31.蝶と蜂
色々ありつつ、ハヤトがリディルの名前を得るまであと半月。
今夜は新月。もうすぐ夜が来る。
お父様の気遣いにより、基本的に食事の時間は二人で客間の一つを使う事になっている。
気遣いといいつつ、これは暗に私がテーブルマナーについてしっかり目を配るよう一任された形だ。
とはいえハヤトは元々食べ方が綺麗な人だし、ここに来る前にあらかじめマナーブックを渡されていた彼は生来のハイスペックさを発揮して公爵家に来る前に既に完璧なテーブルマナーを身に付けていた。
なので私が口を出す事は、無い。
それと、彼はクリスお兄様と身長がそう変わらないので、以前オーダーした服が仕上がってくるまでの間、クリスお兄様の服を使って生活するようお父様が言い付けたようだ。
「うちで生活する以上、使用人よりラフなのは良くないから」だそうで––自覚を持てという事らしい。
なので、私もちゃんと髪をまとめてもらい、ドレスをイブニング用の艶感強めな深い青のものに替えて、手袋は黒いレースの短めのものにした。アクセサリーは、ダイヤモンドが花の形に連なるネックレスと、揃いの雫の形のドロップ型イヤリング。ドッグタグはつけたままだ。
アンバランスではあるけれど、意味があって身に付けるものだから外したりしない。
なんだか特別なデートに出かける時みたいで、凄くわくわくする。
こんな気持ちでドレスを着るのは初めてだ。早くハヤトに会いたくて心が浮き立つ。
心の中でスキップしながら訪室すると、彼はちょうどジェフリーに手伝ってもらいながら着替えているところだった。既に黒に変色した髪に合わせて、ダークカラーのラウンジスーツを身に付けさせられていた。
「あら、素敵ですね」
「そう? ……なんか、大変なんだね。貴族って。一人で着られますって言ったんだけど」
すると、ジェフリーが口を開いた。
「おや、そう仰るものではありませんよ。人を使ってこそ貴族たり得るのですからね。これからは人に仕事を与えるのが貴方の仕事になるのです。一人で何でも出来るというのは事実でしょうが、普段は胸の内にしまっておいて下さい。人との関わりが何よりの財産になるのは、貴賤を問わず聞かれる話でありましょう」
話を聞きながら何気なく顔を見ると、彼は紅い瞳を細めて微笑んでくれた。
……また紅くなってる。さっきは黒かった気がするんだけど。
まあ、彼の事だから何でもありよね。きっとそういうものなんだわ。
「ありがとう。ねえアリス、凄く綺麗だよ。そういう感じの格好してるの、初めて見る」
「えへへ、そうですか? 夜は皆こんな感じの格好するんですよ。昼間より肌を出すので、アクセサリーも頑張ったものを着けるんです」
「ふぅん?」
彼はそう言って私の耳元に手をやり、雫型のイヤリングに触れてちょいちょいと揺らして遊んだ。
たまにこうして子供っぽい事をしてくる。そう、この人は初めの頃に思っていたよりはずっと子供なのだ。年相応とも言うけれど。
決して孤高のヒーローという訳ではない。普通の心を持った、普通の人間だった。
ひとしきりじゃれた後、ふと顔を見るとまた黒い瞳に戻っている。何となくホッとして、小さく息をついた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
手を差し出してくれたので、そこに手を乗せる。
いつか噴水広場で素手のまま重ね合わせた手のひらは、今また手袋越しに重なりあった。
ディナーの後、ダンスの練習をしたり聖歌以外の音楽の楽譜を見せて少しピアノを弾いてもらったり、リバーシで遊んだりして過ごした。リバーシはどうしてか何度やっても全てひっくり返されてゲームは終わった。
「義姉様、おはようございます」
翌朝、部屋から出た瞬間爽やかな声が響いた。
声の主は義弟、ルーク。年下ワンコ枠の元攻略対象だ。
ヒロインに攻略されかけたけれど、どういう心境の変化か逆ハーメンバーから突然離脱し、唯一勘当を免れたラッキー(?)ボーイ。
これから学院へ行くようで、懐かしの制服姿に身を包んでいる。
「おはよう、久しぶりね! なんだか少し背が伸びたんじゃないかしら? 今まで見掛けなかったけど、どうしていたの?」
「美しい花を求めて蝶の真似事をしていました」
ん?
この子こんなキャラだった?
