32.ザ・検証


着替えて下に降りると既にカーテンは開けられていて、柔らかな日差しの中で分厚い本に目を通しているハヤトがいた。


「お待たせしました。準備できましたよ。何読んでたんですか?」


「法律ー。これ一番苦手だよ。あんまり頭に入ってこない」


「わかります。だけど文官を目指すのでもなければ程々で良いんですよ。お父様だって全ては覚えていませんし。知識が必要そうなケースをいくつか想定して、その事案に対応できる程度に覚えておけばいいんです」


話ながら隣に座り、ぴったりと体を寄せる。


「そうだけどさ。……どうしたの? 甘えてるの?」


「はい。さっきはびっくりしちゃったんですけど、もう大丈夫ですからね。カモンベイビーですよ」


「何言ってんの。いいよ、無理しなくて。ごめんね、ちょっとのつもりだったんだけどさ。びっくりしたよね」


彼はそう言って苦笑いしながら私の頭を胸元に引き寄せる。

ほんのりホワイトムスクの香りがして、なんか凄く、好きだと思った。


公爵家に仮住まいするようになって以来猛スピードで紳士教育を受けているこの人は、先日ついに香水も使わされるようになり、自分からはつけないものの今もラストノートがこの距離でようやく香る程度に残っている。

めっちゃ格好いい上に匂いまで色っぽくなるなんて反則だ。

好き。


でも、もうさっきのような雰囲気にはなりそうもない。


……チッ。


逃げ出しておいて残念がるなんて、そんな資格が無いのは承知している。

ただ、触れ合いたいのは私も一緒なのだと、それだけは伝えたかった。


「少し、キスしても……いいですか?」


そう言うと、胸元に当たっている頬から心臓が大きく脈打つのが伝わってきた。

顔を見上げると、表情は変わらないものの、明らかに動揺していると何となくわかる。


ふふふ、一本取ってやった気がする……!


何かと負け続きだったので、こんな事でも生殺与奪権を握ったような気がして嬉しい。

すぐ調子に乗る性格もあって、逃げられないようにがっしと首に腕を回した。


「ちょ、ちょっと、アリス。さっきごめんって言ったじゃん」


「別に怒ってないですし、謝る必要もないです。私だって触れ合いたいって気持ちはあるんですからね。カモンベイビーな気分にさせた責任だけは取ってください」


「なんなの、そのカモンベイビーって」


「こんな感じです」


猫を呼ぶ時みたいに手のひらを上に向け指先を動かし、注意を手元に引き付ける。

その隙に頬にキスをすると、少しびっくりした表情を浮かべた後「ちょっと違う気がする……」と呟いた。

なんで!? 何も違わないよ!?



その後すぐに外に出て、キラービーがよく出る場所に連れて行ってもらった。

郊外の、花がたくさん咲いている草原だった。


「この辺りがそうなんですか?」


「うん。普通の蜂も多いんだけど、こういう場所って虫系の魔物が出やすいみたいだよ。あ、普通の蜂とかが巻き込まれたらかわいそうだから、今のうち眠らせておこうか」


そう言って広範囲に闇魔法を展開させる。

ゆっくり作用するように調整したようで、生き物が少しずつ巣に帰っていく気配を感じる。

――そう、私も気配が分かるようになってきたのだ。

生き物が止まっている世界と動いている世界、それは全く違うものだと今の私にはよく分かる。


 って、あれ……?


