33.HONEY MOON
市街地に戻ると、一画に何やら人だかりが出来ていた。
人だかりの中から言い争いの声がする。
何だろう?
通りがかりついでになにげなく覗いてみた。
するとその中心に見知った人物がいたものだからつい足を止めてしまう。
「――だから、何度も言っているだろう! お前達のキャラバンの護衛は私が受けると! 何の問題がある!?」
「そうおっしゃられましても……私どもはCランク以上の方々に来てほしいとお願いしたのです。おそれながら、殿……メル様ではかえって危険な旅になるかと」
「無礼な。私は確かに今はEランクだが、事情があって本来の力を出せずにいるのだ。国外にさえ出られればCランクなど軽く越えて見せる。しかし、どうしても不安なら私達の他にも護衛をつけても構わない。さっきから言っているだろう」
「私達には何組も雇う余裕はありません。どうか、お引き取りを」
「話のわからん奴だ」
……見なきゃ良かった。
揉め事の中心は久しぶりに見る殿下だった。
他の四人はどうしているのか、どこにも姿が見えない。
話の内容から察するに、殿下は国外に出るキャラバンに便乗しようとしている様子。
前に会った時、暗殺者に襲われるって言ってたけど……とうとう国外に脱出を決めたのかしら。
それなら自分一人でこっそり実行すればいいのに。
あんなに目立ってたら意味ないじゃない。
……というか、よくその状態で何ヵ月も持ちこたえたわよね。
凄い。
本来の力を出せていないというのは確かにその通りに感じる。
国外と言わず、どこか地方に逃げても良かったような気がするけど……それじゃ逃げ込まれた地方の領主が困るよね。
国外に出たところで早晩バレるのは間違いないし。
どこに行っても存在自体が火種になりかねないなんて、王族とは何て厄介な血筋なのだろう。
見てしまった以上、知らない振りは出来なかった。
殿下と市民の揉め事など知らん顔して良いものではないし、それに、心のどこかで彼の事は引っ掛かってはいたのだ。
どこで何をしていようと関係ないけれど、別に死んでほしいとまでは思っていない。
むしろ今では感謝すらしている。
彼が婚約破棄してくれたおかげで私はハヤトと出会えたのだから。
だからこそ、何らかの形でケリを付けないとこの先心から幸せを享受できない気はしていた。
彼とは一度話をしなければならない。
幸いなことに今は話をややこしくする系の女子がいないので、前よりは意思の疎通が可能な気がする。
となれば、ハヤトにそれを伝えなければ。
「ねえ、ハヤト。……私」
手がきゅっと握られた。
「いいよ。話するんでしょ? 俺もついて行っていい?」
「……ありがとう」
どうして言わなくても分かってくれるのかしら。
つい頼ってしまいたくなる。だけど。
「気持ちは嬉しいのですが、ここは私一人で行きます。ハヤトは、私から見えるところにいて頂ければ」
「……俺に話、聞かれたくない?」
「そうではありません。ハヤトは叙爵を控えているのですから、例え勘当中の相手であっても王族とのトラブルは今は避けるべきと思いました」
「そう……」
ハヤトは少し間を置いて、「わかった」と頷いた。
「でも、もしアリスが危ない目に合いそうになったら、殴り込むかさらって逃げるかのどっちかにしようと思ってるんだけど。どっちがいい?」
「さらって逃げるほうでお願いします」
物騒なところはあるけど、殴る一択じゃないから大丈夫だよね。
人混みをかき分けて、騒ぎの中心に向かった。
「メル様」
先ほどキャラバンの主が口にしていたのと同じ呼称で呼び掛けると、その場の全員が私に視線を向けた。
緊張が張り詰める中、殿下がぽつりと呟く。
「アリス……」
「お久しぶりです、メル様。ずいぶん騒がしくしておりますのね」
「そ、そうか? いやちょうど良かった。君と話がしたいとずっと思っていたんだ」
「私はあまり話したくなかったのですけど。見かねてしまってついお声をかけさせて頂いた次第でございます」
「そうか。……おいキャラバンの。もう失せていいぞ」
ほっとした様子で頭を下げて立ち去る商人を見届けると、野次馬が逃げるように散らばり始める。
誰も私達の揉め事には関わりたくないのだ。
……私だって本当は関わりたくないよ。
視界の端にハヤトの姿を確認して、なんとか心を奮い立たせる。
「アリス、会いたかった」
「私は会いたくなかったです」
「……冷たいな」
「当たり前です。優しくする理由がありません」
何となく建物の壁に背中をつけて寄りかかり、殿下と間隔をあけて横に並んで立った。
これが今の私と殿下のちょうどいい距離感。
道行く人々の姿がよく見える。
「なぜ。婚約者同士じゃないか」
「"元"ですわね。もうとっくに婚約は破棄されておりますから。おかげで私、とても良いご縁に恵まれました。もったいないくらい素敵な方と婚約できたんですよ」
「はぁっ!? 冗談だろう!?」
「本当です」
ふふ、と笑うと殿下は髪をぐしゃぐしゃに掻き乱してため息をついた。
「君はずっと私のものだったのだけどな」
「でも、要らなかったでしょう?」
「気の迷いだった。あの時の俺は、まるで自分が正義の味方にでもなったような気分で、物語のヒーローのような万能感に酔いしれて……。ヒーローを演じるのが楽しくて、ずいぶん浮かれてしまっていた」
「そうですか。ところで、他の皆さんはどうしているのですか? マリア様以外の」
「知らないな。命を狙われているのが実は私だけだと悟ったら、皆逃げて行ってしまった」
「かわいそう」
「はは……機を見るに敏な奴らばかりなのに、なぜ勘当は避けられなかったのだろうと思うと笑えてくる」
「そうですね。で、これから一体どうするのですか? 国外に出て身分を隠して生きていくのですか?」
「そのつもりだったが……この機会にもう一度聞きたい。アリス、私とやり直してはくれないか?」
「無理です。私がいれば王宮に戻れると思っているのですか? きっと勘当の原因はそこじゃないと思いますよ」
「違う。王宮にはもう戻れなくてもいい。ただ、君とやり直したいんだ。学院に入る前、共に過ごした時間を思い出すと胸が締め付けられるように痛む。今になってわかった。愛していたんだ。君を」
「ありもしなかった感情を後から付け足すのはお止めください。私はそのような話をしたくて声をかけたのではないのですよ。仲違いしたとはいえ、幼なじみのように過ごしてきた方がこのまま命を落としたら寝覚めが悪いな、と思っただけです」
「アリス……」
「陛下には、父と共に私から何とか穏便に済ませられないか伺ってみますから。しばらくの間、御身を隠して大人しくお過ごし下さいませ。伝えたかったのは、それだけです」
言いたい事は言えたので「それでは」と話を終わらせて、壁から背を離して立ち去ろうとした。
だけど、手を引かれて止まらざるを得なくなる。
「アリス、行かないでくれ。好きなんだ」
振り返らずに手を振り払おうとするけど、力強くしっかり掴まれていてなかなか振り払えない。
あまり騒ぎを起こしたくないから、何とか静かに済ませたいのだけど。
「離してください」
「嫌だ」
「私、婚約したんです。殿下の元には戻りません」
「その婚約者はどんな奴だ? 以前街で一緒にいた奴か? ただの庶民じゃないか。君を満足させられると思えない」
そんな事はない。
好きで好きでたまらないのに、満足も何もない。
視線をハヤトに向けると、彼は既にこちらに向かって真っ直ぐ歩き始めていた。
「アリス、もう行こう」
差し出された手を掴むと、一瞬殿下の手が緩んだのでサッと振り払った。
ハヤトに手を引かれて歩き出す。
「待ってくれ。私には、もう君しかいないんだ」
――捨てられた子犬……。
罪悪感で後ろ髪を引かれる思いはあるけど、振り返る訳にはいかない。
私にはもうどうする事もできないのだから。
ハヤトの歩く足がどんどん早くなっていく。
理由はわかってる。追われているのだ。
「アリス!」
ひときわ大きな声で呼ばれたのを引き金に、ハヤトは走り出した。
私も走る。人混みをすり抜け、市街地を駆け抜ける。
角をいくつも曲がり、建物の間も抜けてみる。
だけど人が多くて全力では走れないのと、殿下もそれなりにハイスペックな人なのでなかなか撒く事が出来ない。
「どうしましょう、このままでは家には逃げ込めないですよね」