「もうちょっと分かりやすく話してもらっていいかしら」
「ふっ……。わからなければそれでいいんですよ。そうだ、婚約おめでとうございます。僕、学院に行ってたから、ご挨拶の時いなかったんですよね。いずれ改めてご挨拶しようと思っていました」
「ありがとう。では、後でお茶でも一緒に」
「そうしたいのは山々なのですが、僕はこれから学院ですし、結婚相手もそろそろ決めないといけなくて……。結構、忙しいんですよ。ご挨拶はまた今度」
「わかったわ。行ってらっしゃい」
「行って参ります」
思春期特有の刺々しさがすっかり消えたルークは爽やかな笑顔で背中を向け、廊下を歩いて去って行った。
――そうだった、あの子まだ婚約者いないんだった。
あの子は元々はお父様の亡き弟君(叔父様)の息子さんだから、いずれ叔父様の伯爵位を継いで家を再興する義務がある。
なので、結婚するなら王家か下位貴族のどちらかだった私達兄妹よりも政略結婚をするメリットは大きくて、それなりの家のお嬢様を娶る必要があるんだけど……。
さっきの口ぶりだと、なんだか色んな女の子と浮き名を流している風に聞こえてしまった。
大丈夫なのかしら。
「……おはよ、アリス。どうしたの?」
考え事をしていたら、ちょうど起き出してきたハヤトが廊下に出てきた。
「ルークは大丈夫かしらって考えていました」
「ルーク? ……ああ、義弟の。まだ会った事なかったね。いるの?」
「もう学院へ向かいました。ご挨拶は、いずれ、と」
「そっか。俺はいつでもいいからね。……で、大丈夫かなって、どうかしたの?」
「蝶の真似事をしているらしいんです」
「それは心配だね……。本当に」
「はい」
ちょっと不安だけど、きっとお父様もルークの様子を把握はしているはず。
本当、お父様ってお兄様といいルークといい、子供達由来の気苦労が絶えないわね。こんど市井で大人気のはちみつ酒でもプレゼントしてみようかしら。
「……ねえハヤト、はちみつ酒っておいしいのですか?」
「知らない。何? 急に」
「お父様にあげようと思って」
「公爵に!? ……飲むかなぁ。あれ大衆酒でしょ。街の酒って何が入ってるか分かんないって聞くけど。それに、贈るなら普通ワインとか蒸留酒とかじゃない?」
「うーん……。家にあるのと同じようなものをあげる意味を感じられないのですよね。市井のものなら新しい発見もありそうで楽しいかなって思ったのですが。でもさすがに何が入っているかわからないのはまずいですね」
「……公爵も苦労するなぁ。それなら、今度の休みはキラービー狩りに行こうか。近くに出るポイントがあるから、上手くいけばキラービーの蜂蜜酒がドロップされるかもしれない」
「そんなのがあるんですか!?」
「あるらしいよ。俺もまだ見たことないけど、ものすごくレアで、たまに出ても大抵その場で飲まれちゃって滅多に出回らないみたい。公爵に贈るならそのくらいのものがいいよね」
「はい! 楽しみです!」
そうと決まったら、さっそく魔道具いじりを始めなくちゃ。
戦闘を通して、こういうのがあったらいいな、と思う事は色々あったのだ。
これから我が家の書庫室で勉強をするというハヤトを見送り、私は鍵と黒板付きの研究室に向かう。
――開発を禁止されているのは武器関連だけ。
それ以外の便利道具ならOK。それなら、ドロップ率上昇のアイテムを作らなくちゃでしょ。
たぶんだけど、以前扇に書いた魔法の威力を上げる術式の応用でいける気がするのよね。
それと、エンカウント率上昇もあるといいな。
この世界、ダンジョンみたいなものが無い(強いて言うなら空気中の魔力の属性が変わるくらい自然エネルギーの強い場所はそれっぽい)から、狩りの効率はあまり良くない。
その割にモンスター自体は突然自然発生するものだから、たまに街中に出る事もあってその時は大騒ぎになるらしい。
王城含む貴族街は至るところに魔力の流れを変えることが出来る水晶が打ち込まれていて、一か所に留まらないようにコントロールされているから出ないけれど、庶民街はそこまでがちがちに対策はされていないようだ。
私はまだ街中で魔物に出会った事は無いけれど、ハヤトは何回か経験したと言っていた。
街中でエンカウント率上昇の魔道具を使うのはもちろん危険だけど、必要な時まで魔力を流さなければ効力は発揮されないのだから大丈夫だと思う。
そして考える。
エンカウント率上昇は、ドロップ率上昇とセットでなければ意味がない、と。
この二つは絶対にセットだけど、必要に応じて片方をオフ出来るようにしたい。だって普通に魔物が多い場所があったとして、そこでエンカウント率上昇を使ったとしたらどうなる? 朝8時の山手線みたいな事にならない? 危ないよね。
――となれば、イヤリングを使うのはどうだろう。
左右それぞれに一つずつ効果を付与して、モンスターが多いところではエンカウント率上昇の方だけオフにすればいいのだ。