「……なんだか私も眠くなってきました……」


「おーい、しっかりしなさい」


トントン、と肩を叩かれて目が覚める。聖属性で打ち消してくれたようだ。


「はっ……! ありがとうございます。でも貴方の眠らせる魔法、ちょっと効きすぎじゃないですか?」


「アリスなら今のは跳ね返せたはずだよ。俺に気を許しすぎなんじゃないの?」


心当たりがありすぎて何も言えない。


「……べ、別にいいじゃないですか。気が許せない人に預ける背中はありませんし」


「そっか」


そう言ってどこか嬉しそうに笑うハヤトを横目に見ながら、両方のイヤリングに魔力を通す。

耳元で揺れる水晶が、それぞれピンクと紫にボンヤリと光り出した。


「始めましたよ」


「うん。……来るね」


魔力の流れがあちこちで歪みだす。

空間が瞬きをするようにぐにゃりと動いた。

キラービーが現れた。前後左右、それと上空。

大群だ。羽音が地響きに感じるほど響いてくる。

魔道具の検証、開始。


――検証は、成功だった。

キラービーの大群はハヤトが起こした竜巻で一ヵ所にまとめてそこに私が炎を放つのを繰り返すという何とも単純な作業になってしまったけれど、五分経った時点でイヤリングに魔力を通すのをやめると、明らかに出現数が減るのが目に見えて分かった。

数を正確に把握するのはあきらめて、一旦戦闘を止めドロップアイテムの確認に入る。


「ハヤトさん回収お願いしまーす!」


「はいよっ」


ばらばらに地面に落ちたドロップアイテムが自らの影に吸い込まれて消えた。

結界をドーム型に展開し、その中でまとめて出してもらったアイテムの数と種類を記録していく。


「蜂蜜が三十五個、毒針が十四本、蜂蜜酒が二つ、と。蜂蜜酒、二つ出ましたね」


「うん、凄いね」


ちなみに、蜂蜜と蜂蜜酒はどちらも謎の薄い透明な膜で包まれていて、見た目は同じなんだけど、触れると微妙に感触が違うのでなんとか区別がつくようになっている。

この戦利品を前にハヤトは何やら思案顔だ。


「どうかしましたか?」


「……凄いけど、凄すぎてあんまり良くない気がするなぁ。それ、商品になるんでしょ? いくらで売り出すかわからないけど、たぶん真っ先に買うのって既にそこそこ強い奴だよね。そんな奴らがアイテムをたくさん市場に流したら、まだ魔道具を買えない低ランクの奴らが苦労しそうだなって思って。デフレっちゃいそうじゃん」


「う……。確かに。調整は出来るので、もう少し確率を下げましょう。光る機能をつけなければもっと安い素材でも作れるはずですから、低ランクでも手が届かない事はないようにしたいです。あと、紫のほうがなければ、市場バランスはそこまで崩れないと思います……」


「そだね。魔道具としては面白いし、ロマンがあるからいいと思うよ。楽しみな事は多いほうがいいもんね」


「そうですね」


市場への影響か……。そこに気を配らないといけないのは、今までの生活用品とは勝手が違うところだ。

確率は低めに要改良、と。メモに書き込み、丸で囲う。


「では、次は魔道具なしで五分間、いきますよ」


「了解ー」


ドーム型の結界が弾けて消えた。

待ってました、とばかりに残っていたキラービーが突進してくる。

子供の上半身くらいある大きな蜂で、尻尾にはナイフのような針。

そんなのがドッヂボールくらいの早さで突っこんでくるけど、怖くはない。

剣に雷属性を纏わせて迎え撃ち、真っ二つに斬り裂く。


「余裕だね、アリス」


サムズアップすると、こつんと彼の拳が当てられた。

貴方と二人で、生きている。唐突にそんな実感が湧き上がってきて、嬉しいような、なぜか切なくて泣きたくなるような、不思議な感覚を味わった。



格段に出現数が減った中で五分が経ち、また同じようにドロップアイテムの確認に入った。

蜂蜜が一個。それだけ。討伐数は七。少ない。


「普通ならこんなもんだよ。やっぱあの魔道具効きすぎだって」


「みたいですね……」


掛け算方式で五十倍の術式にしたのは欲張りすぎだったらしい。

水晶は強いって聞いていたから、いけるかなーと思って書いてみたら実際にいけてしまったのよね。

確かに、これはいかんな……。

秩序が崩壊しそうなレベルで違いが出る。

効果は確認できたけど、どのくらいの数字に設定するのがいいか少し考える必要がありそうだ。


「あっ!」


「どうしました?」


「やばい、アリス。お酒が減ってる」


「えっ!? どうして?」


「入れ物が破れちゃってるみたい」


そう言ってハヤトは半分くらいにしぼんでしまった袋を指先でつまんで持ち上げる。ぽたぽたと琥珀色の液体が地面に落ちて草花を濡らした。


「あらー……。一つだけですか? もう一つは?」

「そっちは大丈夫みたい。これ、破れやすいんだね。ドロップしてもその場で飲まれちゃう理由がわかったよ……。とりあえず、無事なのは影に入れておくね」


「はい。ありがとうございます。だけどこの破れた方はもう持ち帰れませんね。……ねえ、キラービーの蜂蜜酒、どんな味なのかちょっと興味ありません?」


私がそう言うとハヤトはあからさまに"ぎくり"という顔をした。


「やめといたほうがいいと思うな……。大体、アリスはお酒飲んだ事あるの?」


「まだありませんけど、この国では十五歳から解禁ですから、法律的にはOKですよね。……それにこの先、夜会に出れば嫌でもワインを飲まされるようになりますよ」


「うーん……。嫌な予感しかしないけど……。じゃあ味見だけしてみる?」


「はい!」


実は私は前世も含めてお酒を飲んだ事がない。前世は未成年のまま終了しているのだ。

初のお酒! 好奇心がありあまる!

ハヤトが破れた袋の下に手のひらを入れると、袋と雫がふわりと空中に浮かび上がった。

重力をいじる魔法を使っているようだ。

宇宙ステーションの中みたいに、蜂蜜酒の雫が空中で丸くゆらゆら浮かんでいる。


「グラスがないから、これで直接飲んでみて」


頷いて、小さい飴玉みたいなそれをわくわくしながら口に入れてみた。


「っ!」


――ほんのり甘いエタノール!


少し……いや、かなり……思ってたのと違う……。

これ、火をつけたらよく燃えそうなやつだ。

薬品みたいな味がする。

無理。飲み込めない。


口を押さえて固まっていると、ハヤトは不安そうな顔で横から覗き込んできた。


「ど、どうしたの……」


気合いで飲み込んで、やっとの思いで口を開く。


「喉が焼けるようです……」


「あ、そんなに強いんだ。大丈夫?」


水を出してくれたので、有り難く口に入れた。


「キラービーの蜂蜜酒の話はずっと前にピートさんから聞いた事があるだけで、実物を見るのは俺も初めてなんだけど……。"大人の飲み物だからお前達が収集を狙うにはまだ早い。でももし見つけたら絶対に手を付けないでここに持ってこいよ"としか言われてなくて。そんなに強いって知らなかったよ。ごめんね、止めなくて」


「いえ、私の勝手な好奇心の結果ですから……。ハヤトは飲まないのですか?」


「俺はいいや。もう、残りは全部捨てるよ?」


「はい」


頷くとハヤトは手を下ろし、宙に浮いていた雫は全て地面に落ちて土に吸い込まれていった。


「じゃ、帰ろうか」


「はい」


「酔っぱらってない? 大丈夫?」


「大丈夫です。さすがに一口じゃ酔いませんよ。……でも残念です。もっと甘くておいしいと思ってました」


「ドロップアイテムの飲食物は一癖も二癖もあるやつが多いからねー。不用意に口にしないほうがいいとは思うよ」


「何でそれを先に言わないのですか?」


「飲んだ事がある奴が"最高だった"って言ってたからー」


「そりゃあ、お酒好きな人からすればそうなのかも知れませんけど」


喋りながら王都への道を歩く。その時は私もハヤトも知らなかった。

蜂蜜酒とは、蜜月とも言う――そう、ハネムーンの語源にすらなったこのお酒が、よりによって魔力から生み出された場合どんな効果を発揮するのか。

ピートさんが当時まだ十代前半だったハヤトに"大人の飲む物"としか伝えられなかったのには、一応の理由があったのだ。


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