30.見たのかって? ああ見たさ! しっかりと


 公爵家の門をくぐると、真っ先に出迎えてくれたのはラヴだった。


「アリスお嬢様! 兄ち……お兄様! お待ちしておりました!」


 淑女教育は順調なようで、もう既に立ち居振舞いがお淑やかになっている。


「ありがとう、ラヴ。また綺麗になったわね」


「ふふ、ありがとうございます。クリス様と公爵家の皆様のおかげですよ。とても良くして下さって……。アリスお嬢様こそ、日に日に美しくなっていくばかりでもう目映いほどですわ。お兄様もずいぶん心配なのではなくて?」


「…………ほっとけよ」


 くすくす笑うラヴの後ろからクリスお兄様がやってきて、お帰りも言わずに何やら興奮気味に私に話しかけてきた。


「あのさ! こないだ教えてくれた影を使った魔法だけど、やっと再現に成功したんだ! 異次元の構築には苦労したけど! 発動までに必要な魔力がとんでもない量でびっくりしたよ! でもまあそこはアレでちょちょいと解決して、さっそく袋につけてみたよ! 見てこれ! 体積を遥かに超える量が入るようになったんだよ! 本当に凄いね! 何で影に物を入れようと思ったのかその発想が不思議なんだけど、そのおかげで凄い便利な魔道具が出来たから何でもいいや! ああ、でも生き物はやっぱり入れられなかったなぁ。生き物が入れば夢の瞬間移動も可能になるはずなんだけど」


「お兄様」


「何?」


「それをなぜ私に言うのですか? すぐ隣に言うべき本人がいるではありませんか」


「……だって、怖いし……。そう言ってたって伝えておいて……」


「伝えるも何も」


 ちら、と隣に立つハヤトに視線をやると、彼は困惑気味の表情で頷いてくれた。

 少しはまともさを身につけたはずのお兄様だったけれど、虚勢を張る必要がない場面では相変わらずの変人だった。

 そして一度は打ち解けても、数日置くとまた他人行儀に戻るようだ。

 まるで人の家の猫のようだと思う。


 横からそっとラヴがクリスお兄様の腕を取り、労るように優しく言い聞かせる。


「クリス様、あの人は怖くなどありませんよ。人間のような姿をしたグリズリーベアだと思えば良いのです。たまにカメレオンになりますが、ちょっと色が変わるだけで威嚇している訳ではないのでご安心下さい」


「……なんなの、この二人」


 ハヤトがぽつりと呟いた。

私も、グリズリーベアはないと思う。そんなのと同居していた覚えは、無い。


「ではクリスお兄様、後で改めてその袋を見せて下さい。私達は一旦お部屋に行って来ますから。ラヴ、また後でね」


「はいっ!」


 にっこにこのラヴと別れて、私達はそれぞれの自室へ向かった。

 私は元々使っていた部屋、ハヤトは客室のうち一つを使う事になっている。

 まずは自室で簡素なドレスに着替え、お父様の書斎へご挨拶に向かう。


「お父様、参りました。これからよろしくお願いいたします」


「うん。彼のこと、しっかりフォローしてやってね。息が詰まるだろうから、普段の食事の場所とか時間は家の人間とはずらしておくよ。会食が必要な時には事前に声をかけるね」


「わかりました。ありがとうございます」


「ああ、あと、ここにいる間はアリスも魔道具いじっていいからね。市井で色々と気付いた事があるだろうから、それを生かしてみなさい」


「はい」


 許可が出た。試したい事なんて、あるに決まってる。

 まずは以前お兄様から没収したメイドのパンツを見る眼鏡を、モンスターの魔核を見る眼鏡に改造するんだ。そうしたらチマチマ削らなくても、一撃必殺が可能になるはず。

 そのためにわざわざあの眼鏡を持ってきたんだから。


「ハヤト、ちょっといいですか?」


 ハヤトの使う部屋に行き、ノックをする。

 返事があったので扉を開くと、彼は早速学院の一年生で学ぶ内容の勉強をしているところだった。


「どうしたの?」


「影収納に入れてもらった物の中に眼鏡があったと思うんですけど、それを出してもらいたいんです」


「……っ!」


 一瞬で顔色を変えたハヤトは真顔のまま立ち上がり、私の肩を掴んだ。


「何に、使うの……?」


「何って……改造するんです。ああ、あれ、実は魔道具なんですよ。普段眼鏡してないのにどうして持ってるのか、不思議に思われたかもしれませんが。あれの用途は言えませんけど、改造すればかなり役立つ事間違いなしですよ」


「改造……そう、改造ね……。わかった。はい、これだよね」


 伏せた左の手の平の影から中指と薬指を使って眼鏡を取り出し、渡してくれた。

 いつも思うけど、まるでマジシャンみたいな仕草。何もないところから器用に物を出すのが見てて面白い。


「そう、これです! ありがとうございます! 完成したらつけてみて下さいね!」


「いや、いい……」


「え? どうしてですか?」


「何が起きるかわからなくて怖い……」


 意外と小心なところがあるようだ。完成したらちゃんと効果を説明して、恐怖心を払ってあげないといけないね。


 眼鏡を受け取った私は魔道具開発のための研究室(資料と大きな黒板があるだけ)にこもり、鍵をかけた。

 眼鏡に手をかざし、術式を解除してみる。

 するとテンプル部に小さな文字が浮かび上がったので、それを黒板に書き写してまずはじっと眺めた。


 書いたり消したり眺めたり並べたりして思考を深めるのに、黒板はとても向いていると思う。

 遅まきながらそれに気が付いたので、クリスお兄様が研究室を使わないなら私が使わせてもらう事にする。


「ええと……ここんとこが服を透過するためのタスクでしょう? これをモンスターの身体部分に置き換えるとしたら数字はいらないのかしら。ああ、でもモンスターは身体が魔力そのものだから、服のところを魔力に置き換えちゃうと魔石まで見えなくなりそうね……」


 まさか自分の人生の中でパンツを魔石に置き換える問を真剣に考える日が来ると思わなかった。

 人生とは何が起きるか本当に分からないものだ。


 パンツはともかく、そもそも、この世界における魔石とは何なのか。


 魔核とも呼ばれるそれは魔力の結晶であり、モンスターの体内から取り出すとすぐに力が薄まり空気中に溶けて消えてしまうものだ。

 そう。結晶。――結晶であるなら、それがあるところは他と比べて魔力が濃い可能性はないだろうか。

 だとしたら、魔石を見るというよりも、魔力の濃さを見る方向で設定してみるのはどうだろう。

 ついでに属性に応じて色も設定してみると面白いかも知れない。


 また余計な思い付きで自らハードルを上げつつ、まずは個体の魔力の総量を一と設定し、さらにその中で十段階に分けて、魔力の濃さに応じて光るように指定して術式を構築していく。


 ざっくり完成した術式を、少し離れたところから眺めてみる。黒板には、何行にも及ぶ術式がつらつらと並んでいた。


 ……これって、もしかして……。


 眼鏡のテンプルには入りきらないんじゃない?


 思わぬ壁にぶち当たってしまい、しばらく放心した。


 結局、光の強さを十段階から五段階に減らして文字数を減らし、テンプルではなくレンズに書き込む事で術式が入りきらない問題は一応の解決を見た。

 我が家で使っているインクはイカ型魔物のドロップ品が原料でちょっと特殊なのだ。何にでも書けるし魔法でインクを飛ばして消すことも出来る。

 ちなみにこのインク、我が家ご用達という事でよその貴族達もこぞって使うので原料の供給が追い付かず年々値段が上がっているらしい――のは余談。


 文字で埋め尽くされたレンズをじっと眺める。

 このままじゃ使えないけど……術式を定着させた後隠蔽の魔法を使えば文字は見えなくなるし、平気平気。

 術式を眼鏡に定着させ、文字を隠蔽して早速着けてみる。

 わずかに魔力が吸われてる感覚があるから、魔道具として一応は成立しているようだ。

 ただ、うちにはモンスターがいない。

 正しく作用しているのかどうか検証したいけど、人で見るしかない。

 だけど他人の魔力を勝手に見るのは何となく憚られるものがあるので、まずは自分の手足を見てみた。

 末端から腹部にかけて徐々に光が強くなっていくのを確認して、小さくガッツポーズを取る。


 やった……! 成功してる!


 これが十段階だったらきっともっと正確に見えるはずなんだけど、書き込むスペースが足りないから仕方ない。

 ああでも、属性ごとに色付けはしたいな。

 そう思って、テンプルにめちゃくちゃ小さい文字で属性と色を指定したものを無理矢理書き込み、先程の術式と関連付ける。

 できた。


「定着、……っ!?」


 術式に定着の魔法をかけた瞬間、眼鏡に亀裂が入り、パァンと音を立てて破裂してしまった。

 本当に一瞬の出来事だった。


 あらー……。


 どうやら素材が耐えられなかったようだ。

 バラバラに砕けてしまった眼鏡をしばらくの間呆然と眺め、しょんぼりした気分で後片付けをした。


 眼鏡の改造に失敗してしまった……。


 没収品とはいえお兄様の私物を壊してしまった事を、ラヴとティータイムを過ごしていたご本人に謝りに行ったら大慌てで「そそそそんな眼鏡知らないし! 壊れた? ああ、あれは魔力に弱い素材だったから付与できる効果なんてせいぜい一つまでだよ。知らないけど」と言って許してくれた。


 こんど新しいの買って返すからね。スケスケ眼鏡にしちゃダメだよ……。


 それにしても。

 あーあ、ハヤトに"役立つこと間違いなし"とか言っちゃったよ。

 今日中に改造してドヤァしたかったんだけど、無理になってしまった。

 残念。


「……ハヤト、勉強の進み具合はどうですか?」


「んーとね、今は二年生の中間くらいかな」


「さっき一年生の内容見てませんでした?」


「うん。それ終わったから今は二年生見てる」


「そうですか。なんだかあと小一時間もすれば学院を卒業できそうですね」


「だったらいいんだけどねー。……ところで、あの眼鏡は改造できたの?」


「失敗しちゃいました。負荷をかけすぎてしまったみたいで、破裂しちゃったんです」


「破裂⁉ 怪我してない⁉」


「はい」


 頷くと、彼はホッとした顔で椅子に背を預けた。


「良かった。……でも、そっか。あの眼鏡、壊れちゃったんだ」


「残念です。出来れば早くお見せしたかったですよ」


「…………何を?」


「まだ内緒です」


 術式は出来てるから、もう少し魔力に強い素材の眼鏡さえあればすぐにでも完成させられるはずなんだけど。

 でもせっかくならもうちょっと可愛い眼鏡で作りたいから、好みのデザインのものを見つけてまた改めて挑戦する事にする。


「……あれ? どうしたんですか? 顔が赤いですよ」


「うん……。わかってる。ごめんね、アリス」


「なぜ謝るんですか?」


「色々と……」


 曖昧に言葉を濁しながら教科書で顔を覆ってしまったハヤト。

 よくわからないけど、謝る必要なんてない、むしろその仕草がかわいいから何でも許しちゃうよ。


 で、何で謝ってるの?


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