私は部屋から宝石箱を持ってきて、市井で着けても浮かないシンプルなデザインながらそれなりに書き込む面積のあるイヤリングを発掘する作業を始めた。
結果、選んだのは、水晶がぶら下がっているタイプのもの。素材的に魔力に強いのは間違いないし、適度に平面もあって書きやすい。とても良いものを見つけた。
満足して、まずは黒板に術式を書いてみる事から始めてみる。
元になる術式はそう難しくはないので、すぐに完成形の術式が出来上がる。
検証は不可能ながら一応は魔力が通り術式が成立しているのを確認してから、一対のイヤリングを握りしめ喜び勇んでハヤトに報告しに行った。
――のだけど。
「へー、それは凄いね! で、どっちがどっちの効果なの?」
「えっ。……あ、わからなくなりました」
全く同じデザインのものを握りしめていたらそりゃそうなる。
完成後のハイテンションでつい後先考えずにやってしまった。
本で顔を覆ってぷるぷる肩を震わせるハヤトを置いて黒板の部屋にとんぼ返りする。
付与を解除して、魔力が通るとぼんやり光るよう術式を追加した。
ドロップ率上昇のほうにピンクの光、エンカウント率上昇のほうに紫色の光だ。
お父様にも報告したら、ドロップ率上昇のほうだけ検証後に量産化すると決めてくれた。
開発した魔道具は、量産が決まったらそれを量産するための印章型魔道具を作らなければならず(ややこしい)それに落とし込むのは次期公爵のクリスお兄様の仕事。
私に出来るのは、効果の検証をするだけだ。
「それにしても、アリスが冒険者登録したって聞いた時は耳を疑ったけど……。生活用魔道具はあらかた揃っている今、冒険者用魔道具には開発の余地があるものだね。異次元の袋といい、武器以外でこんなにアイディアが出てくると思わなかった」
「異次元の袋はハヤトがいなければ術式を作れませんでしたが……。不便を体験しなければなかなか気付けない事も多いですよ。お父様も冒険者登録、いかがですか?」
「やめておくよ」
苦笑いしてスコッチを飲むお父様に、キラービーの蜂蜜酒を飲んだ事はあるか聞こうとしたけれどサプライズ感が薄くなるなと思ってやめた。
そうこうしているうちに休みの日になり、私達は二人で十五番街の家に戻った。
今日と明日は可愛い眼鏡探しと、キラービー狩りをするんだ。
こっちにいる間は思い切り体を動かさなくちゃ。
そう思いながら、まずは換気、と、不在のあいだ閉めきっていたカーテンと窓を開ける。
「ねえハヤト、すぐに出ますよね? 着替えてくるので、少し待って……」
後ろから伸びてきた手が、開けたばかりのカーテンを閉めた。
薄暗がりに戻されてしまい、何事かと振り返ろうとすると、手が首もととお腹に回ってきて、背中がハヤトの体にぴたりとくっつく。
「あ、あの」
「一時間だけ、ちょうだい」
「一時間……?」
「アリスが、足りない」
言われてみれば、公爵家にいる時は常に人目があるから、必要以上に触れ合ったりしていなかった。
ハヤトの唇が首に触れる。
「ねえ……っ、くすぐったいですよ……?」
手が首もとから肩、二の腕へと、ゆっくり撫で下ろされていく。
……なんか、これって。
ヤバくない?
「ちょっと、待ってください!」
「ん?」
「き、着替えてきます!」
無理やり体を引き剥がして、ダッシュで二階に逃げた。
自室の扉を閉めた瞬間、足の力が抜けて床にへたりこんでしまう。
……び……っくりしたぁー……!
なんで急にあんな感じになっちゃうの!?
わ、私にも心の準備ってものがあるんだからね!
何度か深呼吸して、バクバク言ってる心臓を落ち着ける。
少し落ち着いてきたところでぼんやり天井を見つめて考えた。
……公爵家で過ごすの、ストレスだったのかなぁ。
考えるまでもなくストレスだっただろうなぁ。
いくら私がフォローするって言っても、環境自体は変えられないし。
帰った瞬間あんなふうになっちゃったのって、ここ数日の緊張の反動かしら。
……ハヤトは私のために爵位を受ける決意をしてくれたのに。
そのせいで今は自由時間もなく勉強三昧で――あんなに頑張ってくれているのに突き放すなんて。
悪い事をしてしまった。
正式な契約はまだこれからだけど、婚約者として決定はしているんだし……。
もう少し気持ちに寄り添っても良かったよね。
結婚するまではそういう事をしないって言ってたけど、本当に全く何もないのも寂しいと思う気持ちもある。
こっちとしては既に傷物令嬢なんだし、次はもう無いのだ。
もったいぶる必要性は感じない。
少しくらい、いいよね。
よし、カモンベイビーでいこう! そうしよう!
ばちん、と頬を叩き気合いを入れて勢いよくワンピースを脱ぎ捨てた。
着るのは普通の剣士服だ。カルロス姐さんのセクシーな力作は、ああいう感じのを着ている女の子を十人見掛けたら着る事にしている。
ちなみに見掛けた事は、まだ無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます