その花の上に黒い盾と交差する二本の剣、それを左右から囲む二体のエンシェントドラゴン、子爵位を示す冠の上に白い梟がいるという、ほぼほぼうちと同じものだった。うちは金と赤がメインの色だけど、リディル家は銀と黒になる。要するに、ただの色違いだ。一目でステュアートとの繋がりが見て取れる。


「うちとほとんど一緒ですね」


「そうだけど、よく見て。ほら、ここ」


ハヤトが指差すところをよく見ると、盾の中にしっかりカメレオンがいるのを見付けて、少し笑ってしまった。


庭園に出るとすぐに他家の公爵夫妻がやって来て、声をかけてくれた。

夫妻とは当たり障りない挨拶をしてすぐに離れたけど、それを皮切りに、代わる代わるひっきりなしに貴族達が挨拶に訪れる。

本当に、普通の叙爵ではあり得ない光景だ。

中には平民という言葉を使って悪意を含ませてくる人もいるにはいたんだけど、青みのある銀髪に変わったハヤトがその深い群青色の瞳でニコッと微笑んで返すと、急にどぎまぎし出して

「つ、つまり、困ったことがあったら相談してくれって言いたかったんだよ。明日から学院なんだろう? 頑張れよ」と見事なツンデレを見せてくれた。

美形の微笑み、恐るべし。

だけど彼はただ顔がいいだけじゃないのだ。顔が整っている人というのはそれなりにいるものだけど、彼は妙な異質感があるというか。引力のある人、と言うとしっくり来るかもしれない。

前世で偶然美形俳優を見掛けた人が「人間の群れの中にアザラシがいると思ったくらい周りと違う」と言っている人がいたけれど、多分そんな感じなんだと思う。


幸いな事に今日はうち以外の家は当主夫妻のみの参加で(要するに親世代ばかり)。

同世代はいないつまり恋のライバルは現れていない。

ハヤトは明日から学院――同世代の集まりに紛れ込まなきゃいけないんだ。

ツンデレが言った言葉にどこか不吉なものを感じながらお茶会の時間を過ごした。

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