「家にまでついて来られたら嫌だもんね。どこかに隠れてやり過ごせないかな。……あ、アリス! あれ!」
角を曲がってすぐのところに野菜を売るお店があって、路上に運搬用の荷車が置かれていた。
その上には、大きな空の木箱が乗っている。
まさか。
「あの中に隠れよう」
「やっぱり!? 本気ですか!?」
「だって他にないじゃん。早く! 追いつかれるよ! おっちゃん、ちょっと箱借りるよ!」
事態を飲み込めていない店主がとりあえず頷くのを見て、ひょいと木箱に入り込む。
考える間もなく私も木箱に引きずり込まれ、ハヤトは通りすがりの人達に向かって口元に人差し指を当て「しー、だよ」と言った。
皆こくこくと頷いてくれた。
横に立て掛けてあった木箱の蓋を持ち上げ、ぱたんと蓋をする。
息を潜め、木箱の外の気配を探った。
「……ねえアリス、あいつとどんな話をしたの」
耳元で小声で囁かれ、ようやく意識が箱の中にやって来た。
改めて意識すると私はハヤトの脚の間に座り込み向かい合って寄りかかっているという、割ととんでもない体勢になってしまっている。
…………動けない。
狭くて体勢を直す事は出来ないので、動揺を見せないように平然を装って小声で答える。
「陛下に助命だけはして頂けないか伺ってみる、と伝えただけです」
「ふぅん? 本当にそれだけ?」
「それだけ……ですよ……」
「本当に?」
耳元で喋るのやめてほしい。
なんだか心拍数が上がってきて、息が苦しくなってくる。
あれ……?
本当に、苦しい……。
「はっ、はっ……」
「…………どうしたの? 大丈夫?」
おかしい。
別に閉所恐怖症などではない(むしろ狭いところ好き)のに、息が出来ない。
手足の末端が少し痺れてきて、まるで過呼吸のような症状だ。
ほとんど無意識にコルセットベルトを外しにかかり、上半身をブラウス一枚にした。
まだ苦しい。
服が肌に纏わり付くのが不快。
――脱がなくちゃ。
「待って! 本当にどうした!?」
ハヤトの慌てる声が遠くに感じる。
顔を上げるけれど視界が滲んでいて彼の顔がよく見えなかった。
でも――何だろう。
ものすごくキスしたい。
首にしがみついて、頬に唇をつけた。
これじゃ足りない。
ふつふつと体温が上がり、うっすらと汗が滲む。
「ねえ、キスして」
足元のほうでガタッと音がした。
「いや、アリス、ちょっと落ち着こうか。ね? なんか様子がおかしいから」
「キスだけでいいんです、お願い。だめですか?」
「絶対だめとまでは思ってないけど! でもこんな箱の中はどうかと思う! 俺はいいけどアリスが」
「それならいいじゃないですか。ねえ、こっち向いてください」
目一杯顔を背けて逃げるハヤトの頬に何回もキスをする。
私は今おかしいのだろうか。
頭がぼんやりして何も考える事が出来ない。
「あーっもう! だめ! 今普通じゃないでしょ!? 絶対後悔するって!」
すっかり隠れるどころじゃなくなってしまい、ガタガタと木箱の中で押し合いが始まった。
やがてハヤトは根負けしたのか、ぐっと目を瞑ったと思ったら次に目を開いた時には完全に表情が変わっていて。
「……本当に、いいの?」
小さく頷くと、こつんと額を合わせてきた。
すごく熱っぽい視線。心が満たされていく。
「大好きですよ、ハヤト」
「俺も、すっごい好き。大好き」
唇が触れ合う。
――かと思った、その直前。
「君達、それで隠れているつもりなのか?」
と声がしてパカッと木箱の蓋が開かれた。
外の光が私の背中とハヤトの顔半分に当たり、はっと我に返る。
呼吸が楽になって、頭の中もクリアになっていく。
……今の衝動は一体……?
いや、それより、この状況は……。
おそるおそる振り返ると、唖然とした表情の殿下と目が合って。
「…………」
ぱたん、と蓋が閉じられた。
「……おい、店主」
「は、はい!」
「迷惑をかけたな。この箱は、出荷しろ」
「しゅ、出荷ですか!? どちらに!?」
「地獄」
殿下も言うようになったな……と思いながらそっと服を直した。
――――
この回も書籍版にてハヤト視点が掲載されておりますのでよかったらぜひ(再び宣伝)
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